窓から名古屋城が見える

名古屋在住の管理人が書き綴る日記、読書・映画・岩崎宏美等に関するメモです。

読書メモ

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 常識に基づいて人を批判しても、徹底的に傷つけることはできないんです。「そんなこと、常識じゃないか」って言っても、「どこが?」って言われたらそれ以上は突っ込めない。この一句目は出るけれども、二の句が継げないあたりが、何とも按配に使い勝手がいいんですよ。
 規制力はあるけど攻撃力は小さいし、権力的になれない。これは人間を動かすときに非常に有効な手段なんですね。言いたいことは言えるけれど、相手の立場もちゃんと確保してある。常識的な人間というのは、だからすごくいいんですよ。人を徹底批判することがないし、罵倒したり愚弄したりすることもない。だって、そんなの「常識的じゃない」から。
 (内田樹・春田武彦著『健全な肉体に狂気は宿る――生きづらさの正体』角川oneテーマ21、2005年初版、p.137) 

 本書は、内田樹とほぼ同世代の精神科医・春田武彦との対談集。

 年配者から「常識じゃないか」と言われ、「常識」の定義のあいまいさ、いい加減さをもって反発する若者は多いだろう。
 しかし、内田は、だからこそ常識が大事なんだ、と強調する。
 内田の訴えは、ある程度の人生経験、社会経験、つまり世間知を積み重ねないと出てこないんじゃないですかねえ。
 僕もかつて複数の人々の前で自己紹介したときに「ごく普通の人間です」と言ったとき、周囲から「普通ねえ……」とつぶやかれたことがある。
 要は「普通って何なの?」という疑問を投げ掛けられたのだ。
 僕に言わせれば、その答えは「世の中には誰が何と言おうと『普通』というものがあり、それが機能しているってことをしっかり認識し、踏まえている人のことですよ」という言い方になるわけだ。
 「常識」も同じことだろう。

 氏は「常識」についてさらに書いている。

 常識というものが、今、ほんとうに軽んじられているような気がします。現代ほど常識が軽んじられている時代はなかったんじゃないでしょうか。ぼくは常識というものは非常にいいものだと思っているんです。何よりも、常識というのは原理にならないから。「これって常識でしょ」と言っても「江戸時代も常識だったの?」とか「アフリカでも常識なの?」と言われたら、グッと詰まるでしょう。つまり、常識というのはもともと地域限定、期間限定とテンポラリーなものですね。
 常識には、そこそこの強制力はあるけれど根拠がない。そこが常識のいいところだと思うんですよ。こういうものが社会的な道具としては一番使い勝手がいい。常識は限定された地域、限定された期間中しか適用できない。その外側には通用しないけれど、ここでしばらくの間は通用する。
 常識のもつこの不確かさ、バランスの悪さが、常識を社会的装置として非常に上質なものたらしめているんです。足元がグラグラウ動いていて、そこでバランスをとるためにはものすごく高い運動能力が必要になるわけですから・・・・・・(中略)ですから、常識的な人というのは、要するに非常にバランス感覚にすぐれた人なんです。(p.136)

 こういう「おやじ」っぽい主張を書かせたら、氏の右に出る人はいないんじゃないか、というくらい冴えている。
 と言うか、笑っってしまう。
 なぜなんだろう。
 主張そのものは、近所の居酒屋談義に近いものを感じるんだけど。
 その独特の説得力とユーモアゆえなのだろうか。
 以下、そんな発言を二つほど抜粋。

 「宣言」というのは有効ですよ。人間て、自分がいったん口に出したことばにほんとうに呪縛されちゃう。だから、逆に「嫌い」ということも、いったん口にするともう取り返しがつかない。「家事なんて、嫌よね」というようなことをだからうかつに口にしちゃいけない。心ならずも口に出して言うことばは無意味だと思っている人多いようですけれども、そういうもんじゃないですよ。日本の夫婦はお互いに「愛している」って言い合わないでしょう。でも、言った方がいいんですよ。言っているうちに、「その気」になっていくんだから。(p.88)

 服装で人を判断してもいいんですよ。むしろ、人は外見で判断すべきなんですね。それなのに、テレビドラマなんかで、若者が「服装で人を判断するな」とか言って、言われた大人がグッと黙り込んじゃうようなシーンがあるじゃないですか。あんなのは全部カットして、大人が「ばかやろう」って言って若者をはり倒すシーンで終わらなきゃ(笑)。服装というのは、大事なものなんですよ。(p.129)

 最後に、先日、武田鉄矢がテレビ番組でも紹介していたアントニオ猪木の言葉を紹介。

 以前、アントニオ猪木が言っていたことなんですけど、「ピンチというものは無数のファクターの総合的な効果である」と。だから、例えばリング上でフォール寸前で、もうどうにもならない状況になっているときも、その「どうにもならなさ」というのは、ロープとの距離とか、指の絡め方の失敗とか、関節の角度の悪さとか、そういうものの複合的な結果としてあるわけで、これを起死回生一気に逆転する方途はないわけです。でも、例えば指を一本抜いてみるとか、わずかにつま先の向きを変えるとか、そういう小さなことでも状況が変化する可能性はある。だから、とりあえず一つ一つほぐしてゆく、というのがアントニオ猪木の教えだんですよ。(p.140)

 ちなみに僕はアントニオ猪木が気合い(=ビンタ)を入れるところを、1メートル以内の距離で見たことがある。
 相手は僕の知人。
 結構、烈しかったです。
 一七世紀において、狂人の「囲い込み」を決定するのは司法官でした。「反社会性」において狂人は貧者や窮民と「同格」だったのです。ところが一八世紀になると、ここに新たな境界線が引かれます。狂人だけが別のカテゴリーになるのです。彼らのための施設が作られます。彼らは「治療の対象」になります。症状は観察され、分類され、それは病理学的症候としてカタログ化されます。
 狂人は司法官による収監の対象ではなく、医師による治療の対象になります。一見すると、狂人の処遇の仕方はより合理的、より人道的なものになったように思えますが、この「ハードな隔離」から「ソフトな隔離」への移行過程で、ある共犯関係が暗黙のうちに成就します。それは医療と政治の結託、「知と権力」の結託です。
 (内田樹著『寝ながら学べる構造主義』文春新書、平成14年初版、p.91)


 本書に対し最大限の敬意を表し、僕はこの大半を寝転びながら読んでみた。
 構造主義なんて、大学時代に現代思想のイロハをかじった「記憶」だけはあるものの、それも大方は忘却の彼方。
 まさか社会人になってからも構造主義についての本を読むことになるとは思わなかった。
 ま、僕が本書を手にした動悸としては、「構造主義」に興味があったというよりも、「内田樹だったら構造主義をどう分かりやすく解説するのか」という興味からだった。
 職場の大先輩から「内田樹の文章、結構いいよ」と勧められてから新書や文庫を中心に何冊か読んでみたけど、確かにいい。
 何がよいのか、自分の中では明確になっていないんだけど、読みやすく、分かりやすい、というのは大きい。
 構造主義なんてお堅いテーマを扱いつつ、発行部数4万部以上と言うのも頷ける。
 しかし、僕はいま「分かりやすい」と書いたけど、レベルが低いということではない。
 むしろ、かなりハイレベルの概論となっている。
 「『分かりやすい』というのは決して『簡単』という意味では」(p.14)ないのだ。
 だけど、なぜか世間では「分かりやすい」ことが「分かりにくい」ことより下に見る傾向があるようだ。
 池上彰や内田樹らの分かりやすい解説、平易な文章に、マスコミや学者はもっと謙虚に学ぶべきだと思う。

 さて、そんな本書の中でも、特にフーコー(第3章)、レヴィ=ストロース(第5章)の記述は、非常に冴えているというか、アブラが乗っている。
 筆者は冒頭の引用カ所の後にこう綴る。

 古代において権力は剝き出しのものでした。それが中世から近代に下るにつれて、しだいに輪郭を曖昧にしてゆきます。それは必ずしも権力が非権力的になったということを意味するわけではなりません。権力は、当たりの柔らかい理性的な「代理人」である「学術的な知」を介して、むしろ徹底的に行使されるようになった、フーコーはそう考えます。(p.91)

 つい先週、フジテレビ系列で「わが家の歴史」が再放送された。
 その中で鬼塚大造(佐藤浩市)が、自身をなじる左翼運動家・大浦竜伍(玉山鉄二)にこう反論する場面がある。
 「私はあなた方の思想を決して否定はしません。あなた方は自分たちの意見をどんどん主張すべきだ。あなた方が政府を、国家を、公然と批判すればするほどそれは言論の自由が守られているという証拠であり、結果としてこの国の民主主義を肯定することになる。実に面白いジレンマじゃありませんか」
 大浦は反論できない。
 非常に小気味よい場面だ。
 しかし、ここに権力の醜悪さがあることも見落としたくない。
 権力(必ずしも国家権力だけではないが、ここでは国家権力と捉えていただいても良い)は常に強制力を行使しているわけではない。
 擬人化して言えば、権力は、反論させ、反抗させ、不服従する自由すら認めることもある。
 それが結果的に、権力の基盤を固めることを知っているからだ。
 ゆえに、真に強い権力はやさしい。
 逆に、やさしくない権力はその基盤に余裕がないか、それゆえに焦っていると思ってよい。
 だから権力を撃つ人は、能天気じゃないけないのだ。

 筆者も、フーコーの章の締めくくりに書いている。

 制度に「疑いのまなざし」を向けているおのれの「疑い」そのものまでもが、「制度的な知」として、現に疑われている当の制度の中に回収されてゆくことへの不快。そのことに気づかずに「権力への反逆」をにぎやかに歌っている愚鈍な学者や知識人への侮蔑。この不快にドライブされた徹底的な自己言及がフーコーの批評性の真骨頂です。(p.112)
 一九六六年(昭和四一年)に山口組壊滅作戦を発動したとき、兵庫県警は次の点をふまえて当たらなければならなかった。兵庫県警の文書『山口組壊滅史』は次のように書いている。
 「第三国人の集団に対する日本人暴力団の闘争が、『大和魂の発露』『男の中の男』として一部市民から英雄視され、心からの拍手をあびた」
 「この一部暴力団に対する一部市民の歓呼が、戦後20数年を経た今日にあっても、『戦後のわしらの命がけの働きを忘れたのか、市民のためにつくしたわしらの苦労を忘れるな』と彼らに叫ばせる」
 このようにして山口組は神戸市民に受け入れられた。だから一九五九年(昭和三四年)に組長の田岡一雄が神戸水上署の一日署長を務めたのも不思議ではなかったのだ。
(宮崎学著『ヤクザと日本――近代の無頼』ちくま新書、2008年、p.241)


 名古屋地区では昨日(18日)昼に、テレビドラマ「相棒season7」の「最後の砦」が再放送された。
 数多ある「相棒」作品の中でも、特にファンの間でも評価が高いようだ。
 それは、扱っているテーマ、息をのむ展開、そしてラスト…こうした構成もさながら、出演者の特長を過不足なく表現しているからだ。
 亀山の情、右京の理、現場第一のイタミンら捜一、ツメが弱い大河内管理官、木っ端役人の所轄の署長、そして煮ても焼いても食えない小野田官房長・・・…「だって警察はいつもそうでしょ?」……腰を抜かしかけました、この台詞には。

 さて、本題。
 本書における筆者のモチーフは、「あとがき」で簡潔に書かれている。
 いわく、

 日本の資本主義、国民国家、近代日本独特の社会関係がどのように成立してきたのかということと関連づけながら、近代ヤクザが、なぜ、どのようにして、下層労働力の統括者として、周縁社会の仲介者として、また下層社会・周縁社会の社会的権力として発生してきたのかを明らかにしたつもりである。(p.264)

 その執筆に至った経緯を少し説明すれば、

 五年かけて、近代ヤクザの研究をした。その成果をもとに、近代の山口組史論として『近代ヤクザ肯定論 山口組の90年』(筑摩書房)を書いた。そのとき、その一部として、本書の原型になるものを序説ないし理論的前提として書いたのだが、編集部の意見にしたがって、分離独立させて、いわば理論篇としてまとめ直すことになった。(同)

 要は、これまで宮崎親分の主張における理論武装、ということだ。
 このためか、いわゆる親分のあの破天荒で魅力的な文体を求める読者にとっては、少し物足りないと言うか、新鮮さや味気のない文章に思えるだろう。
 僕はそう読めた。
 むしろ、膨大な傍証に埋もれた同書は親分の著作らしくない(もしかしたら、スタッフライターが頑張り過ぎたのかもしれない)。
 たとえば、冒頭で引用した一日所長ネタや、アウトローを定義する際の丸山真男ネタなどは、これまでに幾度も親分の著作で使われており、読んでいて「今更」なのだ。
 親分は『近代ヤクザ肯定論』との併読を勧めているが、こういう本だったら、わざわざ親分が執筆しなくても、他の人がやればよい。
 親分にはもっと新しい分野のルポや対談など、いつまでもラジカルな言論活動を期待したいのだ。
 僕らも世代がもし、ほかの世代よりも言葉に対して敏感だったり、言葉に対して強い愛情をもっているとすれば、たぶん妄想と推理の期間がうんと長かったことも関係していると思います。僕の退屈しのぎは『明解国語辞典』をアトランダムに拾い読みすることでしたが、一語一語の解釈に混乱しながら、これはこういうものにちがいないと自分なりに答えを出して、自分なりの絵を浮かべたものです。絵を浮かべるというのがすごく重要でね、言葉のまま頭の中にプリントしても楽しくない。絵にするんです。しかし、絵を浮かべてこうにちがいないと思っていたのが、実際に都会へ出てくるようになり、自分も成長していくなかで、いままで想像し思い込んでいたものがまったく違っていたことがわかってきます。
(阿久悠著『書き下ろし歌謡曲』岩波新書、1997年初版、p.56)


 本書が発刊されたのは1997年だから、まさにウイドウズのOSが、95から98へ変わる間だ。
 当時よりもさらにネットの威力が増し、人が妄想や推理にふける時間を奪っている。
 阿久流に言えば、言葉に対して益々鈍感になり、愛情が薄れている、ということになろうか。
『広辞苑』ではなく、『明解国語辞典』であるところがミソだ。
 確かに名著ですよこの辞典は。
 学生のころ、その言葉の定義に仲間と笑い転げたこともあったほどだ。
 阿久の歌詞が非常にビジュアル的というか、情景が目に浮かぶのも、こういう幼少期の体験が大きく影響しているのかねえ。

 僕が子どものころも、阿久がそうであったように、日々妄想と推理の連続だったなのかもしれない。
 たとえば、小学校に入学したばかりの僕にとって、「東京」は、漠然と「ドラえもんが住んでいるところ」だった。
 特に(マンガの設定にもなっている)「練馬区」には、のび太の住む家があり、ジャイアンのリサイタルが開かれる空き地があり、小学校やその裏山みたいな光景があるのかなあ、と想像していたわけだ。
 それが中学年から高学年になると、少しだけ大人になり、「東京」また「新宿」は「藤子不二雄先生が原稿を描いている場所」というイメージに変わる。
 当時、藤子不二雄の職場(藤子プロダクション)は、新宿区西新宿5ノ8ノ6のる市川ビル3階にあった。
 なぜ行ったこともないのに知っているのかと言えば、当時、毎月のようにその住所にファンレターを書いていたので覚えてしまい、今でも頭に残っているのだ。
 大人になってからその場所に行き、ビルがなく再開発が進んでいたことを知ったとき、僕の心の中で子どもの頃から途切れず連続していた何かが終わったわけだ。
 そして、もう少し年齢を重ねて中学生以降になると、古今東西の推理小説にハマり、都心のホテル、日本海を眺めた岸壁、スコットランド・ヤード、ロス市警の光景を想像するに至る。
 そして、読書の領域は、ゲーテやユゴー、芥川龍之介や川端康成へと広がっていく。

 その一方で、想像と言えば僕の少年期の人格形成において、外すことの出来ない雑誌こそ「週刊宝石」であった。
 間違いがないように念を押せば、「週刊ダイヤモンド」ではなく「週刊宝石」である。
 10年前に休刊になった光文社刊の同誌は、子どもでも間違いなく購入でき(つまり成人指定ではない)、かつ僕好みの綺麗なお姉さんの巻頭・巻末のカラーグラビアが載っている、掛け替えのない雑誌であった。
 また、中ほどのページには、その辺の通りすがりの女性を巻き込んだような「オッパイ見せて」とか「処女探し」といった奇抜かつ画期的な目玉企画を僕は終生忘れることが出来ず、同誌の休刊後も、同社刊の写真週刊誌「FLASH」に素人企画の「スカートの下見せて下さい」に引き継がれて(後略)

 さて、子どもの頃に淡路島にいた阿久にとっては、ビルもやベッドも見たことがなかった。
 コウモリをずっとこうもり傘の大きさだと思っていた、という。
 阿久は綴る。

 言葉というのは、結局、何かに置き換えて、自分なりの転換の作業が必要で、それがもしかしたら言葉というもののいちばんの魅力かもしれない。僕はこの愉しみを自然に感じていた、指さしただけで、アレ、コレで通じてしまういまの子どもたちはかえって不幸かもしれない。(p.57)

 日本に限ったことではないが、近代以降、あらゆる時間をかけずに済むことが進化であり、美徳とされがちになってしまった嫌いがある。
 時間をかけなくては育めないもの、得られないものに、もう少しこだわってよいかもしれない。
 特に僕みたいせっかちで、余裕のない生活を送っている者にとっては。
 先日、わたしは、小管の東京拘置所、連合赤軍の永田洋子に会いに行った。
 永田洋子は、わたしが新聞や雑誌の記事で想い描いていた女性とは異なって、小柄で、一寸色の黒い、どちらかといえばかわいい女性だった。人なつっこく、きちょうめんで、さまざまのセクトの運動家を取材したわたしの印象では、どちらかといえばノンポリ的体質を持った女性、と見えた。だが、ここでは、永田洋子について記すスペースはない。
 問題は、たとえば、わたし自身、永田洋子は、人なつっこく、きちょうめんで、かわいい女性、と書いてしまったことである。なぜか、最近、彼女のところを訪れる人がやたら多くなったという。文化人、マスコミ、そしてもちろん、救援グループの人々。そして、彼女に会った人たちが、いずれも口にするのは、わたしが書いたと同じ言葉。人なつっこく、きちょうめんで、かわいい。いい女性なんだよ……である。
 だが、もし彼女が鉄格子のはまった檻の中に入っていなかったら、わたしたちは、こうした言葉で彼女を語るだろうか。
 永田洋子は、檻の中に入れられることで、市民権を得た。
 そしてわたしたちは、彼女を安全無害な存在にしておいて、鉄格子越しに、たかをくくって彼女を眺め、数分、彼女と言葉のやりとりをし、ときには、彼女の涙、彼女の困惑、彼女の怒りを見ることで、自分もちょっぴり、誠実で、真摯に<状況>と向いあったかのごとき充実感を得て帰ってくる。
(田原総一朗著『時代を読むノート』講談社文庫、1986年初版、p.141)


 今月5日に亡くなった永田洋子死刑囚。
 僕の世代で彼女の名前を知っている人は、ほとんどいない。
 
 さて、田原総一朗は、冒頭で引用したような充実感を「いやらしい」と評する。

 この引用個所の前で、田原は、テレビのホーム・ドラマに対する世間の非難の中身を分析している。
 いわく、密度が薄い、リアリティがない、絵空ごと、生きている<状況>にソッポを向いている、あるいは視聴者に<状況>からソッポを向かせようとしている――etc。
 だから、ケシラカン、と。
 しかし田原も書いているが、ホーム・ドラマの密度、リアリティ、状況って、そもそも何なのか。
 僕にはサッパリ分からない。
 絵空ごと、大いに結構、と思ってしまう。
 そこで、田原は、永田洋子は、ホーム・ドラマの裏返しだ、と論じる。
 そして、

 ミエミエの絵空ごとにくらべて、リアリティのある苦渋、深刻という虚構=絵空ごとの方が罪ははるかに重いといわなくてはならないだろう。
 つまり、ホーム・ドラマにはリアリティがない、状況とのかかわりがないと怒る虚構性、怒りという絵空ごとの世界に浸るいやらしさということを、オッチョコチョイなわたし自身を含めて考え直さなくていけない(p.142)

 と続けている。
 少し分かりづらい論理の運び方だけど、ホーム・ドラマを絵空ごとと批判して、連合赤軍の永田洋子を「かわいい女」と評することで、何か現実を知った、時代に触れた気になってしまう心性が「いやらしい」ではないか、ということになろうか。
 そう意味で言えば、僕もそれはいやらしいと思うし、今でもいやらしい人は多くいると思う。
 だけど、それは突き放してしまえば、それだけの話という言い方もできるし、ゆえに、そこから生産的な議論を生み出すことは、少なくとも僕には困難だ。
 田原らしいというか、ドキュメンタリー作家らしい着眼点だし切り口だと思うけど、そこまで指摘するなら、もう少し抽象概念を巧みに駆使して、もっと根っこの部分にある問題の所在を明らかにして、普遍化してかた提示して欲しかった。
 僕の文章の運び方の方が分かりづらいか。

 なお、本書は、1977年に発刊された『飛べ田原総一朗――テレビ全力投球』(創世記刊)を改題再構成したもの。
  

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