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「 悪人と 気づいた人の 悪人正機 」 虚空
酷暑に 心身が馴染まず、郷里での 兄の三回忌への出席を ドタキャン
した。
法事は、故人の霊を敬う為に加え、親族・縁者が寄り合い、仲良く
する為。
それすら成し得ず 法事をすっぽかして、オレも お終いだな〜
と 思いながらも、世間では通らぬことも、兄弟では 通ることもあろう
と 居直る。
だって、兄とは こんなにして、いつでも 会えるもん。
終日、兄と 話を していた。
兄の晩年の頃 帰郷して、句の話を していた。
兄は、「文章ばかっりでも 味気ないから、最近 句もやってるんだ」
と、
そして、
「オマエが先輩なんだから、教えて くれ」 と。
話題は、
「 殺って(やって)から 真人間になる 死刑囚 」 兄
「こんな句を、友が主催の同人誌に投稿したが、用語の不備で クレーム
が 出たんだ、
何う 直したら いい?」
だった。
「殺るは、東映の時代劇・任侠映画みたいで、あかんやろ、
(やってから)か(ヤッテから)にしたら、通るやろうが」と
言ってやったら、
「句意が 薄まるし、嫌だ!」 と。
私は 私で、この句に 触発され、別のことを 考えていた。
・ もう 遅いのか
・ 集団的動物 なんだから
・ でも
などと、心を揺らせていた時、 ふと
「 悪人と 気付いた人の 悪人正機 」
との 句が 出たので、
私の 「親鸞上人 の 悪人正機の 世界か?」
に、
兄は 「いや、違う!」
と、ぶっきら棒に 言った。
もっと もっと、人間臭く 奥深い もの なんだろう。
句や詩の真意を 本人に直接問い質す(ただす)なんて、ルール違反。
だから、聞かなかった。
でも、聞いとけば よかった。
兄なん だから。
間近い死の予感と 反省が 詠ませたの かも 知れない。
未だに、分からない。
真人間 とは、で すら。
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