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「アーアあきまへん」
『浄瑠璃素人講釈(じょうるりしろうとこうしゃく)』 杉山其日庵
ご無沙汰しております。あんごです。なんだか色々ご挨拶しなくてはいけないこともあるのですが、忘れないうちにこの本のことだけは書いておかなくては〜、と無礼を承知で筆を急がせます。貸出延滞してます。ごめんなさい…。 池波正太郎先生のエッセイに「私の一冊」という短い文章があるのですが。 「年に何度か、気力がおとろえて仕事がすすまぬとき、私は書庫から、杉山其日庵著 『浄瑠璃素人講釈』一巻を出してきて読む。」 池波先生は、むかしこの本を読んで非常に感銘を受けて、復刊されるや「飛びつくように買いもとめ」た、そうで。 (杉山っていったら夢野久作の親父さんって杉山茂丸だったヨナァ…)とぼんやり思いながら読み進めていたら、なんとマーご本人でした。其日庵(そのひあん)っていうのは号だそうです。 「著者の其日庵・杉山茂丸は、明治・大正の政界の「黒幕」として知られた無欲の人物であるが、義太夫節の造詣が深く、みずから稽古にはげむばかりでなく、義太夫界のパトロンでもあった。この一巻には杉山茂丸が八十余の浄瑠璃に独自の解釈をおこない、親しかった名人たちの聞き書きをも合わせてあつめたものだ。」 池波先生は、この本を読むと「何か目に見えないところから太い棍棒が出て来て、自分の脳天をなぐりつけられたような」おもいがする、と書かれています。 「読んでいるうち、われ知らず目の中が熱くなり、気力がわいてくるのだ」 とてもみじかい文章ですが、えもいわれぬ情熱を感じて、(こりゃあ読んでみなくちゃナー)と調べてみたら2004年に岩波文庫が注釈付きで出版していました!GJ。岩波。 とはいえ、浄瑠璃って見たことがないし、そもそもどういうものかも知らないズブの素人です。予習のつもりで調べてみました。 ■浄瑠璃とは? 浄瑠璃(じょうるり)とは、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る劇場音楽、音曲である。 (※太夫(たゆう)、浄瑠璃語りのこと。) ■よく義太夫って聞くけどそれはなに? 義太夫節(ぎだゆうぶし)とは、江戸時代の前期、大阪の竹本義太夫(たけもと・ぎだゆう)が始めた浄瑠璃の一種。略して義太夫ともいう。国の重要無形文化財。 ■あれ?でも「文楽」ってのあるじゃない。どう違うの? 文楽(ぶんらく)とは、人形浄瑠璃のこと。 太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸である。(※つまりは浄瑠璃に人形がプラスされたもの?) ■そもそも杉山茂丸(すぎやま・しげまる)って誰? 杉山茂丸(元治元年(1864)−昭和10年(1935))福岡県生まれ。 日本の実業家。政治運動家。生涯在野の人。なんだか不思議な人。 明治・大正を股にかけた「政界の黒幕」と呼ばれたりしています。伊藤博文を暗殺しに行って逆に説き伏せられて共闘したり、本人は無欲だけれどお金を回すのがバツグンにうまかったために、政財界やら芸術やらのパトロンをしたり。頭山満の懐刀と云われたり、夢野久作のオトーチャンだったりと、まあとにかく面白い人のようです。すみません、興味はあるけれど詳しくない^^; 人となりや交友関係などは息子の夢野久作の「近世怪人伝」なんかを読んでいるとナニコレーとなります。オススメです。 (Wikipedia参照) さて、そんな杉山茂丸が特に熱心にパトロンしていたのが、浄瑠璃です。才能のある太夫を贔屓にして自身も稽古に励み、文献を漁り、古老の話や贔屓の太夫たちの話を聞き書きしたのがこの本です。 浄瑠璃というものを愛して、「芸を調べ整理し伝えなおさら高めたい」という情熱にあふれた本でした。 あふれすぎた情熱の結果、贔屓の太夫とのやりとりも熱っぽく、時には子供じみていて、ぷっと吹き出してしまうくらいに人間クサいです。書かれたのは大正期。自由闊達な独特の文体のおかげか、とても読みやすいです。(ただ、専門用語はさっぱりわかりません^^;) 名人の芸とはなんぞや、というくだりでは 名人の芸には、一段に一ヵ所二ヵ所くらい「大身の槍で突抜」いたようなような「恐ろしい処」があるものだが、いま持て囃される浄瑠璃は小粒というか「飯粒細工」になってしまっている、と或る老師が辛辣な評をするのですが、その言いようが凄い。 「アンナ浄瑠璃を語るのなら、一層の事、『誉めてくれ、誉めてくれ、誉めてくれ、誉めてくれ。銭をくれ、銭をくれ、銭をくれ、銭をくれ』と大声で怒鳴った方が宜(よ)いと思ます。」 「鎌倉三代記 三浦別れの段」 あと、贔屓にしている太夫と、しょっちゅう絶交しては仲直りしています。 余談ですが、昔の人って三食食べるのと同じ頻度で絶交していませんか? 芸術家とか文士っていうのは呼吸する頻度で絶交する人種なんでしょうか? (安吾とか、文士の手紙の内容って、たいてい金の無心か絶交状かですよね^^;) 閑話休題。 以下は、「増補 源平布引滝 四段目切 松浪検校琵琶の段」より。 庵主(茂丸)と、贔屓の芸人・大隅太夫(おおすみだゆう)のやりとりです。 本人たちはとてもまじめで、はた目にはちょっと馬鹿馬鹿しいようなかわいらしいようなすさまじいような旦那と芸人の絶交顛末です。 「庵主は師匠大隅生涯の中(うち)に、前後六度ほど出入止めの勘当をした事がある。それは贔屓上の厚意とて、たとえ庵主がこれほど好きの浄瑠璃を止めても、大隅師のために良くないと思った事を意見して用いない時に、固き決心の上に発表した事件である。」 「それほど庵主の固き決心が、何時でもまた芸道の上で、一人の仲人(ちゅうにん)なしで和解してしまった。」 ご贔屓の大隅太夫と、生涯6回も絶交しているんですね。 おまえのためを思って忠告したのに、受け入れないなんてもう絶交だ!と旦那が怒っています。もう口もきかない、と固く決心しているようです。 「或時今度こそはドンナ事があっても、生涯大隅とは絶交であると決心をして、二年ばかりは手紙が来ても封のままで突き戻していたが、大隅も今度は諦めたかして、明治座に来て興行していても、庵主の家には顔出をしなかった。好い塩梅と喜んでいたが、フト或朝新聞を見ると、大隅が今夜は「布引」の四段目を語ると書いてある。庵主の頭は忽ちグラグラと動いた。」 あ、でも、こんど明治座で大隅が「源平布引滝(げんぺいぬのびきだき)」の四段目をやるんだって。うわー、聞きたい、どうしようどうしよう、と旦那はグラグラします。固い決心はどうしたんでしょう。 「アーア大隅と絶交して後、沢山『布引』[松浪琵琶]を聞いたが、皆まるで、目も鼻もない四段目であった。今度大隅の『布引』を聞いて置かねば、モウ一生涯筋のある『布引』は聞けぬかと思うと、絶交はしているが、変装でもして、四段目だけを聞に行うか知ら……、イヤイヤ止めて置こう。イヤイヤ分からぬように行う」 注:けっきょく変装していきます。 「トウトウ頭巾付きの雨外套を着」て、大雨の日でした。「自働車は久松町の警察署でその門前に置き、ソーッと入場」したそうです。二階席の正面に陣取り、「煙草盆を枕」にして、寝そべります。これなら太夫からは姿が見えないだろうとご満悦です。茂丸は大男でした。さあ大好きな「布引」です。固唾をのんで聴き入ります。 いっぽう太夫も旦那のことが気になって気になって仕方がありません。 旦那の得意茶屋に楽屋入りごとに顔を出しては 「ドウだす。旦那はんは来てやはりませぬか、何とも音沙汰はござりませぬか」 と、興行中は毎日まいにち聞きにきます。 さて、大雨の当日です。客足は悪くザッと六十。この日も太夫は茶屋の出方男(でかたおとこ)に尋ねます。 「ドウダス、今夜も旦那は来ていらはりませぬか」 「今度の奥行には、ドウもお出でにならぬようです。しかし正面の二階に大きな男の人が、一人寝ておりますぜ」 太夫、膝をポンと叩きます。目に光が入りました。 「それじゃ、旦那に違いありませぬぜ」 「と云って、間もなく高座に現われた。庵主は片唾を呑んで聴いていると、タッタ六十人の客を相手に語る大隅の「布四」と云ったら、天地も裂けんばかりの息込みで、庵主は何時の間にか芸魔に魅せられて、生死の界(さかい)も分からぬようになった。またその時の二代目団平(だんぺい)の絃(いと)の冴えと云ったら、庵主長年アノ人がアレだけ三味線の弾けたのを聞いた事がないと思うほどであった。」 「トウトウ大隅がこの一段を語り捨てるように語ってしまった時は、庵主もまた投げ捨てられたように、起直(おきなお)ることも出来ぬようであった。」 とはいえ絶交中のことです。演目が終ると旦那逃げるように木戸へ走ります。見つかったら事です。しめしがつきません。みっともない。 あっ、とおもいました。出口に大隅太夫がおります。汗みずくです。 帽子もインバネスも左手に抱えて、駆出して来たものと見えました。 出し抜けでした。 「旦那様、御機嫌ようござりまする。何とも申訳ござりませぬ」 それより後はひとことも口をきかず、だまってノソノソついてきます。 仕方なしに自動車にのせました。 「マア自働車に乗れ」 「と云って、ある料理屋まで連れてきて、二言三言の挨拶で、トウトウ庵主の固き決心も何も、無条件挫折(ぐにゃぐにゃ)で講和締結となってしまった。」 「前後六度の絶交は、一度もこの手に乗らぬ事はなかったのである。」 それから大隅は、 「私は久しぶりに四段目をアンタに聴いて貰うていると思うて、ウツツになって語りました」 と云って、段々講釈してくれた。 「二時間ばかりの後は、庵主はチャント大隅の奴隷となり下ったのである。」 旦那の白旗です。敗北宣言は即座に奴隷宣言と相成りました。 ここからは厳しいお稽古です。 「サアここを云うてみなはれ………ソソそんな詞遣いを誰れが教えました。私はソンナお稽古はしまへんぜ。それはまるで、『躄(いざり)』の乞食と一所でんがナア。これは天子様の御殿の仕丁(じちょう)ダッセ。それも難波の六郎や、越中(えっちゅう)、上総(かずさ)でおますぜ。アーアあきまへん。この段は錦場(にしきば)としておますさかい、官女の這入るも仕丁の這入るも、錦(節の名)に語んなはれと云うといタジャおまへんかいな。アーアあきまへんあきまへん、行綱(ゆきつな)の初めの出には、ドンナ音(おん)を遣いやハッタ。『虫が知らすか松波が』、ソンナ音でヨー語れますなア。『ニジッタ』音で『ハッ』て、ソウソウ、モット、サラサラと運びなハレ。あんたはアレだけ丁寧な稽古をして覚えていて、私(わた)いが少し逢わないと、サッパリどもなりへんなア」 「と、まるで餓鬼人足(がきにんそく)のように、踏まれたり蹴られたりである。」 「モウ書けば書くほど恥の上塗りばかりであるから、この位にして置く」 とはうそいつわりのない旦那が心情の吐露でした。 ほかにも、とても魅力的なエピソードがたくさんあるのですが、書き切れません。 割れるように人気のある太夫にお前の義太夫は「面白いばかりで、恐ろしい所は只の一つもないではないか」とザックリ云い切る旦那です。 「芸と云う芸は何でも聞いて、恐ろしい感じが起らねば、芸ではない、それは修行である。」 ただひたすらに修行修行修行稽古稽古稽古をするのだ、とひつこいくらいに言いきかせます。 ホタエ(客受け重視のふざけた芸)をした名人らを、同業者が批判したときの鮮やかな切り返し。 「コラコラ、ドンナ芸をアノ両人がしても、貴様たちはそれを批評する資格はないぞ。ただアレが好いとか悪るいとか批評する資格は、芸人でない俺だけであると思う。」 金取り目当ての芸をあえてして金をとる力量のある彼らを批判できるのは、客でも芸人でもない、旦那である自分だけだ、と云い切る矜持。 「芸は芸人が悪くし、旦那衆がこれを善くする」 「芸人は芸を商売にして利益収入を欲しがる。ソコデ聴衆に媚びて、前受けに目を眩ます。」 「旦那衆は道楽で遣るのじゃから、折角覚えるなら、正しき道を研究したいと思う。ソコデ本当の事を覚えている。それに芸人がツマらぬ芸をして金取をしていると、旦那衆は腹を立てて贔屓(ひいき)にせぬ事になる。」 「これが苦しいから、芸人は苦しいなりに、また本当の芸に心掛ける事になる。故に『芸人が芸を悪くし、旦那衆がこれを善くする』と云うのである。」 パトロンってただのATMじゃないんだなー。すごいなあー。目からウロコでした。 モチロンこれは浄瑠璃の本です。でも「道楽」とか「金」とか、そういった扱いのむつかしいものの正しい使い方を知っていた、古い時代の「旦那」の本でもあるのかなーとも思いました。 なにはともあれ贅沢な一冊でした^^ ☆☆☆ 『浄瑠璃素人講釈(上)』杉山其日庵 著、内山美樹子・桜井弘 編(岩波文庫 税抜 760円)
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読書記録と身辺雑記
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こころの栄養。
リングのようにどんどん繋がってゆけばいいです。
坂口安吾、幸田文、児童文学等等・・・。
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ごぶさたしております。 皆さんいかがお過ごしですか? あんごです。 いまさらあけましておめでとうございますでもないのですが、久しぶり過ぎて記事の書き方をわすれています。ごめんなさい。 CTと腫瘍マーカーの結果が順調だったので、この数日の緊張感から解放されていっきにへにゃへにゃスライム状態になっているあんごがお伝えいたします。 一ヶ月くらい右ウエスト部の違和感が消えなくて、「肝臓への転移かなあ」「やだなあ」とずーっと不安だったのですが、検査では特に異常なしとのことで、ほっとしました。 お休み中にゲストブックやコメント欄にコメント頂いていたようで、いまゆっくり拝読しております。 すごくすごくうれしかったです。ありがとうございます!! 病気のことも、できるかぎりですが、書いていこうかと思っています。 現在闘病されている方や近しい方が同じ病気にかかって不安な思いをしている方もいると思うので。 少しでもお役に立つことができれば・・・と思っています。 あと、やっぱり本の話を。 ティプトリーの『愛はさだめ、さだめは死』(早乙女さんオススメの一冊)のなかの SF注短編集です。たしかこれでネビュラ賞とヒューゴー賞を獲ったのかな? 「男たちの知らない女」 こんなに鮮やかに「エイリアン」というものを描いた作品を他に知りません。それも二重の意味で。 とてもクールで知的な物語でした。 心臓の中にひとかけらの溶けない氷を抱え込んでいるようなものです。 心臓は保冷庫。溶けない氷を一欠けら。きれいです。とても。 ばらばらに存在して、永遠に溶け合わない液体、永遠に発芽しない種子のような存在。 「あ、トラウマなんかないのよ。男が嫌いなわけでもないわ。 そんなのはまるで―――まるで、天気を嫌うようなものじゃない」 モーム 「赤毛」 「できるだけさり気ない顔はしているものの、死にたくはなかった。」 本筋とは関係ない一節なのですが、ここまであっさりと自分の状況を描写されてしまうと呆れるというか感心しかできません。 モームを読んでいて、ふとチェーホフの事を思い出したのですが、 こんなに人生が分かってしまうと不幸かもしれませんね、ってやつ。開高健がいってたのかな? チェーホフとモームって対で語られる作家さんなんですね。 人間通というか、他人や自分じしんの人生をながめている感じ。こう、頸をかしげて。よく見ています。 ぞっとするほど。 「人間通の文学というものがある。」という安吾の一文も思い出したな。なんだかいろいろ繋がって面白いです。 あとでまとめるので、メモとして。
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あけましておめでとうございます^^ |
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「あの頃、ぼくらにはJ・J氏がいた。」 『植草甚一コラージュ日記〜東京1976〜』 新刊本を一冊。 本や雑学やジャズが好きなひとなら、「J・J」という名前は一度や二度は聞いた事があるでしょうか。 私も名前だけは知っていました。そしてあこがれも^^ そんなこんなで「J・J」こと植草甚一(うえくさ・じんいち)氏の本を手に取りました。 画像を見ていただければ分かるように本書はすべて手書き。 文字やコラージュにもいちいちうっとり。 内容は1976年の1月から7月までの日記です。 『植草甚一スクラップ・ブック』(全41巻)の挟み込み「月報」を書籍化したもの、とのこと。 「全集の投げ込み、という月報の性質上、いまこの日記をまとめて読むのは困難になっている。」 と前説で瀬戸俊一氏が書かれています。 1976年の東京。冬から夏をぶらぶらと歩くJ・J氏の姿や時代のこうばしい空気を味わうにはもってこいの一冊らしいのです。 とにもかくにもぜいたくな一冊です。 *** 1ドルは300円だったし、ニューヨークはとても素敵そうだった。 日本・東京・世田谷区・経堂。 バスに乗って散歩に出かけ、喫茶店に入ってコーヒーを飲む。 古本を買ったり、雑貨を買ったり。毎日毎日そんなことをしている。 たまーに銀行のバランスを慎重にながめて、もう少し貯まったらニューヨークに行こうと思っている。 三井銀行3787820 富士銀行1982892 まだまだだなあ。 印税が入るとうれしいし、古本がいっぱい買えるな、と想像する。 ヘンテコな文房具も欲しい。大きな石の嵌ったネイティブ・アメリカンのアクセサリーなんかも。 原稿ペラが20枚ほど書けた。ゼロックスする(1枚三十五円)。これは梅公にたのむ。 編集者に渡す。彼コカ・コーラのお盆を気に入ったようなので、あげる。うれしそう。 疲れたから、気晴らしに隣室で古本の移動。紐でゆわえる。ゆわえていたのをほどく。 しばらくしてから、やっぱり散歩にでようと思い外へでる。 古本屋で洋書の雑本十四冊(四〇〇〇)。掘り出し物あり。 ***** 新聞はロッキード疑獄の記事。ジャッキー・マクリーンのコンサートにいく。 マーガレット・ミラーのミステリを読む。メキシコの僻地。単純でローカル。そして強烈なイメージ。 池波(正太郎)の「真田太平記」続き読み始める。 「スイング・ジャーナル」社に行かなくちゃ。 でも「プレイボーイ」のパーティーに行くのはやめよう。 今日は一日うちで池波原稿をがんばらなければならない。 西武のパルコ展も見にいかなくちゃ。行ったら会場でピーター・マックスの画集をもらう。 帰りに「ロロ」でコーヒー。別館のコーヒー・ショップもチェック。雰囲気がとってもいい。 ***** 今日は「応仁の乱」と「シムノン・イン・パリ」の一日。 ようやくクリスティーの原稿できた。ゼロックス。 富士銀行でドルの小切手つくってもらう。いよいよだなあ。(ニューヨーク) バスで新宿へ。シチズンの小型ウォッチ。よさそうなので買う。まけてもらった。 紀伊国屋書店でフランスの本四冊。 ***** 銀座へ。野村証券の褐色ビルがスマートなので気に入った。 ソニー・プラザでフランス製の安い孔あけ器(三八〇円)。 イエナで二冊(三七五〇円)。 *** (※注「ゼロックス」=いまのコピー機。(当時は一枚35円もしたらしい!)) コーヒーの良い匂いがぷーんとしそうな、古本のあの甘いお菓子みたいな匂いが漂ってきそうな(なんで古本って甘い匂いがするんだろう?)、舶来もののパイプや、ニューヨークのキッチュなガラクタや、生まれたての銀座の新ビル、時代小説やジャズ、ミステリ…そんなものが当たり前みたいに身の回りにあって、その雰囲気にみんなしてよっぱらってあこがれ尽くしたJ・J氏の姿がチラリと垣間見える「日記」でした。 「こんなに知っているんだぜ」、じゃなくて、「こいつは凄いなぁ、唸ってしまった」 と少年のように目を輝かせてジャズを、ミステリを、そして古書を語る明治生まれのJ・J氏に、昭和のワカモノたちはあっというまにマイッテしまったのかしら?マイッチャウよねえ。 「いつも夢中になったり飽きてしまったり」 「ぼくは散歩と雑学がすき」 ぽつりぽつりとそんな事を呟きながら、ひとり気ままに歩いている風来坊です。ケンカは弱そう。 「いい雰囲気の人」というのは、なかなかに良い褒め言葉だと思うのですが。 私にとってのJ・J氏は、そんな感じの人だなあ。 その人の世界を壊してしまわないように、なるべく邪魔せずに、でももっと近づいてみたいような気にさせられる人です。 「そういえば植草さんはいつもリラックスしていた」 巻末の高平哲郎氏のエッセイより。この一節がとても素敵でした^^ ☆☆☆ 『植草甚一コラージュ日記〜東京1976〜』(植草甚一 著 平凡社 1000円・税別)
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寺田寅彦、おもしろいね。 文章にユーモアがある。そこはかとない。漂うばかりの。 「今に戦争になるかもしれないというかなりに大きな確率を眼前に認めて、国々が一生懸命に負けない用意をして、そうしてなるべくなら戦争にならないで世界の平和を存続したいという念願を忘れずにいれば、存外永遠の平和が保たれるかもしれないと思われる。」 風邪とすぐひくひとの話から、さらりと戦争の話へ。 なかなかできることじゃないよね。 「流行の初期に慌(あわ)てて罹る人は元来抵抗力の弱い人ではないかと思う。そういう弱い人は、ちょっと少しばかり熱でも出るとすぐにまいってしまって欠勤して蒲団(ふとん)を引っかぶって寝込んで静養する。すればどんな病気でも大抵は軽症ですんでしまう。」 「ところが、抵抗力の強い人は罹病(りびょう)の確率が少ないから統計上自然に跡廻しになりやすい、そうしてそういう人は罹っても少々のことではなかなか最初から降参してしまわない。そうして不必要で危険な我慢をし無理をする、すれば大抵の病気は悪くなる。そうしていよいよ寝込む頃にはもうだいぶ病気は亢進(こうしん)して危険に接近しているであろう。実際平生丈夫な人の中には、無理をして病気をこじらせるのを最高の栄誉と思っているのではないかと思われる人もあるようである。」 「危険線のすぐ近くまで来てうろうろしているものが存外その境界線を越えずに済む、ということは病気ばかりとは限らないようである。ありとあらゆる罪悪の淵の崖の傍をうろうろして落込みはしないかとびくびくしている人間が存外生涯を無事に過ごすことがある一方で、そういう罪悪とおよそ懸けはなれたと思われる清浄無垢(むく)の人間が、自分も他人も誰知らぬ間に駆足で飛んで来てそうした淵の中に一目散(いちもくさん)に飛込んでしまうこともあるようである。」
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