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■キャンディーズ学■
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詳細
大好きなキャンディーズ記事を書いています。
基本,ミキちゃんファンの黄色組ですが,3人とも大好きです。
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一言で言うと、スバらしかったです。
新しいアルバムが届いてから、何度も何度も聞いて予習しましたが
生バンドとランちゃんの生歌!
これに勝るものはありません。
ランちゃんの歌声も未だにハリを失っておらず
酔いしれてしまいました。
(最初のMCは緊張してましたね)
また、明日、同じライブを見られるなんて、至福であります。
ここから先はネタバレになるので、まだコンサート行ってない人は、遠慮した方が良いと思う。
警告したからね。
知らないよ。
ネタバレ注意
セットリスト
ランちゃん、最初は白いドレスで登場。
昔のスタイルは維持したまま。
① walking in the cherry
② 恋とカフェインとスイーツと猫舌
③ LALA TIME
衣装チェンジ
白いドレスを脱ぐと、その下には赤と黒のドレス
④ ああ私ったら!
黒い服の女性ダンサー2人登場
⑤ 秘密
⑥ ミモザのときめき
ランちゃん作詞の曲には
背景に歌詞が映し出される。
この曲は、ランちゃん直筆
⑦ Wink Wink
ランちゃん、退場
バンド紹介(背景文字にて)
衣装チェンジ
パール色のワンピース
⑥⑦とランちゃん作詞の歌が続いたので
昔、自分で作詞した歌を・・・
⑧ 恋はひとつ
⑨ アンティックドール(椅子あり。人形無し)
⑩ Let's・微・smillin'(白い傘で踊る)
⑪ マグノリアの白い花
ランちゃん退場。
2人のダンサーが激しく踊る。
TRFのような振り付け。パフォーマンス。
真似したのかな。リスペクト?
ホンモノのTRFのダンサー2人だった。
椅子の準備〜朗読かな?
遊女の物語?若かったランちゃんが伝えきれなかった遊女の気持ちを女優になったランちゃんが演じきる。という演出か?
衣装チェンジ。黒い革ジャン?
詩:時を動かす三つの鍵
過去の楽しいこと
勇気
音符
過去の楽しい音符を歌いましょう
⑫ 春一番
⑬ その気にさせないで
⑭ ハートのAがでてこない
⑮ 年下の男の子
MC:最後の1曲
⑯ 女なら
アンコール
⑰ あかり
こんなに沢山のキャンディーズ曲を歌うとは思わなかった。3曲くらいと予想。
途中で2曲歌ったときは、これで終わりと思った。
ランちゃんの生歌のキャン曲。
初めて聞いた。
これこそ、ほんものだ。
ほんもののアイドルだ。
興奮した。
ありがとう。ランちゃん。
また、明日ね。
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伊藤蘭 41年ぶりの歌手復活「アイドルも育児も私の糧に」キャンディーズ解散から41年、これまで女優として活躍してきた伊藤蘭さん(64)が、5月29日にアルバム『My Bouquet』をリリース。ソロ歌手としてデビューした。
’78年、後楽園球場の解散コンサートは、女性シンガーで初めてスタジアムで行われたものだった。その後、役者として復帰し、水谷豊さん(66)との結婚後、35歳で出産。育児と仕事の両立に悩みながらもPTA活動も体験した。
「何もしないで後悔するより、やってみて苦労するほうが楽しい」とチャレンジすることで自分を成長させてきた。「“年齢の壁”は笑って乗り越えたい」と6月11、12日には東京で、14日には大阪で「ファースト・ソロ・コンサート」にも挑む――。
「ソロのお話は、以前からちょこちょこ言われていたんです。でも、ちゃんと受け止められず、軽く受け流していました。去年の春、もう一度言われて、決めました。あと何十年も元気でやっていられるかわからない。元気もあるし、エネルギーもある、いまのうちに尻込みせず、勇気を出して挑んでみようかなという気持ちになりました。娘もしっかり育ちました。主人も変わらず、エネルギッシュに仕事をしている。ですから、タイミング的にも、よかったんです」
夫の水谷さん(66)は、俳優業だけでなく、現在公開中の映画『轢き逃げ 最高の最悪な日』で脚本・監督を務めている。娘の趣里さん(28)は、主演映画『生きてるだけで、愛。』で、今年3月、日本アカデミー賞新人俳優賞に輝いた。
「夫からも、娘からも刺激を受けて、私も触発されました。家族それぞれが向かっているものを持っていて、3人が集まったとき、それぞれの話ができるというのは、喜びが3倍になるんです。60代になったからといって、落ち着くモードに入るのは早いかな。オファーがあるとき、それに応えられる私でいたいと思って、ソロデビューを決意しました」
蘭さんは’55年1月13日、東京で生まれた。渡辺プロダクションに入ったのは、’69年。14歳のころだ。
「もともとね、フォーリーブスに会いたいと思って、そのバックで踊るスクールメイツに応募したんです。最初は母に反対されたんですが、翌年、また、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院を受けて、通いだしたのが、この世界に入るきっかけです」
3年後には、NHKの『歌謡グランドショー』のオーディションに合格。同時に受かった田中好子さん、藤村美樹さんと組んで、トリオを結成する。そのとき、NHKスタッフが命名したグループ名が「キャンディーズ」だった。
’73年9月、『あなたに夢中』で歌手デビュー。しばらくはヒットに恵まれなかったが、デビュー前からザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』にレギュラーとして出演し、お茶の間では大人気。
スターダムにのし上がったのは、センターを田中さんから蘭さんに交代した5曲目『年下の男の子』(’75年)の大ヒットからだった。
「いまでこそアイドルというカテゴライズはありますが、あの当時は、なかったんですね。『私たちはアイドルです』という認識では活動していなかったと思います。3人の意識としては、歌手でした。歌があるから、バラエティもやっていい。でも、真ん中は歌で、歌に戻るんだという意識でした」
ところが、絶頂期にあった’77年7月17日、キャンディーズは突然、解散を発表する。
「普通の女のコに戻りたい」
日比谷野外音楽堂でのライブで、蘭さんが泣きながら放ったこの言葉は、流行語にもなった。
解散に踏み切った3人の決意に、ファンも涙ながらに呼応した。大学生を中心に結成されていた全キャン連(全国キャンディーズ連盟)を中心に解散の日に向けてファンが盛り上がりを作っていった。
’78年3月にはシングル『微笑がえし』が、キャンディーズ史上初めてオリコン1位を獲得する。
解散コンサート当日は、途中経過をNHKニュースが生で放送し、後日、TBSで録画放送されると、単独歌手のコンサートでは最高の視聴率32.3%を記録。その記録はいまだ破られていない。
「当時の熱ですか? ふっと1人になったとき、いまひとつ、実感として湧かないので、わからないんです。どこかで、あの(解散の)渦に巻き込まれ切れていない自分があったのかもしれない。なんとなく、別世界という……。あのころは、解散というゴールがあって、そこで終わるという最大の目的に向かって、みなさんに盛り上げていただきながら、がむしゃらに走っていました。スタッフと合宿もしましたし、解散コンサートを一緒に作り上げていく感じがありました。4月4日に向かって、全国各地の大きな会場を回って。50曲以上、歌いました。その集大成が後楽園。あの日、私は、この光景を忘れないよう、目に焼き付けるように歌いました。いまでも、目を閉じると、あの光景が浮かんでくるんですよ」
キャンディーズ解散後、蘭さんは芝居の世界に足を踏み入れた。実は中学時代は演劇部の部長を務め、東京都大会で2位に入るほど、演劇に打ち込んでいたのだ。
’80年、大森一樹監督の出世作であるATG製作の『ヒポクラテスたち』で、女優デビュー。’81年には、野田秀樹さん率いる夢の遊眠社に参加。ジャージ姿で稽古に励み、舞台『少年狩り』などに出演。
その後は、山田洋次さん、倉本聰さん、市川森一さんなど、名だたる監督や脚本家の作品に出演。女優としての地歩を築いた。
’89年、水谷豊さんと結婚。翌年には長女・趣里さんを出産して、35歳で母親になった。
「子どもが生後5カ月くらいのころから、2時間ドラマはやっていましたが、子育てがおろそかにならないように、バランスを取りながら、仕事をさせていただいていました」
両立が大変になってきたころ、蘭さんを支えたのは、青年座の女優・初井言榮さん(90年没・享年61)の言葉だった。
「蘭ちゃん、女性はね、本当に我慢して、我慢したときに、内側から素敵な薄桃色の優しさがにじむものなのよ」
いまの我慢は後の自分に生きてくる――。この言葉が、蘭さんの心にずっと残っている。
「20代のころ、ドラマで共演したときに、言われたんですね。フェミニストの方からすると『えっ?』と思う発言かもしれないけれど、たしかにそういうことってあるなぁと私は思うんです。いろんな角度から、我慢ということを考えることは、必要ではないか。自分が何かを主張したいとき、それをやみくもに主張するのではなく、ちょっと我慢することで、表現の仕方や言い方が変わる。そこが大事なのではないか、と。我慢を重ねることで、表現のバリエーションも増えるし、人間としても豊かになっていくような気がします」
蘭さん自身、仕事と子育てを両立させていたこの時期は、葛藤を抱えながら自分と向き合っていた。
「振り返れば、子どもに寂しい思いをさせたんじゃないか。もっと寄り添えたんじゃないかと思うこともありましたね。仕事も子育ても、どちらもないがしろにはできない。ひとつのことに専念している方、打ち込める方に比べれば、心身ともに分散してしまいます。あのころは、『仕事も、育児も、どちらもちゃんとやるしかない』と、自分に言い聞かせていました。PTAもやりましたよ。娘が小学生のときに安全対策委員を(笑)。何もしないより、やってみて苦労するほうがいいですよね。お母さん同士のお付き合いで学ぶこともありました。それが楽しくもあり、私を人としても、母親としても、成長させてくれたんです。いまに至る大事な過程だったなと思います」
アルバム『My Bouquet』には、そんな蘭さんの人生のスピリットがこめられている。11曲中3曲で、蘭さん自ら作詞も担当した。妻の挑戦を夫である水谷さんはどう思っているのだろう?
「今回は、特に相談らしい相談はしていなくて、自分でやると決めてから、『どう?』と、伝えたら『いいんじゃない?』と。音が完成するまで、聴くのを待ってもらっていたんですが、最後には『いいかげん、早く聴かせなさい!』って(笑)。マスタリングが終わったものを聴いてもらったら、3〜4回、聴いてくれていましたね。『1曲1曲がバラエティに富んでいて、飽きないね。聴き入っちゃうね』と、言ってくれました」
【伊藤蘭さん衣装】
ワンピース、カーディガン:HANAE MORI |
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作詞をしていて、わあ、キャンディーズ時代と変わってないじゃない、わたし!(笑) って思いました。
41年ぶりに歌手としてソロデビューした伊藤 蘭さんへのインタビューは、その音楽性、特に作詞についてなど、新生「全キャン連」(全国キャンディーズ連盟)代表である、著述家の石黒謙吾氏ならではの視点で、さらに深掘りされていきます。(撮影/榊 智朗)
(新生全キャン連代表って誰が認めたんだろう)
「詞を作っていて、スーちゃんの『午前零時の湘南道路』みたいなイメージかなとか」
石黒 アルバム11曲のうちに、ご自身作詞の曲がいまお話しいただいたその2曲と、もう1曲ありますね。9曲目の「女なら」。これは、いまAKBグループにたくさん曲を作られて勢いのある、若田部誠さんですね。あ、ちなみに調べたら、蘭さんと同じ日大芸術学部……って調べていてどうしてそんなところが気になってしまうという(笑)。 伊藤 いえいえ(笑)。はい、若田部さん、そうなんです。
石黒 曲は、昭和歌謡っぽさがある感じで。これに詞を書かれようと思ったあたりはどのような?
伊藤 これは、蘭さん書いてみたらどうですか? というスタッフからの投げかけの流れがあって、じゃあできるかどうかわからないけどやってみますと。できなかったらごめんなさい、って(笑)。
石黒 昭和歌謡っぽさとドライブ感で、一瞬、蘭さんのイメージとミスマッチかと思ったら、なんだかぴったりハマっているという……。
伊藤 デモを聴いたときは、元々入ってた詞が、もっと若い女の人らしいものだったので、さすがに私が歌うのには若すぎるかなと(笑)。でも、だからこそというか、自分で詞をと思って作ってみたんですけど。
石黒 すごく大人っぽい仕上がりですよね。
伊藤 ええ。弱さと強さを併せ持っているような女性を表現してみたくて、あのような詞になっていきました。
石黒 哀しみや憂いを含んだ内容が、キャンディーズ時代の蘭さん作詞の曲では、「アンティックドール」とか「悲しみのヒロイン」とか「ムーンライト」の方向と感じました。
伊藤 ああ! そうですか!? そこはまったく意識はしてなかったんですけど、たしかに言葉遣いも、あえて、ちょっと昭和チックにしようと、曲に合わせて意識はしていましたね。そうそう、当時のことといえば、詞を作っていて、スーちゃんの「午前零時の湘南道路」みたいなイメージかな、とか言ってましたから(笑)。
石黒 ええっ! これはまたファン的に深くささるお話です! 具体的でいいですねえ。グッときました……。そういえば、今回、作詞されるにあたって、キャンディーズの頃の蘭さん作詞の曲を見返されたりしました?
伊藤 なんとなく程度に眺めてはみました。
石黒 どう思われました?
伊藤 背伸びしている感じのもあるなって、若いなりの気持ちも今見るとわかりますよね。当時、急に「自分たちで作詞してみなさい」みたいな感じだったので……。3人とも、「え! どうやって作詞するの!?」って(笑)。そんなところから始まったんですよ。
石黒 アミューズの大里会長(注:当時のマネジャー)からその話聞いたことあります。アルバム曲で3人の作詞がスタートしたのは、1977年4月に出た10枚目のオリジナルアルバム「キャンディーズ 1 1/2〜やさしい悪魔〜」からですよね。つまりレコードデビューから3年半後、解散の1年前。そのあと、1978年3月の解散直前のアルバム「早春譜」、解散の翌月に出たアルバム「キャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン」と作詞の曲が、3人とも10曲ほど入ってますね。
「そんなフレーズ、使い方はやはり自分が好きなんでしょうかね」 (薄汚れたハゲの後頭部は見たくないので、消しました。)
伊藤 とにかくやらないとって思いました。「なんでもいいから自分たちの身の周りにあるもので作ってみて」って言われて、でも「なんでもいい、って言われたって……」という、本当にそんな感じで……。
石黒 そこで、後楽園でも、黒のドレスで髪をアップにした大人っぽさで、会場が度肝を抜かれたあの名曲、人形を持ちながら歌われた「アンティックドール」の詞も生まれてくると……?
伊藤 ちょうど、パリに行ったときにアンティックドール買ってきてあったから、それについて書こうてみようかなあ、って。アンティックドールなので、長い年月の間にいろんな持ち主のところを巡ったんだろうなあ、なんていうところからイメージを固めていって詞を書いて、曲も渡辺茂樹さん(注:キャンディーズのバックバンド「MMP」のリーダーからのちに音楽プロデューサー。故人)と一緒に作ったんですよね。
石黒 あの世界観は素晴らしいです。すごいと思いました。高校生だった僕にとって、3人とも、アイドルとは思えない才能をひしひしと感じました。そんな憧れのお姉さんが、時を経たいまご自身で詞を書かれて、どう思われました?
伊藤 若い頃とは違う魅力を感じてもらえればいいな、と思います。
石黒 昔の詞を眺めていて、フィードバックとかは?
伊藤 それは特に意識してなかったんですが、出来上がってから考えていたら、使ってる言葉が重なったりしてるんですよね(笑)。だから、そんなフレーズ、使い方はやはり自分が好きなんでしょうかね。
石黒 変わらない! いいじゃないですか!
伊藤 たとえば、ですね。「女なら」に「世界中が後ろ指 背を向けたとしても」って書いてるんですけど、振り返ってみたら、キャンディーズ時代に詞を書いた「悲しみのヒロイン」の中では、「世界中の悲しみを背負った」「誰も話し相手 背中向けてしまう 」とかあるわけですよ! 変わらないですよね〜(笑)
石黒 いやほんと変わらないと思います! なにもかも、あの頃と、いい意味で。変わらない感受性、素敵だなあと。
伊藤 そういう表現が好きなんですね。自分でもハッとします。他にもあって、「ミモザのときめき」で、「こんな一人も 好きな時間」って書いてますが、キャンディーズ時代の作詞で、「黄色いカヌー」に「一人一人の時間を持てば」って出てくるんですね。わあ、変わってないじゃない、わたし!(笑) って思いました。
ホテルで、スーちゃんとミキちゃんが寝てる横で「つばさ」の詞を書いた
石黒 そうやって、感性のほうはみずみすしさ不変である中、女優となって仕事的にも、一人の女性として私的にも結婚、子育て、とか40年間いろいろなことがあり、状況のほうは変わってきた。蘭さんも、僕たちファン世代も、変わらない部分があって大きく変わったところもありますよね。お互いのそんな流れから、詞に込めたメッセージ性とかあるんでしょうか?
伊藤 さほど強く大上段に構えてということはないんですけれど、自然に伝わる、人へのあたたかい気持ち、というところでしょうか。
石黒 聞いてもらえる人の受け取り方としての、ですかね。 伊藤 もちろん、伝えるために詞は書いているので、作りながら常に聞き手にもなってるんですよね。それは常に意識しています。瞬時に変わるというか、無意識に近い意識で「あ、こういうふうに歌が聴こえてきたら楽しいだろうな」とか「ちょっと幸せな気持ちになれたらいいな」っていうのが、強いて言うとやってる作業だと思うんですけど。
石黒 けっこう時間はかかりますか?
伊藤 そうですね。曲によりますね。「ミモザのときめき」は割とすんなりで、そうですね。3日ほどで収まりました。「Wink Wink」が、あれこれと一番時間かかったかな。最初に作ったこともありますが。
石黒 手書きなんですか?
伊藤 はい。手で書いていって、大体まとまったら1回スマホに打ってみます。
石黒 そういえば、11年前にインタビューさせていただいた時、後楽園のファイナルライブ、最後の曲「つばさ」を蘭さんが作詞したときのことを聞かせていただきましたね。超貴重なお話でそれまでどこにも書いても話されてもいなくて、僕的にふるえました(笑)。そのあと、濃いファンの身内で話しては驚かれています。
(また「濃いファン」自慢かよ。それも、身内にしか話さず、薄いファンには教えない。薄いファンはファンじゃない。ファンと認めない。独善的なんだよ。オマイはいつも。)
伊藤 たしかに、初めてお話ししましたね。あのときもですが今でも、キャンディーズだけであんなに詳しく取材受けたことはないですしね。
石黒 ホテルでいつも3人一緒の部屋だったという仲の良さはファン的には有名な話なわけですが、その、ホテルの部屋で、スーちゃんとミキちゃんが寝ている横で書いたんですよね!
伊藤 そうですそうです。あの曲はレコーディングの前にライブだったんですけど、明日リハーサルで、数日後に本番みたいな状況で。「明日リハやるから、明日までに書いて」って言われて、えっ!って(笑)。でも先に渡辺茂樹さんの曲があって書き出したら、メロディーに導かれるようにすーっと、ほんとうに一晩でできました。 「『春一番』のアルバム曲で森雪之丞さんの詞でくしゃみをしたのは覚えています」
石黒 女優や歌手とか別にして、日々暮らしてきて、積み重なってきた家族への思いなどはありますよね。それを、旦那さまとか娘さんとかに伝えたりとか、ありますか? 書かれた詞に込めた思いみたいなものを、旦那さまにとか娘さんにとか。
伊藤 はっきり感謝の言葉とか、出会ってよかったとかね、なかなか言えないじゃないですか。なので最近はなかなかないですねえ(笑)。お互い忙しいというのもありますし。
石黒 娘さんからとか、蘭さんからとか、メモして渡したりなんてのは……?
伊藤 あー、最近はないですねえ。小さい時はそういうのありましたよ。お互いに、そういう手紙も取ってあったりとか。
石黒 いいですねえ。ゆくゆく、そんなお手紙も詞へのきっかけとなったりしたら、46年間おそれながら同じ時代を生きてきた僕たちファンも、あたたかい気持ちになれると思います。
伊藤 そう思っていただけること、ありがたいです。
石黒 そして、またさらに曲のお話に戻りますが、キャンファン的には、今回の作詞家陣の中に、森雪之丞さん、阿木燿子さんのお名前を見つけたときには、おお、スタッフの方々もさすがわかってる! とアガリました。あ、エラそうにすみません(笑)。まずは、雪之丞さんについては、どのような流れで?
伊藤 先ほどお話ししたように、曲を募るコンペ状態だったので、まずは、AKBグループはじめいろいろなアーティストに曲を書かれてる丸谷マナブさんのメロがあって。スタッフのみなさんから、その曲の詞を、雪之丞さんにお願いしようという案が湧いてきて、ぜひぜひと!
石黒 そうなんですね! 1976年春のアルバム「春一番」で、デビュー間もない森雪之丞さんが3曲詞を書かれてるんですが、情景描写が斬新で、僕が作詞家のセンスにしびれた最初でした。そして、「オムレツをつくりましょう」「恋の臨時ニュース」「PAPER PLANE LOVE」が全部、3人の中で、蘭さんがリードボーカル取る曲なんですよね。
伊藤 あ、たしかに、そうですね! 先にタイトルだけできたと情報がきて、「秘密」なっていまして、なんとなく、あー、これでできたなあ、って楽しみに待ってました。すると、意外というかああいう大人びた、艶めいた詞になっていて、いいなあって。
石黒 2008年に行われた「全キャン連大同窓会」フィルムライブの打ち上げで、ほんの一瞬だけ、雪之丞さんとお話しさせていただいたことがあるんですね。その時僕が「恋の臨時ニュース」で、蘭さんがくしゃみをするところがすごく好きなんですと大リスペクトを込めてお伝えしたら、「あ、あれ、ランにくしゃみさせたくて書いたんだよね」って超レアなネタを聞きまして! ご存じでした?
伊藤 そうなんですね! たしかに、くしゃみをしたのは覚えてますけど、させたかったっていうのは知らなかったですねえ〜。作詞家の意図までは汲み取る余裕がなかったですね(笑)。
石黒 43年後に知る真実!(笑)。
(第3回に続く)
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「伊藤 蘭に歌ってほしい曲」が110曲も集まったんです。どれもいい曲ばかりで、全部歌いたいぐらいだったんですよ。
41年間、その歌声を封印していた伊藤 蘭が、突然のソロ歌手デビュー。3月14日に発表されたスポーツ新聞やネットのニュースに、現役時代のキャンディーズを知るファン「年下の男のおじさん」(年上も含む)たちは狂喜した。その思いや歌についてなど、現役時代に100ステージを追っかけ、2008年に新生なった「全キャン連」(全国キャンディーズ連盟)代表である、著述家の石黒謙吾氏が、熱くインタビューし、マニアックに掘り下げます。(撮影/榊 智朗)
「実は、以前少し、歌を出そうかって話になったことはあったんですけど」
(インタビューの部屋に蘭さんがにこやかに登場)
伊藤 おひさしぶりです。 (ド緊張アブラ汗)
石黒 あ、あ、覚えていていただいてたとは光栄です……。11年前、キャンディーズ解散後初めて「キャンディーズのことだけ」で1時間半もインタビューさせていただきまして……。『週刊朝日』別冊の『週刊昭和<79年>』の記事でした。その節はありがとうございました。 (なんで、こんな嬉しい役を、石黒みたいな伏せ字みたいなヤツがやるんだよ)
伊藤 もちろん覚えてますよ〜。いろいろと当時の濃い話を聞いていただいて。たしかそのあと映画「少年H」公開の時も、夫と2人で受けたインタビューで来ていただいてますよね。
石黒 はい。あれは6年前になりますね。『クロワッサン』の編集者が気を利かせてくれて「石黒さん、インタビューされます?」と。ご夫妻お2人だったのでまた違った大緊張で……。
伊藤 もう6年なんですね。夫婦で同じ映画に出るという貴重な体験ができました。
石黒 そして今日、こんなビッグニュースということで三たびお話を伺えることとなりました。まず最初にお伝えしておかねばと思うことは、お聞きして記事にしていく内容はもちろん、長きにわたり女優として活躍されてきた蘭さんが、41年目にソロ歌手としてデビューしたことや、歌、音楽についてとなるわけです。しかしながら、僕たち当時のファンとしては、それら各々の事柄と、キャンディーズの関連性はどうしてもお聞きしなければと。今の歌との関わりという意味で。そのあたりは、お願いできればと。
伊藤 はい、どうぞどうぞ、なんなりと聞いてください!
石黒 恐縮ながらうれしいお言葉を……。最初に、全国300万のキャンファン、そして同世代の方々を代表して申し上げますと……あの日の発表で、生きる活力が湧いてきた人、たくさんいると思うんです。歳の話もなんですが(笑)、64歳で(小声)、ソロ歌手でリスタートなんて、すごく勇気いるのではないかと……。人生に疲れ気味のミドルエイジは、ぐっと背中を押していただけたはずです!
伊藤 そう言っていただけると嬉しいですよ。なにがなんでも、みたいな気合でって感じでもないんですけど、自然にいい流れになって、お声かけていただいたならば、よし、やろうかな、となって。
石黒 事前にいただいたメディア用リリースには「すべてのタイミングが合ったという感じで、思いがけず弾みがついてしまったというか(笑)」とありますね。今まで、歌をやろう! とまで気持ちが至ったことはなかったのですか?
伊藤 なかったですねえ。いえまあ、歌はもちろんずっと好きでしたし、歌っていると楽しいと感じてはいました。ただ、特に正式に声がかかるということまでは(マネージャーを見ながら)……なかった、ので(笑)。
石黒 (笑)。僕は ずっと「もったいないな」とは思い続けていました。
伊藤 実は、途中で少し話になったことはあったんです。漠然となんですが。けれど、正式に成立するまでには至らずで。自分の曲を出すというところまでは。
「舞台と歌では、また別なノド? 別な声? を使ってるような」
石黒 ええっ! やはり、あったんですか……。この話は濃いファン的にも初耳です!
(「濃いファン」って自慢してんのか)
伊藤 はい。でも自分の気持ちがそこまでいかなかったんでしょうねえ。
石黒 そうなんですか、意外とも思えるほどです。僕自身は、2016年のJR西日本のキャンペーン「おとなび」のCMソング「Have You Never Been Mellow」を聴いた時、「お! これはもう完全にイケル!」と思いました!
伊藤 あ、そうですか。ありがとうございます。たしかにあの曲は、キャンディーズの頃に歌ってたこともあったので、なじみがあったというか、歌いやすかったということはありますね。好きな曲でしたし。
石黒 ですよね! NHK「レッツゴーヤング」の、77年のレアな動画がYouTubeにあって……あ、脱線スミマセン(笑)。
伊藤 オリビア・ニュートン=ジョンの曲で、邦題は「そよ風の誘惑」ですね。あの時は日本語で歌ってましたね。それと違って今回は、やはりオリジナルということで苦労はしました。
石黒 もともと知っている曲とは違うのでしょうね。「おとなび」では、ゴンチチさんがギター演奏でという、レコーディングの動画、何百回と見てます。ほんとイキイキとして歌われてますね。
伊藤 あの時は、しっかりボイストレーニングをして臨みました。といっても、ボイトレ自体は、歌のためというより、舞台のために声は使うので、ちょこちょこは行ってたんですけど、歌となるとまたちょっと違うボイトレなんですね。まさか歌うためにとか……CDを出すなんて思ってなかったので。今回は、なんだろう、また別なノド? 別な声? を使ってるような(笑)。
石黒 あ、別物なんですね。舞台といえば、いままで、お芝居、ミュージカルの舞台で歌われてきてますよね。公演の年は調べてきまして……。
伊藤 そうですね。沢田研二さんとの舞台で、ミュージカル「ザ・近松」が1999年、「哀しきチェイサー」が2009年、ですか。
石黒 その頃から舞台でやっているのに、ソロで歌をとかいう構想などは……?
伊藤 いえ、特には思いつかなかったですね。歌がどうこうよりも、お芝居に一生懸命突っ走っていたというか……。
石黒 でしょうねえ。テレビに舞台にとあって忙しさからも当然とは思いますが、僕が思ったこととしては、子育ての時期はさすがになかなか難しかったのではと。
伊藤 それは、ありますね。子育てが一段落して、だんだんと、ゆっくりと、気持ちに余裕が出始めたのかもしれませんね。
石黒 ではまず、アルバム11曲をすべてじっくり聴き込んできたのですが、まっさきに思ったことを。特に僕が注目していたのは、蘭さんが作詞されたのが3曲あるということです。そして、アルバム1曲目の蘭さん作詞の「Wink Wink」を聴いたときにビビビッ! ときました。これは僕たち現役時代のキャンファンに向けたメッセージでもあるのでは! と。というか、そう<とりたい!>わけですけれど(笑)。
伊藤 あ〜、なるほど。たしかに(笑)。意識してはいませんでしたけど、石黒さんのおっしゃるように、当時のファンの方の目線から見ても、ちょうどハマるような感じに、なってますね。言われてみれば。
石黒 いきなり冒頭で「新しい季節の扉が開いて 気まぐれな風達に 今 誘われて歌うの」ですよ! うわー、これはキタなって、背筋がゾクッとしました。どのようにイメージを膨らませていかれたのでしょう。ちなみに「曲先」(注・先に曲があってあとで詞を付ける。逆は「詞先」)ですか?
伊藤 はい、「曲先」です。メロが先にできていて、聴きながらそこに、「広がりを感じる」「つながっていく」「新しくはじまるスタート」を感じたんですね。シンプルにすっとそう入ってきて。なので、歌詞もぜひシンプルに、聴いてくださる方の心に届くにはシンプルな言葉選びを意識して始まったんですね。
石黒 たしかに、ケレン味ない心地よさを感じました。そんな中に、当時のファンとしては何ヵ所もキャンを想起させる言葉と勝手に捉えてしまい。「あの空の女神達の合図よ」これは、ああ、スーちゃんのことかなあ、とか……。「あの日のわがまま、昔のあやまちさえ 許せるどころか全てがいとしいの」って、これは解散のことかなとか。〆の「あなたに会えて幸せ」は、後楽園の最後の言葉「本当に私たちは幸せでした!」としか思えないという……。
(わざとらしくスーちゃんの話なんか出して、おまい、真っ赤っかの赤組だろうに)
伊藤 あー、たしかにそう言われてみれば……。スーちゃんのところとか……それは気がつきませんでした。ありがたいですねえ……。そうやって思っていただけるって。なんだか引き寄せられるようにハマるんですねえ……。
石黒 そして「サンゴ色の店で」ってところで、あれ、このサンゴ色ってなんだろう? 赤と青と黄色(注/3人のイメージカラーでラン・スー・ミキの順)混ぜてもサンゴ色にならないしなあ、とか。
伊藤 あははは! 深読みしすぎですよ、石黒さん!(笑) あれはですねえ、メロを聴いていて、コーラルピンクというか明るいサンゴ色、テラコッタとかがぱっと浮かんできて、青い空にそんな色のお店が似合うなというところからですね。ここ以外も、まずは曲を聴いて、イメージを決めて、扉を開け放つようなことを書いてみようかなというところから始めて、あれこれと言葉を模索しながら、パズルを埋めるがごとくできあがっていった感じでしたね。
石黒 は、はあ。どうも、なんでもそうとりたい! わけでして……。ちなみにどんなストーリーに発想を広げられました?
伊藤 やはり、今の自分のことが意識下にあったのか、キーワードは再スタートとか、ですね。はじめは、再婚するカップルに捧げる内容はどうかなとか思って。<やり直す>っていうか、そういうところからだんだん変化していって<普段言えないことを言える瞬間を大事にしたい>というような詞にたどりついていきました。。
「『微笑がえし』のレコーディングでピアノを弾いてらしたっていうご縁が……」
石黒 あの曲は、数々のアーティストに楽曲提供されてきた、プロデュースも手がける大御所、佐藤準さんですよね。調べたら、蘭さんと同じ年でした。
伊藤 あ、そうですねー。そういえば、準さんは、「微笑がえし」のレコーディングでピアノを弾いてらしたっていうご縁がありました。当時は存じ上げなかったんですが。すごいスピードでレコーディングしていたので、スタジオに入ってるミュージシャンの方まではなかなか分かってなかったので。今回一緒にお仕事できまして。
石黒 えーっ! そうなんですか……。ファン的にはこれはすごい話です。これはみんな喜ぶオイシイネタです! そして、この曲をアルバムのアタマにというのは当初から決められていたとか?
伊藤 いえ。曲順はすべてが、最終マスタリングの日に決まったんですね。それで、この曲が1曲目にふさわしいんじゃないかなって。
石黒 11曲聴いて本当にそうだなと思いました。そしてご自身の作詞はあと2曲ありますが、8曲目「ミモザのときめき」。これはキャンディーズ時代に作詞された10曲の詞にはなかった、しっとりとした大人っぽさを感じました。
伊藤 そのように受け止めていただいて、うれしいです。
石黒 曲は、若い女性おふたりのユカリエさんですね。
伊藤 はい、うちの娘の趣里ぐらいですね。
石黒 この曲に詞を、と思われた理由は?
伊藤 今回、レコード会社さんのほうで、「伊藤 蘭に歌ってほしい曲」を募っていただきまして、110曲も集まったんです。ありがたいことに! おこがましいと思いましたし、いい曲がたくさんあるので、全部歌いたいぐらいだったんですよ、本当に。まあでも、そうもいかず、スタッフの方々と一緒に少しずつ選ばせていただきました。なので、すべて曲先となってます。
石黒 そのときに、この曲が選ばれ、そして作詞をと?
伊藤 ですね。ふんわりしたこの曲調に書いてみたいなあって思って。それで、ミモザって春の花なので、合ってるなって。ひとりで旅に出て、大事な人と離れているような状況が思い浮かんできて。
石黒 最後のフレーズで英語で書かれてるのが、<愛しているならずっといっしょに歌って>というような意味ですかね? 主人公たる女性? の言葉でしょうか。
伊藤 恋人同士でも家族でも、離れているからこそ気付くことって、あると思うので、そういうことからつながって、「いつか夢をいっしょに」とか「そんな時間もいまは必要なんじゃない」とかいうことを綴りたくて……なんて説明すると野暮ですけどね(笑)。
石黒 大人の感性を感じますよ。まあ、やはりそこは、旦那さまとか娘さんとか、イメージしてしまいますね。
伊藤 うーん、まあ、どうでしょうか(笑)。
(5月29日公開予定の第2回に続く) 伊藤 蘭(いとう・らん)
1973年、「キャンディーズ」のメンバーとして歌手デビュー。センターとなった5枚目のシングル「年下の男の子」が初のヒットとなってからは人気沸騰。「春一番」「やさしい悪魔」などヒット曲を続け、1977年7月、突然の解散宣言から、1978年4月に、後楽園球場で伝説となったファイナルライブを行うまでファンを熱狂させた。80年、映画『ヒポクラテスたち』(大森一樹監督・作)に主演し女優として芸能界に復帰。以降、夢の遊眠社作品をスタートとして、三谷幸喜作品『子供の事情』など数々の舞台に。テレビドラマでは、木曜ドラマ『DOCTORS 最強の名医』などに出演、映画『少年H』では夫である水谷豊との共演も果たした。2019年5月、歌手としてソロデビュー。 |






