窓から名古屋城が見える

名古屋在住の管理人が書き綴る日記、読書・映画・岩崎宏美等に関するメモです。

読書メモ

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 国際的な外交戦において日本外務省は負け続けています。しかし、日本国内でおける対永田町戦略には常に勝利する。こういう構図になっているんですよね。だから、今後も外務省は絶対に個別問題に通暁している専門家はつくらない。その専門家をつくると、ある段階で、その専門家が確実に政治家とくっつくからです。
(立花隆、佐藤優著『ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊』文春新書、2009年10月30日第2冊<同月20日第1冊>、p.161)

 きょうは朝から曇り空。
 名古屋城周辺も冷たい風が吹いています。

 さて、今更だけど、鈴木宗男がシャバに出た。
 佐藤優によると、ロシアは早々とこれを歓迎するシグナルを発しているという。

 この佐藤によれば「鈴木宗男事件」以来、外務省は変わったという。
 何が変わったか。
 佐藤優によれば、

 まず国際情報局を国際情報統括官組織と改組しました。局だったものを局以下の組織に代えた。人数も減らして、金も使わせないようにした。しかも、そこに配属されても三年間で異動する「三年間ルール」を作った。要するにこれは専門家ができないシステムなんです。三年でポストが代わったら、情報はつきません。ノンキャリアの私のように同じポストに長居していたから情報が集まるんです。有力な政治家が実際のことを知っているやつの話を聞きたいから局長とか課長を飛ばして私とコンタクトを取る。要人と会うのに大使なんかを迂回して、下っ端でも情報をもっているやつを使う。その例が私だったわけです。そうすると、外務省の秩序が壊れる。外務省の秩序が壊れるよりは、情報がないほうがいいというのが外務省の判断なんです。(p.160)

 で、その続きが上の冒頭箇所。
 外務省としては、情報は取れなくても、外交戦に負けても構わない。
 永田町に勝ち、国民に勝ち、省内の秩序さえ維持できていれば。
 ってことだ。
 組織というのは本来、目的があってその遂行のためにできたもの。
 それはいつしか自己目的化して、こんな考えというか原理ができあがってしまう。
 僕も組織の一員なので、この組織の宿命みたいな性(さが)はよく理解できる。
 わたしたちは監獄に対して無意識のうちに「悔悛」と「反省」のみを求めているが、監獄から送られてくる「ザンゲ」や「くいあらため」の通信に慣れ、監獄にはその感情だけが生きているように思いこむ。少なくとも、犯罪者を仲間に入れてやるのは犯罪者の「くいあらため」の言葉を通してである。「くいあらためる」ことがそんなに重要な問題だろうか? 「悔悛」といい「反省」といっても、ある瞬間、心の中に起伏する一つの感情の流れにすぎないのではないだろうか? 感情というヤツはうつろいやすく、不安定なものだ。
 わたしたちが犯罪者に求めなければならないのは、「悔悛」という、否定的な一つの感情ではなく「二度とあやまちをくり返さない」という犯罪者の主体的な決意なのだ。それが、もう二度と拘禁されるのはマッピラというエゴイスティックな計算から生まれたものであってもいい。あやまちを犯さずに生きていけるという主体的な強さを援助すること、それが、わたしたちが監獄行政に期待しなければならない第一の目的でなかればならない。
(丸山友岐子著『超闘 死刑囚伝』現代教養文庫、1993年9月初版、p.151)


 今度の法務大臣は、死刑執行に前向きなんでしょうかねえ。

 昨日に引き続き、社会思想社から発刊されたベスト・ノンフィクションのシリーズから。
 同書は、もともと1981年9月に、社会評論社より発刊された『逆うらみの人生』を改題したもの。
 その筆者も同書が発刊されて間もない1995年、逝去した。

 この作品は、1963年に死刑を執行された在日韓国人・孫斗八の生涯を、孫と交流を結んだ筆者が綴ったもの。
 孫は洋服商夫婦を殺害し、現金などを奪い、強盗殺人罪で逮捕され、1955年に死刑が確定した。
 孫の戦いはここから始まった。
 拘置所長を職権乱用罪で告訴するなど、あらゆる法律を駆使し、職員を訴え、「基本的人権」の大義のもと。監獄の規則を改正させた。
 同書の帯のコピーを借りるならば「人権無視の監獄行政に一石を投じる死刑囚の抵抗と戦い」ってわけだ。
 しかも、それだけでなく、孫は「生きたいと欲するものには生きる権利がある」「生命を法が奪うのは不条理」と死刑廃止まで訴える。
 では、この孫、人格的に問題があるのではと言えば、まさにその通りで、同書の筆者も彼に対しては決してというか、まったく好意的ではない。
 傲慢で不遜などうしようもない男なのだ。
 しかし、そんな彼との交流を通して、筆者は、冒頭で引用したような考えを抱くようになる。
 面白い。

 また、同書にはこんな文章もある。  

 わたしたちは「囚人」に対して、「だためしを食わせてやっている」と思いがちだが、拘置所の「未決囚」についてはなるほどそうにちがいないかれども、監獄行政にかかる費用の九八%までは刑務所の既決囚が稼ぎ出したか金でまかなわれているのである。囚人は自分の働きで、監視の監獄職員の給料から拘置所長や刑務所長の月給はもちろん、未決囚の食いぶちまで稼ぎ出しているのである。犯罪は「社会の病気」だなんていいながら、国家はこの病気の治療のためにビタ一文出していないといっていいくらいのものなのである。(p.57)

 もし当時、その通りだとしたら、現在はどうなんだろう。
 既決囚の高齢化による労働力の低下、福利厚生費や医療費の向上にともなうコストアップを勘案すれば、少しは変化しているのだろうか。

 解剖を終えた吉村教授はさっそく死体検案書を書いてくれた。両の腕にはハッキリと五本の指のあとがアザになって残っていたという。舌をかみ切ろうとしたらしい口の中のきずあと、両足にひきずられたらしいすりきず。それ以外に外傷はなかった。絞首台に立った死刑囚は、手錠をはめられ、足をくくられ、目かくしをされることになっているが、手錠のあとはなかった。おそらく、足縄も手錠もはめさせなかったのだと思われる。両方から、あざができるほど強く腕をつかまれ、絞首台へひきずって行かれて、首縄をかけるなりすぐ踏板をはずすハンドルをひかれたのだろう。屈強な若い看守が歯を食いしばり、無言のうちに腕も折れよと必死に絞首台の下まで運びこんだ様子が目に浮かんだ。(p.276)

 死刑後も遺体の処理に携わった筆者の記述は非常に生々しい。 
 ちなみに本書には、当時の絞首台や死刑検案書の写真が掲載されている。
 貴重な史料となろう。
 「以後、本当にソ連領海域内で自由に漁ができるのか。以前、レポのはずが拿捕されて、普通よりも重い刑を食った奴がいると聞いた。それと、あらゆる魚種について許可されるのか」
 「あらゆる魚種について保証されている。ただ水域については、国後、択捉、歯舞、色丹水域ならどこでも大丈夫だ。ウルップ以外は我々の管轄外だ。だから、もし我々の友達が誤って拿捕されたとしても、それは中部千島より北でのことだろう。この場合も、私は釈放を働きかけはするが、それ以上の保証はできない。普通より重い刑を食った、というのはおかしな話だ。それは友好漁船じゃない船が悪質な違反をやったのが誤り伝えられたのではないか。あるいは、友好漁船のふりをしていたのが、実は日本官憲の手先だったケースかのどちらかだろう」
 (西木正明著『オホーツク諜報船』現代教養文庫、1995年6月初版第2刷<1992年12月初版第1刷>、p.151)


 週刊誌がつまらなくなって久しいけれど、その中で読み応えのあるものと言えば「アサヒ芸能」ですかねえ。
 「週刊文春」はコラムなど連載ぐらい。

 さて、すでに会社そのものがないが、社会思想社から発刊されたベスト・ノンフィクションのシリーズから読書メモを。。
 1985年に角川文庫で発刊されたものの再録だ。

 旧ソ連時代。
 ホーツク海沿岸(歯舞、色丹、択捉、国後の4島周辺の区域)は、日本にとって領海侵犯区域となっていた。
 実際、旧ソ連の監視船の監視下におかれていた。
 拿捕されたら、シベリアの収容所行きだ。
 しかし、日本の漁師の中には、侵犯区域で自由に出入りし、ウニ、ホタテ、カニなど高級海産物を捕っていた。
 それはソ連当局に出入りを許可された「レポ船」だからだ。
 「レポ船」になれば、侵犯区域で存分に漁ができる。
 その代わり、当局の求める日本の情報や物資を運ぶ任務を負わされる。
 つまり「スパイ」だ。
 上の冒頭箇所は、ソ連の監視船に身柄を拘束された日本の漁師らが、「レポ船」になることを約束する、そのやりとりの場面だ。
 このウソのような本当の話を筆者は綿密かつ長期に渡る取材で調べ上げ、それを小説というジャンルので形にした。
 漁師らの生活ぶり、漁村の光景など、生活臭が漂う描写は、見事だ。
 かつて手嶋龍一が「インテリジェンス物」という観点で同書を紹介したことがあるが、確かにこれはそういったジャンルにも納まろう。
 病院からの帰り道、自分で車を運転しているのに何処をどう走っているのか、まったくわからないような心神喪失状態であった。涙が止めどなく溢れてきて前も見えず、慌てて車を道端に駐めた。夜の巷のネオンサインが輝いていた。娘が可哀想で可哀想でたまらなかった。様々な想い出がどっと襲いかかってきて、悲しくて悲しくて、僕はハンドルに俯せて泣いた。
 (児玉清著『負けるのは美しく』講談社文庫、2008年初版、p.249)


 2005年に集英社から発刊された単行本の文庫化。

 僕はあとで読み返したり、気になるページには「ドッグイヤー」を付けるクセがある。
 しかし、本書にはそういった部分は1ページもなかった。
 つまらなかったわけではない。
 東宝時代の黒澤明監督との「確執」や、俳優・三船俊郎などとのエピソードは面白く読めた。
 ただし、そういった出来事をこどさら深めやり、普遍的な話にまで引っ張り上げる作業に、筆者はさほど執着がないようだ。
 だけど僕は印を付けたり付箋を貼ったりするのはむしろそういった部分が多く、「ドッグイヤー」がない理由はこういう理由によるものかもしれない。

 その上で、第5章の「天国へ逝った娘」は涙なしでは読めなかった。
 深夜にページをめくるたびに、涙を拭い、鼻をかんだ。
 そう、筆者の文章は、表現の技巧とか、深みのある考察というよりも、自身が心を揺り動かされた事実の描写を積み重ねて読者を引きつけていく、というのが特長なんだろうな。

 皮肉にも、筆者も、愛娘と同じく、がんによってこの世を去った。
 喫茶店に入ると、最近流行のファッションに包まれた若い人でいっぱいである。センスのよさに感心することも多い。しかし、感心するのは外側だけで、聞こえてくる会話には、ひどくガッカリしてしまう。ヤング向けの週刊誌や深夜放送のラジオから拾ってつなぎ合わせたような、調子はいいが全く内容もないやりとりを延々と繰り返している。
 (向田邦子著『夜中の薔薇』講談社文庫、昭和62年第7刷<同59年初版>、p.72)


 1981年(昭和56年)に講談社から発刊された単行本を文庫化したもの。
 単行本は、筆者の死後のものではな最も早い出版物となった。
 「眠る盃」につぐ随筆集として編集を進めていたもので、署名も筆者が生前から決めていた。

 ちなみに彼女がここで書いている喫茶店は原宿のお店。
 今の若い女性って、週刊誌を読まのだろうか。
 ファッション雑誌なら月刊誌が多いように思える。
 少なくとも、深夜放送のラジオなんて聴きそうもない。
 僕の子供のころは、オールナイトニッポンだった。
 中島みゆきがパーソナリティをやっていたって今の若い人、知らないよねえ。
 テレビ離れも加速しているようだし。
 今ならツイッターってとこか。

 さて、彼女は続けて、

 自分に似合う、自分を引き立てるセーターや口紅を選ぶように、ことばも選んでみたらどうだろう。ことばのお洒落は、ファッションのように遠目で人を引きつけはしない。無料で手に入る最高のアクセサリーである。流行もなく、一生使えるお得な「品」である。ただし、どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、身につけるには努力がいる。本を読む。流行語は使わない。人真似をしない――何でもいいから手近なところから始めたらどうだろうか。長い人生でここ一番というときにモノを言うのは、ファッションではなくて、ことばではないのかな。(p.73)

 と綴る。
 ブティックて僕の生活空間ではあまり用いない言葉だけど、今でも使われているのだろうか。
 ハウスマヌカンなんて言葉がもてはやされた時代もあったけど。

 話を戻す。
 「ここ一番」とまでいかなくても、複数の人々の集まりで何か気まずい雰囲気になったとき、もしくはどうしようもない展開になって息苦しくなってきたとき、はたまた「誰か何か言えよ」と持ちこたえられないような重々しい空気で部屋が充満したとき、そんなときに気の利いた言葉をサラリと言って場を和ませてしまう人が時々いる。
 たった一言で、ある人は恥をかかなくてすんだり、怒りが吹っ飛んだり、悲しみが癒されたりする。
 そういう人は、確かに格好いい。
 思うに、そんな一言が出てくる人は、彼女が書いているように本を読んで、先人の知恵や経験を追体験して身に着けている場合もあるだろう。
 もう一つ考えられるのは、要はそういう言葉を発する大人たちに囲まれて育った、つまり環境から受ける影響もあると思うのだ。
 彼女は「人真似をしない」と書いているが、これは時流に流されるという意味と思え、このケースとは違うと思う。
 言葉づかい、人との付き合い方、お金の使い方など、親をはじめ身近な大人の振る舞いを見ながら自然と身に付く側面は大きいはずだ。

 「長い人生でここ一番というときにモノを言うのは、ファッションではなくて、ことば」――まったく、その通りですナ。

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