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■ 書評 下斗米教授の「神と革命 ロシア革命の知られざる真実」


神と革命 ロシア革命の知られざる真実
下斗米伸夫著
筑摩選書
定価(本体価格1800円+税)


一般に、ロシア革命はボリシェビキによるマルクスレーニン主義で起こされたと思われていますが、シビアな行為をおこなったのが共産主義者だっただけで、革命の原動力は商業経営者によるところが大きかったということなのです。

最初に、以下の記事を読むと、理解が容易だと思われますので、まず参照していただきたい。

東京新聞 TOKYO Web
歴史を動かした異端派、ロシア革命100年 青木睦・論説委員が聞く
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2017092302000199.html

実は、下斗米教授は相当な悪筆のようです。(わざとかもしれません)

うちのヱは下斗米教授の講義をとっていたのですが、この本には閉口したようで、こんなメッセージを残しています。
曰く、下斗米先生は、古儀式派が商業資本家となった経緯について、「ロシアのマンチェスター」「ロシア版プロテスタント」といった言葉による印象操作を行うのみで実際の具体的な経緯(彼等の教義や精神がどのように作用し、繊維産業に結びついたのかなど)を示していない、と。

学生いじめのように感じるかもしれませんが、そうではなく、この本を手にした人は、ロシア革命に対する興味を刺激されて、「下斗米伸夫研究者」になってしまうのです。
漫然と読み終わったら積んで置くということができなくなってしまう、次から次へと疑問が噴出して、調べずにはいられなくなってしまうのです。

私は既に、この呪いにやられて、調べたい、調べたい、調べたい!という状態になってしまいました。

シベリア組に期待する皆さんも、巻き込んでしまおうと思いますので「まえがき」を転載してみましょう。


転載ここから

はじめに―――なぜ今、古儀式派なのか

二〇一七年はロシア革命一〇〇周年にあたるが、こういった「記念日」が意味を持つのは、過去の歴史についてこれまでの研究がどのような水準にあるのか、そして新しい解釈や別の視点を提供できるかどうかということを再考する契機となるからである。つまりは、それまで当然とされたロシア革命とソ連論とがどのような認識の上に立っていたかを示すことにもなる。

もちろん研究の最前線はそれぞれの個別の分析の集積であって、決して容易な一般化を許す世界ではない。 それでも特定の主題にかんする論者も、これまでの研究を一瞥する必要はあろう。とりわけロシア革命のように「世界を揺るがした」だけでなく、各種の政治的神話までもが生じてきた研究対象については。

ロシア・ソ連史研究の新潮流

これまでの日本を含めた二〇世紀のロシア・ソ連史研究は、大別したら近代化論か、あるいは各種のマルクス主義の立場からなされてきた。とくにスターリンのドグマから自由になった研究が、一九五六年のスターリン批判以降始まった。一九六〇―七〇年代からはソ連研究が固有の研究領域として定着しだした。しかし一九九一年末のソ連邦崩壊は、そのような立場の研究者をさらに大きな試練にさらした。別の視点と何より史料が出始めている。もっとも、もはや冷戦的なイデオロギーの磁場がなくなったことで、研究はあらたな知的チヤレンジに乗り出せるようになっているが、同時に確固たる見通しなき模索が続く。

そうした中、二一世紀になってロシア・ソ連史を宗教の観点から読み直すという新しい政治史的、いな文明史的視点が提起されている。脱世俗化という新しい潮流が、ロシア=ソ連史の宗教的側面を再評価させる契機となったからである。なかでもロシアの若手歴史家オレグ・シャフナザーロフの論文「ボリシェビズムと古儀式派」(『歴史の諸問題』二〇〇二年八号)は、二〇世紀の共産党=ボリシェビズムの問題をロシアでの教会分裂(ラスコル)、とくに正教会に抗した古儀式派との関係で読み解くという視点を提示して、粗削りながら大きな刺激となった。シャフナザーロフはここで、当局の弾圧により教会を持ち得なかった古儀式派(無司祭派)との関連で、ソビエトの起源を探ろうと試みた。

古儀式派とは、一六五〇年代のロシア正教会ニーコン総主教が始めた儀式改革に端を発したロシア正教会の分裂の中、旧来の儀式やテクストを保持しようとした保守派のことである。旧教徒とかラスコリニキとも呼ばれた。帝政ロシア期を通じて、時期によっても弾圧の波はあったが、帝国と正教会の抑圧の対象となった。もっとも一部ではシャフナザーロフの議論を、古儀式派が歴史を動かしているといった一種の陰謀史観であるとか、宗派を歴史のあらたな要因と見なす謬見だと批判する向きもある(Buldakov:894)。しかし古儀式派自体は歴史的には分裂を重ね、ロシア帝国からは抑圧を受け、ソ連もまた宗教の存在を認めてこなかったため、研究の蓄積もほとんどな〈、そもそも史料に乏しかった。このため、その世界を知るのは容易ではない。

このような新たな観点が示そうとしているのは、ロシア帝国からロシア革命、そしてソ連とその崩壊といった問題の根に、一六六六年の教会分裂のインパクトという歴史的問題があるということである。革命とはカオスでもある。旧来の秩序(コスモス)が崩壊することにより、国家と教会とのシンフォニー(交響)を旨とした正教会の理念や制度が実現されることはなくなった。むしろ宗教によりロシア社会が切り裂かれたことが、その後のロシアの歴史を変えた。クリミア戦争や日露戦争といった危機に際し、この問題が浮上する。なかでも一九一七年の革命のようにロシア帝国が危機に瀕し、統治機能がマヒしたとき、教会はそれと対峙しつつ市民社会を救うどころか、むしろその分断を促すことになった。期侍された二月革命が一〇月革命へと変転したことを肯定するか否定するかはともかく、この変化は、教会分裂の歴史的な帰結でもあった。

そうでなければ一九一七年当初、わずか五〇〇〇名のボリシェビキ党、そのなかでも圧倒的少数派であったレーニンが一〇月革命を成功させるという逆説が解明不可能になるからだ。他方、第一次世界大戦で動員された一六〇〇万の兵士のうち、一三〇〇万人は農民である(Mletin:48)。もちろん一〇月革命がそもそも革命だったのかという問題もあり得る。カオスの中の一〇月のソビエト権力の確立自体は、ボリシェビキのクーデターということも可能である。しかしここでは英国の歴史家アーチー・ブラウンとともに、二〇世紀最大の政治運動の起源として、ソビエト権力の成立を理解する (ブラウン)。

宗教的異端派とソビエト

もちろん、本書が示すように、ソビエ卜という機構自体がアモルフな存在であった。そもそも一九一七年一〇月革命でソビエト権力が確立した、という言い方にしても、不正確である。そのとき生まれたソビエト人民委員会議という政府は、全社会主義者の政府の実現をめざすもので、左派エス・エルとボリシェビキの提携という、レーニンらとは別の権力観に立っていたからである。その運動の流れの中から生まれた共産党、国家や政府という機構そのものが、形成期にあっては混沌としていた。その動向を理解する鍵となるのが、シャフナザーロフも議論したソビエト論ではないのか。

筆者自身も、ソビエ卜を正教異端派との関係でみる彼の新解釈に得心するものがあった。というのも一九八二年の『ソビエト政治と労働組合―ネップ期政治史序説』では、曰露戦争時にはじめてソビエトという制度を立ち上げたイワノボ・ボズネセンスクに注目していたからである。モスクワ郊外のこの新興工業都市を中心としたソビエト政治史、とくに一九二五年の非公式ストライキをきっかけとする労働組合活発化政策を対象としたが、この時のストライキ参加者のなかに宗教的意識が見え隠れしたからである。こうして革命前の宗教意識との連続面にも触れざるをえなかった(下斗米82)。この書では、史科的制約もあり、宗教からみた視点を展開することは注の形でしか示せなかった。それでも「革命的」と思われた同地の労働者たちが同時に「聖像」を所有し、信仰深き民でもあることの重要性は示唆した。むしろ世俗化を前提とし、宗教を脱色した「無神論」的なロシア像・革命観の方が、ロシア社会についての誤解、もしくは一面的理解だった。こうしてロシア革命の「古層」とでもいうベき研究に関心を寄せはじめた。

ソビエト連邦では最末期からペレストロイカの影響もあり、信仰の自由だけでなく布教を含めての宗教が解禁されだした。ソ連崩壊がこの過程をさらに促した。「民主化」の動きと並行して脱世俗化への動きもますます高まった。

本書が取り上げるのは、ロシア正教会内の異端とされた古儀式派と、ロシア革命・ソビエト連邦との関係、とくに「ソビエト」制度との関係である。これが北東ロシア、モスクワとボルガ河との間に急成長したイワノボ・ボズネセンスクという新興工業地域に一九〇五年に最初に出現したのは偶然ではない。この地は宗教的な地域でもあったからだ。歴史は、初発の現象が生まれ、発達した環境を考察することなくして明らかにならない。 宗教的なウラジーミル県の、しかも「ヨハネ(イオアン)昇天」という意味の都市イワノボ・ボズネセンスクでの工業の急速な成長、そこでの労働大衆とはいったい誰だったか。実はこの都市の資本家も労働者も多くが古儀式派教徒であったことが、最近の研究で明らかとなってきている。


転載ここまで


イワノボ・ボズネセンスクというのは現在のイワノボ州(Ива́новская о́бласть)【イヴァノフスカヤオブラスチ】に相当します。
モスクワから北東に300km弱といったところでしょうか。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_222?1496582637
ヴォルガ川の流れる地域で、かつて、「ロシアのマンチェスター」と呼ばれたとか

この地で盛んだった繊維産業の経営者と労働者の協調から生まれたのが「ソヴィェト」だったということなのです。
良かったか悪かったかはわかりませんが、結果的にソヴィェトはボリシェビキによって簒奪されてしまったということなのでしょうか。
私の世代(昭和26年生まれ)に、学校で習ったことはまったく、間違っていたのでしょうか。
この本にはそのようなことが書かれています。

このイワノボの付近は、とりわけ「古儀式派」と呼ばれる正教徒が多かったようです。
東京新聞のサイトにもありましたが、古儀式派と正統正教会(多数派?)の違いは十字を切るときの指が二本か三本か、ということが大きな違いだとか。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_223?1496582637
これが古儀式派の作法の二本指

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_224?1496582637
これが正統正教会の三本指


この本には名前が出てくる程度であっても、それは、「あなたがたが調べる必要があるんだよ」という意味で、「この本はダイジェストに過ぎないんだよ」と言わんばかりの指導なのです。

試みに、第1章41ページから引用してみましょう。

引用ここから

そこでブルエビッチは、ロシアの農村における革命運動、抵抗運動、とくにステンカ・ラージン以来の民衆運動、なかでもプガチョフやネクラソフなどの運動の系譜を追ううちに、こういった農村の秘密の組織や宗教運動に注目するようにするようになる(91)

引用ここまで

ここで、4人の名前が挙がっています。

ブルエビッチ
ステンカ・ラージン
プガチョフ
ネクラソフ

ここで、ブルエビッチについては、この本の中で詳細に語られています。
ステンカ・ラージンは日本では17世紀の大盗賊として「久遠〜に轟く〜ヴォルガ〜の流れ〜」という歌で知られています。
プガチョフはWikiで検索すればすぐ出てきます。

問題はネクラソフです。
Wikiで検索するとニコライ・ネクラーソフというのが出てきます。
帝政ロシア時代の詩人と書かれています。
農奴解放を歌っていますが、革命家ではなさそうですね。
さらに探索を続けると一橋大学のリポジトリに論文があるのが引っかかってきます、ありました、これです。
これは、イグナート・ネクラーソフ(Игнат Фёдорович Некрасов)【イグナートフョドルビチニクラーソフ】(1660〜1737)のことなのです。
http://hdl.handle.net/10086/14765

イグナート・ネクラーソフでまた検索をすると「ステップ、歌、そしてワイン」というのが最初に出てきます。
https://jp.rbth.com/arts/2016/08/05/618295
これはロシア・ビヨンドの特集記事です。
現代のコサックの家族風景もあり、論文では得られない情報だと言わねばなりません。

これを読んでいると、「20世紀のコサックの運命」という記事が紹介されています。
https://jp.rbth.com/arts/2014/03/25/20_47671
下斗米教授は、現代日本に生きる一般人の認識に対して「ここまで来てほしい」と、誘って(いざなって)いるのだと感じました。
「学習は、教室の中の講義が全てだ」という、うちのヱの感覚とは裏腹に、下斗米教授は「真の教育者」として、私に近い立ち位置を持っていると思うのです。

いかがでしょうか、私は最初のキーワードからこんな流れで探索を進めていますが、途中の記録をおこたると、再資源化できないばかりか、何をしたかったのかさえも、忘れてしまうかもしれません。

さあ、本屋に行く前に、少しでもアウトラインをつかんで置きませんか。

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世相はいっこうに進展する気配も無く、かえって混迷を深めています。


■シベリア組が恐れること

先日、ある公立高校の先生方とお話をする機会がありました。
その席上で、ロシアのことをいろいろと尋ねられましたが、一瞬、答えかねる問題もありました。

「ラーゲリ」というのは収容所のことだとおもいますが、という言葉に私は即座に答えることができませんでした。
明確に、一言で解説する自信がなかったのです。
たしかに、「収容所」のイメージは強いと考えられます。

しかし、同時に平たく、「とある集団」とか党派をも意味しているようにみえますが、「キャンプ」というと、露天(ろてん)の感が強く、あまり良い手応えはえられないのではないでしょうか。

収容所としてのラーゲリ(лагерь)は刑務所と同じようなもので、囚人(いわゆる「良心の囚人」を含む)を労働力として活用することを目的としたものだったようです。
また、グラーク(гулаг)とも言われています。

これらはシベリア鉄道に沿って、ソ連圏に広く分布し、またヨーロッパ側に集中して存在していました。
もしかすると、捕虜交換が容易に行えるようにしたのかもしれません。
基本的に裁判(軍事法廷を含む形式裁判もあります)によって裁かれた人々がこれらのキャンプに収容されたのです。

当然ですが、アメリカのアブグレイブとは違い、私達シベリア組が対象となるような話ではありません。
もちろん、ラーゲリは今のロシアにはありません。

ロシア圏には打ち捨てられたような閉鎖都市が未だに多数ありますが、どちらかというと我等シベリア組の移住先はそのような都市が対象となると考えられます
現役の閉鎖都市は特権階級が居住しているのが普通ですが、さすがにそんなサービスは期待できません。
シベリア組は黙々と日々の単純消費を繰り返すだけがロシアに報いることになるでしょう。
これらの都市のうち、現在も秘密を維持しているものは核開発に関連したものが多く、心情的にフクイチの経験者にはなじまないもので、もっと廃墟に近いものが考えやすいでしょう。(都市インフラは簡単に整備できます)


また、かつて、ソ連では政治犯は精神病と考えられていたと伝えられていますが、今日でも、その事実はわかりません。

実際のところ、ソ連の精神医学は当時、相当な水準にあったとされています。
その証拠となるような話で、数年前、H社のOBにつれられて、アメリカのアイリテックという会社のデモを見たことがあります。
この会社は、ソ連邦解体に伴い、人の虹彩の、光に対するレスポンスの刺激減衰曲線の分析を行うテクノロジを買ったというのです。
私も診断してもらいましたが、内臓の疲労度、既往症、今後発症しやすい疾病、現在の薬物使用、精神状態までもズバリ言い当ててきたのです。
なるほど、と思いましたが、日本でのビジネスはうまくいかなかったようで、現在ではセキュリティ用の虹彩認証がメインになっているようです。
当時、はっきりと、「ソ連邦のテクノロジ」と言っていたのですが、現在ではそれも言っていないようです。
ライセンスの都合で、続きの研究ができなかったのではないでしょうか。
http://www.its-japan.com/


さて、不思議なことに、印象操作というのは必ずしもロジックが求められるわけではなく、一瞬で反応が決まるようなオペレーションなのです。
ソルジェニーツィンなどの著作を見れば、マスコミや国連によって裏付けられた印象的事実を用いることにより、熟度の低い層に対し、明確に印象操作をおこなうことができるのです。
一方、熟度が高い(偉くはないです、念の為に)日本人には一瞬の印象操作でなく、じわじわと攻めるほうが深い操作をあたえることができるようです。
つまり、これでもか、というような強烈な映像よりも、司馬遼太郎の示すような、「機会を逃した」「すでに遅かった」「永遠に失われただろう」というような「残念感」が支配的になるのではないでしょうか。
マスコミというのは、トランプの言うようなフェイクニュースだけでなく、「誠心誠意やってもだめだった」というようなものもあるのですが、ロイターの記事とニューイースタンアウトルックの記事では同じ事実を語っていても真逆な表現になってしまうわけです。(トラ公から見れば、ロイターもフェイクニュースですね)
スプートニクニュースは、これをひとひねりして、欧米のメディアが配信した記事をそのまま載せることにより、読者に真実を想像させようとしています。

まとめるために、すこし、Wikiから引用してみましょう。

引用ここから

ラーゲリ(露: Лагерь)とは、収容所、キャンプを意味するロシア語の単語であるが、日本などではソビエト連邦における強制収容所を指して使われることが多い。

党により反革命罪等の体制に対する罪を犯したと判断された政治犯や重犯罪を犯した者、また敵国の捕虜等を主に収容し、恐怖や猜疑心、疲労によって支配された過酷な環境下に置くことにより、体制への恭順な態度を導き出す手段として使用された。収容者は無償の労働力としても利用された。特にスターリン体制下では家族ごと収容されることが多く、また収容所内での出産率も高かったため、幼児、乳幼児の収容者も多かった。

引用ここまで


わたしはこの記述は大きな矛盾を含んでいると感じました。
「家族ごと収容されることが多く、また収容所内での出産率も高かったため、幼児、乳幼児の収容者も多かった。」???
収容所の外、つまり自由な空間でも子供は多く生まれ、死んでいったので、なにもかわらないのでは?
大人が寒さで死んでしまうような環境では幼児はすぐに死んでしまうのではないですか?
つまり、露天のイメージ、これが印象操作なのです。

ひるがえって、現代の日本で、一見幸福そうな多産の家庭から無作為に幼児を拉致し、場合によっては死に至らしめる児相(児童相談所)の行為とくらべて、どうだろうか?ということです。(拉致された児童は現在6万人に達するとか)

すくなくとも私は、現代日本と比べて、ソ連時代に過酷なことがおこなわれていた、という印象は起こりません。
映画ドクトルジバゴでは愛する二人は赤軍によっても、白軍によっても引き裂かれますが、Wikiによれば、スターリン時代のラーゲリでは「家族単位」とあります。

結果的に、移動中に死んだ人は多かったかもしれませんが、ラーゲリは絶滅収容所ではないのです。
収容された人々は絶滅してしまったわけではありません。(もう、寿命で全員死んでいるかも)

無論、私はラーゲリを賛美もしませんしロシアが全部良いとも言っていません。
純粋に、「印象操作がある」と、指摘しているだけです。

ソ連邦崩壊の時も、欧米メディアは餓死者多数と喧伝(けんでん)し、私の姉もそう信じているようです。
しかし、私の調べた限りでは都市部では単独で生活出来ない老人などはご近所が食事の世話をしたり助け合う話ばかりでした。
これも、両方あると考えられますが、共産党の党員手帳や記章を売却してしまったものが露天市でクズ値で売られていたりというのは多かったようですが、餓死者多数というのは彼等の生き様にそぐわない気がします。
市場経済に対する不安からウオッカ漬けになるのは個人的な問題かもしれませんが、アメリカと比べて荒んだ感じはしませんでした。
ストリートチルドレンはおもに家庭崩壊から起きると考えられますが、これも都市部では定常的に見られる光景で、これからの日本では増加すると考えてよいでしょう。

この話をした教員の方も、この記事を見ていると思いますが、彼の恐れがまちがっているとは思っていません。
私は単純に「そうならなければいいな」と思うのです。

例えば、日本経済が本格的に破綻した場合(たとえば、東京さえ回らなくなった場合とか)、どうでしょうか。
私は、シベリア組の30年分の食い扶持は日本政府が支出すべきものだと考えていますが、茹で蛙状態から緩慢な経済破綻(つまり流通が止まる)の状態になった場合(たとえばアベッチが退陣しただけで支配構造が残ったら)日本の壊滅をめざしている為政者は、日本の供給インフラすべてが回らない状態をひねり出すことができてしまうのです。
ですから、ラーゲリを心配された方よりもさらに恐ろしい事態が私達シベリア組を襲うこともありうるのです。

もっと気を楽にするには「Лагерь」で画像検索を試みるとよいでしょう。
そこには子どもたちが楽しく跳ね遊ぶキャンプの映像ばかりがでてきますから。

ソ連邦を最初に抜け出したいと考えたのはロシアですし、ロシア革命を起こした原動力は単純なマルクス主義の思想とは異なり、キリスト教古儀式派を中心とする同胞愛にあふれた人々の闘争だったことについては、次回以降、下斗米先生の書評を通じてお話したいと思います。
ロシア語の学習優先考えていましたが、国際関係のバックグランドは無視できないので、先にお話したいと思います。

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新年になりましたが、なにかを「寿ぐ(ことほぐ)」気分には到底なれません。
まあ、まだ生きていることを天に感謝するくらいでしょうか。

とりあえず、皆様のご多幸を祈念するくらいかな。



今回はペチーニェについてお話したいと思います。

これは、昔、昭和の時代に、「ロシヤケーキ」と呼ばれていたものです。
フランス式に言えば、プチフール、あるいはガトーセックでしょうか。

私の想像するところによれば、明治24年の大津事件(帝国皇太子ニコライ、後のロシア皇帝ニコライ2世襲撃事件)にともない、日本国内でロシアに対する認識が高まり、ロシアパンと共に、ロシアケーキが紹介されて以来ではないか、と考えています。
日露戦争やロシア革命を経ても、昭和の時代の庶民の「おやつ」として、街のパン屋の店頭で売られていたのです。
大振りで、厚みのある生地にマカロンやイチゴジャムと若干のチョコレートやピーナツ、クルミといった、ナッツ類をあしらった「腹の足し」になる菓子だったのです。
また、革命以降、帝国の域外に逃れた貴族や白軍の残党なども日本に来て、このペチーニェを支えたと思われます。

第二次世界大戦の終結と共に、アメリカによるワーギルトインフォメーション、ソヴィエト連邦敵視政策などにより、「ロシア」の持つイメージは大きく歪められ、連邦解体の後、やっと本当のロシアの姿が見え始めてきたところです。

現在、日本が依って立つアメリカでは、あいかわらず、ロシア敵視工作が続き、今日の世界は再び緊張を演出されています。
近々、お話したいと思いますが、ロシア革命についての認識もマルクス主義一辺倒で歪められていたのです。
異文化の理解はミリタリではなく、食文化から開けばよいので、ペチーニェを通じてロシアを理解していただきたいと考えています。

とは言うものの、現在、Империя эпохи печенье(帝国時代のクッキー)でネットを検索してもでてくるのはカントッチョのようなものやビスコッティ、なんだ、こりゃ、なぜイタリヤ??ロシア語で検索したらロシアのものを出せよ!・・・と言っても無理か・・・あまりにも世界が違いすぎて困惑してしまいます。
おそらく、日本人が知っているのはロシアの歴史のほんの一瞬の切片にすぎないのでしょう。

あたりまえのことかもしれませんが、Печенье макарон(マカロンクッキー)で検索すれば今流行りのマカロンが出ますので、時代に逆らっていることは間違いないようです。

さてさて、ペチーニェ、ほんのわずかな例ではありますが、良き昭和の片鱗をご紹介させていただきます。
私にとって、昭和の菓子は単なるノスタルジではなく、ある種の「原点」なのです。



■ ペチーニェ(печенье)【ピチーニィエ】

・材料

(a) 台
       砂糖 113g
  バター 125g
  卵黄 3個
  薄力粉 250g
  BP(ベーキングパウダ) 1/2tsp
  バニラエッセンス 少々

(b) マカロン種
      砂糖 120g
  卵白 1個分(約40g)
  ピーナツバタ 90g
  バニラエッセンス 少々

(c) トッピング
     チョコレート 適量
  ジャム 適量

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_204?1496582637
やはり、ロシアといえばイチゴジャムだよね(これはブルガリア産だけど)

ジャム(джем)【ジェム】
プレザーブ(Варенье)【ヴァリニェ】

ロシアではお茶請けにフルーツのプレザーブを添えることが多いとか。
ジャムでもいいのだけど、お茶に入れてしまう人は少ないそうです。
プレザーブの汁だけをお湯で薄めたものはよく飲むようですが。

私? お茶に入れたのも大好きです。


全体が混ざっているのがДжем

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イチゴジャム(Джем из клубники)【ジェムイズクルーブニキ】



粒がはっきりしているのがВаренье

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イチゴプレザーブ(Варенье из клубники)【ヴァリニェイズクルーブニキ】

さて、ここでつかうのはジャムのほうで、ペクチンたっぷりのジャムをペチーニェに乗せて焼くと、グミに近い感じに仕上がるので、とても良いものです。



・作り方

● 台

1.バターは室温に戻して置きます。

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バターは室温に

2.薄力粉とBPをふるいで2回ふるっておきます。
3.バターをボウルに入れ、ミキサで混ぜます。

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バターは柔らかくなるまで混ぜます。


4.3に砂糖を入れ、ミキサで白っぽくなるまで混ぜます。

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5.4にバニラを入れて混ぜ、卵黄を加え、クリーム状になるまで混ぜます。

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6.5に2を加え、ゴムベラで完全に混ざるまで、さっくりと混ぜます。

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粉を合わせます


7.6がまとまったらラップでくるんで冷蔵庫で5時間ほど寝かせます。

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冷蔵庫で休ませた種


8.7を台にあけ、5mm厚まで平に伸ばす。

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これは少し薄すぎかな


9.8を型で抜いて 鉄板に並べる

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10.160度で10分ほど焼く。

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色づく前に切り上げてください、これでも焼き過ぎです。


11.クーラーに並べて熱を抜き、完全に冷ます。

● マカロン種

1.ボウルに白身を入れ、ホイッパで立てる。
  2.1に砂糖を加え、完全に立てる。
  3.鍋に熱湯を沸騰させ、上に2を置き、湯煎にする。
4.温まってきたら、木べらでかき混ぜる。
5.しぼり出せる、とろりとした状態になるようにする。

● 中仕上げ

1.マカロン種を台の輪郭に沿って、はみ出さないように絞ります。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_216?1496582637
絞り袋に星形の口金を付けますが、これは少し小さ過ぎるようですね。


2.1を140度で12分ほど焼き、クーラーで冷ます。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_217?1496582637
とりあえず、焼き上がりました。

● 仕上げ

1.半数にチョコを入れる。→完成

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_218?1496582637


2.残りの半数にジャムを入れ、100度で10分ほど焼く

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3.2をクーラーで冷ます。

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できあがり


最初に、台だけいっぱい作っておくと応用しやすく手間も少なくなります。
台の焼き具合は色づく手前くらいにすると仕上がりも、もっくりとしてそれらしく出来ます。
薄く伸ばしすぎるとパリパリになりロシアっぽさが失せてしまいます。

マカロン種は、このレシピでは難しいので現代の流行りのマカロン種のレシピを理解してからのほうが、失敗がすくなくなりますので、このレシピには期待しないほうがよいでしょう。
アマンドプードル等を使って、丁寧にマカロナージュしたものは、はるかに簡単です。

チョコレートは純チョコよりは準チョコのほうが扱いやすいようです。
固くて台とうまくマッチしないときは、澄ましバターを少々加えると食べやすくなります。
澄ましバターはガラスボウルに普通のバター(有塩で良い)を入れてレンジで溶かし、表面に浮いたミルク分を取り除き、底に沈んだミルク分は沈めたままにして澄んだ脂だけを取り出します。
これは、ストックしておくと、炒め物や、インドカレーの「ギー」として便利に使えます。

チョコは、この澄ましバターを入れるとゆるくなりますが、ゆるくなりすぎたときは水を一滴加えると調製することができます。(こういうの、全部昭和の技法ですね☆)

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■ ロシアのロールキャベツ(голубцы)【ガルブツィ】


中央アジアに、ドルマ(долма)という料理があり、これが13世紀にロシアに輸入されたガルブツィの原型だと言われています。
また、セルビアのクリョツキ(клёцки)が元である、とも。

15世紀のポーランドには「ゴウォンプキ」というものを、戦いの前に兵士に食べさせたという話もあるとか。
ゴウォンプというのは「鳩」のことだそうです。

19世紀になるとキャベツで牛・豚などの挽肉を巻いた「偽鳩」というのが「ガルブツィ」という語の元になっているそうです。


ガルブツィが日本のロールキャベツと異なるのは米を入れることです。
そして、巻いたキャベツをフライパンで焼目を付けて、キャベツ炒めのような香りが出てから煮込むのが特徴だとか。

ドイツでも米を使っており、焼いてから煮込むというテクノロジを共有しているようです。

帝政ロシアの、フランス人の料理人が、ロシアのフォークロアを取り込み、フランスに持ち込んだのでしょうか。
フランス料理では米は入れるけど、焼いたりはしないようです。
フランスでは、つなぎにはパン粉も入れるのです。

日本に入ってきたのは、どこを経由したのでしょうか。
日本では米は入れないし、外側を焼いたりしません。
秋山好古のような軍人が、フランス騎兵を習ったときに習得したものか、はたまた、それがイギリスに渡った後、帝国海軍が取り入れたものなのか、もしかしてドイツ軍から教わった・・・興味は尽きませんね。

まあ、日本人が肉料理を取り入れるには「軍」が必須だったのかもしれません。

現代のイギリスではあまり見かけないという人が多いので、もしかするとイギリスまでは達していないのかもしれません。
日本で見るロールキャベツは色も白く、ホワイトシチューと共に、イギリス料理だと思っている人は多そうですね。
ロンドン在住の日本人がロールキャベツを作るときにはsweetheart cabbageという種類のものを使うそうです。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_194?1496582637
形が尖っていて、肉を巻ける大きさの葉は3枚くらいしか取れないとかwww


ではガルブツィ、作ってみましょう。

本体

キャベツ・・・・・・大1玉(12〜14枚)
合挽き肉・・・・・・600g
米・・・・・・・・・1カップ
玉ねぎ・・・・・・・250g
塩・・・・・・・・・12g(2TSP)
卵・・・・・・・・・1個
パン粉・・・・・・・20g
胡椒・・・・・・・・少々
オールスパイス・・・少々


ソース

玉ねぎ・・・・・・・250g(中1個)
カットトマト・・・・適量
ビーフブイヨン・・・大さじ1
水・・・・・・・・・1200cc


ビーフブイヨンは業務スーパーにあったもの。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_195?1496582637
これはスペイン産



作り方

米はざっと洗って水を切っておきます。
冷ご飯を水で洗って代用することもできます。

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キャベツはそっと剥がし、必要な枚数を茹でます。

電子レンジで加熱しても良く、その場合は、しんなりしたら水に放します。
巻きやすいように、太い軸の部分は薄く削ぎます。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_197?1496582637
これは少し茹で過ぎ、破れ易いと巻きにくくなります。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_198?1496582637
キャベツ以外の材料をボウルに入れ、よく混ぜます。

混ざった肉を12〜14等分して丸めます。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_199?1496582637
1枚づつ広げて肉を置き、手前から巻いて行きます。
片側をさいしょに折ってかぶせ、巻いていきます。
反対側はすこしづつ、肉の中に押し込んで行きます。

上手に巻く方法を解説しているサイトが有りました
https://www.sirogohan.com/recipe/ro-rukyabetumaku/

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_200?1496582637
なるべく空気が入らないように、ピッチリと巻きます。

次にこれをフライパンに並べます。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_201?1496582637
焼き目をつけて、風味を出すのです。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_202?1496582637
焼けたものから裏返し、良く焼きます。
少しくらい焦げても大丈夫です。

別鍋にソースを用意します。
玉ねぎを少量の油で炒め、水を加え、ビーフブイヨンを入れて煮ます。
一旦、火を止め、焼けたキャベツを並べ、1時間ほど、弱火で煮ます。
浮いてくる脂をすくって捨て、脂臭くなくなったら、トマトを加えます。
脂を取る前にトマトを入れると脂がトマトの旨味を奪ってしまいます。(そういう料理もありますが・・・)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_203?1496582637
煮汁を分けた状態です

サービスするときは、煮汁を調味しなおし、塩加減を整えてから別皿で供するか、キャベツを深皿に盛り付けてから熱々にしたスープを注ぐかして供します。
添えるのはプロフでも良いのですが、どちらかというとバトンナレズノイ(Батон нарезной)に合うと思います。(ロシア人はどうやっているのでしょうか?)

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ロシア語の学習を続けましょう。

でも、そのまえに、世界の状況についてすこしだけ語りましょう。

マスコミに載らない海外記事
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-f115.html
のサイトを見ていて思いました。

どうやら、世界戦争前夜のデザインは完了した、と。

トラ公はルビコン川の中程で腰まで水につかりながら吠えています。
曰く、「みんながんばれ、向こう岸はもうすぐだ!!」しかし、彼は進むことも退くこともしません。

ウクライナを前にしたプー様も叫びます。
「頑張れ、トラ公、俺はここで釘付けだ!!」

NATOの首脳は「やべーよ、やべーよ」と右往左往し、ドイツはEUをあきらめ、プー様に擦り寄ろうとしているようです。
フランスは、外国の観光客しかいないシャンゼリゼからパリ市民の多いオペラ付近に拠点を移したようです。
最低賃金の話は「ウソだよ」だったとかで、やりかたがセコいわりに非道なことをするマクロンは「アベロン」と呼ばれはじめているようです。

通常、大団円というのは「前夜」までしかデザインすることはできません。
最後の決断を決めるのは「ネメシス」だったり「リベルテ」だったり「パトリー」だったり「デスティニー」など、様々なのです。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_190?1496582637
西を目指して鉄道を敷き、電信線をはる女神


日本ではどーなんでしょうか?
私は今上が、来年、上皇になり東京(京都の既存のではなく)に新設される仙洞御所(せんとうごしょ)から院宣を発っするのかなー、と考えています。
なにしろ、上皇になれば憲法の縛りは一切無くなりますからね。
執行部はどうなるんでしょうか、ね。
国の形は一新されて、刑部大臣は郷原信郎、山本太郎を太政大臣か征夷大将軍という感じでしょうか。

私がこの考えに至ったのは郷原の風貌に、聖徳太子の憑依を感じ、戦慄を覚えたことからなのです。
直感的に、あ、後ろに今上がいるな、と。
ヤメ検のオンパレードに、「正常化したい」という意志を感じたのです。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_191?1496582637


不退転となった山本太郎にも同様なものを感じました。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_193?1496582637
これは弓削道鏡から皇位を守ったイノシシ。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/05/35220605/img_192?1496582637
どうでしょう、山本太郎にイノシシが重なります。


まあ、上皇が力を持たなかった場合は、日本は「世界の悪」として処断されることになるでしょう。

もっとも、どうなろうと、シベリア組は非暴力で、「逃げる」一択なんですが。

ではロシア語の学習に邁進しましょう。



■ S+V+Oに間接目的語を伴った文型


1.

彼女は夫にSMSを書く。
Она пишет смс мужу.【アナピシェテサマスムジュ】

она 彼女(人称代名詞、主格)
пишет 書く(動詞、三人称、単数、現在)
смс ShortMessageService(名詞、対格、女性、単数)
мужу 夫(名詞、与格、男性、単数)


2.

私は女友達に菓子を買った。
Я купила конфеты подруге.【ヤクピエラカンフィエティパドロゥギェ】

купила 買う(動詞、女性、単数、過去)
конфеты 菓子(名詞、対格、女性、複数)
подруге 女友達(名詞、与格、女性、単数)


3.

少年は猫にミルクを注いでやる。
Мальчик наливает молоко кошке.【マルチクナリヴァイエトマラココーシュケ】

мальчик 少年(名詞、主格、男性、単数)
наливает 注ぐ(動詞、三人称、単数、現在)
молоко ミルク(名詞、対格、中性、単数)
кошке 猫(名詞、与格、女性、単数)


4.

ニーナは豚に真珠をやる。
Нина даст жемчуг свинье.【ニーナダストジェムチョクスウイーニエ

Нина ニーナ(人名、主格、女性、単数)
даст 与える(動詞、三人称、単数、現在)
жемчуг 真珠(名詞、対格、男性、単数)
свинье 豚(名詞、与格、女性、単数)


5.

ミハイルはニーナにダイアモンドをあげる。
Михаил даст алмаз Нине.【ミハイルダスタルマスニーニェ】

Михаил ミハイル(人名、主格、男性、単数)
алмаз ダイアモンド(名詞、対格、男性、単数)
Нине ニーナ(人名、与格、女性、単数)


6.

ファラオは人足にビールを与える。
Фараон даст пиво рабочию.【ファラオンダスチピバラボーチユ】

фараон ファラオ(名詞、主格、男性、単数)
пиво ビール(名詞、対格、中性、単数)
рабочию 肉体労働者、人夫(名詞、与格、男性、単数)


7.

総理大臣は国民に戦闘機を買った。
Премьер министр купил истребители народу.
【プリミエルミニストルクピールイストリビーチェリナロード】

премьер министр 総理大臣(名詞、主格、男性、単数)
купил 買う(動詞、男性、単数、過去)
истребители 戦闘機(名詞、対格、男性、複数)
народу 国民(名詞、与格、男性、単数)


8.

総理大臣は国民に貧困を与える。
Премьер министр даст бедность народу.
【プリミエルミニストルダストビェドネスチナロード】

бедность 貧困(名詞、対格、女性、単数)


9.

彼は日本に死を与える。
Он даст смерть Японие.【オンダストスミエルチイポーニェ】

смерть 死(名詞、対格、女性、単数)
Японие 日本(固有名詞、与格、女性、単数)


これらの文は読んで言葉にして繰り返し喋ってください。

資料は「S+V+Oに間接目的語を伴った文型(pdf)」としてアップしておきました。
このブログがいつまで維持できるかわからないので、ダウンロードできるものは皆、ダウンロードしておいてください。

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