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自称ガイドと ボディーガードと 癒し系マドンナを従えた一行で、わたしは 熊野詣する公家さまのような気分で、金比羅山に到着。 とかく耳にまとわりつく五月蝿や 目に入りたがるブユなど、ややこしい者は置いて来たので、ゆっくりと楽しめそうだ。 駐車場は、帰りがけに何がしの土産か食事で無料の所。 木製や竹製の杖を選んで貸して貰う。 私は竹、熊が出たら、ひっぱたたけるだろうか。 晴天の下、金比羅宮の門をくぐる。 さあ、御本宮まで785段、奥社まで1368段の道行きである。 駕籠に乗り参る人や土産物店を眺めながら、かなりの人ごみの 中をジグザグしながら石段を登る。 ここを一気に登ると大門があり、境内に入る。 「五人百姓」と言って、大きな傘をさした店が五軒。 古来よりの特権で、境内での商売を許された由緒ある飴屋がベッコウアメを売っている。 カケラを少しだけ貰い、舐めながら歩く。 後は単純な、石段と石段。 マドンナは、ふうふうと言っているようだ。 段々と無口になる。 全く無口になる。 御本宮を間近にした階段の勾配はきつく、登り終えると有難さが 汗と共に吹き出てくる。 お参りする。 何をお願いするべきかの思いが浮かんでこない。 ここは、捨てるところ。 拍手打つ手の音を噛み締めて聞いておく。 小休止してから、奥社へと向かう。 今までの趣とは異なり、緩やかな石段の道。 杉木立の参道のようである。 先行する若い者達を追い、山道のような石段を登りながら、ふと、 むかし来日したアインシュタインの「仏とは」との問いに、僧侶が「姥捨山」を例に話し、理解して貰えたエピソードのことが頭に浮かんだが、悲しくなり直ぐに頭から追い出した。 今は考えないようにしよう。 私は、奥社に着く寸前にラッシュ、みんなを追い抜き一番乗りで ゴール。 これが抜きがけのコツだと威張ってやるが、笑われただけ。 1368段の石段を、兎にも角にも登り切った。 遠方に讃岐富士、眼下に琴平町を眺める絶景。 霊験あらたかなる地にいても、人々の息づく街並みを眺めると、 何かほっとした気分になる。 奥社手前の岩肌に、きびしい表情をしている一対の天狗面が張り付け られている。 無許可のガイドに聞いて見ると、子供の頃からあるが、誰が何時 頃に掲げたかは、分かっていないらしい と言う。 垂直に切り立った岩壁のかなり上方にあることから、古(いにしえ) の修験道の跡であり、その天狗信仰のなごりだと言った。 それにしても、向かって左の面は見慣れた烏天狗じゃない。 眼光鋭く、子天狗と言われる修験者の生々しさの影が迫ってくる。 帰路、土産物店で名物の木彫りを見て回ったが、烏天狗には全て 立派なクチバシが付いていたが。 軽く参拝した後に引返す。 下る途中に休憩所の内壁に掲げられた「金比羅大権現」の字を 見つけ、カメラに収めた。 子供の頃は、お正月も お祭りも「権現さん」だったから、権現と いう字が懐かしい。 いや、餅投げの楽しみの方が記憶に刻まれている。 再度、御本宮に立ち寄り、「幸福の黄色いお守り」という黄金色 の「お守り」を頂いて参詣を終えた。 合流点のお宅に伺う。 ご両親とも元気そうで、にこやかなに迎えられ、嬉しい。 壊れた貢物も、難なく渡ったようである。 作法など知らないお茶を振舞われ戸惑うが、娘の真似をして、 何とか誤魔化すことができたようだ。 四方山話をした後、ややこしいのを込みにして、おいとまする。 昼食は讃岐うどんの はしごをする。 セルフサービスの食堂で、トッピングを選び、トントン蕎麦切る音を聞きながら食べるなんて、乙で贅沢のかぎりである。 それに安いのなんのって、二食三食できる。 何しろ、当地ではうどんは、おやつ代わりだそうだから。 孫の忘れ物をホテルに取りに行ったら、「時間があるんなら、もう一度遊んで行ったら」と。 何と、おおらかなことよ。 「モウカリマッカ」と気にかかる。 フェスチパルパークへ再入場する。 孫達は、昨日は時間待ちが長く果せなかった、丸っこい船に乗せ て貰い、ご満悦であった。 いよいよ、時間が来て、実家に残り泊まるグループと、帰宅して もう一晩 我が家に泊まるグループとに分かれる。 ミコとカコは、喧嘩ばかりしているのに、何時も分かれる間際には 無茶に仲良くなる。 今日も、「もう行くよ」と促すと、傍目もはばからず、プチューと濃厚なキッスをして別れた。 今頃から教えなくっても、その内 自然に身につくものを、それとも 家で 見慣れているのかな。 二組に分かれて、それぞれの方向へ車は出る。 夕方のフェリーで高松港を出て、帰路へと。 みんな眠り、特記事項なし。 深夜前に帰宅。 明日は、どうするんだろうな と思いつつ、
本当に、 すうすう。 |
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2007年06月28日
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