窓から名古屋城が見える

名古屋在住の管理人が書き綴る日記、読書・映画・岩崎宏美等に関するメモです。

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 その学生が発した最初の質問が「現代思想を学ぶことの意味はなんですか?」というものでした。
 その問いを発した学生は、もし僕がこの問いに説得力のある回答をしたらそれを学んでもよいが、僕の答えに納得できなければ「学ばない」と宣言しているわけです。つまり、ある学術分野が学ぶに値するか否かの決定権は自分に属しているということを、問いを通じて表明しているのです。僕はこの傲慢さと無知にほとんど感動しました。
(内田樹著『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』講談社文庫、2009年第1刷、p.89)


 筆者は続ける。

 二十歳の学生の手持ちの価値の度量衡をもってしては計量できないものが世の中には無限に存在します。彼は喩えて言えば、愛用の三十センチの「ものさし」で世の中のすべてのものを測ろうとしている子どもに似ています。その「ものさし」では測れないもの、例えば重さとか光量とか弾力といったことの意味を「ものさし」しか持たず、それだけで世界のすべてが計量できると信じている子どもにどうやって教えることができるでしょう。(p.89)

 「何のために役に立つのか?」という問いを立てる人は、この有用無用についてのその人自身の価値観の正しさをすでに自明の前提にしています。有用であると「私」が決定したものは有用であり、無用であると「私」が決定したものは無用である。たしかに歯切れはいい。では、「私」が採用している有用性の判定の正しさは誰が担保してくれるのでしょうか?(同)

 筆者はそれは結局、「未来の私」でしかないと断ずる。
 つまり、自己決定した結果、どのような不利益が降りかかっても、その責任は自己責任として自分が引き受けると「私」が宣言していることになる、と。
 官民一体となって言い出した「自己責任論」である。
 挙げ句、捨て値で未来を売り払う子どもたちが大量に生み出している。

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