石の思い

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「ダクラス・スポールディングは十二歳だった」
  
                 レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』


夏をむかえるにあたって、きたるべき季節に礼儀をつくそうと思うのだ。
おととしは確か『夏への扉』だった。ので、今年はこれ。

1928年の夏が始まった。12歳のダグラス・スポールディングは目が覚めてそれを知った。
おじいちゃんが庭で芝を刈っている。午後にはたんぽぽを摘んでお酒をつくるのだ。それからあのショウ・ウインドウのテニス靴。あれは何としても手に入れなくちゃならない。
フリーリー大佐にはバッファローと南北戦争の話をしてもらつもりだ。ジョン・ハフと市電にも乗らなくちゃ。<孤独な人>はまたこの町で殺人を犯すだろうか?ドラッグ・ストアではおばあさんと青年が楽しげに話しをしている。へんなの。まるで恋人どうしみたい。おおおばあさんはベットに入ったきりだ。何かが彼女に近づいているらしい。でもそれは何だかは僕は知らない。弟のトムをつれてアーケードにいくのもいいだろう。ピンボール・マシンよりも僕は<トランプの魔女(タロー・ウィッチ)>が好きだな。今年こそあの蝋の中に閉じ込められた美女を救い出すつもりだ―――。
               
#1
ドラッグ・ストアでの不思議なデート。もしくは<ライム=バニラ・アイスを一皿>

「わたしはかつてあなたに恋をしました」

三十一歳のウィリアム・フォレスターと九十五歳のミス・ヘレン・ルーミスの時間旅行。
ダウンタウンのドラッグストア。雪のように白い大理石のソーダ水売り場のカウンター。
<ライム=バニラ・アイスを一皿>
そう頼んだ青年の声にびっくりしたように老女が目をあげる。
「お若い方、わたしのところにきてお坐りなさい。」
青年は振舞われたアイスを匙ですくう。青年の目もみひらかれている。くちごもりそれから語り始める。ふたりの時間旅行が始まる。

「わたしはかつてあなたに恋をしました」
「さあさあ、そういう会話のはじまりかたこそ私は好きですよ」

1853年に撮られた写真に恋した青年。
75年後の8月第一週。1928年の夏のさかり。
歯車がゆっくりと合う。砂時計のさいごの一粒が落ちる。
何もかもが成就し何もかもが永遠に崩れ去るお茶会が始まる
なんでも聞いてちょうだい。いっしょに行きましょう。<タイム・ドラベル>よ。さあてお若い方ご希望は?
ロンドン?カイロ?宝石と裏通り。南北戦争のときのマスケット銃。エジプト。三角州(デルタ)太陽と青銅と銀。煮溶かした錫。ベニス運河の理髪店・・・。
おや、カイロで顔色がかわった。ならばカイロへ。―――毎日毎日飽きるほど、かれらのお茶会は続く。

「お気づきですか?」
「二週間半もわたしはほとんど毎日あなたに会っているのですよ」
「まさか!」

「いっしょに千ガロンものお茶を飲み、ビスケットを五百も食べれば、ひとつの友情には十分だわ」

老女はわらった。それからかすかな音をきいた。
砂の最後の一粒。その落下音。八月の半ば。なるほど夏が終わるのだ

「ねえ、ウィリアム。数日したら私は死ぬますわ。いいから黙って」
「楽しかったわね。ここで、毎日おしゃべりして、それはほんとに素敵でしたわ」

「もうあまり時間はないようですね」青年は答える。

「時間はとても不思議なもので、人生はその二倍も不思議だわ。あなたは幸せにならなければいけないわ。ただし、ひとつだけわたしに約束してもらいたいの」

「なんなりとも」

「年をとりすぎるまで生きないと約束してほしいのよ、ウィリアム。少しでも都合がよかったら、五十歳になるまでに死になさい」

私をあまり待たせないでほしいの。わかってくださるわね。

「わかります。なにもかも理解できます」

1990年のダウンタウンの夏。ドラッグ・ストアで若い女が<ライム=バニラ・アイス>をオーダーする。カウンターの向こうで若い男がびっくりと目をあげる。「なんだ、そうだったのか」なにもかもがはっきりと明らかだ。匙でアイスをすくう。くすくすわらいをする。一皿たいらげて、ふたりは店を出る。しっかりと腕を組んで。

今度はふたり人生のねじを巻きなおし時間を合せてお会いしましょう。
くれぐれもタイミングを逃さぬように。
やりかたはもうご存じね。<時間旅行>。あの要領で。

#2
殺人鬼<孤独な人>についての少年たちの会話。あるいはポーチのレモネード顛末。

オールド・ミスのラヴィニア・ネッブスは闇をぬい町を過ぎ渓谷を越え、家に戻った。息があららぐ。心臓は氷より冷めたかった。なのに爆発しそう。あの恐怖。いまも続いている、このおののき。<ああやっぱり映画になんていかなければよかった。あの暗い渓谷をみくびらなければ>背後に足音が響くような気がする。でもここは安全な家。幸福な我が家。ああ神さま!ポーチには昼間の飲みさしのレモネードが置いたままだ。明日だ。明日かたづけよう。なんたってここは安全な家なのだから。錠をしっかりかけるのだ。ああ、明かりだ。明かりを。スウィッチに手を伸ばした。そこで、凍りついた。「なんなの?なんなのよ?」咳ばらい。男だ。背後。<孤独な人>!追ってきたのだ。ここまで。追い越したのだ、私を。くらやみ。いきづかい。裁ちばさみ。あった。逆手に握った。どこでもいい。いや、胸を。それより。首を。どうみゃくを。いっきに

「ぼくは<孤独な人>がほんとうに死んだとはおもっていないんだ」
「今朝、救急車がやってきてあの男を担架で運びだしたとき、きみはここにいたんだろう?」
「そうさ」
「つまりね、あの男こそ、<孤独な人>なんだよ、馬鹿!新聞を読めよ!」
「ちがうよ、ふつうの男みたいだった」
「君の考えではあの男はなにかい、浮浪者が町にやってきて、空家だとおもって入りこんで、ミス・ネッブスに殺されたというのかい?」
「そうとも!」
「ところで、あのポーチにあったレモネード、僕はぜひとも飲みたかったなあ」

#3
ジョン・ハフと「石像ごっこ」。もしくは奪い去られるジョン・ハフ。

「十二歳のジョン・ハフに関する事実は、ちょっと述べれば済んでしまうことである」

―――笑い声をあげて駆けた。くつろいで坐った。彼は弱い者いじめではなかった。思いやりがあった。髪は黒く、巻き毛で、クリームのように白い歯をしていた。あらゆるカウボーイ・ソングの歌詞を憶えていた。すべての野生の草花の名前、月の出、月の入りの時刻。潮の満ち干の時刻を知っていた―――。

「彼は、要するに、イリノイ州グリーン・タウン全体で、二十世紀を通して、
ダグラス・スポールディングの知る唯一の生きている神さまのごときものだった」

ふたりは、碧いガラスを吹いたような空の下、小川をそって歩いていた。ミツバチがぶんぶん唸っている。草のにおいがした。あたたかく、明るく、何もかもが完ぺきだった。
「理想の状態が、完全な世界がダグラスにはいつまでも続くようにおもわれた。」

とつぜん、雲が太陽をかくした。音がきえた。
ジョン・ハフの口がぱくぱくと動いていた。

「ジョン、いまなんていった?」
「いままでぼくの話をきいていなかったんだね、ダグ」
「いまきみは―――行ってしまう、といったのかい?」

干し草のなかでふたりはねむった。腕時計は三時を打っている。ダグラスはこっそりと竜頭の芯を引き出して、針を戻した。こうして時間を巻き戻しておけば、ジョンはいなくならないはずだった。

「ダグ、何時だい?」
「二時三十分だ」
ジョンは空をみた。
(見ないで!)ダグラスはこころに思った。

「ボーイ・スカウトをしているとね」ジョン・ハフはいった。
(太陽の角度でだいたいの時間がわかるんだよ)というつぶやきが陽に溶けた。

なんとかして、時間を止めなくちゃならない。太陽がこんなにあてにならないものだったなんて!

夕食を終えた少年たちは素早く野外に集う。あそび足りないのだ。

9時の列車がジョンを連れ去ってしまうまであと2時間。
夕暮れの遊びは<石像ごっこ>が定番だ。
「鬼は誰だい?」
「ぼくだ」
ダグは声をあげた。それからちらりとジョン・ハフの姿をさがした。
わあっ、としょうねんたちは散らばる。ダグはまだ数をかぞえたまま。ジョンが後ずさりして、大股で走り出したのを感じた。それでもまだ待った。「石像だ!」みんな凍りついたようにうごかなくなった。
ダグはジョンの目の前に立つ。<石像>は動かない。動いてはいけないルールだ。
ジョン・ハフはここにいる。黒い巻き毛が揺れている。緑がかった十四金を溶かしてつめた目がある。グリーン・アイズ。スペアミントの香りのする息がここにある。

「ジョン、いいかい」
おごそかに、ダグラス・スポールディングは告げた。

「睫毛の一本だって動かしちゃいけないよ。ぼくきみにこれから三時間ここにいて、ぜったい動かないことを断固命令する」

だけど、どんなにあがいても時間は止められない。夕闇がせまる。最後の1ゲーム。

次の鬼はジョンが買って出た。「石像だ!」

<石像>になったダグの耳元でジョンがささやいた。

「ほんとに、こうするしかないんだ」

ダグラスは顔をそむけたままだった。

「さよなら」

<石像>はうごかない。動けない。それはルールだ。耳だけが生きていた。心臓は死んでいた。耳が、駆け去るジョンの足音をひろった。

夕闇が訪れた。少年たちはそれぞれ家にもどってゆく。
暗闇に浮かび上がるポーチでダグラスは拳を突き出した。それから吼えた。

「やい、ジョン!ジョン、いいか、おまえはぼくの敵だぞ。友だちなんかじゃ決してないぞ!もう帰ってくるなよ、ずっと!行っちまえ、お前なんか!いいか、敵だぞ。敵なんだぞ!おまえは!ぼくたちのあいだはすっかり終わりで、きみはごみなんだ、いいか、きみはごみなんだよ!ジョン、いいか聞けよ、ジョン!」

#4
神さまのなされ方への疑問と哲学者・トムの誕生。

ジョンがこの町からいなくなった次の日。ダグラス・スポールディングは弟のトムに念をおしていた。

「トム、ひとつだけぼくに約束してくれよ。いいかい?」
「約束するよ。なんだい?」

「いなくなってしまうなってこと」

「ぼくなら安心してくれていいよ」
「ぼくが心配なのはおまえじゃないんだ」

「神さまが世界を動かしているそのなされ方なのさ」

(ジョン・ハフはそうやって連れ去られた!)

トムはしばらく考えた。それからこういった。

「神さまは大丈夫だよ、ダグ」  「神さまは試練をお与えなさるのさ」

十歳の哲学者の至言はかくの如き。後日かれはこうも言った。こともなげに。

「兄さんは自分も泣き叫ぶのが好きなのに、認めようとしないだけなんだ」

「助けが必要だったら」

トムの目がダグラスをみつめた。

「大声をだしてくれさえすればいいよ」

・・・・
12歳のダグラス少年の夏の記憶。
12歳のころの自分はこんなに生き生き生きていなかった事だけは確かですが^^;
少年の目を通して世界をみると世界というのはこんなに光り輝いているんだなあ!と胸ぐるしくなります。とても面白い本でした。中学生の頃これを読んでいたら、人生かわっていたかもなー。と思ったり思わなかったり。
「シカゴの住民は、こんなことは知りもしない。なのになぜわざわざ知らせる必要があるのか?」

                     『シカゴ、シカゴ』ネルソン・オルグレン


忘れないうちにメモメモ。感想はいずれ。
七つの散文詩と1本のエッセー。

1、ペテン師たち
「ペテン師どもは、生きるための労働以外はありとあらゆることをやった。」

「土地をペテンでだましとり、インディアンをペテンでだまし、夜な夜なだまし、白昼もだまし、
銃と毛皮と生皮とウィスキー。ウィスキーで血走った目をだました。骰子とカードとデリンジャー銃。」

「この町では(中略)救いの季節がまともにめぐってきたことはない。
気楽な時代もあり、つらい時代もあった。結局、週の六日間はあいかわらず、悪魔の都だ。」

※やってきたペテン師たち。シカゴ創世記。

2、汝キリスト教信者なりや?
「ディンク先生は、一票ごとに現ナマ五〇セントを支払い、それを大天使たちの前で堂々と口にして、はばからなかった。」

「こんな乱世では、どっちが真のキリスト教徒だといえるだろう?いつの時代にも、われらが悪ガキ連中は、金のハートの持ち主だったし、われらが英雄たちは、ちょっぴり色つきだった。」

「で、暖かいハートに凍てつくような貪欲が同時に脈打ち、さながら血液と呼吸がひとつのこどく、ひとつになっている大都会をきりまわしていくには、貪欲と寛大が、トムとジェリー的人間にそそぎこまれるホットなラム酒と冷水みたいに混じりあっている、正にぶらぶらディンクみたいな人物が必要だった。」

※いまはなき愛すべき悪党ども。


3、銀色になってしまった昨日
「私はポカンと口を開けて、そういう光景をみていた。最後には、町全体にただよう悲哀のなかには、救いがたいものがあるんだという気持ちになった。」

「きっと、町そのものが幼すぎるのに、働きだしてしまった。それでそうなんだ。」

「それでも、すてきなものがいくつかあった時代。そのひとつがお天道さまみたいに明るい黄色のビール栓だった。」

※「嘘だといってよ、ジョー」ブラック・ソックス事件顛末。

4、酒場通いに愛を
「だから、やけに怒りっぽくなってしまった。やけにおしゃべりで、やけに冗談っぽく、やけに愛に慎重になってしまった。ひどく無神経で、ひどく神経質で、ひどく挑戦的なくせに、奥底ではいつも絶望している。」

「シカゴが私の心を、まっ二つに割ってしまったんだって気がつく。」


※よっぱらいと労働者たちのエレジー。

5、いくつもの明るい明日の顔
「かつて巨人が住んでいた。三十年前は、小物を大物に変えてしまうような町だった。当時はでっかいこと向きにできていた。いまはすべてがちっちゃくなるようになっている。」

「他人の方が自分より幸福であるなんて許せないといい、なぜ昔のように愛されないのかわからないとぼやく町だ。ラッシュ通りにもはや巨人は住んでいない。」

「罪の意識があればあるほど、声がでっかくなる。せいぜいその程度のどなり声しか、今のシカゴにはない。決してタフなやくざじゃなくて、すっかり弱腰の不良少年にすぎない。アメリカ人っていうのは、罪には弱く、ガンには強い。」

※中途半端に年老いた町。かつては輝いていたものがもう輝かないとわかったとしたら?

6、もはや巨人はいない
「シカゴは今もブローカーの中継点。また昔のままの人買い商の乗りかえ駅。
この二つの職業は、ただでなにかをという夢を土台にしている。」

「みんなどこからやってきたのかだれも知らないし、どこへいくのかも知らない。」

「だれも知らない、役立たずで、救いようのない無名なものたち。」

※それでも愛すると決めたらしい。

7、オーコナーがどこへ行ったか、だれも知らない
「ポワトミー族はあまりにもまともすぎたのだ。だから汚れた河以外なにも残さなかった。
私たちは、ここを去るとき、思い出に、おそらく一個の錆びた鉄の心臓を残すことになるだろう。

シカゴという錆びた心臓はがっちりペテン師とまとも人間をつかむ。
両方いっぺんににぎりしめている。

想い出として、未来永劫に。」

※いずれ去る町への生前遺言。


「シカゴ、ふたたび―――1961」(エッセー)

「われわれは、このシカゴを強い町にし、アメリカを無敵にせねばならぬ」

これは、麻薬の前科をもつ少女にむかって「一年と一日の実刑。さあ、連れていけ」とおえらい裁判官殿が宣告する前につけた前置き。
そして、一年過ぎ、目にも触れなかった日差しをオグデン通りのトロリーの窓からみた少女が、こんな感想をもらしている。

「刑期を終えて、私、自分が幸せだって思うの。
シカゴはあいかわらず強そうだし、アメリカはますます無敵のようですものね」

だが、笑顔はない。だれも笑顔をみせていない。


※少女いつでも正しい。

・・・・・

nadaさんに教えて頂いたシカゴの作家さんです。
文章のリズムがとても好みでした。
この人、死にざまが格好良くて、パーティーの準備をしながらの突然死。ボトルに囲まれてひとりきりの死。
なんとも孤独で豪奢な死に方だなあと感心しました。
今度はぜひ小説も読んでみたいです〜。
nadaさん、ありがとうございます!

・・・・・・

『シカゴ、シカゴ』 ネルソン・オルグレン著・中山容 訳(晶文社)

巻末の鶴見俊輔と長田弘の対談が興味深い。

長田 「この本が書かれた1951年、アメリカにクレジット・カードが出てくるんです。」

鶴見 「あっ、そうか。クレジット・カードは戸籍なんだ。アメリカもついに戸籍を持つ時代
    になったんですよ(笑)」

丁度、読んでいた五木寛之の『戒厳令の夜』も、戸籍を持たないアウトローの人々の話が絡んでくるので「おおっ」と食いつきました^^住所氏名年齢電話番号収入家族構成趣味嗜好のデータ・カードって考えてみると怖いですね^^;(あまり考えてなかったけど…)

 

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「僕の書く人物が陰気だとあなたは言うが、それは僕のせいではない。メランコリックな人間に限って陽気なことを書くし、陽気な連中は却って悲哀を追い求める。ところで僕は陽気な男だ。少くともこれまで三十年の生涯を面白可笑しく送ってきた男だ―――」
      
           (アヴィーロヴァ夫人にあてたチェーホフの手紙より。1897年)

いまだチェーホフ熱冷めず。岩波文庫の短編集を読む。
『子どもたち・曠野』
『カシタンカ・ねむい』
今度は戯曲でなく小説。
『カシタンカ・ねむい』には翻訳者である神西清のチェーホフ論が収録されている。
これががとてもおもしろい。

収録は2編。
昭和11年に書かれた「チェーホフの短編に就いて」
昭和23年に書かれた「チェーホフ序説」
時代を感じさせないおもしろさ、痛快さに満ちた評伝だった。

聖人・チェーホフの「非情(アパシー)」に関する人間評・作品評といえばいいのだろうか?

チェーホフというひとは、とても人当たりがよくて誰からも尊敬され愛される人物だったらしい。
略歴を。アントン・チェーホフ。19世紀のロシアに生まれ、郡医師として働く。労働の傍ら、家族を養う為チェーホンテという名でユーモア短編を投稿、作家としての頭角を現す。のちに職業作家として自立。「かもめ」「三人姉妹」「櫻の園」などの数々のすぐれた戯曲や小説を発表。ロシアを代表する作家として、いまなお自国のみならず世界各国で愛されている。享年44歳。

物語からにじみ出る人情味と滑稽味。ヴォードヴィル(軽演劇)風の洒脱でひょうきんな笑い。深い人間洞察。社会的弱者へのいたわり、働くもののつらさに向ける深い理解とあたたかい眼差し…愛され続ける理由を挙げれば枚挙にいとまない。
とにかく彼を知る人で彼のことを悪くいう人は皆無なのだという

礼賛と賛美のあらし。そのなかにすっくと立つ「チェーホフ」という名の城。
さて、その「城」に対し翻訳者は愛情と尊敬の念をもって、いま少し高く、いま少し深い部分までをも覗き見ようと試みる。

「チェーホフとは何者なのか?」

チェーホフ自身の2千通にも及ぶ手紙と日記。それに彼を取り巻く人びとの証言・後世の評伝家によるさまざまな文献。訳者はそれらをていねいにあたる。

「チェーホフの人柄については、(中略)一見驚くほど似通っていて、ややもすればほかのロシヤ作家
に見られるような毀誉褒貶の分裂がない。」

曰く、<素直で上辺を飾らず、絶えて美辞麗句を口にしない>
曰く、<稀に見る美しい円満な力強い性格>の人
曰く、<伝説の聖者チェーホフ>

「ところでチェーホフの人及び芸術に対する礼賛のあらしは、もちろん以上に尽きるものではない。ある人にとっては彼はもっとも広い意味におけるヒューマニストであり(中略)人類に代って泣いてくれる人情家であり、乳母のようにわれわれをあやしてくれる温情の人であり、或いは大地のぬくもりであり、乃至は大地をぬらす春のぬか雨である・・・といった調子」

ぬけ目無く礼儀正しく、妻・友人・職業的知人…すべての人々に温情ゆたかで多少のはにかみを含んだ情愛を覚えさせたチェーホフとはいったい何者だったのか?

「だが公平を期するためには、反証も考慮に加えなければなるまい。 
しかも聖チェーホフの像から円光を剥ぎとるような証言は、眼をすえて見れば決して少いどころではないのだ。」

中学からの友人セルゲーエンコの証言。

 「チェーホフはよく調和のとれた性格の人で、その言動には均衡と一致があった」

一見、賞賛のようであるが、それは確かに賞賛であるにはあるが、そこには別の一面ものぞかせられる。

 「友人は大勢いたが、そのうち誰とも親友ではなかった。意志によって訓練され、まるでメトロノームに合わせて行動しているような男だった。作品ににじみ出ている人情味を、彼自身が具えていたわけではなかった」

夢中で彼に惚れこんでいた情熱漢クープリンの証言。

 「誰にも一様の柔和さと親しさを以って接し、同時におそらく無意識的な大きな興味をもって相手をじっと観察していたであろう」

妻であり女優であるオリガの証言。

 「情けぶかい心があるくせに、なぜそれをわざわざ硬くなさるのか?」

訳者はそれをチェーホフの「非情(アパシー)」と呼ぶ。
そしてその「非情」の出所をさぐる。
神西氏はその第一段階として手紙のなかの「誠意の過剰」を挙げる。

「問題はだから彼の誠意の欠乏などにあるのではなくて、むしろ誠意の過剰にあるのだ。言いたいこと乃至言うべきことは、最初の二言三言で済んでおり、あとは不愛想な沈黙があるだけだ。しかしチェーホフは、自分が冷たく見えることを怖れる。相手を退屈させることを怖れ、自分の退屈ももちろん怖い。この窮地に追いつめられたチェーホフは、頗る困難でもあれば嘘をつく可能性も多分にある「自己」という主題をたくみに避けて、誠実で安全な一般論に突入するのだ―――。」

彼の書いた芝居「イヴァーノフ」を観てピストル自殺を遂げた青年があった。その両親がチェーホフの友人に手紙をよこした。それを聞いた彼は「自分のコレクションにしたいからその手紙をくれないか」と冗談口で依頼をしている。

訳者はいう。

 「ただ単にこれは冗談なのである。」

「(これは)彼一流の照れかくしで、そんななかに彼の科学的冷静だのショーペンハウエルの厭世観だのを探ろうとしたところで無駄だ。」

「死への感動もないし、さりとて社交辞令も身につかぬとあっては、誠実な人間は黙りこむか冗談でもいうほかに、打つ手がないではないか。」

時には黙りこみもしたが、退屈がなによりも嫌いで生来誠実な彼は、冗談とお喋りと無駄話を選んだ。
二千通もの彼の「お喋りな手紙」は、自己を隠す器であり、それゆえ彼そのものがぎっしり詰まった代物だった。
「実際チェーホフの生活は、ほかならぬこの無駄話そのものの中にこそみなぎり溢れているのだ。」

それならば、チェーホフの「非情(アパシー)」を裏付ける彼の性格・信条は何か?

神西氏は彼の本業が医者であったことと、彼の<非ロシア的性格>に重きを置いている。
(チェーホフ自身の「医者は本妻、小説は情婦」言もある)

「この自然科学的唯物論者は、その当然の結果として無宗教であった。しかも彼の場合、単に理知的に反宗教なのではなくて、宗教的感覚がきれいに欠けていたのである。(中略)いわば宗教的不感症なのである。」

「これはロシヤの文学伝統の上では、恐らく異例にぞくするだろう。神ありやなしや―――という問題は、あのイヴァン・カラマーゾフの執拗な追及を絶頂として、前世紀のロシヤ精神の中心的な課題であった。」
(※イヴァン・カラマーゾフ=ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」の登場人物。三兄弟の次男。無神論者。)

19世紀のロシアという土地に生まれながら、同時代人の存在の根拠とも言える「神」に対して不感症なチェーホフ。
ロシア的なものから「切断」された彼の気質に訳者は着目する。

彼より40歳程年長のドストエフスキーは彼の熱血の全てをそこに捧げ尽くし、神と民衆と土と信仰と絶望と希望、つまり生きるということ全てに対して取っ組み合いの喧嘩を仕掛けた。
あまりにも<ロシア的な>人物であった。

斧で老婆を殺害した青年を娼婦に赦させたように、人を救いたかったし自分も救われたかったドストエフスキーに対して、チェーホフという人物の立居地はどうだったのだろうか?やはり彼も救われたかったのだろうか?

「曰く、われわれが不朽の作家と呼ぶ人たちはそれぞれ身分相当な目標をもっていたが、われわれ(中略)にはそれがない。手近な所で農奴制の廃止とか、祖国の解放とか、政治とか、美とか、或いは単に酒とかを目指した作家もあり、高遠な所で神とか、死後の生活とか、人類の幸福とかを目ざした作家もあるが、われわれには遠いにも近いにも目あてというものが一切なし。魂の中はがらん洞だ。政治もない、革命も信じない、神もない、幽霊も怖くはない?死ぬことも目がつぶれることも怖くない。そのくせ誰かのように泥水で酔っ払うわけにもいかない

チェーホフはがらんどうだ

がらんどうとは何か?ここで「非情(アパシー)」という言葉が台頭してくる。

「非情(アパシー)は勿論プラスの値でないと同時に、マイナスの値でもない。それはゼロであり無であり空虚であり真空状態であり、(中略)有る袖を振らないのが不人情であり冷酷であるなら、もともと袖も壁もない非情はそれとは全く異質のものだ。結局純粋に無色透明な心的状態とでも言わなければなるまい。」

冷酷であることすら不可能な、心の真空状態をもった人間がここにいる。

「(チェーホフの姿勢は)否定また否定、切断また切断である。
その果てに現像されるのは、清潔なまでに孤独な一人の男の姿でなければならない。」

「さらにこの孤独者は、なかんずく一切のエクスタシスおよび狂気から切断されているゆえに、必然的に永遠の覚醒状態にありつづげる運命をもつ。更にまた一切の目標から切断されているゆえに、闘争もなく行動もなく、従って多少とも本質的な変化というものもあり得ない。(中略)しかも不断の覚醒状態に置かれた人間は、おそらく絶望の権利をも奪われざるを得ないだろういや、絶望からの切断―――これが人間にとっては実は一ばん怖ろしいことかも知れないのだ。」

絶望の母胎はいうまでもなく「希望」だ。
ドストエフスキーが苦悩と絶望の果てにがむしゃらに掴み取ろうとした「希望」はチェーホフには最初から持ちえない豪奢なお菓子であった。

「チェーホフがドストイェーフスキイに全然興味をもたかなったことは、あらためて断わるこまでもないだろう。反撥するだけの関心すらかなったことは、この重要な作家についてのまともな言及が、彼の手紙の中にほとんど見当たらないところからも知られる。」

上記のような人間がチェーホフだとしたら、いったいチェーホフに何がのこるのか。

ないない尽くしのチェーホフが唯一所有を許された人間的機能とは何なのか?

「おそらくそれは一対の眼だけではないのか。」

「絶対の透明の中に置かれた絶対に覚醒せる、いわば照尺ゼロの凝視だけではないのか。」

(小林秀雄が「見えすぎる眼」と呼び、坂口安吾が「鬼の眼」「絶対の孤独」と呼び、幸田文が「仮死」と呼んだアレだ。物書きというのは最後はここに突き当たるのか?)

問いは続く。

それならばなぜ、チェーホフは愛されるのだろう?この「非情」な人を人びとが手放しで愛した理由はなんだろう?

「絶対の非情はしばしば寛容に似た外観を呈するという事実である」

「手みじかに言えば、非情の作用は輻射熱(ふくしゃねつ)に似ている。草木の繁ろうと枯れようと太陽の知ったことではない。太陽はただその軌道を誤りなく運行するだけのはなしだ。」

「チェーホフの人気の実になだらかな持続も、彼の作品への消えることのない信頼感も、つきつめて言えば単にこの一事にもとづいているのではあるまいか。」

彼の作品を愛するということは、太陽に恋するということなのだろうか?

☆☆☆
神西清「チェーホフ序説」 
(『カシタンカ・ねむい』所収 チェーホフ著 神西清 訳・岩波文庫 税抜700円)
(前の記事からのつづきです)

 「これが、ぼくを生んだ文化だった。これがぼくの逃げ出した恐怖だった。」

                『ブラック・ボーイ』 リチャード・ライト (野崎孝 訳)

南部の親戚を転々として日銭を稼ぐなか九年級卒業が近づく。
少年は総代になるが、校長の草稿を拒否し自分の演説で押し通す。何を書くか、いかに書くか。白人の図書カードで借りた批評家メンケンの本に文学の可能性をみた、19歳の決断―――北部への脱出。シカゴ行き列車に、自由を賭けて。(文庫あらすじより)

テネシー州・メンフィス。17歳になったぼくはほんの少しだけ北にたどり着いた。
かつて父がぼくたち家族を捨てた場所。
都会に憧れた黒人農夫たちが集まり、敗れ去ってゆく街。父もそのひとりだった。

ぼくの人生の色調は決定されたが、ぼくは誰にも従うことが出来なかった。
たとえばそれは大いなる愛に対してもだ。

ここでぼくはある二人の女性について語らねばならない。その愛とその支配を。
ぼくがどうしても馴染めなかった愛すべき二人の親子について。
ミセス・モスは黒白混血の大柄な女性だった。明るい笑顔でびっくりする程大声で笑う女の人だった。
それからベス。母親ゆずりの明るい笑顔。ぼくと同い年17歳の混血児だ。
彼女らの家の下宿人となって僕が体験したなんとも不思議な物語。

下宿人として宿を決めてせいぜい5時間。何とこの善良なる親子はぼくをまるごと愛し、彼女の娘の将来と家をぼくに与えようと提案してきたのだ。

 「おらにはあんたというもんが、ちゃんとわかってるだよ」 母はいう。

 「あたい、いますぐ結婚したい。抱いてやりたい」 娘がいう。

彼女らはぼくにあたたかい食事を提供して、ぼくの職が決まるまで2ドル半という恩情家賃で部屋を間借りさせてくれた。ぼくのなかに好ましいものを見つけたのだという。
だからぼくを保護し、愛撫し、抱いてやりたいというのだ。

出会ってたった数時間。ぼくは正直彼女らの単純素朴さにめんくらった。
ミセス・モスは豆の缶詰で夕食を済まそうとするぼくを見て涙さえ流した。
家にあるものは何でも食えとすすめた。お前は家族なのだから構わないのだ。お前の事はすべて分るのだ、と。

 「彼女たちはしゃにむに金を掴もうとむきになったりはしないのだ。彼らには、緊迫感を感じるものがない。
  いやしがたい憧憬もなければ、生き甲斐の感じられることをやりたいという欲求もない。
  彼らの生活で、おもな価値を与えられているものは、素朴で清らかで善良な生き方をするということ
  であって、彼らは、同じ黒人の誰かの中に、こういう性質を発見したかと思うと、その相手を本能的
  に抱擁し、愛護し、相手の一切を文句なしに受け入れてしまうのだ。」

いわばぼくは<大きな赤子>として彼女らの愛護の対象となった訳だ。
それに彼女らはぼくの内面生活までも入り込もうとする。それがなんともぼくには堪らなかった。

 「そこは、しかし、触ると痛むところであり、誰にも入ってもらいたくないところだった」


傷は癒されねばならない、食は満たされればならない、彼女らはそう思っている。
それが彼女らの単純素朴な宗教である。ぼくはその信徒たることができなかった。
たとえばぼくがベスと結婚したとして、セックスの他に、ぼくらにわかち合えるものが果たしてあるだろうか?
ぼくはベスを見る。そして気付く。

「ぼくは彼女を愛してはいない」「彼女と結婚したいとも思わない」

無限のエサを与え続けられる豚。ぼくは彼女らの無辺の愛を、厚すぎる好意をありがたいとは思いつつ、悲しかった。
ぼくが彼女らと共有できるものは何ひとつない。そのことが悲しかった。
愛の中ですら僕はくつろげないことに気付いた。
ここも旅立たなければならないのか―――そう思うとたまらなく切なかった。

気付いた事がひとつある。ぼくは貧困から逃げ、飢餓から遠ざかろうと北へ向った。
だが貧困と飢餓が満たされたとして、ぼくにはやはり満足することが出来ないのだ。

この傲慢はなんだ。たかが十七の青二才が。なぐられないように細心の注意を払って、飯を食って働いて糞をして寝るだけ。どうしてその生活に満足できないのか。ぼくはぼく自身が不思議だった。
ぼくには何の才能もなかった。どんな可能性も見出せなかった。
それなのにぼくは逃走を止めなかった。止める事ができなかったのだ。

そしてぼくは「本」の世界に入っていく。ぼくの逃走(それは闘争と言い換えてもいいかもしれない)、
仲間も恋人も持ち得なかったぼくの唯一の光源は「本」だった―――。

・・・・・

バイオレンス漂う、というあらすじに「暴力描写が多いのかなぁ?」とちょっと憂鬱になりましたが、そんなことはなく。いや、あるには有りますが、主人公は暴力で事を解決するということを毛嫌いする少年なので。
作中の「ぼく」はとても冷静で、黒人に生まれた自分を<南部>という環境がどう育てようとしたのか、宗教との関わり、恋愛、家族、黒人仲間、白人との関わりを必死に考えます。…彼自身の環境はあまりに苛烈ですが、冷静であろう、理知的であろうと必死に苦闘する若者の祈りのようなものが感じられて、胸がヒリヒリするようでした。
悪意にはとことんあがらい、善意にはなじめない。そういう少年です。
ただそんな彼を「かわいそう」と言うのは見当違いだ。そう思います。

一番惹かれたのはやはり、ミセス・モスとベスとのかかわりについて。(自分が女性ということもあって)ミセス・モスやベスのもはや「体質」と呼んでいい「善意」には共感できます。でも、「ぼく」にとって彼女らの「善意」がたいして必要でないことも痛い程分りました。このあたりは読んでいて複雑な気持ちになりましたね^^;愛情で人間の魂を買収することは(モスたちは買収だなんて夢にも思っていませんが!!)出来ないのだなあって。逆に買収されちゃう男はそれほど魅力的には映りませんしね。難しいな。

「本」とのかかわりは、とても興味深かったです。「ぼく」の生存根拠としての本。ただそれに触れるためにも多大な努力がいるのです。この時代、アメリカの(南部の?)黒人は図書館を利用することが出来ないのです。だから職場の白人の「使い」ということで、文書を偽造して自分の読みたい本を手に入れて必死に読みふけるシーンなどは、やはり胸がつまるようです。

「ぼく」は少年にしては珍しく、仲間を持ちません。気難しいという訳でもなく、彼を育てた<南部>という環境が、同年代の少年達に無知を強請し怯えを植え付け、告発者として教育するのです。
「ぼく」はいつ彼らが敵に回るか分らない緊迫した状況に置かれている訳です。
仲間を持ちたくてももてないのです。

<南部>の白人が一番恐れたことは、黒人たちの「共闘」だったらしく、「ぼく」は文字通り孤立無援で戦っています。これは何よりつらいことです。
結局「ぼく」は黒人からも白人からも浮いた存在として生きていかなくてはならないのですから。
そんな少年の挫けそうな心を支えたのが「本」だった、というのは、うれしいような悲しいような。
紙に印刷されたインクの紙魚に過ぎないものが、人の命を救う事は確かにあるのですから。

・・・えーと、久しぶりの更新で、結局ぐだぐだの記事になってしまいました^^;

長い記事でした。ここまで読んで下さるかたがいらっしゃったら…ありがとうございます(;;)

作品としては野崎孝氏の疾走感あふれる名訳のため、とても読みやすくてあっというまに読み終えてしまいました。「あんたに任せた野崎サン、ぶっ飛ばしてくれ」という大船に乗った気持ちで手にとったら実は特急列車でしたと言った感じです。「え?これで終わり?」と拍子抜けするくらいなんだもの〜^^;もっと読みたかった…。

<北部>に渡って作家として成長してゆく「ぼく」についても読んでみたかったなぁ。


☆☆☆

『ブラック・ボーイ〜ある幼年期の記録〜』(上・下)リチャード・ライト 著 野崎孝 訳
(岩波文庫 上巻840円・下巻720円 税抜)

(追記)

あ、あと興味深かったのが巻末にアメリカ大陸の地図が載っているのですが、
ペンシルヴェニア洲に「メイソン・ディクソン線」といういわゆる<人種境界線>があるのですね。
(<南部>の奴隷洲と<北部>の自由州を分けるためのもの。)
単純に視覚的な地図上だと、ワシントンDCが<南部>に属していて、ニューヨークが<北部>に属しているように見えます。このあたりもうーん、となりました。

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「明日のことなんて、夢みたいなものだし、ほしいとも思わなかった」

             『ブラック・ボーイ』  リチャード・ライト (野崎孝 訳)
「チェンジ!」をうたう21世紀のアメリカ。だが1世紀前は?没後50年になる黒人作家ライトが証す凄まじい貧困。南部に生まれた気性の激しい子供は、大人への妥協を拒み衝突を繰り返す。叔父が殺されて初めて人種を意識した事件、南部の苛烈な現実へのめざめを湛えた少年の眼。叙情とバイオレンス漂う自伝小説。(文庫あらすじより)

あけましておめでとうございます!皆さまいかがお過ごしですか?

新年の読み初めは『ブラック・ボーイ』。大晦日に買った本です^^
アメリカの黒人作家さんだそうです。
書かれたのは1945年ですから、もう60年以上前の作品なのですね。
本屋さんで見つけて、野崎孝氏の訳だったので興味をもって購入しました。

こんな感じ。(長いのでふたつに分けます^^;)


最初の記憶は燃える家だった。ぼくが燃やした。4歳だった。母が半狂乱でぼくを探していた。罪の恐怖にぼくは燃えさかる家の縁の下に隠れていたのだった。見つかった。引きずり出された。いやというほど長くぶち続けられて、気がついたらベッドの上だった。
ミシシッピのほとり。ナチェズ。ぼくが生まれた町だった。父と母と弟、4人で住んでいた。
<南部>と呼ばれる地域だった。

じきにテネシー州のメンフィスに引っ越した。そこで父がぼくらを捨てたので、母が働き始めた。ぼくは6歳になっていた。酒場にいりびたりおとなたちのオモチャになって訳もわからず卑猥な言葉を教え込まれた。ぼくはつねに空腹だった。母が病気で倒れた。うちに働けるものはなくなったということだ。ぼくと弟は孤児院に預けられた。

孤児院の子供達は最低だった。おずおずとして陰気で、仲間の告げ口をしたり、罰として食事を抜かれる事が習慣になって、それに従っているだけの生気のない生き物だった。
ミス・サイモンという白人の教師がいた。ぼくはこの女性をどうしても好きになれなかった。彼女は最初ぼくに取り入ろうという姿勢をみせたが、ぼくの心を見抜くとひどくぼくに冷淡になった。ぼくは子供らしくないと言われた。なにかというと鞭でぶたれた。どうしてほかの子供のようにできないのかと問われた。
鞭をもつ大人のご機嫌をうかがいぶたれないように注意するのが子供だとしたら、ぼくは子供をやめたいと思った。ぼくは孤児院から逃げ出して、母の元へ帰った。

ぼくと弟はもう一度母と住むことになった。祖母の住むミシシッピ州・ジャクスンに引っ越すのだ。祖母は熱心な宗教主義者だった。家中が神の支配下にあった。ラードのソースの粥と野菜。豆。肉は食わせてもらえなかった。ぼくの空腹は満たされなかった。そしてここでぼくは神への服従を強いられた。神は親切に僕を支配しようとしたが、どうしてもぼくには何者かに従いそれに頭をたれること、そのことによって<心の平安>が手に入るということが信じられなかった。信じられないことには従えないのだ、ぼくは。母が泣いた。祖母が激怒した。叔母が鞭をひらめかした。だが、罰としての空腹、肉を絶つような鞭の音、それらにもぼくの心はなびかなかった。ぼくは依然瘠せこけたたまま、家を飛び出す機会ばかりを窺っていた。

ジャクスンに越してしばらくたった日。あるよく晴れた日だった。
ぼくは家の前で遊んでいた。道の向こうにぼくは象を見た。むこうから2列になって歩いてくる。
じいっと見ているとその顔は人間そっくりではないか。ぼくはびっくりした。僕と同じ黒い色をしている。象のような灰色の服を着ていた。(だからぼくには彼らが象にみえたのだ)鎖の音がした。足かせを嵌められていた。手にも同じものがあった。彼らは生気を失ったように溝を掘っていた。
「あんた、何してるの?」ぼくは知らず小声で話し掛けていた。象のひとりはちらりと背後を振り向き、かぶりをふってぼくを黙殺した。むこうに白人がいた。キラリと光る銃身がまぶしかった。象は口がきけないのかしら?とぼくは思った。なんとなく薄気味わるくなってぼくは象の群れから逃げ出した。

家に帰って母に訊くと、母はそれを「黒人の囚人だよ」と教えてくれた。
象ではなかったのだ。人間だったのだ。ぼくにとってそれは忘れられない記憶になった。

白人というもの。黒人というもの。この日だ。この時だ。ぼくを取り巻く<南部>という世界、それがどういうものなのか。おぼろげながらぼくがそれを感じ取ったのは。

アーカンソー州・西ヘリナ。12歳のぼくはそこにいた。依然として瘠せてはいたが、ぼくの身体はかなり大きくなっていた。母の健康はそこなわれたままだった。ぼくは近所の雑用をやって手間賃をかせぐことをはじめた。
町はずれには機関庫があった。ここがぼくらの<人種境界線>だった。あっち側が白人地区。こっち側が黒人地区。ぼくたち子供はかつてお互いを侵害した記憶も経験もなかったが、そろそろ自分たちの人種的役割を果たさなければならない時期になっていた。ぼくらは石を手にとった。ぼくらの戦いは投石が主だったからだ。

「ぼくたちは、白人の子も黒人の子も、お互いの人種が伝統的に演じてきた役割を、そろそろ演じはじめていた。」

母が発作を起こした。倒れた。
母の病気は治りもしなければよくなりもしない。テーブルクロスについたシミのように彼女の生涯に付着しそれを彩っていた。

「母の苦悩は、ぼくの心の中で、一つの象徴となった。貧乏、無知、困窮、飢えになやまされた、
つらい苦しい毎日毎時、無意味な苦しみ、果てしない悩み、
 ―――なにもかも、みんなが、その一つに象徴されていた。母の生涯は、ぼくの人生の色調を決定した」


ぼくは決意した。そして行動した。家を出るのだ。そして稼げるだけ稼いでいつか必ず母を迎えに行く。だから母だけにこっそりと別れをした。

「かあちゃん、おれ、出て行くぜ」

その晩ぼくは生涯ただ一度だけ盗みをはたらいた。大学の倉庫を襲って缶詰を奪ったのだ。
それを売り払ってメンフィス行きの列車に飛び乗った。北へ。

ぼくはぼく自身の人生というものを知りたい。それを見てみたい。それを味わいたい。
<南部>が僕に課した人生ではなく、<神>が僕に強いた人生でもなく、ぼく自身の責任とぼく自身の肉体で切り開くそれを。
でもそんなものは確かにあるのだろうか?たとえば<自由>と呼ばれるもの。
ぼくは知らない。そんなものは見たこともないし、触ったこともないのだから。
黒人のぼくにもそれは触る事が許されるものなのだろうか?

白人からなぐられずに、他人の人格を侵さずに、飢えずに、無知を強請されずに、意見を言ったり、他人をまっすぐに見詰めたり、ましてや彼らと論議を交わすということが、可能なのだろうか?

ぼくには分らない。ただ、とにかく北へ。

(つづく)

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