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Miroir du Cyclisme 1982年4月号 No315
「パリ−ルーベ叙事詩 1896年からこれまで」
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1896〜1914年 パイオニア
ここから続きです。
(茶色の文字は解読を試みた結果です)
p10中央の写真
ルシアン・.ポティエ:
彼は「復活祭」では
勝つことができなかった。 第1回パリールーベが成功し、
仕掛け人セオ・ヴィエンヌの喜ぶ顔は目に浮かびそうだが、
レース実況がこの程度では少しもの足りないかもしれない。
今でこそ、公式車がレースに同行し、
各選手の動きや、選手間や集団とのタイム差を刻々と記録する。
伴走バイクもレースに貼りつき、誘導し、
わずかな違反動作も見逃さないように目を光らせる。
それらの情報を手にできる今の記者たちは、
レース状況を生々しく再現することができる。
しかし、1896年当時は
既定のチェックポイントとランドマークでの抜打ちポイントでしか
レースを伺うことができなかった。
途中の状況はほとんど情報を得ることができず、
選手自身の言や観客からの情報に頼るほかなかったのだ。
(※)首位を走っていたアーサー・リントンが犬にぶつかって落車した
なんてのは観客からの情報なのでしょうか。
英雄伝説の時代、困難さにおいては取材する側もまた同様であった。 つづく
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