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生涯学習はじめませんか?
今回は、すこしマイナーではありますが、アメ族のなかでも表の歴史で綺麗事にされてしまう脇役についてお話ししたいと思います

場面は5アヤのワカノマクラコトハノアヤです

例によって、高畠氏のお世話になりたいと思います。
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya05.html

方災除けの終わったワカヒメはキシイの母イサナミの元に帰ってきました。
そしてイサナミは花の下でワカヒメにウタの手ほどきをする毎日でした。
イサナミは花の下でソサノヲを産み、ハナキネと名づけました。

イミナとはうらはらに、ソサノヲの悪戯は目に余るものがありましたが、母イサナミはクマノミヤに祭った自然神に祈るしかなかったのでしょう。
ある日、ソサノヲは熊野宮で木を燃やして遊んでいるうちに、大規模な山火事をおこしてしまいました。
イサナミは火を鎮めようとして焼死してしまいます。

この頃は岩の洞窟で殯(もがり)をしたようです。
殯というのは死者の一族から守人を出して死者の死亡を確認するためにかなり長い時間見張っていることです。
現在なら医師の死亡診断が即、人の死になるわけですが、イエスみたいに生き返っちゃうやつがいるかもしれないので、腐敗して崩れて行く様を見て確認したのかもしれません。

岩窟墓の場合はそのまま岩で塞いでしまって終わりです。
アマテルカミやトヨケのように自ら岩窟墓に入った場合は殯は無しですね、そのまま無限の時間が過ぎるだけです。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/07/34695807/img_0?1492916066

多孔質の岩が浸蝕によって崖の上になっていますが、これ、もしくは同様な洞窟に葬られたと考えられます。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/07/34695807/img_1?1492916066

これは上から落ちて来たとか、どうやって蓋をしたのでしょうか。

私の息子の説では、古墳時代では巨大古墳が殯の場に使われ、その後、別の目立たないところに埋葬したとか。
ピラミッドとマスタバみたいなもんでしょうか?
さて、本文を少し読んでみましょう。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/07/34695807/img_2?1492916066

コオウメバ ナモハナキネノ (イサナミの)子はハナキネと名づけられ
ヒトナリハ イサチオタケビ 性格は荒く、すぐ怒り
シキマキヤ ヨノクマナセハ 重撒きや世の中に害をなして
ハハノミニ ステトコロナキ 母の身に、捨てどころのない
ヨノクマオ ワガミニウケテ 問題をすべて我が身にうけて
モロタミノ カケオツクナフ 人々の損害を賠償する
ミクマノノ ミヤマギヤクオ 熊野宮の木々燃やして
ノソカント ウムホノカミノ それを鎮めようと火の神を生もうとして
カグツチニ ヤカレテマサニ カグツチに焼かれてまさに
オワルマニ ウムツチノカミ 終わるまでの間に
ハニヤスト ミヅミツハメソ ハニヤスとミヅミツハノメ
カクツチト ハニヤスガウム カクツチとハニヤスガ生む
ワカムスヒ クヒハコクワニ ワカムスヒは、首は蚕に
ホソハソロ コレウケミタマ 臍は稲になって、これはウケミタマです
イサナミハ アリマニオサム イサナミは有馬に埋葬します
ハナトホノ トキニマツリテ 花と穂の出る時期にお祭りをします

この話は、ホツマツタヱでも神話になっています。
なぜでしょうか?

今日、イサナミの墓は花の窟神社として知られています。
現在でも縄文時代そのままに花が捧げられ、歌声の響く祭りが行われる墓所です。

花窟神社: 三重県熊野市有馬町上地130
元々、ここは墓所であり、ミヤではなかったので、往時に社殿などなかったのです。
当然のことですが、お墓なので延喜式にも載っていません。

花と穂の季節に行う例大祭の解説
http://www.hananoiwaya.jp/festival.html

真新しい稲藁を用いた縄文ゆかしい縄綯作業
http://www.hananoiwaya.jp/festival_2.html

往時のアメ族の皇后であるイサナミを偲ぶ御縄掛け神事
http://www.hananoiwaya.jp/fes/index.html

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/07/34695807/img_3?1492916066

ココリヒメ ヤカラニツクル ココリヒメは一族の者達に告げます
イサナギハ オヒユキミマク イサナギは見にゆくことはなりません
ココリヒメ キミコレナミソ ココリヒメはイサナギに直接言います、見ないでと
ナオキカズ カナシムユエニ しかしイサナギはきかずに、哀しむから来たのです
キタルトテ ユツノツケクシ と、ユツノツケクシ(序詞?)オトリハ
オトリハオ タヒトシミレハ 雄鶏冠?(松明かな?)を手火として見れば
ウヂタカル イナヤシコメキ ウジがたかって醜くなり
キタナキト アシヒキカエル なんて汚い、と足引き帰るのでした
ソノヨマタ カミユキミレバ その夜、また、夢で見てしまったのです
カナマコト イレスハチミス なんと、(ココリヒメの)いうことを聞かず、恥を顧みない
ワガウラミ シコメヤタリニ (イサナミは)私の恨み、醜女8人に
オワシムル ツルギフリニゲ 追わせるのを剣を振って逃げ
エビナグル シコメトリハミ エビ(エビヅラ=ぶどう)を投げつけシコメが
サラニオフ タケクシナクル 食べているまに、逃げ、また追ってくるのをタケクシ(筍?)投げ
コレモカミ マタオヒクレハ バリバリ食べてまた追ってくるのを
モモノキニ カクレテモモノ 桃の木に隠れて桃の実を

ココリヒメはイサナミの義姉ですから熊野系一族の当主代理として宣言したので、イサナギは殯の岩窟に入ることを禁じられているのです。
でも、イサナギは聞かずに、イサナミの死に顔を見てしまったのです。
「綺麗だろ、死んでるんだぜ、これ」って思いたかったのかもしれません。
でも、イナヤシコメキキタナキ・・・と足を引きずるように帰っていったのです。
カミユキミレバはカミユキ(夢)見ればと、カミ、行きみればと、現実に行ったのを掛けています。

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ミオナクル テレハシリゾク 実を投げると追手は退く
エビユルク クシハツケヨシ エビは甘く、櫛はツケが良い
モモノナオ オフカンツミヤ 桃の名を負うカミの実
イサナミト ヨモツヒラサカ イサナミとヨモツヒラサカで
コトタチス イサナミイワク 事断ちしますイサナミは言います
ウルワシヤ カクナササラハ いいでしょう、そこまでするなら
チカフベオ ヒヒニクヒラン (あなたのタミ)1000人を1日に殺す
イサナギモ ウルワシヤワレ イサナギも、よろしい、それなら
ソノチヰモ ウミテアヤマチ 私は1500人を生み出してみせます
ナキコトオ マモルヨモツノ 間違っていないことを守るのです
ヒラサカハ イキタユルマノ ヒラサカは息絶えるまでの
カキリイワ コレチカエシノ 巌境です、これはチカエシの
カミナリト クヤミテカエル カミです、と悔やんで帰ります
モトツミヤ イナシコメキオ 元のミヤに帰り着いて汚れを
ソソガント オトナシカワニ そそぐために音無川で
ミソギシテ ヤソマカツヒノ ミソギをして、ヤソマカツヒの


あれ、ちょっと変わってきたぞ?と思われた方は長歌が読解できるようになってきたのです。

実を投げる・・・ハタレのときもマヒナヒを使っていましたね。
ぶどうは甘く、櫛はツゲが良い・・・完全にマヒナヒですね。
桃の名を、負うカミの身と追うカミのミヤ(つまりイサナミの一族)
ここは長歌ならではの掛詞のオンパレードです。
そして複数の事象を重ねて表現しています。
イサナミトヨモツヒラサカコトタチスというのは、四方が平和で栄あるようにイサナミと離縁します、というのを暗喩しているのです。

ウルワシヤ以降はまた神話と重ねています。
ここは熊野系の一族に対するイサナギの贖罪の誓です。

1日に1000人殺すぞと言うほどの罪を犯してしまいましたが、新たに1日に1500人産みだすほどの新しい縁を結びたいと思っているのです、これからは四方が平和で栄あるように私、イサナギの生きている限り守ってゆきます、と言うのが私の誓いの言葉なのです。

チカエシはチ(生きる力を与えるもの)を復旧するのと誓えしの掛詞です。

カキリイワは、巌境(岩栄、イワウ・サカエル)ですが、巌座(岩暗、罰のクラ、ハタレの乱で出てきましたね)と異なり、おめでたい儀式で使いますが、その岩と、誓う意思のイを掛けています、と言いたいところですが、当時、巌境の概念があったかどうか不明なので、ここでは巌のような意思としておきます。

クヤミテカエルモトツミヤは悔やんで帰る元のミヤと私は元のツミを悔やんでいるのです、の掛詞になっています。

なんという、凄いウタの技法でしょうか!
これは、もう、偽書でもなんでもいい、文学として読んでください。


さて、私がこのように読み解くことができたのは、そのきっかけを書紀の一書(あるふみ)に見つけたからです。

一書曰、伊弉諾尊、追至伊弉冉尊所在處、便語之曰「悲汝故來。」答曰「族也、勿看吾矣。」伊裝諾尊、不從猶看之、故伊弉冉尊恥恨之曰「汝已見我情。我復見汝情。」時、伊弉諾尊亦慙焉、因將出返、于時、不直默歸而盟之曰「族離。」又曰「不負於族。」乃所唾之叩∫奔速玉之男。次掃之叩∫棒津事解之男。凡二窒磧

速玉之男と事解之男という名前がでてきます。
ハヤタマノヲは最初にイサナギイサナミの祝言のときのウキハシ(仲人)を務めた人ですがこの時はうまく縁結びができませんでした。
次にコトサカノヲがウキハシになってイサナギイサナミの婚姻が成立したのです。
ホツマツタヱでも、ほんの4行しか出てきていませんが、熊野系の家の後見人あるいは公証人的な重要な人物なのです。
全国で熊野神社には、伊弉冊尊(いざなみのみこと)が祀られているところには、神名として速玉之男と事解之男の名前もあるのです。
キツネの話に出てきた王子神社もこの神名が記されています。
そして、この後出てくる音無川も、豊島氏は熊野系なわけで、用もなく他部族が音無川まで勧進する理由はないので、これは確実です。
キツネの話では触れませんでしたが、若王子というのも熊野の一族です。

そして、なんと、この二人がイサナミの殯の守人をしていたのです。

ちょっとこのシーンを演出してみましょう。

イサナギ ココリヒメは来るなって言ったけど、可愛いナミの顔見たいし・・・ウ、汚ね・・ヤバ (アシヒキカエル)
ハヤタマ やい、ナギ! てめぇ何しにきやがった!
イサナギ なんだ、ウキハシのハヤタマノヲじゃねぇか、嫁の死に顔を拝みにきたんだ、今生の別れに、な
コトサカ ざけんじゃねーよ、我らアメ族じゃあ死に顔見ちゃならねぇってことぐらい知らねーとでも!
イサナギ だからなんだ、ナミは俺の嫁なんだゾ! おめぇだってウキハシじゃねーか、大目に見ろよ
ハヤタマ おー、上等じゃねーか、死んだら縁は切れるんだ、オレたちゃもう、姻族じゃねーし、ぺっ!
イサナギ あ、てめぇツバ吐きやがったな、わかった、離縁だ、もーこねーからな
コトサカ へ、あたぼーじゃねーか、けーれ、けーれ
ハヤタマ 戻ってくんじゃねーぞ、タコ
イサナギ わーん、もー来ねーよー(泣)

妄想でも誹謗でもなく、歴史を赤裸にみるとこうなりますが、文体についてご気分を害されたとしたら、お詫びしなければなりません。(東大話法?)
実際、一書の行間は、このように読むしか無いのです。
一書としてこれが示されているのがなによりの証拠です。

さて、ちょっと江戸っ子が混ざりましたが、実は結構深刻な問題なのです。
アメ族の社会では定めを犯すことを「ハチ」と呼んでいるようです。
コクミとシラヒトのところで出てきたでしょう、ヲシテノハチというのが。
まあ、刑法で考えても礼拝所等不敬かしら。
まあ、恥は恥なんですけどね。

この時点で母が死んだのですから、イサナミの財産はワカヒメのところに行くのですね。(次世代熊野系の当主)

この後、イサナギは苦しい立場に置かれたようで、オトナシカワをはじめに、あちこち熊野系の家族と子を生して関係を修復しようとしています。
アマカミが(自分の責で)むやみに喧嘩をするというのは大問題なのです。

この記事、ここまでで止めようと思っていました。

しかし、この後、じっくり考えて思いついたのです ;

己の軽卒な行動から、アマカミとして難しい立場に立ってしまったイサナギは、音無川でミソギ(身削ぎ)を行い、一大長期戦略を策定します。
すなわち、かつての姻族であったイサナミの一族と和解し、替りの女性と子を生して次世代を自分の直系とすることでした。
イサナミの時の失敗から学んだとしても、風俗、習慣の異なる者との交渉は困難を極めたと考えられますが、当主の女系相続はそのままに、ただし、王子は末子相続と考え(下の図をご覧ください、この子らは上から誕生順ですが、末子が「ウエ・カミ」になっています)て当代の嫡子が絶えた時に備え、またアワクニ中央政権から奉禄を与えることにより、無産に近いものをとりたてることに成功したことが、他のアヤの記述からも窺われます。(アカツチ等)

この音無川の成功から推めて、他地域でも子を生し、着実に部族間の軋轢を縮小してゆくのです。


このアヤに記された地域と子の関係を図に示します。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/07/34695807/img_5?1492916066

これを連鎖させれば、やがて「皇室の藩屏」となり、盤石の体制ができあがります。

すなわち、女系相続を基本とする部族を安定したヨヨノトミ(代々の臣)とすることで担保されるのです。
次世代をある系統から出したければ、直系の王子を朝廷に召せば済み、女王は任意の王子と繋げておけば女系の財産は保持されます。
朝廷で必要があれば、好色なアマカミを選んで胤をつけまくらせれば容易く、かつ平和に血をリフレッシュすることができます。
代々の天皇の系図を見れば、随所に「血を濃くする努力」が見出されます。
数代のジャンプは可能ですから「継体天皇は5世孫」みたいなのも可能なのです。

唯一、この制度の弱点は、カミの行動を制限する制度ではないので、当代のアマカミの兄弟が皇后ないしは側室を簒奪する事態が起こりうることです。
これはもちろん、制度が損をするわけではなく、次世代を危うくし、、当代の当主つまりアマテルの支配力が損なわれるということで、側室の確執がソサノヲに起因したことが挙げられます。

また、この制度は、多くのヨヨノトミが存在し、エントロピの大きな状態でないと不安定になりますので、最初の三代くらいは注意を要します。(まさにソサノヲの時期)
イサナギが契った姫の名をあかしていないところにご注意ください。
これは同族を含め、姫の暗殺を恐れているのです。
藩屏の王子など皆殺しにしても制度はゆるぎませんが、姫を殺されては族の女系相続が立ちゆかなくなります。
実際、次に解説しますソサノヲの事件では8人の姫が暗殺されたようです。(真相は39アヤに)

こうして、広範な女系相続により、男系天皇が維持されるようになって行くまでの道のりは遠いのです。

制度が熟してからの危機として心配されるのは外国勢力によるシステムの簒奪のみです。
あとは、まあ、危機といえば危機なのですが、多朝廷並立(制度としては危機ではないのです)が少し後に起こり再単一化のためには、タケヒト(神武)の登場を待つことになるくらいでしょうか。

書紀は嘘ばかり、と言われますが、それは正史のほうで、史実を書きたいときは、一書曰、ではじめるのが常なわけで、正史を一書で修正する、つまり、ホツマツタヱで書けないことも一書で書けば良いのです。(ホツマツタヱも一書のひとつだといわれていますが)
ここまで書けば、イサナミがイサナギを責めているのは、実際にはハヤタマノヲとコトサカノヲ(そして、さらにココリヒメも)が責めているとおわかりいただけるでしょう。
ホツマツタヱでも夢オチにしているのはハヤタマノヲとコトサカノヲとの諍いに触れたくないからです。
それほど、熊野系は強力な政治力=経済力を持っているということです。
(熊野古道って山の奥でも石で舗装されてるんですよね)

表に出しても良い話なら、一言、イサナミが御罷りましたと書くだけで済み、話題にすらなりません。

思えば、(ここでは全く説明しませんが)これだけのことをワカノマクラコトハに埋め込んで歌う技巧にただ、畏れ入るのみです。

こうしてイサナギにより我が国の歴史にまた1ページが加えられ、時の流れは次代アマテルにゆだねられ、臣主主義(しんしゅしゅぎ)の難しさと向き合ってゆくことになります。

ヰヤマトトホル(射矢的通る) ヤマトノミチノ オオイナルカナ


 ー とか、気取って、終わりにしようと思ったのですよ・・・

ところが、私の息子からNGが出ます。
「ヤソマカツヒを説明してないじゃないか、唐突で理解できない」と。

実はうまく翻訳できなかったので、無視をきめていたんです。
当初、私の文法知識にはまったく無い構文だったので、苦労したのです。

ヤソは80、マは中間(ちゅうげん)と同様、直接いうことを聞く人でいいんじゃないか
あるいは、まっすぐ、つまりまがりと対になるイメージじゃないか?
カは?
ミクタリなんていうのと同様、グループを表す格助詞かも。
ヤソ・マ・カ・ツ・ヒ・ノ・カミ
つなげると、80人、つまり多数の、日のカミの使い、つまり直参のことだろう。
ホツマ文字は皇族のみが使用する文字なので、特殊例は許されるのですが、納得できないようです。

「まがりに呼応する掛助詞の複数格が1文字あけてロキューションを構成できるのか?」
「ヒノカミだったらアマテルカミ以外の例は一件も無いのでみとめられない、自分の論のために文法を作るな」
「直参なら子にこだわらなくてもいいだろう、ただの官職で充分なはずだ、もっと明確なイメージを提示しろ」

うーむ、ダメだ、こりゃ・・・・うーん・・・あ、わかった、そのものズバリ「藩屏」という意味だ、これは熟語だよ。
これで解決です、なんと息子は、私の自信の無さに反応していたのです。

もう一度、書紀の一書に戻ってホツマツタヱを補間してみましょう。

前述の文のすぐ跡に、「但親見泉國」(この国、好きかも=イサナミの一族とはうまくやれる、と確信している)

なーんだ、夢オチのシーンで、イサナギはすべて納得していたのです。
ものごとは、納得できるまで掘下げないといけないということですね。
どうやら、我々日本人は国学を離れて、音無川で身削ぎをして、目の曇をはらい、総てを見つめなおさねばならない時期に来ているようです。

この項、まだまだつづけねばなりません。
次はハタレふたたびを書きたいと思います。

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さて、古代の階級について断片的な記述をしたので、すこしまとめたいと考えます。

下の図をご覧ください。
これはモトアケ図と呼ばれるクニトコタチの時代に、彼らの一族の概念を図式化したものと考えられております。
フトマニ占もこの構造に基づいて判断されているようです。


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_16?1490021219


ちなみにこの図は私が描いたものです。
もっと古い書体のものを見たい向きには池田先生のホツマ辞典などに、小笠原長武による写本の版がありますのでそちらをご覧ください。


今、クニトコタチの一族を仮にアメ族と呼ぶことにします。
これまでのように、天孫族というと出てくるところが高千穂峰になったりして、先入観があって嫌だからです。
出自不明の政治集団、高度な文化を持った集団です。

図の中心にあるアウワというのは基本原理であると言われております。
アが陽でワが陰、その真ん中にあるのは、女性器を模したように見え、ある種の波動だと説明されています。(なぜそれがクニトコタチを表すかは謎です)
最初のリングはクニトコタチの八王子です。
トからはじまり左廻りに2つ飛びで、ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの順に並んでいます。
次のリングはアからはじまり右廻りに2つ飛びでア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シの順に並んでいますが私にはその意味はわかりません。
ただ、アワノウタで折句のように、アカハナマ・イキヒニミウク・フヌムエケ・ヘネメオコホノ・モトロソヨ・ヲテレセヱツル・スユンチリ・シヰタラサヤワの各句の頭についている文字を連ねたものになっているのが見えます。
次のリングは16人のトミを表しているとか。
一番外側のリングは16人のタミが連なっているとか。
池田先生は単純に32神(ミソフカミ)だと説明しているみたいです。


アメ族の階級を整理してみましょう。

キミ・・・・・・・・・トミの上司
カミ・・・・・・・・・役職についているトミ
ヨヨノトミ・・・・・生まれつきの貴族
トミ・・・・・・・・・この時代の運営主体
タミ・・・・・・・・・生産と消費を担う平民(経済主体)
シタダミ・・・・・最下層民
ヤッコ・・・・・・・トミの奴隷
サスラヲ・・・・・不可触民

こうしてみると、妙にアーリア人に似てますね。
私は、このモトアケ図を旗印に、クニトコタチの一団が列島に渡来したようにしかみえないのですが。

さて、もう少し、アメ族の文化について書きます。

大きな距離を表すのにトメヂという単位を用いています。
これは姉妹文献であるミカサフミにも記述がありますので、そちらを参照してみましょう

以下はミカサフミタカマナルアヤからの抜粋です

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ナヨノカミ ミナサコクシロ 7代のカミは皆お元気で
ヨリノホシ アニアラワルル 星のなかでもアに表される
ヒノワタリ モモヰソトメヂ 太陽の直径は150トメヂです
ツキノホド ナソトメチウチ 月は少し小さく70トメヂ
ヒノメグリ ナカフシノトノ 太陽の巡りは中天の赤道上
アカキミチ ヤソロトメチノ 80,000トメジを通っています
ツキオサル ツキノシラミチ それより内側、月の白道は
ヨヨヂウチ クニタマワタリ 40,000トメヂを通り、クニタマの直径は
モソヨヂノ メクリミモムソ 114トメヂで周囲は365トメヂです
ヰトメヂノ ツキヨリチカキ 月は近く、太陽は遠いのです
ヒハトオク ツキハナカバニ 月は中間くらいにあるので
チカキユエ ナラベミルナリ 同じような大きさに見えるのです
モロホシハ アメニカカリテ 星々は天にまだらに分布しています
マタラナス ツツヰハモトノ ツツイのカミは元の彩りの司です
イロツカサ フソミカホシハ 20のミカホシは物事の
ヨシアシオ ハラノニシメス 善悪をハラノに示しています

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_18?1490021219

アマメクリ ヒハヲヲキクテ 天を巡る太陽は大きいので
ヒトオクレ ミモムソヰタビ 1日づつ遅れて365回
ヒトトシノ ハルタツヒニハ 1年で巡るのです
モトニキテ ヒトタビモトノ 元の場所にきて
ホシニアイ ツキハオモクテ 同じ星の位置に来るのに、月は重いので
ソミノリオ オクレヒニアフ 13回分の距離を遅れて巡るので
ツイタチゾ ホシニソミアフ 1年に13回で星と一致します
アメハヱナ ヒツキヒトミナ アメは胞衣です
アメノエナ ソトハタカマノ 日嗣の人は天地の兄です
ハラマワリ モモヨロトメヂ その外のタカマノハラの周囲は1,000,000トメヂ
ホシマテハ ソヰヤチトメヂ 星までは158,000トメヂ
ソノソトハ ナモトコシナエ その外はトコシナエと呼ばれ
ヤスミキハ ヤイロノニギテ 治めるキミはヤイロのニギテです
ミナミアオ ニシハクレナイ 南は青、西は紅
キタハキニ ヒカシハシロク 北は黄、東は白く
アイモイロ ミヲヤノソバニ 色々と、ミオヤの傍にいます

この解釈は非常に難しいです。
アメハヱナとアメノエナは対句になっていますね。
ここでも、大宇宙の構造と地上のタカマを重ねて表現しています。
とりあえず、図解してみました。

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最初、すわ宇宙文明か!と思ったけど、大したことはなかった、よかったよかった。

なんと、アメ族は天動説ですね。
クニタマ(地球)の周囲を365日分と考えるのはいいんですが、それを球面上の長さに展開するのは非ユークリッドの考えかたでは?
そもそも実測できるか?
概念だけの宗教観念かもしれません。
いずれにしても江戸時代の好事家のするこっちゃないね。

これまで毛皮を着て石の槍持って走り回っているイメージとホツマツタヱの「文明」は、かけ離れ過ぎているのです。
やはりアメ族は高度な文化を持って、渡来したと考えるのが妥当なのではないでしょうか。

■ 仮説:

アメ族は渡来人である
アメ族は複数度にわたり、日本列島に到達している。
アメ族は土着の原住民と平和裏に混血している。
アメ族はマヒナヒとして多くの加工食品を持参した。
アメ族は多くの技術を持参し、土着の原住民は平和裏にこれを受け入れた。
土着の原住民は結果としてアメ族の文化を受け継いでいる。

いかがでしょうか、すぐに受け入れる必要はありません、シベリアの夜長への宿題としておきましょう。
この項はまだ続きます、次はアメ族の人々について解説します。

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■古代日本の政治体制と階級を考える

1. 体制に関する基礎知識

・文法に関しての前提

まず、ホツマツタヱとはどんなものだったでしょうか、少し掘り下げてみましょう。
良く分かっていらっしゃる方も復習のつもりでお読みください。

日本書紀は漢文と万葉仮名による国史なのに対し古事記は物語ですから、叙情的なのはもちろんですが、さらに、ホツマツタヱは五七調の長歌で構成される国字仮名混じり文学なので、さまざまなウタの技法が盛り込まれています。

一文字語+助詞とか、品詞分解しづらい「ン」など、平安文法では理解に苦しむ表現も多くあります。
神道の祝詞などに「かかんのんてん」なんていう、わけのわからない言葉がでてきますが、じつはこれもヲシテにあるのです。
構造としてみると、

 カカン
 ノン
 テン

であり、末尾に「ン」がついており、この「ン」は動詞であると考えられています。

これを「篝火」「祝詞」「柏手」と説明するのは自由ですが、文法的に考えるなら単なるロキューションですので、例えば5アヤにある「カカンシテ ノンアワクニハ テンヤマト」という文は、カカン〜ノン〜テン〜という構造であり、「こうしてアワクニはヤマトになりました」と単純に訳したほうが良いのです。

また、奉呈文にある「コヱウチノ イサワノミヤニ オワシマス」というのは「コ」という蚕を表す特殊文字が使われていることに注目して、「コエってなんだろう、蚕の餌、つまり桑の木が多くあるところかな?」などと深堀りせずに、さらりと「コエウチノ」は「イサワ」に掛る枕詞だと考えてよいのです。
全文がつかめるようになってから、じっくりと掘り下げるのが平和だと思います。


では、本論に入りましょう。

・ カガミのこと

ヲシテ文献にも記紀同様、カガミの記述があります。

皆さん、現代で、カガミは何でできていますか?と訊かれたら、ガラスです、と答えるでしょう。
では古代のカガミは?と訊かれると、それは金属、特に青銅ですと答えるにきまっています。
しかし、「増鏡」、「大鏡」、「吾妻鏡」は何でできていますか?と訊かれると、「紙です」と答えないわけにはいかないのです。だって、それは書物なのですから。
光学的に照らして使うのが鏡、ある知識に照らして使うのが鑑(例:図鑑、名鑑、武鑑)と考えれば簡単ですね。
8アヤでもマフツノカガミというのが出てきましたが、これもウタの技法で鏡とイメージを重ねていますが、鑑だと考えれば人別改めの資料ということができます。


・ ミソギのこと

皆さん、みそぎという言葉をご存知でしょう。
神道などでよくやる、あれ、水かぶって身を清める、あれです。
古代の政権の指導者もよくやっていましたね。
転じて、長いこと政権にいすわっていた連中が選挙の後、「さあ、禊は澄んだ!今度は体制内改革だぁ!」などと曰って、結局何もしない保守のパターン、あれもミソギでしょうか?

カガミの例でお解りと思いますが、これも水浴びのイメージを借りているのです。
私は「身削ぎ」のことだと確信しています。
自分に対して身削ぎをするなら、それは邪念を去ってルサンチマンから離れ、純粋に政治過程に従って判断をするということ、事象に対して身削ぎをするなら、それはいわゆる「オッカムの剃刀」のことになると思われます。
虜囚あるいは罪人に対して身削ぎをするなら、それは手練手管による懐柔と話術、さらには拷問等の手段により自白を引き出す方法論と考えられます。
潮浴び?や血を絞る?という表現が何をさしているかは、まだ不明です。


2.各種の制度に関する解説

ここでは7アヤを中心に解説しますので、流れをつかむために例の通り、高畠氏のサイトを参照しておいてください。
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya07.html

では行きます。

・量刑法定主義?

この時代、裁判は定められた様式に基づいておこなわれていたようです。
7アヤで、コクミとシラヒトの裁きも中央(アマテルカミの時代ですので、ここはイサワ?)のタカマで行われました。

少し本文を見てみましょう。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_12?1490021219

サガミレハ キミオワスルル (コクミの)咎を見てみましょうキミを蔑ろにした罪
モモクラト ハハモフソクラ 100クラと母の分の20クラ
オカスルモ オシテノハチモ 証文の偽造である
モモトモモ ヒメナイカシロ 200クラ、姫を蔑ろにした分が
イソクラト スヘテミモナソ 50クラで、全部で370クラ
アマメクリ ミモムソタビオ 人の生活を360度と考える
トホコノリ トコロオサルト ト鉾の法(=刑法)の定めにより所払い
サスラフト マシハリサルト 流刑、交際の禁止(村八分ですか?)
イノチサル ヨツワリスギテ そして、4番目に相当するので、
ホコロビト ツツガニイレテ 死刑ということでツツガに入れておきました
ネノクニノ シラヒトオメス 次はネの国のシラヒトが引き出されました。
タカマニテ カナサキトワク タカマでカナサキが尋問します
ハハオステ ツマサルイカン 母を捨て、妻を流した経緯を聴くと
コタエイフ オノレハサラズ 私が去らせたのではありません
ハハヨリゾ ヰヱステイズル 母のほうから勝手に出ていったのです
ヒメモママ マタモトオトフ 姫もついていったのですと、 また、元を問うと

ここで、証文というのはコクミが出世のために自分の嫁をクラキネにさしだしたのですが、自分が死んだあとはコクミにサシミメを返すという奇妙な証文だったので、カナサキは偽造だと看破したのです。
証文を偽造するにあたって(クラキネが寝ている間に押し手をとったのでしょうか?)サシミメはコクミの云うことを聞いただけなので、従犯、20クラとか。
ただし、クラキネは中央から任命されているマスヒト(国司)なので、その嫁の処遇に関する文書は公文書となり、コクミとサシミメは公文書偽造で共に100クラを受け、その責任者であるコクミが責を負ったということです。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_14?1490021219

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コタエイフ ヨヨノトミユエ (シラヒトは)答えて言います代々の臣ゆえに
コトナセリ ハハハタミノメ した事です 母親のほうはタミの女を
ススメテゾ キミノツマナリ キミに差し出した妻ではありませんか
ヲンメグミ ナニワスレント キミの恩を忘れてなどいません
ヰヰナガス カンミムスビノ と言い流すのでカンミムスビは
シカリテゾ ナンヂカザリテ 叱りつけて言います 汝は言葉を飾って
マドワスヤ ワレヨクシレリ ごまかそうというのですか わたしには分かっているのです
トモオコヱ チカラオカシテ 供であるはずなのに力で犯して
ハハガアケ マツリサズケテ 母の心の隙間に乗じて謀の手助けをさせ
ゴトナスオ ハハニシタエハ 悪事を行い、母の方に寄り添えば
ヒメガウム カクサンタメニ 姫の方は納得しないでしょう、これを隠蔽するために
ナガシヤリ タミノメウバヒ 流しやってしまい、タミを欺いて
チカラカス メクミワスルル コクミに権力を貸したことと、(クラキネの)恩を忘れたことによる
フモモクラ サルモモモクラ 200クラと母娘を流しやった100クラ
フムガヰソ ツカムノムソト この虐待が50クラ、(タミをだまして)つかんだ60クラとで
ヨモソクラ コレノカルルヤ 合計410クラです、言い逃れできますか?


と云って、死刑が確定、と思いきやなんと、減刑してしまうのです。

なんということでしょうか、ここでアマテルカミは、その親政のさなかに重大な失政をしたことになります。
罪科が自分に近づくのを恐れ、コクミとシラヒトの減刑をおこなってしまったのです。
なにしろ、クラキネはアマテルの叔父なのですから、その子シラヒトはアマテルの従兄弟なわけです。

この事件は前回お話したハタレの乱の前に起こった事件なのですが、その結果、ハタレの乱は拡大していってしまうのです。
(じつは、さらにその後、ソサノヲのヤマタノオロチの話に行ってしまうんですが、その話はもう少しあとで、ね・・・)


・ミヤとはなんでしょうか?

最初の頃、私は単純に、古代の日本では、ミヤ(宮)と呼ばれる政庁があり、そこに居住しているカミ(守)が死ぬとカミアガリ(神上がり)して、そこが神社になると考えており、また神道は古代の政事(まつりごと)の儀式化した劣化コピーであると考えておりました。
最近になってちょっと違っていたことがわかりました。
7アヤのソサノヲについての記述をご覧ください。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_15?1490021219

コノイワヒ ナカバサオヱテ この(アメオシヒとクラヒメの婚姻)祝で刑を半減され
サスラヒノ ヒカワニヤルオ (コクミとシラヒトが)氷川に配流され
マスヒトノ ワガトミトナス マスヒトの臣とします
ソサノヲハ コレトトノヒテ ソサノヲは万端整えて
マナヰナル カミニマフデル 真名井に参拝します
ソノナカニ タオヤメアレバ 参拝者の中に、若い女を見染めます
コレオトフ マカタチコタフ これはだれかと侍従に聞くと
アカツチガ ハヤスフヒメト アカツチの子のハヤスフヒメと答えます
キコシメシ キジオトバセテ そこで、キジを送って父の了解を得ようとしますが
チチニコフ アカツチミヤニ アカツチミヤを用意できるなら結婚をみとめましょう
トツガント イエドミヤナク と言われましたがまだミヤを持っていないソサノヲはどうしようもなく
ヲヲウチノ オリオリヤトル 宮中にいりびたるようになったことがばれて
ネノツボネ ヱトヤスメトテ ネの局では(ハヤコ・モチコ)姉妹はしばらく下って休みなさいといって
ウチミヤノ トヨヒメメセバ ウチミヤ(セオリツヒメ)は(ツの局から)トヨヒメを呼んで新たな
ネノツホネ サガリナケケバ ネの局に据えましたので(ハヤコ・モチコは)大いに悲しんでいました
ソサノヲガ タタエカネテゾ ソサノヲは耐えかねて

ここでキジというのは使者のことで、鳥ではありませんので気をつけてください。
と云ったら、息子にキジとハヤキジの違いはと訊かれてしまいました。
えーと、よくわかりませんが、駅の有るなしで情報の伝達速度は極端に変わると思われます。駅があれば、昼夜の別なく情報を伝えることが出来ると思いますが、駅に関する記録はありません。

さて、アカツチの言い分は、ミヤが無いのでは生活できないだろう、収入は絶対に必要だ、と。
つまり、ミヤというのは荘園のようなものでしょう。
生産性のあるタミを囲い込んだ状態、カミの所有するタミの生産を再配分し、余剰部分をカミの所得とした、と考えると整合がとれます。
カミはそれを蓄え、生産が低迷したときに備えるのが合理的です。
通常、こういった関係は、そのカミの部族を形成していると考えられます。
その場合、母系制社会がこれに適合すると言われています。
モモヒナギ、モモヒナミ以降ではタミも妻問婚から父系社会に移行していると考えても、トミの家族制度と整合性があるかどうかは不明です。
ソサノヲの姉であるワカヒメは母イサナミから受け継いでいるものが多くあるようです。
(神道ではワカヒメは丹生都比売に比定されており、水銀、硫黄などの生産性の高い能力集団による部族であることが知られています)
アマテルカミはイサナギの財産を総て相続していると考えられますが、ソサノヲはネの国に赴任しただけであり、生産性の基盤を持ってはいないのです。
この点、ヨーロッパにおける領主と領地の関係と似ています。
すなわち、ソサノヲは真面目に赴任先のネで政庁に住んで、マメに政(まつりごと)を執り、タミの人望を蓄え、自分(個人)のミヤを持てるように努力しなくてはならなかったのです。
若気の至りといえばそれまでですが、この、待遇の差を考えると、すべて個人責任だといいきれない部分もあるでしょう。
この時、ソサノヲは耐え切れず、剣を抜いて暴れようとしましたが、ハヤコが押しとどめ、「イサオシナラバアメガシタ」(どうせ闘うなら天下をとりなさい!)といったのも女性心理をよく表していると思われます。
まあ、結局天下取りに出たのはシラヒトであってソサノヲではなかったのですが。


・マヒナヒについて

目上の人に世話になるときに贈り物をするのは、事業を円滑に進めるために有効なので、必ずしも悪事ではなかったようです。
ただし、それはタミの要求が満たされる場合で、賂だけつかんで結果を出さない場合、タミを欺いたことになるように見えます。
この言葉はマジナイと同一にもみえるのが興味深いところです。
事業をうまく進めるためのスパイスと考えると、マジナイと同じでもかまわないような気がしてくるのです。


・私通、密通に関して

これはもう、そうとう緩いのではないでしょうか。
ソサノヲが問題になったのはアマテルカミ親政の折、支配体制を維持しないわけにいかないので、アマテルカミも、知らぬふりをしてお目こぼしをしていたかと考えます。
問題が発覚するのは皇后であるムカツヒメによってです。
モモヒナギ、モモヒナミ以来の伝統でアマテル夫妻も「同格の夫婦」であり、ムカツヒメは宮中の風紀委員長といった感があります。
これではソフキサキは不満がたまりそうですね。
なにしろ日本中が緩いのですから、一般と宮中の差は歴然としています。

だいぶ長くなりましたので、いったん切りますがこの項はすぐに続けます。
アメ族(仮称)について書きたいと思います。

 

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王子の狐という落語があります。

狐にばかされそうになった男が逆に、狐を騙して扇屋という料亭で飲み食いしたあげくに名物の玉子焼きを土産に包ませ、勘定は狐に持たせてしまったという。
しかし、友人に諭された男は、料亭の衆に傷めつけられた狐に謝りに行き、巣穴の外で遊んでいた子狐に手土産のぼた餅をわたして帰ってゆくが、喜んで食べようとする子狐に、母狐が「食べるんじゃぁないよ、馬の糞かもしれない」と言うオチが付く噺です。

王子には王子稲荷という神社があって、毎年大晦日になると関八州から狐の大群が狐火をともして集まってくるという伝説があります。
まず、近所の装束稲荷という神社に集結した狐達はここで装束を整えてから整列し、王子稲荷までお参りをするのだそうです。
現在では大晦日になると、あちこちから住民が狐の化粧をし、装束を整えて集結して王子稲荷まで行列するという行事が行われています。

さて、8アヤ タマカヱシハタレウツアヤの話をしましょう
こんども、一部しか紹介しませんが、あらかじめこちらの高畠氏の8アヤの記事を読んでみてください。
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya08.html
ただし、今度は戦の話なので、神は困ります、神話ではなく、伝承なのです。
カミ、上、守など、適当に言葉を補っていただくのが良いでしょう。


今は昔、アマテルカミの時代の出来事です。

1 ニシキオロチノシムミチ
2 ハルナハハミチ
3 ヰソラミチ
4 ミタルキクミチ
5 ヰツナミチ
6 ナルカミモトムアヱノミチ

ムハタレ(6グループのハタレ)による乱が起こります。
ハタレというのは時の朝廷に服わなくなった、一揆衆のことのようです。
この8アヤ冒頭で、世の中がだんだん進んで、タミも飢えること無くすごせるようになってきた、とありますが、それはそれ、為政者の観点と云うものかもしれません。

○○ミチというのは為政者が付けたコードネームで、○○方面というような意味になりましょう。
ここで、ニシキオロチというのはニシキヘビのようですが、オロチというのは「愚かな生業」というような意味で、暴力団、詐欺師などというような裏稼業である職能集団かもしれません。
ミタルキクミチというのは3人の首領が率いるキクミチという意味でしょうか、それとも水垂、つまり滝かな?
ナルカミモトムアヱノミチはナルカミ(雷)使いのアエノ(アイヌを指すという説も)方面ということになるかも。

8アヤ全部話すと長くなりますので、なかでも、とりわけ私の興味をひくものがありました。
4番目のミタルキクミチとの戦いです。
ミタルは3人の、という意味かもしれないと言ったのは3兄弟が首領だったわけですが原文はハネの無い普通の「ミ」なので、ちがうかも、「乱れる」かもしれないし。


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少し読み下してみましょう。

マタハタレ ツクシノミタリ ツクシの3人のハタレが
ナカクニノ ハナヤマノノニ 近畿地方の花山の野に
トモアツム トキニアマテル 軍勢を集結したので
ミコトノリ ウケモチノマゴ アマテルカミがウケモチの孫の
カタマロニ クニミテカエレ カタマロに国中を見て来なさいと詔ます
カタマロガ イタレハハタレ カタマロが行ってみると
イロカエテ サキミタレタル 色々と変化するキクの咲き乱れる
キクミチノ ココサワユクヤ ココサワ(菊沢)を過ぎてゆくと
ヒメオトリ ムラクモタビヤ 舞姫が踊り、叢雲がたちこめ
ホタルビノ ワラヒアザケリ 蛍火が笑い嘲り
イカリビノ アオタマハケバ 青い烈火が吹き出し
ススミヱズ カタマロカエリ 進むことができずカタマロは
モフストキ シバシカンガヱ 帰って報告すると、少し考えてから
ミコトノリ コレキクナラン アマテルカミは、よく聞きなさいこれはキ・クです
キツネトハ キハネヨリナル キツネとは、キはネ(北)で生まれて
ツサオヘテ ネニキテスメル ツサ(南西)をへてネ(北)に来て住むという

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_6?1490021219


ネスミオバ アブラニアケテ ネスミを油で揚げて
イトフベシ クハチトタガウ いたわってやりなさい
クハキウノ ヲノホオイトフ クはキウ(東の中)、陽の炎を嫌うので
ハシカミノ ヲガメガフスベ 椒の生姜と茗荷を燻して
ヒシガント ミコトオウケテ 押さえこんでしまうのです
カダマロガ モロニヲシヱテ カダマロがこの戦法を皆に教えて
ノニイタル ハタレミタリガ 再び戦にむかいます 3人のハタレが
サキミタレ イクヱカハリテ 手を変え品を変えて暴れまわって驚かします
オドロカス カタマロナケル カタマロが揚げ鼠を投げると、
アケネスミ キクタミウバイ キクタミが奪い合って貪り喰います
ムサホルオ モロカミツヨク これに乗じてモロカミが戦うと
タタカエバ ユツリニクルオ 我先に逃げ出すので
オイツメテ チタリトラヱテ 追い詰めて1000人も捕らえて斬ろうとしますが
キラントス フツクナケキテ 皆ひどく嘆いて
ヤツカレラ カエリモフデン わしらはアメのタミにもどりますから
アメタミト イノチオコエハ と命乞いをしますと

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_7?1490021219

カタマロガ ミナトキユルシ カダマロは皆解き許して
ワラナワオ サワニナハセテ 沢で蕨縄を綯わせます
ハシカミト メガオイブセバ ショウガとミョウガの煙で燻し
ミタルルオ サラニタタカイ 戦列の乱れたところで
オヒツメテ フツクトラヱテ 追い詰めて残らず捕らえます
サキタメシ ツヒニオイツメ 手始めに3人の首領を
ミハタレオ シバルワラビニ 追い詰めて蕨縄でしばり
キクツネオ ミサトノアミオ 長い網を野に張って
ノニハリテ ミナオヒイレテ キクツネ達を皆追い入れて
タマツナキ キクツネスベテ 33万のキクツネを総て数珠つなぎにして
ミソミヨロ みたりはツツガ 3人は牢につないで
モロカエリケリ 皆帰ってゆきました

蕨縄についてはこのサイトに解説があります。
http://www.geocities.jp/tosasikkui/700.html

ヲシテの原文を読んでみて一瞬で気づいたのですが、ココサワの地でイロカエテサキミタレタルというのは花火ですね。
このハタレは火薬を扱うことのできる職能集団でしょう。
舞姫が踊っていたというのは技芸集団です。
また、ホタルビノ ワラヒアザケリ イカリビノ アオタマハケバというのは火の粉と銅の炎色反応によるこけおどしと考えられるので、これは鍛冶集団と思われます。

アマテルカミは報告を聞いて、無下に殺してしまうのは惜しいと思ったでしょう。
古代の技術が劣っていたと思い込むのは現代人のおごりであり、硝石を用いる爆発性の火薬ではなく、粉末燃料と微量金属の組み合わせで結構な彩色の炎は出せるものです。
現代の中国の映像で、溶融した鋳鉄を振りまいて、猛列な火の粉をまきおこす演出をする祭りの映像をみたことがあり、この程度ならさほど難しい技術ではないと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=IqvhlOiyMdc

イトフという対句がありますが、かたや労る、もうひとつは嫌うですね。

キツネトハ キハネヨリナル
ツサオヘテ ネニキテスメル
ネスミオバ アブラニアケテ
イトフベシ クハチトタガウ
クハキウノ ヲノホオイトフ

この、尾の炎というのはどうしてもヒトカゲを想像してしまいますね。
そこまでっ! 勝者ヒトデマン!とか連想しちゃうのはマンガの見過ぎでしょうか。

閑話休題、キ族は、北で生まれて南西を経て北に戻ってきた一族、ク族は東に先住していた一族なのでキ・クとひとまとめに考えてはいけない、と言っているようです。
アマテルカミはキ族に優しく、ク族には邪険な態度で接しているようにすら見えてきます。

また、揚げ鼠というのが妙に気になりますね。
ネの国名物アゲネズミとか云うんでしょうか。
肉食を嫌うアマテルカミがハタレといえども、ネズミを食わせるというのは信じられません。
なにしろ、すべてのタミに肉食を禁じている人だったのですから。

埼玉県にゼリーフライというB級グルメがあります。(行田名物)
さきたま古墳群にほど近いあたりで街道沿いの食堂で食べてみたことがあります。
おからと芋を捏ねたものを衣をつけずに揚げたものです。
もしかして、揚げ鼠ってこれ???
これなら純植物性でアマテルカミも納得!でしょうか。

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ここでは触れませんが、他にもオコゼあるいはオコジというものを食わせているようですが、魚のオコゼは棘があって調理に手間がかかるし、数万人分の魚を用意するのはイエスじゃあるまいし、ちと無理かも。
もしかすると、雑穀を焼き固めた「おこし」かもしれません。

フトマカリについては池田先生のサイトに解説があります。
http://wosi.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-80c6.html
まがり餅っていうのはだいたい、粢餅(しとぎもち)と同じ、あるいはそれを揚げたものというのはわかりますが、それが唐菓子でないという証拠もないので、池田先生の説も同次元にあると考えられます。

他にもカグノミ(みかん)を食わせたりして懐柔したようですので、ハタレ達が飢えていたのは間違いありません。
「ハタレって食いしん坊なんでしょうか」なんてブログに書いている人がいて、現代人は思いやりの無い人が多いですね。

さて、結末に向かいましょう。


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_8?1490021219


ミソミヨロ タマタチセンオ 33万人を死刑にしてしまうところで
カダガコフ モロユルサネハ カダマロが助命を乞いますが皆許さないので
カタノカミ ナナタビチカフ 農業大臣であるカダマロは職を賭して7回誓います
ノリコチニ ヤヤユルサルル その甲斐があってやっと許されることになります
ミコトノリ ミツヒコガコト アマテルカミの詔があります
モロキツネ ウケノミタマオ 三兄弟とキツネの衆は、稲作の創始者ウケノミタマを
マモラセヨ モシモタガハバ 護持させなさい、いうことを聞かない時は
スミヤカニ タマタチナセヨ すぐに死刑にしてしまいなさい
コノユエニ ナガクナンチニ この故により、カダマロ、永久に貴方に
ツケルナリ アマツミコトノ 預けるものです
オモムキオ ツゲテアニヒコ アマテルカミの意向により、兄彦は
ココニトメ ナカハヤマシロ ここ(ココサワとの掛詞)に留め置き
ハナヤマノ オトハヒガシノ 中彦は山背の花山野に
アスカノエ キツネモミツニ 弟は東国の飛鳥野へ
ワケユキテ タハタノトリオ キツネ衆も3つに分けて
オワシムル ウケノミタマト 田畑の鳥を追う業務を与えます
ウケモチモ カタノカミナリ ウケノミタマというのもウケモチもカタノカミのことです

捕らえられたハタレはカダマロの助命嘆願により救われます。
ただし、33万人という数字はよくわかりません。
東国33箇所×1万人でざっと計算して33万人といってみただけかもしれません。
そういえば中国に、3人の人骨が確認されている万人坑というのがありましたね。

3兄弟のうち兄彦はココサワに留められ、中彦は山背の国花山に、弟彦は東国の飛鳥野に配流されたということです。
中彦は山科の花山稲荷に送られたようですが、これは稲荷神社のフォークロアから確認することができます。

1.この神社の紋が三兄弟を表す三ツ稲荷宝珠であること

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2.この神社の神徳に技芸上達がうたわれていること。
3.この神社の神徳に鍛冶技術がうたわれていること。
4.この神社の行事に、たたら(鑪)の形に組んだ護摩木を燃やすこと
5.この時、熾火になったところでみかんを投げ入れて焼き、神饌として参列者に分け与えること。

次に、東国の飛鳥野ですが、これは東京都北区王子に比定されます。

1.年末にキツネが集結して王子稲荷に参詣するという民話があること。
2.王子稲荷は平安時代にはすでに確立された社格をもっていたこと。
3.関八州の総司であったこと。
4.上記は寛政の改革によって弱められ、それ以前は東国33カ国(これは広い!)の総司であったこと。
5.寛政の改革のおり、寺社奉行により、東国総司であることを示す扁額、幟旗、社伝等はすべて没収されていること。

王子の地は、武蔵七党のひとつである豊島氏が、元享2年(1322)に紀州熊野権現を勧進し、現在の王子神社になっていますが、その別当である金輪寺、それに続く王子稲荷まで、はたまたその先の(キツネが集合するという)装束稲荷(花火師玉屋、鍵屋の守護社です)まで、広大な社地をもっていたのです。

徳川吉宗は幾度かの大火を経験し、火除地の整備に尽力した将軍ですが、享保年間に桜の名所としての飛鳥山を寄進するなどしておりました。
吉宗の孫にあたる松平定信による寛政の改革当時、狐火に関するキャンペーンが行われた結果として、
地域住民に新たに植え付けられたフォークロアが現在まで続いると言えるでしょうか。
しかし、王子は私の地元ではなく、私の興味は江戸時代には無いので、いくつかリンクを貼るにとどめます。
http://ojikitune.web.fc2.com/
http://2machi.yokochou.com/hi-index.html
http://ojikitune.web.fc2.com/naonobu-hirosige.html
もし、この寛政の改革が行われなかったとしたら、狐火の民話は歴史の片隅に埋もれてしまったかもしれないのです。
私のようなヲシテ学習者にとって、王子の狐から稲荷=カダマロという事実を確信するにいたったことは天の配剤という以外はありません。

これまで述べてきたような諸々の事情を考えると、ウケモチ(ヲシテ時代の農業大臣である官職名)の8代目であるカダマロの本貫地あるいは赴任先が王子と考えるのはきわめて順当だと言えるでしょう。

何にしても、東国33カ国(広い!)のキツネ衆(もちろん人間)が王子の装束稲荷に集結し、装束を整え、行列を作ってカダマロのミヤにご挨拶に行くという行事がくりひろげられたのです。

この豊島氏による熊野権現の勧進などにみられるように、江戸以前の東国には、いま少し注目していただきたいと思います。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_11?1490021219
現代の飛鳥山の鳥瞰、この写真の右側の外に王子神社があります。


■ 蛇足

兄彦の行き先を掘り下げてみました。

賀茂別雷神社(栃木)
栃木県佐野市多田町1501

当神社の御祭神は「賀茂別雷の神」と申します。京都の上賀茂の地に「ちはやぶる わけつち山に宮居して、天下ること神代よりさき」と読まれ、遠い昔より、山の神、農業の神として奉られて、落雷除け、嵐除け、五穀成就、天下泰平の神として崇敬されてまいりました。
当神社は天智八年(669)、「雷の神を祀れば、此の土地は富貴安静ならむ」との神宣により、菊沢山の中腹に社殿を建て、大神を奉り祭事を行ってまいりました。
          賀茂別雷神社由緒より

なぜ、京都の上賀茂神社の末社を栃木に???
この境内には小さな祠の稲荷神社がひとつ・・・
ハタレの乱のはじまりはこの辺からだったのでしょうかね?
栃木に勧進したのが天智八年ってのがミソでしょうね。

こんなページも
ようこそしろうと山ヤの部屋へ
http://shibore.net/kikuzawasan20160208.html

地名のいわれ 「多田」はタタラ
http://www.city.sano.lg.jp/profile/chimei/tada.html

上賀茂神社(京都)
http://www.kamigamojinja.jp/
京都市北区上賀茂本山339

この項を蛇足としたのは、どうあがいても状況証拠の域を出ないからです。

次回は、古代日本の政治体制と階級を考えるを予定しています。

この記事に

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本稿に先立ち、予備知識として人の名前、とくにイミナについての理解が必要になりますので、以下に解説します。

ヲシテ文献において、イミナというのは生まれた時につける名前です。(忌み名、呪術によって呪いを受けないように、普段は明かさないという説も)
卑近な例として、現代の事ではありますが、ずっと以前、三菱造船が建造したダイヤモンドプリンセスとサファイアプリンセスという2隻の豪華客船にまつわる風評がありました。
当時艤装中であった納入直前のダイヤモンドプリンセスの船内から出火し(テロという説も)、内部の塗装にそって燃え広がり、納品することができなくなったため、同型船であるサファイアプリンセスを改修し名前もダイヤモンドプリンセスとして7ヶ月遅れで納品したということです。
もちろん、その後、元ダイアモンドプリンセスは焼損部品をすべて交換し、サファイアプリンセスとして就航させたのはいうまでもありませんが、人々の間に「船の名前変えるなんてとんでもない、悪い結果にならなければよいが・・・」という記憶になって受け継がれています。

すこしまとめましょう。

イミナ; 生まれた時に命名し、諱と書き、真名とも書きますが、「真名」は「漢字」の意味で使われ、「仮名」と対語になるため、私は使用しません。
タタエナ; 神話などによくでてくる、事跡を褒め称え、人、事物にたいして与える名称で、伊邪那岐命が息子である迦具土神を斬り殺したときに十握剣(とつかのつるぎ)に命名して天尾羽張(あめのおはばり)などというのがそれです。
オクリナ; 生前の徳によって死後に贈られるのがオクリナ(送り名)ですが、贈るという意味で生前使ってもよいようですが、それを確かめる方法はありません。
ここで、なにか目立ってすぐれた故事に対してタタエナ(称え名)を贈るのは何回やってもいいわけです。
中華勢力の影響で、天皇の諡号も漢風諡号と和風諡号があり、天皇によっても異なるのです。
諡号はしばしば、実際の人物像とは異なると言われています。
聖徳太子、武烈天皇、継体天皇など、(ほとんどの・・・)徳が高かった、野蛮だった・・・分かるわけないですね。

■フォークロアのなかに歴史の片鱗を見出す その1 ヒナ祭りと床盃、核家族の起源

私の家の近くに日本翻訳センターという会社があります。
フランス語や英語をてがけているようです。
高畠精二といわれる方が代表者をされているようなのですが、実はこの方はホツマツタヱの現代語訳をされているのです。
正確に言うと、訳というよりは解説物語といったところでしょうか。
さすがに、プロの翻訳家だけあってしっかりした文章をまとめていらっしゃいます。
まあ、少々難を言えば、「神」なんですけどね。

http://www.hotsuma.gr.jp/
なんと20年もまえからあるサイトなんですが、ホツマツタヱ全部ではありませんが、たくさんの記事が上がっています。
私も、このサイトで随分と理解を深めました。
なんでも、ホツマツタヱ勉強会もやってらっしゃるとか。

池田先生も日本翻訳センターからThe World of the Hotsuma Legendsという英語版の本を出されているようです。
http://www.jtc.co.jp/hotsuma/hotsuma.html

そのコンテンツは、商業使用でなければ転載自由とありましたので、皆様の学習の便宜のため、目次まで使用させていただきます。(なんとありがたい、リンクをクリックすれば高畠氏のサイトのコンテンツに直に飛びます)

1 東西(キツ)の名と穂虫(ホムシ)去るアヤ
ワカ姫の恋、和歌(ワカ)初め
2 天神七代(あめななよ・イサナギ、イサナミ)床神酒(とこみき)のアヤ
ヒナ祭りと桃の花 −男雛・女雛の実名(いみな)は?
3 一姫三男(ヒヒメミオ)生む産殿(との)のアヤ
イサナギ・イサナミの御子誕生
4 天照神(ひのかみ)の瑞御名(みずみな)のアヤ
アマテル神の誕生と即位
5 和歌の枕言葉のアヤ
イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉
6 天照神(ひのかみ)十二后(ソフきさき)のアヤ
アマテル神、中宮セオリツ姫と十二后
7 遺言文(のこしぶみ)刑罰(サガ)を立法(たつ)アヤ
アマテル神の岩戸隠れとソサノオの流浪
8 魂返(たまがえし)悪魔(ハタレ)討つアヤ
アマテル神とムハタレ(六魔王)の戦い
9 八雲(やぐも)打ち琴造るアヤ
ソサノオの八岐(やまた)の大蛇(おろち)退治と出雲建国の歌
10 鹿島立ち釣鯛(つりたい)のアヤ
大国主、出雲を譲る -ダイコクさんとエビスさん
11 三種神宝(ミクサ)譲り受けのアヤ
皇太子オシホミミ、三種神器を授かる
12 アキツ姫(速秋津)天児(あまがつ)のアヤ
天児(あまがつ)・這子(はうこ)の起源
13 ワカヒコ(天児屋根)伊勢鈴鹿(イセスズカ)のアヤ
アメノコヤネ(天児屋根)、イセ(伊勢)スズカ(鈴鹿)の教えを説く
14 世嗣祈祝詞(よつぎのるのとこと)のアヤ
アマテル神、世嗣(よつぎ)得る祈願の詔のり
15 御食万物成り初(みけよろずなりそめ)のアヤ
稲荷信仰とキツネの由来(人糞リサイクル農法の草分け)
15-2アマテル神(天照大御神)の詔のり
健康食(スガカテ・清食)の勧めと万物創成の五化元素
16 妊娠(はらみ)慎む常陸帯(おび)のアヤ【リンク無し】
17 神鏡八咫(かんかがみやた)の名のアヤ【リンク無し】
18 オノコロと呪(まじ)なうのアヤ【リンク無し】
19-1 乗馬法(のりのり)ヒトヌキマのアヤ【リンク無し】
19-2 乗馬術(のり)の紀(ふみ)テルタエのアヤ【リンク無し】
20 天孫(スメミマゴ・ホノアカリ、テルヒコ)十種神宝(トグサ)得るアヤ【リンク無し】
21 ニハリ宮(みや)造営法(のり)定むアヤ【リンク無し】
22 オキツヒコ(興津彦)火水(ひみず)の祓(はら)い【リンク無し】
23 御衣格式八重垣剣名儀(みはさだめつるぎな)のアヤ【リンク無し】
24 扶桑国(コエクニ)逢莢山(はらみやま)のアヤ
コノハナサクヤ姫(木花之開耶姫)桜の誓い
25 ヒコ尊(みこと・彦火火出見)釣針(ち)を得るのアヤ
ヒコホホデミとトヨタマ姫
26 ウガヤ(鵜茅葦不合)葵桂(あおいかつら)のアヤ
トヨタマ姫・葵の返歌 -葵祭の起源-
27 御祖神船魂(みおやかみふなたま)のアヤ
タマヨリ姫に白羽の矢 -神武天皇の誕生-
28 君臣(きみとみ)遺(のこ)し教(のり)のアヤ【リンク無し】
29 タケヒト(神武)大和(やまと)討ちのアヤ
タケヒト・大和討ち
30 天皇(アマキミ・神武)都鳥のアヤ
31 直入神三輪神(ナオリカミミワカミ)のアヤ
カンタケ・都鳥の歌 -神武の御世-
32 富士山(やま)と淡海瑞(あわうみみず)のアヤ
富士山と不老長寿の仙薬
33 神崇(かみあが)め疫病(エヤミ)治(た)すアヤ
34 ミマキ(崇神)の御世(みよ)ミマナ(任那)のアヤ
35 ヒボコ(日槍)来朝(きたる)角力(スマイ)のアヤ
アメヒボコの来朝
36 ヤマト姫(大和)伊勢皇太神(かみ)鎮座(しずむ)のアヤ
ヤマト姫、伊勢宮を定む
37 鶏合わせ(とりあわせ)但馬守橘樹(たちばな)のアヤ
タジマモリ、常世国(とこよくに)と橘樹(たちばな)
38 ヒシロの世(よ・景行期)クマソ討つアヤ
景行帝とヤマトタケルのクマソ征伐
39 ホツマ討ち(日本武尊やまとたける東征)十九歌(つずうた)のアヤ
ヤマトタケルの東征とオトタチバナ姫
40 熱田神(あつたかみ)世を辞(いな)むアヤ
ヤマトタケ 白鳥の挽歌


今回は2アヤについてお話させていただきます。
まず、当該アヤの記事をお読みいただくと理解が早いとおもいますので、まずご参照ください。
高畠氏のサイトでは神話として表現されていますが、「神」を「カミ」と読み替えていただくだけで概ね、私のサイトとの整合がとれると思います。

実は、この2アヤで述べられていることは、8代アマテルカミが生まれる前の7代の間の出来事を、アマテルカミが、臣下に話し聞かせるシーンを三輪の臣であるヲオタタネコが12代景行天皇に捧げるために補足編集加筆しているものなのです。
複数段階で参照しているのですからうかつに訳すと誤解が生ずるおそれがあるのは注意する必要があります。
高畠氏のように神話にしたほうが問題は少なくなります。
この時期の記述は復古的であり、部分的に古い文字形を用いたりしているにもかかわらず、漢字時代の外二重点の濁音とくみあわさっており、ヲオタタネコの編集は恣意的に見えなくもありません。(神話物語的)
まあ、池田先生もこの時代はカミヨと書いているからいいか。

テーマを2アヤのなかでも特に、雛人形の元になった、4代アマカミ、若きウビチニ、スビチニに範囲を絞ってお話しいたします。

最初に、現在広く中国文化の曲水の宴が元といわれている、我が国の雛祭りの成立について考えてみましょう。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_3?1490021219


原文のふりがなを読んでください。
平安文法でもだいたい解ると思います

マサカキノウヱツギヰモニミツルコロ (真榊暦を植え継いで500回になろうかという頃)
ヨツギノヲカミウビチニノ (世継ぎの男カミであるウビチニが)
スビチオイルル (スビチを皇后に入内させるとき)
サヒアヒノ (意味不明、「最愛の」では違う気がする)
ソノモトオリハコシクニノ (その本貫地はコシクニ[越国]の[越前地方に該当する場所あり])
ヒナルノタケノカンミヤニ (ヒナルノ岳のカン宮に[日野神社とする説あり])
キノミオモチテアレマセバ (木の実を持って生まれたので)
ニワニウヱオクミトセノチ (庭に植えたものが3年後の)
ヤヨイノミカニハナモミモ (3月3日に花も実も)
モモナルユエニモモノハナ (100個ほどもたくさん成ったので百の花とよぶのです)
フタカミノナモモモヒナギモモヒナミナリ (フタカミの名前も桃雛木、桃雛実です)
ヒナハマタヒトナルマエヨ (雛は大人になる前の状態です)
キミハソノキノミニヨリテ (キミ、[アマカミのこと]というのははその木の実によっており)
ヲカミハキメカミハミトゾナツキマス (男カミは木、女カミは実と名付けるのです)


人間を歳で分類すると、

1(ヒ)〜4(ヨ)まで、つまり4割という意味でヒヨ
1(ヒ)〜7(ナ)まで、つまり7割という意味でヒナ
1(ヒ)〜10(ト)まで、つまり10割全部という意味でヒト

となります。

コシクニで二人が生まれた時か(幼馴染み)、あるいはヒヨの頃でしょうか、木の実(生まれたときに、手に持っていた、とか)を庭に蒔いておいたら3年後に花が咲いて100個も実が成ったというのです。(記念植樹ですね)
モモクリ三年でしょうか、そして、そろそろ大人に成るという頃、ヒナを祝ってモモのお祭りをしたのでしょう。

その後、成人してから、あるいはヒナのままかもしれませんが、婚姻によってヒトになったのかもしれません。
それなら、それで現代まで受け継がれていると思われます。

民法第753条
未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす。

二人でワンセットの名前を持つモモヒナギ、モモヒナミが成人し、祝言をあげたのですから、二人は生まれたときからの許嫁と考えても良いのではないでしょうか。
これならモモヒナギとモモヒナミはイミナで良いということになるでしょう。
もし、そうでないなら、この二人のイミナは不明、あるいはヲオタタネコによる脚色が想像されます。

また、この二人のイミナが、ウビチニスビチニであると言ってしまうと、問題があります。
ウビチニとスビチニというのはこの後述べる、アダルトなミソギをしたときにソデが濡れたという故事にちなんでつけられたタタエナなので、生まれた時につけるべきイミナを後からつけるというのは具合が悪いのです。


さて、こうして話はトコミキに向かいます。

昔テレビドラマを見ていたら(記憶があいまいでごめんなさい、樋口可奈子の「こおろぎ橋」かもしれません)新婚のカップルが祝言の日に初めて床入りをするシーンでした。
真白いシーツの布団に新郎新婦が向き合って座り、介添えが三宝に載せて持ってきた盃を互いに勧めて飲み、床に手をついて「幾久しう」と言葉を交わすのです。(なんとゆかしい☆)
これを「お床盃」と呼んでいたのを覚えています。(なにしろ昔の記憶なので・・・記憶違いかも)
調べてみると、全国で行われていたようですが、近年では初夜の床入りは披露宴の途中で行われることも多いとか。
これがトコミキと考えられますが、三三九度の盃とは異なり、プライベート空間で行われる行事のようです。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/16/34642716/img_4?1490021219

モモトニクメルミキニツキ (桃の下でくむ御酒に月が)
ウツリススムルメカミマヅ (うつる盃[逆月]を勧め、先ず女カミが飲んで)
ノミテススムルノチヲカミ (次に男カミに勧めます)
ノミテマシワルトコノミキ (これを飲んでから交わるのが床の御酒です)
ミアツケレバヤアスミアサ (3日めの朝、体が火照って熱いので)
サムカワアビルソデヒチテ (冷たい川の水を浴びた時、袖がぬれました)
ウスノニココロマタキトテ (大小の和する心)
ナモウビチニトスビチカミ (その名もウビチニとスビチのカミです)
コレモウビニルフルコトヤ (これも陰陽を重ねる故事なのです)
オオキスクナキウスノナモ (多い・少ないを表すウ・スという言葉も)
コノヒナカタノヲハカムリ (この雛形の男は冠と)
ウオソデハカマメハコソデ (大袖・袴、女は小袖と)
ウハカツキナリコノトキニ (上被衣なのです)
ミナツマイレテヤソツツキ (このときに八十氏のトミは皆妻を入れて)
モロタミモミナツマサタム (タミの者達も皆妻を定めました)


さて、このお二人はめでたく床入りを果たされ、アスミアサというので、3日目の朝に寒川で水浴をした・・・いくら温暖な縄文時代とはいえ、モモの花が咲く頃じゃ水は冷たいんじゃねぇか?
初夜に3日・・・これは、昔の人は凄かったか、アマテルカミあるいはヲオタタネコの脚色かも。
やはり、ここで初めて、ソデを濡らす話になるわけで、前述のウビチニ、スビチニは雛祭りの人形(ヒナカタ)の時期とは一致しないのかもしれないのです。

トコミキは密室でする行事なのでサカヅキに月が映るわけがないのですが。
仮名文学にありがちな冗長さを避けてモモの祭りとトコミキを重ねたのかもしれません。
それどころか、桃の祭りと床盃を重ねて緻密に歌の技法でまとめてあるのです。
こういうところが格調高く、完成度も高い。(つまり、これこそ神話なのですよ)

まあ、何にしても、当時、皇太子殿下ご成婚、あるいは直ちに即位か、はっきりわかりませんが、臣下の者あるいは近隣のタミもお二人にならって(妻問い婚でなく)結婚し、核家族を構成するようになったそうです。

原文で、即位前の幼い時にすでに「カミ」と呼んでいるのは後世の人であるアマテルカミが話している言葉なのでなんら問題はありません。

んー、やはり、高畠氏も池田先生も、説明をいっぱい書きすぎるんでかえって複雑になってしまうんですね。
長くなりましたのでここで切ります。

ホツマツタヱ 2アヤ全文.html(縦書き)をアップロードしました。ダウンロードはこちらから。

次は王子の狐の予定です。

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