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ト  レジュメだってさ。

ヱ  またまた、えらっそーに。

ト  でも、たしかに、まとめないと、グチャグチャ。

ヱ  ま、そーだな、つきあってやるか。

俗四文字神  これこれ、子等よ、なにを嘆いているのじゃ(威厳)

ト  オヤジ、神はやめろって。

ヱ  ふん、言わせておけばいいさ。(そもそも、俗四文字って、FU*Kじゃね?)

俗四文字神  オマエ等、まだ信用してないな。

ヱ  はぁ、そりゃ。

ト  オヤジの話はフランス語ばかりで、よーわからんしぃ。

俗四文字神  なるほど、あいわかった、しかし、ワシはのぉ、アテネフランセで、かの、Jean Baptist Alexandre Perretに国際的な文法を習ったのじゃからのぉ。

ト  なに、それ、おいしいの?

ヱ  これこれ、たわけたことを申すな、じゃなかった、アホなこと言ってんじゃねーよ。

と、云うわけで(どんなわけだ?)今回は、古代日本語の解法と、ホツマツタヱのまとめをお話ししましょう。

と言いつつ、すこしずれた所から入ります。
フランス語の文章読解手法に、品詞に注目する文法的解析(Analyse grammaticale、アナリズグラマチカル)と、文章の意味に注目する、論理的解析(Analyse logique、アナリズロジーク)という2つの解析手法があります。

アナリズグラマチカルは、世界的に昔から用いられている手法で、単純に品詞の名称を羅列し、そこに包含されている単語の意味を組み合わせて解釈を進める方法です。
この手法では単一の文節しかない文章では簡単に解釈することができますが、複雑な構文を持つ文章では何が何を修飾しているかが把握しづらくなっています。

アナリズロジークは直訳すれば論理的解析ですが、複数の文節を持った文章を、主節(Proposition principale、プロポジシオンプランシパル)と従属節(Proposition subordonnée、プロポジシオンシュボルドネ)に分けた時、それぞれの文がどのような機能を果たしているかを論理的に考察する手法です。

アナリズロジークは、現在では一般的な手法になっていますが、私が高校生の頃、NHKのフランス語講座で渡辺守章が出ていた頃にはほとんど知られていませんでした。
アナリズロジークの手法を用いると、通常、教えられている品詞の知識だけではうまく意味が把握できないような文でも、じっくり考えて推理することができるのです。

下の例を見てください、これは2つの文節から成り立っている文章です。

Il n’est pas à l’école parce qu’il est malade. (彼は病気で、学校に来なかった。)

フランス語の文は動詞のある部分に分けることができます。

(主節)  Il n’est pas à l’école (彼は学校にいない)
(従属節) parce qu’il est malade. (彼は病気だから)

ここで、主節というのは、それだけで独立した文章として成り立つものです。
従属節は、その名のとおり、単独では成り立たず、主節を修飾している文になります。

これをまず、アナリズグラマチカルで、品詞に分解した表記をしてみましょう。

Il(人称代名詞) ne(副詞)(エリジオン) est(3人称単数現在の動詞) pas(副詞) à(前置詞) la(女性定冠詞)(エリジオン) école(女性名詞).

parce que(接続句)(エリジオン) il(人称代名詞) est(3人称単数現在の動詞) malade(名詞).

エリジオンは母音が重なったときに用いる1文字省略の正書法です。

もともと、分かち書きされている文ですからここまでは何のむずかしさもなく、それぞれの語句を辞書で引けば意味がわかるようになります。

つまり、

1.最初に分割して品詞を確定

2.次に意味を抽出して文脈を把握

という、2つのフェーズをに分けて解析を行うのです。

内容を翻訳するには、以下のように辞書でリストアップするのです。

Il        人称代名詞 彼
ne        副詞    否定
est       動詞    は(日本語にはありません、Be動詞です)
pas       副詞    neに呼応します
à        前置詞   方向、場所を表す
la        定冠詞   女性、単数
école      名詞    学校

parce que    接続句   理由を表す  
il        人称代名詞 彼
est       動詞    は
malade      名詞    病気

parce queは、locution conjonctive(接続的構造)という構造で、日本語では句として古語と方言のみ残っています。


え答えず(古語、答えられない)
よぉせなんだ(方言、できなかったよ)


次に、意味を考えながら、それぞれの語句を分解して行くアナリズロジークの手法で展開してみましょう。

Il(主語、彼) ne(否定の副詞) est(動詞、は) pas(否定の副詞) à l’école(場所を表す補語、学校に).

parce que(理由の接続句) il(主語、彼) est(動詞、は) malade(主語の属詞、病気だ).

となり、アナリズロジークは作用(fonction)と、性質(nature)を抽出するものなのです。
主語の属詞(attribut de sujet)というのは、この段階では単純に、彼が病気だといっているだけです。(後述します)

これを見ると、最初から、ある程度語彙を知らないと、1行もすすめることができないので、中級以上の人を対象とした解法であることがわかります。
そして、我々は日本人であり、現代日本語の話者、つまり日本語の上級者なのです。
そこで、アナリズロジークの手法を、古代日本語の解析に援用しようと、いうのです。

これ以上フランス語を続けても理解されないとおもいますので、日本語だけで展開します。

彼は病気で、学校に来なかった。 を分割します。

意味で(つまり、アナリズロジークで)分類すると、

彼は(主語、彼は)・病気で(理由を表す補語)・学校に(場所を表す補語)・来なかった(述語)

となり、ますが、時制の包含関係は日本語とフランス語で異なりますので、正確な訳ではないので、無視してください。

これを品詞まで分解すると、

彼(人称代名詞)・は(格助詞)・病気(名詞)・で(理由を表す助詞)・学校(名詞)・に(場所を表す助詞)・来(動詞)・な(否定の助動詞連用形)かっ・た(完了の助動詞)

形容動詞を重視した文法では、「病気で」は形容動詞「病気だ」の連用形ということになりますか?

この部分をフランス語のアナリズロジークで考えると、最後の「病気で」というのは、 malade(病気だったので)となり、これは原因となる状況を表す補語(complément circonstanciel de cause)となります。
また、この場合、その句の性質(nature)は形容詞(adjectif)である、とします。

原因となる状況補語、est maladeというのは、つまり形容詞の性質を持つ動詞句ということになり、この感覚は、日本語の形容動詞という概念とさほどの差が無いことがわかります。

フランス語では、単一の節しか無い文章では、省略された節が有る場合を除き、この解析は出来ないのですが、日本語は膠着性が強く、特に古代の日本語の場合、一文字の単語が多数あり、分かち書きをしない習慣とあいまって、単一の節しかないようにみえて、複数の節が重なっていたりするため、アナリズロジークが役に立つことが多いのです。

この解析をホツマツタヱ解読に応用するには最低限、一文字の単語の知識を要求されてしまうので、固定した知識で熟語的に考える、池田先生のような宗教家的研究者には難しい解析方法ということになってしまいます。
私も、最近の回では熟語認定を多発しているので、私自身注意が必要になってきています。

常識的な語句は、古語を引きずっていることが多くあり、一文字の単語は容易に得ることが出来ます。
漢字に置き換えられた言葉は、元の意味を引き出しづらくなっているだけです。

野→ノ(=野、そのままです)
田→タ(=田、そのままです)
火→ホ(=火、現代語でも残っています火口、火影などの音は「ほ」です)
海→ウ(=大きい)・ミ(=水)


頭を柔らかくして、日本語も国学を離れ、「人の想い」に注目しなくてはならないのです。
つまり、神話が大事なのではなく、古代人の宗教観を知るために神話的表現も読み解く必要があるのです。
また、日本語の成立は古く、ホツマ文字の成立は新しいと考えられるため、ホツマツタヱが「尊い」などという発想は宣長の「古事記こそ尊い」という発想とまったく等価であるわけです。
(私も、ホツマツタヱは「文学」としては大変尊いと思っていますが)

今回で25回の、このシリーズは、最初、池田先生と大して変わらない理解しか持っていなかった私が、回を重ねる毎に徐々に理解度を深めて行く様子をしめすメイキング形式になっており、実際、現在の私の理解度は、池田先生をはるかに下にみるレベルにまで達しています。
もちろん、私は池田先生を尊敬しており、先生の積まれた実績はたいへんに尊いものだと思っています。
しかし、現在、池田先生は進化を停止し、固定観念に凝り固まっていますので、若き学習者にとって有害な人物になってしまっているのです。

また、さらに卑近な指摘として、私が最初に書いた「平安文法でも80%読める」というのも、正しくなく、平安文法では70%程度しか読めないという気がしてきたのです。
ここで、奈良時代の文法に照らせばどうでしょうか。
現在ある、広辞苑程度の辞書でも、奈良文法に言及しているので、電子辞書を片手にアナリズロジークを行えば、90%読めるということが言えるのがわかったのです。

また、私は、これまで、28アヤまでのものしか解説していません(参照はしますが)が、29アヤ以降は、伝記作家がオオタタネコになっており(クシミカタマとは時代が異なる)、私の半端な知識と感性では、うまく訳すことができていません。

いずれにしても、ホツマツタヱがアメ族の文化を引き継ぐもの(つまり、現代で云う皇族)に、我が国の文化を教えるための教科書である、という観点はゆるぎないものになっています。
そして、すこし時代が遅れて編纂された日本書紀は、漢文によってトミの階級に対して我が国の文化を教育する教書であり、古事記は、タミに対してタミメで(古事記の場合は万葉仮名というタミメで)記述した文化の読本ということになります。

記紀は、中華文字である漢字を用いて記述してあるため、中華帝国との文化交流抜きには議論できませんが、ホツマツタヱにも海外との文化交流が多数認められ、それを無視することは不可能です。

長くなりそうなので、一旦、切りますが、すぐ続けます。
次回も、まとめの続きを書きます。

ト  ほーら、フランス語ばかりじゃないか、ちゃんとまとめろよ。

ヱ  捨てておけって・・

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