窓から名古屋城が見える

名古屋在住の管理人が書き綴る日記、読書・映画・岩崎宏美等に関するメモです。

読書メモ

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 野中 だから差別を売り物にするなと。差別を自分たちの利権の手段に使うなと。まじめに真剣に働いて、なお差別されたら、その時は立ち上がれと。まじめに働きもしないで自分の出生を明かすことによって、自分の利益追求の手段に使うなと。そういうことを言いたかったし、そういう状態を改善するために僕は故郷に帰ったんだから。
  メディアは、利権をむさぼって特定業者がいると、部落は全部そういうことをやっているんだ、みたいな結論に誘導していく。
(野中広務、辛淑玉著『差別と日本人』角川ONEテーマ21、2009年初版、p.82)


 先週末から3日間、長野・飯綱高原で過ごした。
 先日も書いたけど、新聞もテレビもパソコンもない空間だった。
 多少の雨が降ったし、本も思ったほどには読めなかったけど、適当に散歩し、川遊びし、BBQをし、スイカや桃を頬張り、静養するには十分だった。
 何が一番良かったかと言えば、ズバリ涼しかったことだ。
 エアコンや扇風機は不要。
 木陰でイスに座りながら、涼しんで本が読める。
 こんな時間は何年ぶりのことだろうか。
 週明けに名古屋に戻り、この地の暑さがいかに過ごしにくいものかを実感した。
 昨日は近所のマックでジューシーチキンセレクトを頬張りながら、つい「エアコン、サイコー!」と心の中で叫んだ。

 さて、同書は昨年、結構売れた本だから、今になって改めて紹介する必要はないかもしれない。
 野中広務と辛淑玉の異色対談だ。
 角川ONEテーマ21というのは、つまらない著書が多い一方で、時折、こういう読み応えのあるものを打ち出してくるから、ホントに油断ならない。

 冒頭で引用した個所は、いわゆる「同和利権」にまつわるやりとりからの抜粋だ。
 「同和利権」はいわゆる逆差別という批判の原因ともされてきた。
 確かにカネが集まり、人が集まれば、いわゆる「闇部」と言われるものはできよう。
 ただ、僕は思う。
 部落問題は当事者以外に理解しづらい部分が多分にある。
 それは、むしろ差別の問題という属性を考えたときに、ある意味、当然とも言える。
 しかし、生半可にこの種のテーマを論じようとすると、やはり生半可な認識に陥り勝ちとなり、一般にはあまり実態が知られていない、例えばごく一部の関係者しか縁のない「同和利権」の問題を小賢しく披露して、「このように部落問題というのは…」と論じようとする。
 部落差別で苦しむ人々の大半は利権問題などは無関係であるにもかかわらず、だ。

 いつも思うのだが、そういう訳知り顔に「同和問題」を語る人間が後を絶たないことで、一番喜ぶのは誰だろうか。
 当然、部落差別を遺したい勢力だろう。
 逆に、一番悲しみ、悲嘆に暮れるのは、いつも無告の被差別者だ。
 「同和利権」について論じるなら論じればよい。
 その上で、僕はいやしくも言論に携わるものは、そういう構図を見据えた上で発言をする「見識」を持って欲しいと思う。
 そうでないと本当に撃つべき相手が利する結果を自ら招いてしまうゆえに。
 その思いは、限りなく無い物ねだりに近いことかもしれないけれども、だ。
 一部の国民は認識が薄いようだが、日本は十分に大国である。あらゆる手段と手口を用いて日本のブレーン(頭脳)とハート(心)を支配しようと企てる試みは、諸々の首都から間断なく繰り返されている。これは拉致と同じ、日本の主権に対する侵犯である。国内で違法な資金を受け取ることは法律に違反する犯罪である。外国から資金を受け取って政策を曲げることは法律違反以上の犯罪である。
(大森義夫著『日本のインテリジェンス機関』文春新書、2005年初版、p.91)


 先日このブログで紹介した佐藤優著『野蛮人のテーブルマナー』の中で筆者がインテリェンスの専門家として評価を寄せていた大森義夫氏。

 経歴は以下の通り(同書に掲載された当時のもの)。
 1939年、東京生まれ。
 都立両国高校、東京大学法学部卒。
 63年、警察庁に入庁。日本政府沖縄事務所、在香港総領事館領事、鳥取県警察本部長、警視庁公安部長、警察大学校校長を歴任。
 93年〜97年、内閣情報調査室長。
 現在、NEC取締役専務を経て、同社顧問。外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」座長。

 さて、書名から、いかにも日本のインテリジェンス機関、例えば、警察省、警視庁、公安調査庁、外務省、防衛省などの各セクションのガイドブックのように思えるが、そうではない。
 主に内調で経験したことを踏まえて、業務を通じて上手くいったこと、失敗したこと、感じたことなどを理路整然と綴っている。
 この理路整然というのがミソで、間違いなく様々な経験の中で様々な感情を抱いたはずだが、その文体は終始、極めて冷静なのだ。
 インテリジェンスの重要性を訴えると、とかく熱が入って、アグレッシブと言おうか、変な方向に行きがちだと思うのだが、同氏の文体や主張は最後まで淡々としており、行間から滲む穏和さゆえにその説得力が一層、増している。
 非常に好感をもって読めた。

 とかくドラマや小説では仰々しく描かれがちな「内調」。
 実際には、非常に地味な組織であることが本書を読むとよく分かる。
 少し意外だったけど。
 当初は内調の室長は、本省の局長クラスだったが、時代を経て、筆者のときには警視総監と同格、その後の内閣情報官制度のもと、今では事務次官よりも上にはなったとか。
 しかし、それでも今の内調でできることには限界がある。
 それゆえ、筆者が一章を設けて提案している「対外情報庁」構想(第7章)は、素人の僕でも興味深く読めた。

 なお、末尾の近くで書かれた一文がとても印象的だった。
 こういうところが佐藤優氏の世界と響き合うのだろうか。

 現実の世界の中は学問の世界とは異なります。しかし「学問の真実」を離れるとインテリジェンスは堕落します。アメ細工のように捻じ曲げられて使われます・
 インテリジェンスには、もう一つの意味があります。知性です。知性を見失った人間に歴史の流れが読めるとは思えません。
 良書に親しみ、良き友を得て知性と共に生きてください。(p.187)
 首相就任を祝って、酒その他の祝い物が届いたが、広田はその一部に自分の金を添えて孤児院に廻し、また菰かぶりの酒は、池袋の日雇労務者のたまりへ届けさせた。
 早速、「新首相の人気とり」と、からかう新聞もあった。
 「どうしてこんなことを書くのかなあ」
 広田は情けなさそうに首をかしげた。
 「いつの世にも、下積みで苦しんでいる人々がある。そういう人々に眼を向けるのが、政治ではないのか。政治は理想ではないのだ」
(城山三郎著『落日燃ゆ』新潮文庫、昭和61年初版<平成元年初版>、p.180)


 戦争を語る上で特別の意味を持つ8月。
 城山作品は何冊か読んでいるけど、若いころに読んだこの『落日燃ゆ』には、特別の読後感を持った思い出がある。
 それは広田弘毅という不遇の人物に対する自身の思い入れによるものなのか、城山の抑制されながらも行間からにじみ出る感情によるものなのか、今でもよく分からない。
 小説の後半は東京裁判への痛烈な批判になるんだけど、昭和49年の時点でそれを小説という手法で訴えた人はあまりいなかったのではないか。

 戦争裁判そのものが、果たして裁判といえるものなのか。裁判とは法によって裁くことなのに、戦争そのものを犯罪とする法規があるわけではなかった。法もないのに裁くわけで、それはもはや裁判ではなく、一種の「政治」でしかないのではないか。(p.292)

 そんな中で冒頭で引用した個所。
 いるんですよねえ、いつの時代にも。
 この個所は筆者のちょっとしたマスコミ批判になっていると思うけど、要するに書き手は書き手の境涯でしか物事を見ることが出来ない、ということだ。
 もしくは、自分のよりも大きな境涯の存在を認められずに、無理して自分の小さな境涯で推し量ろうとする、とでも言おうか。
 悪くし書けない、うがった見方しかできない、それが人よりも優れていると勘違いする。
 薄っぺらな政治の悪口を書いているうちはいいけど、およそ自身よりも高い存在に対する尊敬や畏敬の念を抱かない人物が、本当に人の心を揺り動かす文章が書ける物なのか、僕は大いに疑問だ。
 まあ、政治家相手なら上記のような見方をせざるを得ない場合が多いんだろうけど、世の中のすべてをそんな小賢しい浅はかな思慮で見られたら、言論の力で全うな社会を実現するなど、永久に夢物語だ。
 
 さて、話は変わり、この小説には他にも随所に印象的な個所がある。
 例えば、

 「小村さんは決して日記をつけなかった。自分もそうだ。外交官は自分の行ったことで後の人に判断してもらう。それについて弁解めいたことはしないものだ」
 「外交官としては、決して表に出るような仕事をして満足すべきものではなくして、言われぬ仕事をすることが外交官に任務だ」(p.38)

 …というくだり。
 佐藤優の著作を読んだ後に眼にするとより深く胸に迫る。
 また、広田の終戦工作のくだりは、読んでいて焦れったい。

 広田は日ソ関係改善についての日本側の強い希望を述べ、満州国の中立化・漁業権の解消・ソ連石油の日本への供給など、具体的条件まであげて、マリク説得につとめた。
 だが、すでにそのころ、ソ連政府首脳は対日参戦の肚をかためており、ソ連側からの反応はなく、広田の再三の催促にもかかわらず、会談はそのまま中断した。(p.280)

 この後、ソ連の参戦があり、最終的にはポツダム宣言の受諾という結末を迎える。
 広田はソ連の動きを読めていなかった。
 惜しむらくは当時の日本に、ソ連の動向を掌握できるインテリジェンス機関がなかったことだ。

 末尾になったが、この作品は昭和49年の毎日出版文化賞・吉川英治文学賞受賞作となっている。
 若い時分に、外国の船乗りのはなしを読んだことがある。航海がまだ星の位置や羅針盤に頼っていた時代のことなのだが、その船乗りは、少年の頃の思い出をよく仲間に話して聞かせた。
 故郷の町の八百屋と魚屋の間に、一軒の小さな店があった。俺はそこで、外国の地図や布やガラス細工をさわって一日遊んだものさ……。
 長い航海を終えて船乗りは久しぶりに故郷へ帰り、その店を訪れた。ところが八百屋と魚屋の間に店はなく、ただ子供が一人腰をおろせるだけの小さい隙間があいていた、というのである。
 (向田邦子著『父の詫び状』文春文庫、1981年初版<1992年第32刷>、p.230)


 今は知らないが、僕の記憶ではかつて「現代国語」の教科書にも掲載されていた個所だ。

 引用箇所の直前にはこういうくだりがある。

 友人達と雑談をしていて、何が一番おいしかったか、という話になったことがあった。その時、辣腕で聞えたテレビのプロデューサー氏が、
 「おふくろの作ったカレーだな」
 と呟いた。
 「コマ切れの入った、うどん粉で固めたようなのでしょ?」
 といったら、
 「うん……」
 と答えたその目が潤んでいた。
 私だけではないのだな、と思った。
 ところで、あの時のライスカレーは、本当においしかったのだろうか。

 ・・・で、この続きが上記の引用箇所。
 そして引用箇所の続きはこうだ。

 私のライスカレーも、この隙間みたいなものであろう。すいとんやスケソウダラは、モンペや回覧板や防空頭巾の中で食べてこそ涙のこぼれる味がするのだ。
 思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。何十年もかかって、懐しさと期待で大きくふくらませた風船を、自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか。
 だから私は、母に子供の頃食べたうどん粉カレーを作ってよ、などと決していわないことにしている。

 向田邦子のレベルとまではいかなくとも、生活感覚がにじみ出る文章というものに、なかなかお目にかかれない。
 戦前の家庭が描かれるこのエッセーからは、音、味、臭いなど形にならないものが伝わってくる。
 そして、筆者は生活風景をただ単純に描写するだけでなく、そこから紡がれる心情などを自然に投げ掛けてきて、読者から「そうだよなあ」「それ、分かるなあ」との共感を引き出してくる魅力がある。
 「思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい」というのも、その一つだ。

 ということで、今日は松任谷由美のアルバム「PEARL PIERCE(パールピアス)」(1982年)から「昔の彼に会うのなら」の歌詞を紹介してお別れです。

 昔の彼に会うのなら
 ちょっと綺麗にしてゆくわ
 陽差しの影が落ちるように
 白い帽子で出かけるわ

 あれからしあわせそうにしてると聞いたよ
 いいえ 私 退屈な毎日

 本当は 本当は会いにいかないわ
 時の女神の気紛れで
 二人はきっと変わったわ
 夢はさわらぬ方がいい

 いたずらに いたずらに
(「昔の彼に会うのなら」より)
 佐藤 終身雇用のよかった点は、年功序列だから組織として生き残るという発想があった。しかし、新自由主義の下ではチームとして強くなったら自分が楽になるという発想がないから、後輩を育成することもしない。後輩を育てればライバルとなり自分の身が危うくなる、と考えてしまう。さらには自分を守るには、他の社員の足を引っ張ればいい、となってしまう。
 (佐藤優著『野蛮人のテーブルマナー』講談社、2007年初版、p.103)


 ここ最近、帰宅後に入浴、起床後にシャワーという日が続く。
 それほど汗がとどまらない。

 さて、冒頭の引用個所は、鈴木宗男氏との対談の発言。
 さらに筆者は同書の中で、風俗業界などに詳しいフリー編集者・小峯隆生氏とも対談しており、こんな発言もしている。

  佐藤 個々のAV嬢には終わりをつけること。これは永遠に続くっていう、余人をもって代えがたいって感じをもつと癌細胞が生まれる。官僚の場合それが顕著で、余人をもって代えがたいと思いたがると。だから癌細胞化するんですよ。逆に個々のAV嬢や官僚に終わりをつけ、新しい細胞を迎え入れることができるようにするとそのシステムは永続する。(p.76)

 筆者の考え方はこうだ。
 AV(アダルトビデオ)業界は、細胞と一緒で、生まれてから死ぬまでがパターン化する。
 AV女優は、デビューして、平均1年で引退して、他の職業や人生の道を歩んでいくのが一般的。
 だから続く。
 一人の子を永久に残らせようとすると、永久に生きる細胞と言ったら、癌しかない。
 そういうのが出てこないで、グルグル回っていくのは、AV業界はシステムとして見た場合、生物・有機体的なモデルであるからで、だからこそ永続する。
 …確かに「引退」って避けられないんだよなあ(妙な実感)

 多少、強引な比喩だと思うけど、確かに官僚の世界は「人事」が重要な世界であり、そういう意味では「人の流れ」の世界とも言える。
 そこで永久に残る人が存在すると癌になるというのも分かる。
 そして、冒頭で引用したように、そこに新自由主義が加わると、後輩まで育成できなくなるの、そうだろう。
 癌になる前に動脈瘤破裂や脳梗塞で倒れてしまうかもしれない。
 筆者の組織論は的を射た指摘がしばしば光る。

 なお、同書は雑誌「KING」に連載された記事をまとめたものだけど、文章や記事中の表記に曖昧さ、分かりにくさが目立つ。
 対談記事も、もう少し上手くまとめられないものかなあ、と感じるくだりが多かった。
 テープ起こししたものをそのまま文字にすればよいというものじゃない。
 これは雑誌の編集者がしっかり原稿作成の段階でチェックをしていないからだ。
 そして、それを単行本にするにあたってそのままにしているのは、単行本化を手掛ける編集者の怠慢だと思う。

 末尾になってしまったけど、佐藤優氏のご母堂が先月27日に逝去された。
 ご冥福を心から祈る。

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