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ころは・・・・・〈第二(三)段〉
(二段)
頃(ころ)は、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一・十二月、すべて・をりにつけつつ、一年(ひととせ)ながら、をかし。 (三段) 正月一日は、まいて、空の景色もうらうらと・めづらしう・霞みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、かたち、心異(こと)につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、様異(こと)に、をかし。 七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさる物目近からぬ所にもて騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬見にとて、里人は、車きよげにしたてて見に行く。中の御門の閾引き過ぐるほど、頭、一所にゆるぎあひ、刺櫛も落ち、用意せねば折れなどして笑ふも、またをかし。左衞門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、主殿司、女官などの行き違ひたるこそ、をかしけれ。 いかばかりなる人、九重をならすらむ、など思ひやらるるに、内裏(うち)にも、見るは、 いと狹きほどにて、舎人の顏のきぬにあらはれ、まことに黒きに、白きもの行きつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたる心地して・いと見苦しく、馬のあがり騒ぐなどもいと恐しう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。
八日、人の、よろこびして走らする車の音、異(こと)に聞えて、をかし。 十五日、節供まゐり据ゑ、かゆの木ひき隱して、家の御達、女房などのうかがふを、打たれじと用意して、常に後(うしろ)を心づかひしたる景色も、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ちあてたるは、いみじう興ありてうち笑ひたるは、いとはえばえし。ねたしと思ひたるもことわりなり。 新しう通ふ壻の君などの、内裏へ參るほどを心もとなう、所につけて我はと思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奧のかたにたたずまふを、前にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかま」と招き制すれども、女はた、知らず顏にて、おほどかにて居たまへり。 「ここなる物、とり侍らむ」など言ひ寄りて、走りうちて逃ぐれば、あるかぎり、笑ふ。男君も、にくからずうち笑みたるに、ことに驚かず、顏少し赤みてゐたるこそ、をかしけれ。またかたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人を呪ひ、まがまがしく言ふもあるこそ、をかしけれ。内裏わたりのやむごとなきも、今日は皆乱れて、かしこまりなし。 徐目のころなど、内裏わたり、いとをかし。雪降りいみじうこほりたるに、申文もてありく、四位・五位、若やかに心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭白きなどが、人に案内言ひ、女房の局などによりて、おのが身のかしこきよしなど、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々は眞似をし、笑へど、いかでか知らむ。「よきに奏し給へ、啓し給へ」など言ひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。
(訳)
(ころは・・・)
時の移る頃は、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一・十二月、すべて・その折々に付き、一年(ひととせ)に、皆・趣深い 。
(正月一日は・・・)
正月一日は、まして・空の景色もうらうらと、常ならず霞み渡り、世のありとあらゆる人・皆、姿、かたち、心・新たに・装い、君(主君)をも・我をも祝いなど行う、様(さま)普段と違い、麗しい。
七日、白き雪間の若菜摘み、つややかな青も・いつもなら寄りもせぬ程・近くより見て騒ぎ・笑う姿も、おもしろきもの。白馬(あおうま)見物に行こうと、家庭の女達は、車・華麗に飾りたてて見に行く。中の御門(もん)の敷居過ぎる時、頭、一所(ところ)で揺れ・ぶつかり、刺す飾り櫛も落ち、不用意にも折れ・笑う事も、又・楽しい。左衞門の陣のもと、殿上人など多く立ちて、舎人の弓持ち、馬を脅かし笑うを、わずかに・のぞき見・入りたれば、立蔀などが見える、主殿司、女官など・急ぎ行き交うことこそ、艶(あで)やかに見ゆ。
どれほどの人が、幸運の星の下(もと)に生まれ、ここを歩く事を許されたのか、などと思いながらも、内裏(宮中)に、見えたのは、狭い範囲だけなのに、舎人の顏の素肌あらわに成って、とても黒く、白粉の塗り届かぬ場所は、雪がむらむらと消え残りたる様で、見苦しく、馬の跳ね・騒ぐなどは・とても恐ろしく見え、自ら身を引き入れ(車の奥へ行き)・良くは見えない。
八日、人(加階した人・位をあげた人)、喜びして・お礼の車・走らす音、異(こと)に聞えて、心地よし。
十五日は、餅粥(もちがゆ)の祝い膳を差し上げ、かゆの木・後ろに隠し、家の女達、女房達の隙をうかがい、打たれまいと用意し、常に後(うしろ)を気遣う様子は、とても愛らしく、どうしたものか、打ち当てた時は、ひどく面白がって笑うのは、とても陽気な感じだ。悔しいと思うも仕方・無し。
新しく通う婿君の、出仕・待つ時も・もどかしく、そのお宅で「我は」と思う女房は、のぞき、意気込み、奥の方でうろうろしているのを、手前に座る女房が心得て笑うのを、「静かに!」と、手で制すれど、姫君は、気付かぬ顔にて、のどかに座っていらっしゃる。
「ここにあるものを、取りましょう。」などと言って・近寄り、走りざまに・打ち・逃げれば、居合わせた者、皆で笑う。婿君も穏やかに笑う、それでも騒がず、顔・少しだけ赤らめ・座る様は、微笑ましい。また、女房同士・打ち合い、男をも打ち始める。いかなる心持ちからか、泣き・腹立てて、人を呪い、まがまがしく言う事さえあるのも、おもしろい。宮中などの貴い辺りでも、今日一日は・皆で騒ぎ、かしこまることもなし。
春の任官のころ、宮中辺りは、また・特別に思う。雪降り・凍え・氷るほどの日でも、申し文(願い書き)持ち歩く、四位・五位などの、年も若く意気揚々とした人達は、頼もしい。老いて頭白き者が、人に取り次ぎを頼み、女房の部屋に立ちよりて、己が才を殊更に言う事など、いかにも年長者らしく言い聞かすを、若い女房達が口真似て、笑っている事など、少しも知らぬ様(よう)。「よろしく申し上げてください、天皇様へ・中宮様へ。」などと願っても、叶う者は良いが、叶わぬ方々は、とても気の毒に思える。
《雪のむらむら消え残りたる・・・。》
少し間を置いたとは言え、
今回は、とても苦労しました。(~_~;)
文章として、長い短いではなく、現代では失われている習慣や儀式、貴族だけに流行った遊びなど、我々の知らないことを、当たり前のこととして語る「清少納言」の言葉は、用語解説等を見ながら「訳」を付けていても理解しがたく、その上・今回の第二(三)段は、とても密度の濃い書き方をしているように思えます。
ちょっとした一言でさえ無駄がなく、極限までそぎ落とした言葉の使い方に、どう「訳」を付ければいいのかと、考えてしまいました。
「訳」というのは、そのものの意味がわかる様に付けなければ、いけませんが、
だからと言って、「清少納言」の持つ雰囲気を壊してまで、だらだらと書くことは「意味がない。」と考えました。
しかし、同じように「言葉をそぎ落として」行けば、初めて読んだ人にとっては
全く理解する事は出来ないと思います。
それどころか訳をつけた自分自身が、どれほど理解しているかも怪しいものです。(^_^;)
特に今回・感じた事は、
漢文の得意な清少納言らしく
「漢文」を訳し和語としたものと、
「ひらがな文」の話し言葉に近いものとが入り混じる、実に独特な「段」なのではないかと感じました。
同じ時代のほかの方々の書いたものを知りませんので、何とも判断しかねますが、このような構成や書き方は、「清少納言」独特の「言い方」や「書き方」ではないかと思います。
ある時は話し言葉、
ある時は漢文
そして、その両方が入り混じったもの、と
本来ならば、ちぐはぐに思える言葉の使い方を、
子供のころから「漢文」を教え込まれた「清少納言」ならではの言い方で、
「清少納言」らしく・自分の中で「理解」し「消化」して、書かれたものだと感じました。
「僕は、嫌いではありませんが・・・。」(^_^;)
たった一つの言葉
「姿」「形」「心」「雪」「青」「趣」「あはれ」など、
その言葉の意味を清少納言の立場に立って見てゆかなければ見えて来ないのではないかと感じます。
ただ単に「古典」という、昔の言葉としてだけでなく
「清少納言」と云う人・そのものを理解して初めて「わかる」ものならば、これ程・時を挟み、隔てた・今日(こんにち)では、理解しがたい物が在るのではと、つくづく思いました。
《正月一日は・・・。》
時は、「正月」
新しく明けてすぐの、「祝い」の華やかさと
新しい年の初めの、慌ただしさと、
新しい季節への、希望と不安な思いと、
そんな、いつもとは違う、この時期ならではの「お祭り騒ぎ」を
清少納言を中心とした、「女房達」の視点で、描かれているようです。
特に十五日、「かゆの木」で、身分の別なく打ち合う姿は、とても微笑ましく
「この時」とばかりにお尻を叩き合い、笑い合い、恨めしく思い、「来年こそは・・・。」と、誓う。
こうした事が、朝早く「婿君」が出仕(宮中・参内)する頃(夜明けすぐ位)から、行われていたというのは、まさに「平安(平和)」そのものであると思えます。
同じ頃、男共は新しい官位や、役職の為、朝早くから、右へ左へと走りまわり、
女と男が、これほど対照的に見える程、安らかな時であったのだと思います。
「平安時代」は、この頃を、頂点として
一番・華やかで、煌びやかな時代だったのではないでしょうか。
この・すぐ後には、「源氏物語」の“紫式部”の登場です。
今は、失われた慣習は、
同じ国に生まれ・住む者とも思えないものばかり
例え「貴族」という特殊な存在の「しきたり」であったとしても、
「異国の文化」のようにも思えます。
年が明けてすぐの華やかな時の、ワクワクした気持ちの中
その様子を書き綴った清少納言のワクワク感が、そのまま伝わって来るようです。
《ころは・・・・・。》
一年を通して、
各日、各月、各季節に、催される事柄に、
「一喜一憂」する様を、
「清少納言」ならではの「をかし」で綴られています。
有名な《第一段》は、日本の四季を通じ
“天然自然”の「をかし」を、取り上げ、
続く《第二(三)段》は、
人の営みを通しての
“心情”や“振る舞い”の「をかし」を、取り上げています。
「枕草子」の冒頭を飾る、
第一段・第二(三)段は、[第三(四)段は、~もの]
「枕草子」と云う「草子(本・ノート)」が、その事について書かれている事を暗示する
「目次」の様な、「はじめに」の様な役割を担って書かれて要るようです。
ここから「枕草子」と云う
この後(のち)「日本三大随筆」として語られる物が
「遂に、幕開け致します。」(^.^)/
(同段の「三月三日は~。」から後は、また後ほど・・・。)(^.^)
写真は、NETよりお借りしました。
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【枕草子】
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あてなるもの・・・〈第三十九段〉
あてなるもの
薄色に白襲の汗袗(かざみ)。かりのこ。
削り氷(ひ)にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる。
水晶の数珠(ずず)。藤の花。梅の花に雪のふりかかりたる。
いみじう うつくしきちごの、いちごなど食ひたる。
(訳)
上品なもの
薄紫の袙(あこめ・童女の普段着)の上に白の汗袗を着た姿。雁の卵。
削り氷にあまづらをかけ、新しく輝く金(かね)の鋺(わん)に入れたもの。
水晶の数珠(じゅず)。藤の花。梅の花に雪の降りかかる様。
とてもかわいい“子”が、苺などを無心に食べている様子。
《あてなるもの》
教科書にも出て来るほど有名な〈段〉ですから、なんとなく知っている方もいる事だろうと思います。
夏をテーマとして書かれたものではありませんが、
「削り氷(ひ)にあまづら入れ、新しき金鋺(かなまり)」と、頭の中で想像するだけで涼しく成れそうな、情景を思い浮かべます。
包丁やノミで削った、光が透き通る氷
銀色に輝く“金鋺”は、きっと韓国の冷麺をいれる器に似ているのだろう
暑く強い日差しの夏だからこそ、一層輝く“氷”と“金(かね)の器”
それを前に、皆がうれしそうに笑っている姿が、見える気がします。
幾つに成っても子供の様にキラキラと輝く・美しい瞳を持った清少納言が、同じくキラキラした器を見て微笑んでいます。
〈上品で美しいもの〉
女性として見た、男性の装束の美しさ。
女性として、甘いものが好きな事は、今も昔も同じ様です。
女性として、キラキラした水晶の美しさに、心・魅かれ。
藤の“紫色”、梅と雪・紅白のコントラストの美しさ。
そして最後は、
母として見た“稚児のうつくしさ(かわいらしさ)”です。
子供の様な清少納言が、最後は母の心で子供を見ることで締めくくるのは、母である証でしょうか?
それとも、女性としての、“母性”の表れでしょうか?
十二単を着て、定子の子供たちを微笑みながら見ている清少納言の様子は、
傍から見た時、とても“うつくしく・高貴”なものに、映ります。
そんな“あてなるもの”達を見つめる、清少納言そのものが、“あてなるもの”である様な気がします。
なでしこの花
「なでしこ」
連日連夜の暑い日に“うんざり”して
節電の昼に、高い温度設定のままのエアコンからの風
毎日朝起きて
一日と云う時間を、それぞれが、それぞれの目的の為にすごし
「あぁ、又一日が終わった。」と、ほっとする間もなく
夏の短夜(みじかよ)は、明け
また、今日も
暑い朝が、始まります。
そんな暑い朝に届いた「なでしこ」達の活躍に、日本中が歓喜しました。
遠いドイツと云う異国の地で、“日本”と云う国と、日本の人達の思いを一身に受け止めて
ただ、ただ「勝利」だけを考えて戦い抜きました。
彼女達の「勝利」は、単に日本代表の優勝ではなく
「東日本大震災」の進まぬ“復興の中”
本当の勇気と感動を日本国民に与えてくれた様な気がします。
2011年と云う、日本にとってターニングポイントに成る年に
ほとんど誰もが期待していなかった、サッカー女子ワールドカップでの優勝。
この年は、日本と云う国が、この地球上に存在する限り
語り継がれる年に成るであろうと思います。
《あてなるもの》=上品(高貴)で美しいもの
それは、彼女達の“一心”ではないかと思いました。
男も女も、女性からしか生まれては来れません。
彼女達には、“特別な何か”を、教えられた気がします。
「ありがとうございました。」〈(_ _)〉
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木の花は・・・〈第三十四段〉
木の花は、濃きも薄きも、紅梅。
桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。
藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
四月(うづき)のつごもり、五月(さつき)のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまに、をかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたる朝ぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほ、さらに言ふべうもあらず。
梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず、愛敬おくれたる人の顏などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あはいなく見ゆるを、唐土にはかぎりなきものにて、詩(ふみ)にも作る、なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の、帝の御使に会ひて泣きける顏に似せて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり。」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたき事は、たぐひあらじとおぼえたり。
桐の花の、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、こと木どもと等しう言ふべきにもあらず。唐土にことことしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて、琴に作りて、さまざまなる音のいで来るなどは、をかしなど、世の常に言ふべくやはある、いみじうこそめでたけれ。
木のさま憎げなれど、棟(あふち)の花いとをかし。かれがれにさまことに咲きて、かならず五月五日にあふもをかし。
梨の花
(訳)
木に咲く花は、色の濃いも薄いも、紅梅がいい。
桜は、花びら大きく、葉の色は濃く、細い枝の先に咲いているのが良い。
藤の花は、花房しなやかに長く、色濃く咲いている様は、とても愛(め)でたし。
四月の末、五月の初めころ、橘の葉の濃く青き中に、花・白くすがすがしく咲く、雨のうち降る朝など、世に並ぶべき物の無いほど良い。花の中より、実が黄金の玉かと見え、あざやかに輝いている様は、朝露に濡れている・明け方の光に輝く桜にも劣らず。橘はホトトギスの身を寄せる木とも思えば、あらためて言うべきもないほどだ。
梨の花は、世に面白みのないものとして、身近に在っても顧みられる事も無く、手紙に付けるでもなく、愛らしさのとぼしい人の顔などを見て、たとえて言ったり、まったく、葉の色からしても、風情なく見えるが、唐土(もろこし)の国では、かぎりなく美しい花として、詩にも書かれると、言うのだから、それだけの理由があろうと・よくよく見れば、花びらの端に、美しい紅色が、薄くほんのりと輝くのが見える。楊貴妃が玄宗皇帝の使いに会い・泣いている顔をたとえて「梨花一枝が、春、雨を帯びたように美しく風情がある。」などと言った事は、普通の事ではないと思っていたが、とても愛(め)でたき様は、他にたとえようもないと思われる。
桐の木の花の、紫に咲く様は、なお一層・風情ある、葉の広がる様子は少し大げさだが、他の木々達と同じように考えるべきではない。唐土に大袈裟な名のついた鳥(鳳凰)が、この木のみを好んでとまると云うのも、また格別な心持ちだ。まして、“琴”と作って、さまざまな音を奏でる、風情あるさまは、世の中の言葉では言い尽くせないほどに、素晴らしい事だ。
木の姿は、あまり美しいとは言えぬが、棟(あふち)の花は、とても趣深い。
枯れ枯れと、干からびたように咲き、必ず五月五日の節句に会えることは、とても楽しい。
棟(あふち)の花
あたらしい春を告げる風が吹くと
その風に、香りを載せ、花の咲いた事を教えてくれます。
梅の花の、つめたく凛とした“気の香”
藤棚の、むせるほどの“匂い”
橘の、記憶を呼び起こす“すがすがしい香り”
花と香りは、切っても切れない仲なれども、
この段は、その香りについて、一切書かれてはいません。
本文中に一言「にほひ」と云う言葉が使われていますが「匂い」では無く
見た目の美しさを表す言葉だそうです。
あえて香りの事には触れずに、見た目の美しさと、その花と木にまつわる事を中心に書かれています。
きっと、この段を書かれたのは、花の咲く時期とは違う、年のはじめか、夏の終わり・秋に成る頃、書かれたものであろうと推測します。
自分の勝手な思いこみを許してもらえれば、これから咲く花の事を頭の中で思い描きながら、季節の巡る時に合わせ、書かれて云ったのだろうと思います。
清少納言の好きな、
白い和紙を前に、
硯に冷たい一雫の水をたらし
ゆっくりと丁寧に墨を擦りおろし
紅色・紫色・白色・黄金色を、濃き青い葉と共に想い出し
これから来るであろう、春を、初夏を、夏を、思いながら
紙の上に“さらさら”と、「木の花」を咲かせるように書いて行ったのでしょう。
清少納言の好きな
紅梅の襲を着
気に入らぬ髪を一筋たらし
春まだあけぬ凍える日に、炭櫃に手をかざし
女性用の小さな筆に、墨を少しくつけ
白と黒の二色だけの世界に、
絵を描くように、言葉を選び
枝を伸ばすように、のびのびと、おおらかに、すがすがしく
上質の和紙に書きつけたであろう〈この段〉
木の花は・・・
木に咲く花は、紅梅が好き。
桜は、山桜。
藤は、しなやかに長く。
橘は、花も実も言うべきにあらず。
梨の花、白く「楊貴妃の涙のよう」
桐は、紫の花、琴の音を奏で。
棟の花は、枯れ枯れとした風情が美しい。
木の花は、皆、美しく輝いている。
「私は花が好きだ。」
By・seishounagon
写真は、NETよりお借りしました。
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二月つごもりごろに・〈第百二段〉
二月つごもりごろに、風いたう吹きて、空いみじう黒きに、雪すこしうち散りたるほど、黒戸に主殿司来て、「かうてさぶらふ」と言へば、寄りたるに、「これ、公任の宰相殿の」とてあるを見れば、ふところ紙に、
すこし春あるここちこそすれ
とあるは、げに、今日のけしきにいとようあひたるを、これがもとは、いかでかつくべからむと、思ひ煩ひぬ。「誰々か」と問へば、「それそれ」と言う、皆いと恥しき中に、宰相の御答へを、いかでかことなしびに言ひ出む、と、心ひとつに苦しきを、御前に御覽ぜさせむとすれど、上のおはしまして、おほとのごもりたり。主殿司は「とく、とく」と言う。げに、遅うさへあらむは、いと取り所なければ、さはれとて、
空寒み花にまがへて散る雪に
と、わななくわななく書きてとらせて、いかに思ふらむと、わびし。これが事を聞かばや、と思ふに、そしられたらば聞かじとおぼゆるを、「俊賢の宰相など、『なほ内侍に奏してなさむ』となむ定めたまひし」とばかりぞ、左兵衞の督の、中将にておはせし、語りたまひし。
(訳)
二月(陰暦)の末頃、風が強く吹いて、空は真っ黒に曇り、雪が少しちらつく様な日に、(清涼殿の)黒戸に主殿司がやって来て、「御用事があり、伺いました。」と、言うので、傍まで行くと、「公任の、宰相様のお手紙です。」と、言って、手渡された“ふところ紙”に、
すこし春ある・ここちこそすれ
(すこし春のけはいが、あるようだ。)
と、書かれているのを見て、確かに今日の空模様に良く合う詠みぶりだが、これを元に“上の句”どうして作ろうか思い・困ってしまった。そこで「(宰相様のお傍には、)誰と誰が、(いらっしゃいますか?)」と、聞いたところ。「誰、それ(様です。)」との事。皆ご立派な方々ばかりなので、特に公任の宰相様への御返答、いい加減なことなど云えないと、一人思い悩んでいる時、中宮様に御覧頂こうと思へども、帝(天皇)がおいでに成って、もうお休みに成っていらっしゃるとの事。主殿司は、「お早く、御返事を頂きたい。」と、急き立てる。(歌も)不味いうえに遅いとあっては、全く取り柄もない、“それならば”と、意を決めて、
そら寒み・花にまがへて・散る雪に
(空の寒さに、花と間違える様な、雪が散り落ちるので)
と、わなわなと手を震わせて書き渡せば、これを、(宰相様は)どう見るのだろうと思うと辛くなる。この返事をどう見たのか、早く聞きたいと思う反面、けなされたなら聞かないでおこうと思っていると、「俊賢の宰相などは、『やはり帝に、申し上げて、内侍にしてやりたいものだ。』と、論定なさった。」と、左兵衛督で、その頃はまだ中将でおいでになった方から、その後・語り聞かされた。
宮中の中で、交わされた“雅”な遊びのひとつなのでしょう。
「上の句や下の句を渡して、それに返事を書く。」
こう云った事に、「清少納言」と云う人は、とても長けていたのだと思います。
単に“上”に対して“下の句”を付けるのではなく、“今日”と云う“時”の“季節感”と“辺りの様子”と、それを感じている“人の心”も同時に考えて作られたものであろうと思います。
「枕草子」の中の一つの段として見た場合、「あぁ、そんなものか。」と、感じると思います。
しかし、あの時代の宮廷人達が、清少納言の“上の句”を聴いて感心するのですから、余程その日の天気や季節感と合っていたのだろうと想像します。
そこで、この文が交わされた時の景色を、考えて見たいと思います。
「三月のおわりごろに」
三月の半ば過ぎ、すっかり春めいて暖かく成って来た・今日この頃。
風が時折・強く吹き、空が黒く曇り、雪がちらほら舞い散る日の夕刻。
清少納言の処へ、手紙を携え一人の使いの者が訪ねて来ました。
三月の半ばと云えば、もうすっかり春の陽気だったのだと思います。
今の時代よりも、肌寒い平安時代とは言え、そろそろ桜も咲き、霞立つ日も近かったと思われます。
そんな春の日に、季節が戻ったのかと・思われるような、冷たい風が吹き、曇り、雪が降りて来たのでは無いでしょうか。
梅や桃の花、その他・色とりどりの野の花達が咲き乱れる中を、白い雪が、時折吹く強い風と共に、舞い降りたのでしょう。
「淡い春の花の上に、季節外れの白い雪。」
歌人や風流人でなくても、心に感じる物があると思います。
肌寒さに、しまっておいた「襲」を取りだし、幾重にも着たかもしれません。
そんな、春と冬を同時に感じた・夕刻の日の出来事では無いかと考えます。
こうした事を、頭の中で思い描きながら読み進めて行くと、この段の雰囲気がよく分かる気がします。
只、作者が情景描写などを丁寧にしていてくれていれば、清少納言や宰相中將等の登場人物たちの感動をもっと伝えられた事と思います。
でも何故か、この段では細かい状況が書かれていません。
それは、この作者にとって、細かい事等どうでも良い事だからではないでしょうか!?
作者が、この話の中で伝えたかった事
それは、「私は、こんなに凄いのよ!」と、云う事だと思います。
「枕草子」の作者である“清少納言らしさ”は、そこにあるのではないかと考えます。
その時々の雰囲気、季節感、それを感じている人の心などを、その場で“言葉にする事の出来る力”
それが「清少納言」の凄さだろうと思います。
ですから、この歌の凄さを理解できたのは、その場で聴いていた人だけかもしれません。
いろいろな思惑があったとしても、「新古今和歌集」に清少納言の和歌が残されていないのは、そうした理由もあるのかも知れません。
千年後まで残る物を書く事の出来る人でありながら、それとは別にその場の空気感や、季節感を素早く捉えて・人に見せる事の出来る力、それは「枕草子」を書き、後々の人たちを感動させた力とは別の、もう一つの力であったように思います。
多分、清少納言の和歌は、「空気」の様な物だったのでは無いでしょうか?
その場にいて、その空気を吸える人だけが、本当の清少納言の和歌を理解することが出来たのでは無いかと思います。
そうなると、ますます「平安時代」と云う“時”に興味が湧いて来ました。
あの時代、宮廷の中では、今の時代とは全く違った風が吹いていたのだろうと想像します。
いつか、あの場で「平安の風」に、吹かれてみたいものです。
いつか、あの場で「清少納言」の作った機知に富む和歌を聴いてみたいものです。
いつか、あの場で「清少納言」の隣に座り・得意満面な顔を見て見たいものです。
きっと、子供の様な笑顔であったような、気が・します。
いつか、そうした時代が来ることを、
期待して・・・。(^−^)
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冬はつとめて。〈第一段〉
冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりて、わろし。
(訳)
冬は早朝がいい。雪の降るさまは、口にするまでもなく。霜の白く輝く時も、また・そうでなくても、とても寒く凍える、そんな朝“火”などを急ぎおこして、炭の火を持ち渡るさまも美しい。
でも、昼に成り寒さも和らぐと、炭櫃や火桶の火も、白い灰ばかり目立ち、みっともない。
平安時代の日本は今よりも、とても寒かったと云われています。
そんな寒く凍える様な、夜明け直ぐの・陽も明けきらぬ中、炭火を持って各部屋へ持って行く様を見ていたのでしょうね。
朝の支度をする者達は、他の人たちよりも早く目覚め、準備をしなければなりません。
自らの体を暖めるよりも先に、火をおこし、
凍える手で、炭火を運び、
冷たい廊下の上を歩き、各部屋に届け
届け終わる頃には、すっかり夜も明け、
体も暖かくなっていた事でしょう。
冬の朝の、
白い雪と、白く輝く霜と
白い息を吹きかける白い手で
いそいそと運ぶ暖かく・朱い火。
冷たく白い色と
暖かく赤い色のコントラストが、
とても美しい光景ですね。
そして、この有名な「枕草子」第一段を締めくくる言葉は
「わろし。」です。
白い光景が“美しい”と云っていた清少納言が、
「白い灰は、感じが悪い。」で、締めくくります。
その白と赤の対比の様に、
「おかし」から「わろし」へと移って行きます。
〈第一段〉冬
凍える白で始まる冬の美しさを
アカアカと燃える朱い火が、なお一層引き立て
寒い朝の暖かさを伝えてくれます。
時間の流れと季節の流れ
明と暗、色の対比
視点の上下と心の上下とを
同じ場所に留めた様な
そんな〈段〉ですね。
やっぱり「枕草子」は、
この〈第一段〉に「全て極まれり。」と云うところでしょうか。
本当に、美しい〈第一段〉ですね。(^−^)
「枕草子」〈第一段〉は、はじめに取り上げたのですが、細かく(訳)を付けたりはしていませんでした。
今回、各季節一つずつ取り上げる事としました。
春からの方が、いいかとも思いましたが、年の初めの〈冬〉からとしました。
あしからず・・・(^_^)/
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