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明くる朝、ムコ殿が「立木山に行って見たい」と言う。 生藤を捩じ切れるようなお年頃だもの。 たまの休みが、勿体ないらしい。 女房は、聞えない振り。 「お父さんは 休んどく?」 オジイチャンは と言われれば 「ウン」 と、言っただろうが、 挑まれて、男は ここで引く訳にはいかないのだ。 「もちろん 行くよ」と、 簡単に、釣られてしまう。 整備体操だということにしておこう。 其処へ、「足に 実が入った」と、足を引きながら、よたよた階段を降りて きた 二の姫には、 「ミコも連れて行くからな」と、 雑魚をエサにして釣りにかかる。 妻の釣り方は、心得ているようだ。、 しばらく考えた後、「わたしも 行く」。 ほらまた、簡単に 一人釣れた。 要するに、男二人でも 信用がないのだ。 ということで 結局 足の痛いのやら、痛くない振りをしているやらの4人の一行は、金比羅権現さん参りに次いで、今度は立木観音さん参りとなる。 表参道の前で車を止め、手を清めてから、手すりを掴みたくなるほどの急な石段を登り始める。 ミコは、ただ遊びたいだけなのに、何も遊ぶものはないと、時々父 の前で両手を広げ、三割方は負んぶしてもらいながら登る。 そのくせ岩場があれば、よじ登っては遊ぶ。 厄除け、特に厄年落とし観音として名高い立木山は、700段強からなる かなりの急勾配の階段で、息が切れる。 立木観音の寺は、弘法大師が霊地を訊ねての旅の時、川の対岸に 光り輝く霊木を発見し、川を渡る思案している時、白い雄鹿が現 れ大師を背中に乗せて岩の上を跳んで渡り、その鹿が観世音菩薩 の化身であったとの謂れで建立されたとの伝説がある。 登り切ると、休憩所でセルフサービスの甘茶をいただき、休む。 和太鼓を叩いたり、おみくじを木の枝に結び付けたりして遊んでいる孫の愛姿を眺める。 その間、休憩所内の古い物を物色して、カメラに収めておく。 多くある御参りどころで、頭を下げる。 ミコのお参りの作法は、誰が躾けたのか、中々決まっている。 ミレーの「晩鐘」の絵を見て感じ詠んだ旧句 「 合わす手の ただそれだけの 美しさ 」 虚空 を、孫の姿に見るのは 格別な美しさだ。 来てよかったと思った。 ご本尊に お参りする。 線香の匂いが、何か懐かしい感じ。 神妙になる。 此処は、奥の院まではごく近いので、途中の鐘突き堂で鐘を一突きさせる。 それで、帰ってきた。 計算すると、二日間で1400段に加えるの700段に、掛けること2で、計4200段を登り降りしたことになる。 筋肉痛が遅れて訪れる今日この頃、明日の朝が楽しみだ。 夕方になると、みんな帰ってしまう。 夜、ややこしい組から、無事帰ったとの連絡あり。 その後、女房が香川の実家に、 「カコをみて、お疲れになったんでは ないですか」 と電話をしたら、 「嬉しかった。でも、疲れなかったと言えば、ウソになりますよ」 と言ってたそうな。 さもあらん そうだろうな ウン! 思う。 リチャード・ドーキンスの言う「利己的な遺伝子」である 私の悪戯好きの 遺伝子は、隔世遺伝で カコという じゃじゃ馬にまたがり、機嫌よく活動 しているようだ。 私は、悪くない。 遺伝子が、いいものだけを伝えるようにと、自ら努力すべき課題なのだ。 全く、誰一人として安らげぬ旅では あった。 しかし、楽しいとは こういうもの なのだろう。 かくして、にぎやかな香川旅行は 静かに 終わった。
完 |
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