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人間は、生きてる時節には 何時(いつ)しも 悩みごとありなんでは
・ 個人なる人間としては、
正しく 清潔に 品位あり 真面目に 優しく 美しく
そう有り得なん との 願いのこと や なんや かと
自分自身 が 父母の基にて ごく自然の如くに 生まて来て
長じて やっと 自分という存在に気付き
唯 独りだけの 淋しい存在に 出会う
そして 好みの配偶者に出会い 子をも孫をも 得た
持つはずの自分が得たる生というその感謝心をも 否定した 事もあった
生きる為に ずたずた に なった事も あった
でも、生きて来た・生きる道として、自己独自の人生感・感性に 基づき
それを表現したいという やむにおえぬ 創作意欲が 生える 事も ある
また それに対して、 単なる1匹の生き物として、
生き抜き・子孫を残すべく 闘いて 勝ち抜いて やる気一杯の時もあった
その 生存欲 食欲 性欲 なる
生き抜いてやる〜! との
義務感のようである ところ〜 の 衝動 さえ 認めつ
自分に責任を課せられたる義務を 本能と看做して
だからして あらゆる手段を駆使しつつでも 生きてやる気 の事や
それに加えて、人間特有の思いとしての
名誉心慾 知名心慾 自尊心欲
や なんな かんな で 厄介だ だった
若い頃 は ややこし かった^
( 余談だけれど、私だって休日では、三人娘のオムツ替えを
数千回くらい は してたな〜 ^)
でも 生きたいのが 人間の本意 なのだ
との、人が抱くその本能(死語か、今では 遺伝子の仕業らしい^)
の すさまじさ
などの思いが、今もて 宙を舞う蝶のように ひらひら 飛びかっている
それが 生の尊厳・価値・意味なんだから 当然 なんだ けんど
だからして、人の心は その狭間にあって
自分が その 持ち主で・管理責任者 の 立場にあって
右往左往するのも 当然なのでは ないか
自分自身に 向けては、
被告・裁判人・弁護人の 一人3役の立場を全てを受け持ち
自らで 判断・決断すべく 深く悩むのも 当然なのだ
だからして、それなり に 頑張っている 我ら・人間ら なんだ
そんな「弱い葦」なる人間 が 私は 大好きなんだ〜 ♪
それで、悩煩(わずら)う のも 「弱い葦」なんだから と 自分を
慰めている 自分 が いる
でも ね〜、他の人のことは 深くは 知らないけれど
朝の散歩道の その川辺に生えてる葦らは 強風で倒れても
次の朝には 起き上がっている 実は「強い葦」なんだ
そんな事を 生き甲斐と採るか 悩みと採るかには
私は触れは 出来得ない
私は そんな全てを受け入れて、今 現に生きている
この 事実にして・厳然たる証拠の由縁からなる 自分の存在だから
その 授かった 個としての生を大切に育てたい 永遠に 死ぬるまで
楽し気でも好い・意味あり気・有益だと看做すも・演技だってさえ好い
自分の心の次第でも それで 責任が成り立ち得るならば、
この世は自己責任の現場であるから
兎にも角でも、この生(なま)なる事実に感謝しつつ
この 貴重な生(せい)を 楽しむのが好いと思うよ
「 ユーモアは 時の氏神 人の優しさ 」 虚空旧句
(私の 希望の思いを しゃべって いる だけ ねん ♪
そんなん ですねん (スイマセン^)
身勝手な 己の思いのみの 披露で お粗末 でした〜 ♪♪
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