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日本人にとって(特にアンダンテにとって) 欧米よりも
遠いのが中東かもしれない
その理由の一つが宗教に関連することかと思う
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は
元々は旧約聖書に基づく同じ教義の宗教だけれど
それぞれに解釈が違っていて ややこしい話になっている
というのは 何となく判る
イスラム教でもキリストは預言者としては認められていて
でも「主と三位一体」としているのがNGだそう
(あくまでもアンダンテ個人の受け取り方です)
数は多くないが行ったイスラム教国の違いは?
行った順に思い起こしてみよう
エジプト・ヨルダン・イラン・エジプト2回目
モロッコ・トルコ…
*エジプト・アラブ共和国🇪🇬
宗教〜イスラム教スンナ派多数
他にコプト教・キリスト教
言語〜アラビア語(エジプト方言)・アラビア文字
初訪問はアラブの春の前2010年で全行程一人
10日間 女性のガイドさんが同行
彼女はカイロ大学で日本語を学び英・仏・日本語を
話す才女だったけれど ヒジャブ(スカーフ)を被り
飛行機の待ち時間などに祈りの時間が来ると
目を閉じて祈っていた
アザーンはどの都市・町でも流れていた
アザーンはコーランの朗唱ではなく
お祈りをしましょうという呼びかけというのも
この時のガイドさんに教えてもらった
地方に行くと全身を黒で覆う女性も多く見かけたが
カイロではスカーフ無しの女性も多かった
アスワンなど南(ヌビア地方)は 大らかだった
イスラム教でアルコールは禁じられているが
観光客は飲んでもOK
ローカルなレストランや食堂では置いていないが
ホテルなどはほぼ用意していた
男性には徴兵制があり 普通は2年
大学に行っていると1年間だそう
2度目の時の男性ガイドさんはカイロ大卒で
1年間の兵役はシナイ半島 1日飲み水も洗顔も含め
2ℓの水でまかない大変だったと…
もっとも湿度が低いエジプトでは風呂に入る習慣はない
とも言っていた
ムバーラク大統領がアラブの春で追放されるまで
20年以上政権を握った
2016年 エジプト再訪した際 聞いた話では
2010年にお世話になった女性ガイド・リハブさんは
アラブの春後の混乱で観光客が激減し失業
アメリカに渡ったそう
〜〜〜〜〜〜
*ヨルダン・ハシミテ王国🇯🇴
宗教〜イスラム教スンナ派
言語〜アラビア語(ヨルダン方言)・アラビア文字
現在の国王アヴドゥッラ2世は対外的な事なども考慮し
ラーニア王妃のみの一夫一婦制をとっている
小泉首相が訪問した際 自ら運転して空港に出向いたり
バレバレだけれどお忍びで市内を周り
タクシーなどに乗るとこともあるとか
ただ 夫妻の浪費なども取り沙汰されているとも
ISの日本人人質事件の際 時を同じくして
ヨルダン軍パイロットの悲惨なニュースも
報じられ心が痛んだのも記憶に新しい
軍隊は徴兵制ではないそう
ヨルダンでは葡萄を栽培しワインも製造しており
観光客はアルコールOK
女性の服装はヒジャブ姿も
アバヤ(目を除き殆どを覆う)姿も混在
産油国ではなく資源もそれほど豊富ではなく
それでも隣接するパレスチナ・シリア・イラクからの
難民を受け入れ 人口は増え続ける…
アラビアのロレンスが駆け抜けたワディラムからアカバ
インディ・ジョーンズやトランスフォーマーの
ロケ地になったペトラのエドディルやエルハズネ
ヨルダンでの男性ガイドさんも奥さんは一人だそう
一人だけでも大変なのに複数は無理と言っていた
![]() 一夫多妻は昔 未亡人のための救済策だったとも言う
複数の妻がいたら皆 平等にしなければならない
一人にだけ大っきなダイヤモンドをあげる
と言うわけにはいかない
『妻は皆 平等にしなければならない』愛情も!
千数百年にわたりお互いに信じてきたものは
一朝一夕には変わらないだろう
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ヨルダン
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今となっては行きにくくなってしまったヨルダン
ここを代表する遺跡「ペトラ」
インディ・ジョーンズも駆け抜けたシクを抜けて
エル・ハズネを見たい…
エントランスからここまで20分
この狭い岩盤の隙間をテクテクと1時間
ここから熱く熱した砂の上 カンカン照りの中を
1時間半
そう ペトラ遺跡の中にはチャンとレストランがあるんです
ここまできてお昼食べて帰る人も結構います
中は涼しくて ホッ
ここで英気を養い
サッパリして美味しい!
ホッとしたのも束の間 また 炎天下を歩く
さっき迄は平らな砂漠だったけれど
今度は砂と石とが混ざり合ったアップダウンのある悪路
こんな所を1時間半
エド・ディル
この前に売店兼カフェが…
![]() で この先に絶景ポイントがあるというので
もうひと頑張り 20分
着いた!
ここがペトラの最深部
ベドウィンのおっちゃんがやっているカフェ
ここから先には行けない…最果てのカフェだ
来た以上は帰らねばならぬ ふ〜〜
この暑さ(35度超)の中 朝8時からズッ〜〜と
こんなに歩いたことは未だかって無かったし
これからもないだろうな
ペトラ最深部カフェ…忘れない |
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毎日 ニュースでヨルダンの国名を聞かない日はありません
日本人人質事件 対策本部を置いたヨルダンを巻きこんで
状況は益々混迷を極めていて
様々な情報を聞くにつけ 我々は 中東の事をいかに知らなかったか思い知らされます
ニュースでも報じられていますが ヨルダンは親日国であり
これまでも友好的な関係を築いてきました
後藤さんは 勿論 無事に帰っていただきたい
しかし ヨルダン人パイロットのご家族・関係者だとて その思いは同じだと思います
この先 いかなる結果になろうと ヨルダンを恨んではいけないと思います
今までもパイロットの開放に向け模索してきたというヨルダンです
巻き込まれた形で様相はより複雑になってしまったヨルダンに対して
我々は これからも友好国であり続けなければ と思います
この様な事態になる前(といっても ほんの8か月前)に訪れた
一観光客のブログ記事ですが・・・
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旅先ではその土地の民族衣裳に興味津々です
とはいってもアラブ〜イスラム教圏では
女性を写真に撮ることは難しく
男性中心になってしまいますが
一般男性はスーツの方もごく普通のカジュアル
(Tシャツとジーンズとか)な人もいましたが
見掛けたのはストンと頭から被るワンピースのような衣裳
ディジターシュです
エジプトでは似た感じの洋服(?)はガラベーヤ
湾岸人(AUEなど)はカンドーラと呼んでいるようです
エジプト・アブシンベル神殿でガラベーヤを着た人
アブダビの空港で全身白のカンドゥーラの後姿
湾岸人は白を好ん着ているそうですが
白は「清廉」「潔白」等を表すそう
白に抱くイメージは万国共通ですね
また国というより地域によってその色が微妙に
違っているそうで
アンマン周辺では薄紫〜ベージュ
オマーンでは緑がかったベージュが
人気がそうです
ディジターシュの下に 基本 白のズボンをはくそうです
ヨルダン ワディ・ラムで4WDのパンクで
タイヤ交換中のベドウィン人
白いディジタージュ姿
男性が頭に被っているのは「カフィーヤ」で
ベドウィンの人々は「ハッタ」と呼ぶそう
赤はヨルダン系のベッドウィン人
黒はパレスチナ系だそうです
元々砂漠の民たちに国境などは無かったことを考えると
欧米(特に英仏)の責任は大きいです
勝手に国境線を引いてしまったのですから
ワディ・ラムのベドウィン人ドライバーとガイドさんです
ここにはパレスチナ系の方はいないみたいです、
日本の民族衣装 着物にも様々な意味があるように
中東の民族衣装にも多用なパターンがあり
様々な主張をしているのだろうなと思います
一度や二度の訪問では その深い意味までは判らないです
*眠くて写真をアップしていなかったので
翌日 写真追加しました
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お○鹿は高い所が好きだそうですが アンダンテ高所好きで飛行機大好き!
何で飛んでる?とか理屈は判らないけれど 人類の英知を集めて飛んでいる感は凄い・・・と
飛ぶ度に感動します!
今回は 成田
全て エティハド航空でした エミレーツに次いでやって来たUAEの航空会社
ビジネスでも結構安いという事でビジネス奮発です
成田空港のラウンジ使用カード〜ANA=スターアライアンスのラウンジ
フライトが夜間なので 殆ど何も食べる物はありませんでした
A330 機内
座席はフルフラット 茶系で落ち着いた感じです
まずは UAEアブダビ空港 タラップでおります 海外は結構このスタイル多いですね
バスでターミナルへ その後ターミナルを移動〜長い遊歩道で
ターミナルはドバイほどではないでしょうが DFSやブランドショップがあり華やかです
空港内にはホテルもありました
いよいよアンマンに向けての搭乗口へ 様々な服装の人々
サテライト(って言う?!)は近未来というか「スターウォーズ」に出てきそうなスタイル
A320−200機内 離陸時 天井にミストが出ていてちょっと感動!
アブダビから3時間ほどの飛行でアンマン到着です
アンマンの空港にはブラジル・ワールドカップの公式フラッグ「エミレーツ」が
機体にWCのマークが見えます
無事 入国審査を済ませアンマン空港を後にしました |




