黒猫ぶっちゃ〜のブログ

『花は散り・星は流れ・想いは風に、 とけていく』

【気に成る言葉】

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「AI(人工知能)」(^_^)/(気に成る言葉)





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ヤフーのトップ画面で、気に成るニュースが掲載されていまし
た。

それは、「ホーキング博士のAIへの警告」です。


「ホーキング博士」と言えば、「現代のアインシュタイン」と、呼ばれる天才で、「車いすの物理学者」とも言われているので、ご存知の方も多いと思います。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

そんな、世界的な「天才」と呼ばれる方が「警告」を発しているのですから、周りとしては黙ってはいられません。

当然の様に世界的なニュースに成っています。

その概要は・・・

「AI(人工知能)」がどんどん発達して行けば、

人は「機械を使う」のではなく

人と云う種が「造った機械に使われる(機械に駆逐される)」可能性が在る

・・・と云う事のようです。

確かに、そんな事に成ってしまっては、困ります。

それどころか、先ごろ制作発表された来年公開の映画「ターミネーター」の様に、人類そのものを機械が「抹殺」しようとする時代も、いつか来る“かも”しれません。

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そう成れば「困る」などと云った話では無く、「怖い」話に成ってしまいます。


只、それとは別に、もう一つ気に成った事が在ります

「AI(人工知能)は、「新しい“生命”と云えるかどうか?」

・・・と云う疑問です。



「脳と人工知能」

勿論手足が在って、普通の生き物のように動けるかどうか?

・・・と云う処から「生命」を考えて行くのではなく、あくまでも「人間の脳」「AI(人工知能」の事だけを限定的に考えてみたいと思います。

そこで、あれこれ煩わしい事は、完全に端折って・・・



「人間と、他の動物」    「人の脳と、AI」

・・・と云う事に成ると思いますが・・・

人間と他の生き物との違いの一番大きなところは、

やっぱり「感情と心」ではないでしょうか。

「感情」と云う事で言えば、犬や猫などの身近な動物を見ていても、はっきりと「怒ってる」とか「笑ってる」とか「喜んでる」などが見て取れます。

野性の状態でも感情の起伏が無い訳ではないと思いますが、「生きて行く」と云う目的の上には「感情」はむしろ邪魔な為、表面には出て来づらいのではないでしょうか。

“多分”・・・人間と云う、とても感情的な生き物の側に居る事によって、飼い犬や飼い猫などの動物たちの「感情」が表に出て来るのでは無いかと推測します。

それは、人間にとっての「こころ」も同じようなもので、何らかの外側からの刺激(縁)が在る事によって、出て来るものであるように思えます。

人の心」も、人を含めた動物たちの感情」

「外からの刺激(縁)」によって、出て来るモノでは無いかと考えられますが・・・

そう成れば「生命」と云う物は、

元々「感情や心」と云うモノを内在しているからこそ、

その「縁(刺激)」によって、表面に現れて来ると言えるのではないでしょうか。


つまり「生命」と呼ばれるものは、表側から見えずとも、

そこに「初めから・感情や心を宿している」と、云う事に成ります。


ただ、もしそれが「真実なら」

どんなに精巧な「AI」を造ったところで、

プログラムして居なければ、絶対に「感情や心」は、出て来ない事に成りますが・・・

「果たして本当に、そうでしょうか・・・?」(^○^)・・・?




「ネットワーク」

今の進んだ「脳科学」の分野では、人の感情や心は「脳内の複雑なネットワークから出て来るモノでは無いか」と云われているそうです。


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自分の経験知識などの、沢山ある事柄を全て頭の中で瞬時に計算して出てきた答えこそが、

割り切る事の出来ない「感情や、こころ」と云う事に、成るそうです。

もしそれが事実なら、

「人」は「生きるて居る・とんでもなく複雑な機械」であるなら

将来的には、複雑な「ネットワーク」を持つ「AI(人工知能)」が完成すれば「感情や心」を持ってしまうと云う事に成ります。



「人」と云う存在を「人間自身」「生きる精巧な機械」と捉えるか

昔から、宗教的に言われているように「肉体と、霊・魂・心」集合体と捉えるか

・・・と云う事に成りそうです。



「生きる精巧な機械」と捉えれば、

「AI」はいずれ「生命」の一つと呼ばれることに成りますが、

「霊・魂・心」を持たぬ者は「生命では無い」と仮定すれば・・・

「AI」は、人にとって「驚異的な存在にはならない」と云えるのではないでしょうか。


そう云えば映画「ターミネーター」の中では世界的な「インターネット」の繋がりその物が、「一つの生命と成った」と、されていますね。


これから、どんな世界に成るのか?

「なんだか、凄く・ワクワクして来ますね。」(^_^)/






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PS,
ターミネーターの新三部作も、凄く楽しみです。(^−^)




(画像はネットよりお借りしました。)



「祈り」(-“-)  
 
 
 
 
冬に逆戻りしたような今日。
 
又、あす未明からは雪に成り、寒い「冬」が北から帰って来るようです。
 
つい・この間の「春」を思わせる暖かさからは考えられない様な寒さに・・・
 
「身も心を縮んで仕舞いました。」((+_+))
 
 
 
 
「祈り」(-“-)
 
 
時々、厳かな神社へ行きます。
 
時々、苔むしたお寺へ行きます。
 
時々、大谷石の石造りの教会へも行きます。
 
そして、
 
時々、そんな祈りにふさわしい場所で
 
「祈って来ます。」(-“-)
 
・・・と、云っても祈る事と言えば
 
いつも、
 
まず・自分の事
 
家族の事、知り合いの事
 
せいぜい広く見ても自分の住む地域の事
 
全く他人について「祈る」事なんて
 
「ある訳がありません。」(_)!!
 
・・・と、あまり堂々と言える事ではありませんが・・・
 
「そんな感じです〜〜。」(^_^;)
 
 
 
 
処が、あの「3.11」以来
 
全く、観た事も・聴いた事も無い、知らない人達に対して
 
知らず・知らずのうちに、祈っています。
 
「無事を、祈り」
 
「悲しみが癒えるように、祈り」
 
少しでも早く
 
「元に戻れるように、祈り」
 
無駄とも思えるような、そんな「祈り」をしながら
 
もう、直ぐそこに「一年」と云う区切りが来てしまいます。
 
 
「早いモノですね〜。」(_)
 
 
 
 
こうして一年過ぎて
 
知らず・知らずながら、祈って来て
 
 
一つ気づいた事があります。
 
それは、
 
「祈りは、人の為ではないかもしれない。」(_)
 
・・・と、云う事です。
 
 
人が笑顔に成ってくれる事
 
人が楽しいと思える事
 
人が幸せだと感じてくれる事
 
 
そうした事は、自分にとっても
 
知らず知らずのうちに、自分の喜びなのかもしれない。
 
「いいえ!」(_)!!
 
そんな綺麗事ではなく
 
きっと、他人の幸せは、巡り巡って
 
自分に帰って来る事を
 
感じているのかもしれない。
 
“情けは人の為ならず”
 
古くからのことわざが示す通りの事が
 
まさに「祈り」と云う行為に、含まれている様な気がします。
 
「祈る」と云う事
 
それは、他人も、自分も
 
同じように幸せに導く方法だと
 
「人は、太古の昔より知っていたのかもしれません。」(-“-)
 
 
 
 
 
 
   寒く凍える・今日と云う日
 
 
  「3.11」が、暖かい日で・迎えられるようにと
 
 
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「祈りたいと思います。」(^_^)/
 
 
 
 
(写真は、NETからお借りしました。)
ポッキープリッツ(;一_)
 
 
 
 
 
 
 
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「時々ですが“ポッキー”を食べます。」(^o^)/
 
 
近頃の「ポッキー」小さなアルミの袋に小分けにして入っています。
 
そのお陰で、湿気る事無く・いつでもおいしく食べる事が出来ます。
 
 “誰か”が食べるつもりで買って置いた物を、一つだけ取り出し・袋を開け・ネーミング通り“ポキ・ポキ”と音を立てながら食べて行きます。
 
小分けに成って、細くなって、その分チョコの割合も多くなって・・・。
 
「益々おいしく成っています。」(^^)
 
 
 
そのポッキー、食べていると、最後に残る物があります。
 
「持ちて」の様なチョコのついていない部分です。
 
 
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「これです。」(^_^;)
 
 
この部分“バッチー手”で触った処です。
 
 
“やっぱり捨てるべきなのか?”(_)
 
 
“それとも、勿体ないから食べるべきか?”(・。・;
 
 
「いつも悩んでしまいます。」(^_^;)
 
 
 
 
第一、
 
「なぜこんな部分があるのか?」を、考えてみると
 
もしも全て、チョコで覆ってしまえば、最後までおいしく食べれますが、持った部分のチョコは手の体温で溶け、酷い状態になってしまいます。
 
それを思えば、手に持つ部分をチョコで覆わない事は、とても理に叶った事だと云えます。
 
でも、そうなると食べる事を考えて作られた物ではなく、あくまでも「手」に持つ「持ちて」としての役割を担わされた物である事がはっきりして来ます。
 
・・・と云う事は、例えるなら・・・
 
 
焼き鳥の「串」
 
ホットドックの「棒」
 
ハンバーガーの「包紙」
 
海老フライの「シッポ」
 
誕生日ケーキの「ロウソク」
 
 
みんな、食べ終われば捨ててしまいます。
 
その事から考えれば、やっぱり捨てる事の方が妥当な考えの様な気もします。
 
でも、一つここで思い出した事があります。
 
この「取っ手」の部分にそっくりな物が、同じ会社から売り出されています。
 
 
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「“プリッツ”です。」(^O^)/
 
 
 
そこで調べてみましたが・・・
 
「ポッキー」1966年生まれ・・・
 
 
「プリッツ」1963年生まれ・・・
 
 
 
 
兄弟の様な
 
親子の様な・・・
 
この二つのお菓子
 
どう見ても「プリッツ」にチョコをかぶせた物が「ポッキー」である事がわかります。
 
この「棒」と云うか「芯」に当たる部分の「クッキー(?)」の味は異なる様ですが、基本的には同じものと考えていいと思います。
 
つまり、この「持ち手(取っ手)」に当たる部分は、
 
「味が薄く、甘くも・塩辛くもない“プリッツ”」と云う事になります。
 
「プリッツ」と云う事になれば・・・
 
「捨てる訳には行きません。」(_)!!
 
 
 
 
もちろん貧乏性の自分としては、
 
捨てる事など考えられませんが、
 
まだまだ、寒く、
 
バイクで表に出る事もない部屋の中・・・
 
 
 
 
 “う〜〜〜〜〜ん。”(-"-)
 
 
 
 
 
「どうでもいい事を、少し・考えてしまいました。」(^_^;)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おまけ・・・
 
この時期だけの
 
“お気に入り”
 
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DEMEL
 
 
         「猫のパッケージが可愛い
 
                                     ウィーンのチョコです。」(^_^)/
 
 
 
 
 
(画像他、ウィキペディアよりお借りしました。)
 
 
 
「主人公には、成れないけれど・・・。」(^.^)
 
 
 
 
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「タイムマシン」(気に成る言葉)
 
時間を越えて・過去へも未来へも行ける装置。
 
夢の様な機械で、もちろん現実には存在する筈も無く。
 
夢の中だけで語られる物です。
 
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でも、人の思う「夢」は、いつか必ず「叶う」と云われています。
 
強く・強く、念じれば念じる程、
 
いつか、それは形になって
 
目の前に現れて来るのだと云われています。
 
ですから、「夢をあきらめるな!」なんて云う、少しくさいセリフもありますが、
 
考えてみれば、あきらめてしまっては、「叶う」可能性すら無くなってしまいます。
 
 
 
又、自分では、叶えられなくても、その子供や孫
 
その子供たちや、孫達
 
何世代も隔てた、人々の手によって、
 
「いつか」叶うかもしれません。
 
たとえ、「タイムマシン」などと云う「大それた物」では無く。
 
僕個人の、ささやかな
 
けれども、叶う筈のない
 
「願い」「思い」
 
心にずっと、閉じ込めておこうと「思った事」など
 
そんな、言葉で表せば「夢」と云う物も
 
僕の、ずっと後の世代の人たちが、叶えてくれるかも知れない。
 
 
人の思う「夢」とは、
 
文字通り「夢」の様に、
 
単に頭の中だけで想像しているだけの物ではなく、
 
「いつか」形あるものとして、この世に生まれて来るかも知れません。
 
 
 
 
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ふと、そんな事を思いながら、
 
「ぼ〜〜。」、っと、虚空を見つめていると・・・。
 
「でも、やっぱりタイムマシンなんて、夢の又・夢だよね。」(・。・)
 
 
・・・と、冷静なもう一人の自分が、
 
左斜め後ろから、水をかける。
 
 
 
 
そう、「タイムマシン」は理論的には
 
「無理!」「不可能!」
 
「存在しない!」「ありえない!」
 
「第一、現代人には“時間”さへ・解らないのに・・・。」(-“-)
 
 
 
 
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“でもね・・・。”
 
・・・と、メルヘンチックな二人目の自分が
 
右斜め後ろから、肩を叩く
 
「でもね、時々・記憶している『歴史』と、
 
本に書かれている『歴史』が、
 
“食い違う事”って・ない!?」(o)
 
 
 
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“えっ!”
 
・・・と、現実の目で世界を見ている
 
真ん中の自分は、それを取りまとめるように
 
少しだけ冷静に、
 
でも、
 
少しだけふわふわと、考えてみる
 
「そうだ、そう云う事・あるよね。」(o)
 
 
 
 
「勘違い」
 
「記憶違い」
 
「若年性の○○」
 
 
そんな事ではなく
 
 
「そう云う事・あるよね。」(^_^)/
 
 
 
僕の、知らないところで、
 
どこかの誰かが「タイムマシン」に乗って
 
歴史の重要なところを、
 
あちこち、泥だらけになりながら
 
がんばって、飛び回り、
 
「悪い奴」「それを阻止しようとする人」とが
 
 
「戦っているんだ!」(^O^)
 
 
 
 
 
 
 
「ポ〜。」っとした頭の中にある、
 
微かな歴史の食い違いは、その痕跡なのだ。
 
 
 
 
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僕は、物語の主人公には、成れないけれど
 
なんとなく・・・。
 
それは・・・。
 
 
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「・・・わかる気がする。」(^−^)
 
 
 
 
  (写真は、NETからお借りしました。)
「まことに心の重い年でした。」(“天皇”と云う職業)
 
 
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(写真はNETからお借りしました。)
 
 
 
 
 
今日・12月23日は、第125代・平成天皇(明仁)の誕生日です。
 
今日で、78歳になったと云う事です。
 
「天皇陛下」と呼ばれ、戦前「昭和天皇」は、「現人神」とも呼ばれ
 
“おばあちゃん子”の僕は、「天皇」と云う存在が、一般人とは違う特別な存在であると、半ば刷り込まれる様に育って来ました。
 
「天皇制・云々」に関しては、いろいろな方が、いろいろな意見を、持っていると思いますが、ここでは・そうした難しい事には触れないで、“僕”と云う昭和40年生まれで・戦後20年目に生まれた、戦争も何も知らない世代の「独り言」と思い読んでください。
 
 
 
 
12月23日は、クリスマスイブの前の日で、僕の一番下の弟の誕生日です。
(僕は、3兄弟の長男で、末の3男の誕生日です。)
 
まだ昭和と云う時代・カレンダーに、23日は「皇太子の誕生日」として記されていました。
当然ながら、皇太子が天皇に即位した後には、12月23日は「天皇誕生日」と云う事に成ります。
 
諸説ある様ですが12月25日は、「クリマスです。
 
イエスの誕生日とされています。
 
キリスト(救世主)の誕生日・12月25日
 
天皇(平成天皇)は、もちろん「キリスト教徒」ではありませんし、聖徳太子の様に馬小屋で生まれた訳でもありません。
ですから、同じ誕生日であったとしても、別にどうという事は無いと思いますが、ここまで近いと「せめてあと一日位、遅ければなぁ〜。」と、思ってしまいます。
 
そうすれば、日本全国当たり前に
 
「クリスマスを祝う(騒ぐ)事が出来る〜。」\(◎o◎)/!
 
・・・と、誰でも思った事が在るのではないでしょうか?
 
 
 
逆に、うちの弟にとっては、とっても迷惑な話の様で、必ず祝っては貰えますが、プレゼントは“一つだけ”と云う、誠に不条理な誕生日に成ってしまいます。
 
僕なんて幼い頃は、誕生日なんて祝ってもらった覚えなど在りませんから、それに比べれば必ず“ケーキが在って”“みんな揃って”て、“ローソクの火を「ふぅ〜〜。」と消して”“綺麗にラッピングしたプレゼントを貰える事”を思えば、とても贅沢だと思いますが、本人からすれば、「納得行かない!」と云う事なのでしょうね。
 
 
 
そんな天皇も、今年で78歳
 
後二年で80歳・平成25年という節目に成ります。
 
 
 
 
「平成天皇・明仁」と云う方を「人」として見て見ると、
 
ある意味とても大変な「人生」なのではないかと思う事が在ります。
 
生まれた時から、自分の人生の全てが・ほぼ決まっています。
 
それは、朝起きてから、夜寝るまでのスケジュール
 
話す言葉の一つ一つ、話の内容から、話し相手、
 
しかも、そのほとんどを自分で選択する事は出来ません。
 
決まった事を決まった様に、“確実にこなす”
 
それが、「天皇」と云う職業なのではないでしょうか。
 
当然ながら生活の全てを保証され、何一つとして“不自由”する事は無いでしょう。
 
身の回りの物、着る物から、食べる物、住む家も、
 
日本最高の物で、最高の職人が作った物以外使う事はありません。
 
ある意味、日本で唯一・本物の「セレブ」と云う事になると思います。
 
でも・そんな天皇が唯一持っていないのが「自由」と云う物かも知れません。
 
何一つとして不自由する事の無い「天皇」は「自由」と云う、一般人には当たり前の物を持つ事が出来ない「特殊な職業」と云う事なのかもしれません
 
 
 
 
そんな自由を持たない「天皇」と云う職業の方が
 
 
今年の暮れの
 
一年を振り返っての言葉で
 
「まことに心の重い年でした。」
 
・・・と、言ったと云われています。
 
 
天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」全文
 
 
 
 
 
今年の漢字は「絆」と云う言葉ですが、
 
いつもの年なら「いい得て妙」と、思えるような言葉に決まりますが、今年は・今一歯切れの悪い感じの言葉に成ったと思っています。
 
その「絆」と云う言葉以上に“今年”と云う一年を象徴した言葉が
 
「心の重い年」“重い”と云う言葉の様な気がしました。
 
 
「重い」は、“おもい”と云う音だけ見れば
 
「思ひ」「想い」そして「念い」に通じる言葉で在るとも思えます。
 
しかも「天皇」として、今流行りの「上から目線」では無く
 
我々一人ひとりにとっても「重い心(思い想い念い)」であったのでは無いでしょうか。
 
 
おもい(思ひの年)と云う言葉こそ、
 
今年と云う一年を“象徴”している様に思います。
 
 
 
何一つ不自由のない・自由の無い人の口から出た言葉が、
 
何物にも縛られる事の無い“言葉”と云うのは、
 
少し皮肉な気がしました。(ー_ー)
 
 
 
最後に、今日誕生日の方たちへ(僕の弟も含めて)
 
「お誕生日、おめでとうございます。」(^O^)
 

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