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「 南天を 放りて我を 活けて見る 」 虚空 今年も、義母の介護の故 女房のいない 独り正月を 過ごした。 ギターばかり 弾いていた。 そんな中、ヒヨドリが乗って折れた 南天の実の房をば採って 自作なる トリノフンダマシという名の 蜘蛛をあしらった 世界で一つしかない 珍品であろう 花入れ陶器に活けてみる。 実母は、生花の未生流の名取で、お正月には かならず 南天を活けていた。 私の何歳の頃か、花活ける母の傍で ちょろちょろと、邪魔をしていた。 それでも 母が、これは体、これは用、これは副 などと 小うるさいことを言うので、近寄らないように なっていった。 もう 誰もしてくれない、誰も教えてくれない、甘えられないのだ。 私は 生花など、何の知識も 素養もないのだから、放り込むように やってみる。 葉もない 花もない 実のみ の、真実だけ みたいな 南天の実を。 「 自分を 活ける 」 これしか 仕方が ないのだ。 徒然 に こんな自分を 活けて みた。 貧乏学生は 仕送りを待ち、母に買って貰ったギターを、質屋に入れて は また 出し、生きていた。 下宿では 謎かけで、「麻雀とかけて、k君のギターと解く、 その こころは 、ツキ(月)の初めには ポンポンと景気が好いが、 ツキ終わりには 音も出ない」と、からかわれた。 そんな ことが、思い出される。 そのギターも 別れの時 友に やって しまった。 大事なものも 直ぐに やっちやう 悪い癖。 だって、命や 心は あげる ことは できなから。 さて、その後 得た ギターも、学んだ楽譜も 年老いた。 手工品ギター、 今 私の手元にあるということは、製作者が 私のため だけに、手塩を 掛けて 創って 呉れた 制作者の初期のものだと、今でも 思っている。 古びたギターピース(1961 50円也)、 月光の曲のアルペジオの中で、メロディーだけを 浮かび上げようとの 意図は分かる。 でも こんなに 書き込んだら、芦の茂った 小川で お玉杓子が 泳 いでいる ようじゃないか。 音符を 見にくいったら ありゃ〜しない。 要するに、友達のレコードや 名曲喫茶などで聴いては 刺激を受け、 色々やってみて 曲想を掴もうと、必死に かつ 気ままに 弾いていた ということ。 上手に 鳴るわけなんか あるもんか! ただ 「そうしたかった」 だけかも。 でも、それで いいと思う。 いいことしても、わるいことしても、 「それを 一番 よく 知っているのは 自分自身」 なんだから。 だから、他の人のためには 演じることは あっても、 自分を 騙しながら 生きること なんか、 私は そんな不純なことをしたくなく ただ 自分を生きだけ。 |
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2008年03月24日
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