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死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩み行かねば。
今宵も星が風にふきさらされる。
(尹一柱編、息吹郷訳『尹東柱全詩集 空と風と星と詩』影書房、2002年第2版、p.15)
初版は1984年で、僕がこの詩人を知った時には、詩集は古書店でも入手しにくくなっていた。
それが2002年になって、待望の第2版が発刊。
実はその時はまだ再版の事実を知らなかった。
知ったのは、2003年2月に名古屋市内で開催された作家・徐京植の講演会に行ったとき、話の中で尹東柱(いん・とうちゅう、ユン・ドンジュ)のことを取り上げられたことからだった。
「死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱(はじ)なきことを」
なんて美しい表現だろうか。
そう、映画「ヨコハマメリー」で元次郎さんが歌い上げた「マイウェイ」の世界を髣髴させる。
やがて私もこの世を去るだろう
長い歳月 私はしあわせに
この旅路を今日まで生きてきた
いつも私のやり方で
心残りも少しはあるけれど
人がしなけりゃならないことならば
できる限りの力を出してきた
いつも私のやり方で
あなたは見てきた 私がしたことを
嵐もおそれずひたすら歩いた
いつも私のやり方で
人を愛して悩んだこともある
若い心ははげしい恋もした
だけど私は一度もしていない
ただひきょうなまねだけは
(後略)
(岩谷時子訳詞「マイ・ウェイ〜MY WAY」)
この祖国・朝鮮の言葉と文化を愛した詩人は、1945年2月16日、日本・福岡刑務所で獄死する。
渇望した植民地支配からの解放をわずか半年後に控えて。
1910年に植民地支配を開始してから、日本は朝鮮人に対する同化政策を推進した。
特に、中国侵略が本格化した30年代半ばからの皇民化政策は徹底していた。
朝鮮語使用の全面禁止。
創氏改名。
その中で、日本に留学中の尹東柱はハングルで叙事詩を書きためた。
もちろん詩集の刊行なんて出来ない時代だ。
日本が戦争に突入した1941年、立教大学に留学中だった尹東柱は、「たやすく書かれた詩」という中で、こう綴っている。
人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。
(「たやすく書かれた詩」)
その後、同志社大学に転じた尹東柱は、43年7月に特高警察に逮捕。
祖国の言語を愛したがゆえに治安維持法違反で。
押収された未発表詩稿は永遠に紛失。
8ヶ月に及ぶ拘留と拷問。
毎日のようにわけのわからない注射を打たれた形跡が残った。
看守の証言によれば、最後は何か意味不明な大きな声をあげて獄死したようだ。
死体からは「生体実験」の疑惑が残るが、真実はいまだ解明されていない。
享年27歳。
尹東柱の詩が陽の目を見たのは、韓国で朝鮮解放後の1948年になってから。
70年以降、韓国の多くの人々が「一点の恥辱なきことを」と心で唱えながら軍事独裁政権と闘った。
尹東柱の詩に込められた「心」は、今なお生きている。
尹東柱の詩を読む↓
http://homepage2.nifty.com/taejeon/Dongju/Chikuma.htm
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