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中京競馬場〜♪ ・・・を通り過ぎて、 自宅から片道5〜6kmはあるでしょうかぁ〜? 歩いてきましたよ〜!(5月1日に行ってきましたぁ。) 桶狭間古戦場☆今川義元の「上洛戦」であり、その義元を織田信長が「奇襲戦」で討ち取った戦いとされてきた桶狭間の合戦。 しかし記録に残る桶狭間合戦は謎が多く、学者・小説家等、多くの人が様々な見解を述べています。今までつかさがお散歩してきた豊明市内の史跡・名勝地・寺院等の位置関係が、 下の表でよ〜く解ると思います。 二村山→3月29日記事 沓掛城→4月5日記事 勅使池→4月20日記事 曹源寺→4月26日記事 今川義元のお墓です。 七石表(一号碑)今川上総介義元の戦死所 通りを挟んだ向かい側には 香華山 高徳院(開創者:弘法大師 空海)があり、 境内には今川義元本陣跡の石碑など、桶狭間古戦場を偲ばせる史跡があります。 帰りには桶狭間合戦の戦死者を曹源寺により埋葬供養された、 国指定史跡「戦人塚」にも寄っていきました〜☆ とっても健康的なGWしてまぁ〜す☆-(-_^)あはは。 また、来月の6月6日(土)・7日(日)には 桶狭間古戦場まつり が開催されます。 武者行列や桶狭間の合戦再現劇など、見応えのある行事が予定されていますヨン☆ |
お散歩
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わぉ〜、風が強〜い!天気予報で強風波浪注意報がでてたもんね〜・・・。 自宅前の遊歩道の街路樹がざわざわと揺れています。写真じゃよくわかんないよね〜? でも昨日は雨でお散歩お休みしちゃったからさぁ、今朝は張り切って出発しまぁ〜っす! 今日の目的地は・・・ ジャ〜〜〜〜〜ん!! (風が強くって早足で歩いたから、もう着いてしまいました。あはは。) 清涼山 曹源寺【そうげんじ】っす☆永正二年(1505)開創。知多四国八十八箇所の第1番目、“桶狭間の戦い”の戦死者を手厚く供養しているお寺です。豊明の大根炊きでも知られていますよぉ〜。 正式名は『烏蒭沙摩明王尊大祭』という。毎年11月29日に行われる行事でご祈祷をされた大根を“ふろふき大根”とし“結び昆布”と共に食して明王尊とご縁を結び健康で寝たきりになることのないよう願う行事である。毎年大変な人出で6,500人分の“ふろふき大根”を用意する。混雑のため食べられない人、当日参拝のできない人のために持ち帰り用10,000個の“生の大根”を用意する。(Wikipediaより) (上)弘法堂内(下)「五鈷杵(ごこしょ)」 (左)本堂内(中)弘法堂(右)交通安全お守り 弘法堂内の「五鈷杵(ごこしょ)」の脇には「願い事用紙」が置いてあって、 住所・氏名・生年月日・願い事を書いて「お願い壺」に収めて一心にお祈りしなさいって説明書きされているんですよ〜☆ もっちろん、一心にお祈りしてきましたヨン♪ ぐる〜っと遠回りして参拝させて頂きましたぁ。 次は桶狭間の古戦場に行こうかなぁ〜?!(ちょっと遠いですけど・・・)
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今日も元気にお散歩探検〜☆ 勅使池水辺公園にやってきました。 自宅から4km弱はあるでしょか?ちょっと気合入れてウオーキングしましたぁ。あはは。 伝承によると大永8年(西暦1528年)、 左中将経広卿という人が後奈良天皇の勅使(天皇の使者)として訪れた際にこの池造ったとされ、 こう呼ばれるようになったそうな。 また、旧石器時代のナイフ形石器が出土している勅使池遺跡としても知られています。 公園の隣、コミュニティーセンターにはグランド、テニスコート、弓道場、グランドゴルフ場等があり、 日曜日の今日は朝から大変賑わっていましたよぉ〜。 そして、池の南の畔に一風変わった神社を発見!!! 鳥居・額には「皇勅院」とありますね〜。 水切不動明王。おぉ〜!龍の印だぁ〜! 家に帰ってから早速調べてみたんだけど・・・、 この神社の情報は殆どわかりましぇんでしたぁ〜。(う〜ん残念!)
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天気は曇り。紫外線も気にならないお散歩日和です。 アスファルトの隙間から力強くお花が咲いていました。 早朝散歩は今まで見過ごしていたもの達がとても新鮮に感じられますね〜♪ 「さ〜て、本物の地蔵は見つかるのかなぁ〜・・・?」 ・・・な〜んてとぼけていますが、実はちゃんとリサーチ済み。 あはは。 方向音痴なので地図までコピーしちゃってま〜っす☆(〃∇〃)ゞえへ。 「青木の楠」から徒歩5〜6分でしょうか。 ありましたよ〜!ジャ〜ん!! 民家の片隅にひっそりと寺内地蔵堂が祭られていました。 そしてこちらが本物の青木地蔵。 頭が無く石の塊のようなお地蔵さんなんです。 実はネットで地蔵堂の場所を検索している時に、 この青木地蔵について非常〜に興味深い記事を見つけてしまいました。 道祖神研究家:北白河 貴人(きたしらかわ たかと)さんのホームページ「道祖神の世界」でこう解説されています。 以下抜粋 そこに祭られていた青木地蔵とは、陽根石であり、正しく私が常々主張しているように、夫婦和合・子孫繁栄・豊穣祈願の陰陽石が、やがて街道にも祭られるようになって、道祖神となったとの主張が正しかったことを証明していた。 大正時代に、浅学・浅墓な村の有力者が、陽根石を祭るのを恥じ、当たり障りのない地蔵とすり替え、縄文以来の風習を抹殺しようとしたものであろう。 なお、豊明市のHPでは青木地蔵を次のように解説している。しかし、頭部がないのではなく、陽根石そのものである事実を認めていないようである: (豊明市のHPの解説) 鎌倉街道沿いの青木地蔵は、沓掛町宿の東方、老木の楠の根元に安置されていました。高さ約35cmの地蔵尊で、大正6年(1917)1月、寺内地蔵堂に移され、元の楠の根元には新しい代わりの地蔵尊が安置されています。街道沿いに安置されていたため、道祖神ではないかといわれていますが、今では頭部がないことから、下半身加護の地蔵尊として、多くの参詣者があります。 きゃ〜!(≧∇≦)青木地蔵さんは男性のシンボルだったのね〜☆(〃∇〃) これならお地蔵さんを代替仏にした説明がつきます。納得っす!(^∧^) めでたしめでたし、あはは。 でもさぁ結構近くなの〜、寺内地蔵堂。 お散歩としては ちょっと物足りないので・・・ 近くの農道をぐる〜っと遠回りして〜・・・ 歩いていたら〜・・・ と〜ってもいい匂いが〜・・・ こ・・・これは名古屋人はみんな知ってる「寿がきや 本社工場」! (工場の周りはラーメンの香りが漂っていますぅ〜) あ〜ん、さっき朝食すませたばかりなのに、もうお腹が空いてきちゃったよ〜・・・( ▽|||)。
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今日のお散歩は 豊明消防署☆高〜い火の見やぐらが自慢?! 人口6万9千人前後の豊明市にしてはとても立派な消防署ですね。 イチニ!イチニ!C= C= C= C=┌(;・へ・)┘ 消防士の皆さん、朝早くから訓練ご苦労様で〜っす! (って、今日は朝寝坊しちゃったんで家を出たのが8時半だから、そんなに早くもないか・・・(〃∇〃)ゞえへ。) でも、本当の目的は消防署じゃなくって〜・・・、 こっち。 この〜木なんの木?♪気になる木〜♪ この木はね〜、 今は田んぼの中にぽつんと立っていますが、 「青木の楠」と言われ、市の広報・文化財だよりでも紹介されたちょっと有名な木。 昔の鎌倉街道沿いにあったそうです。 根元のお地蔵さんは「青木地蔵」と呼ばれています。 書かれている説明によると本物は別の所に移されて、 こちらは代わりのお地蔵さんってことね・・・。 ・・・でも、素朴な疑問。 代替仏を置くほど本物のお地蔵さんは貴重な文化財なのかなぁ? よしよし、今度は寺内地蔵堂探しのお散歩探検に行こうっと!p(^-^)qわくわく。
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