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「 日記買う 幸せ取れと 笑う鬼 」 虚空 年末は 悲しい。 今年を 反省し、 来年こそ は と思う。 幸せは 感じるものでも あるけれど、 感じられる 自分 を つくる過程こそが 大切なんだ とも 思う。 幸せと 幸せ感 は 違うものだけど。 毎年毎年 鬼に笑われ続けて、うんざりする。 来年こそは 黙らせてやるぞ! なんて、発奮させられる身は、鬼の掌中 かも。 ベートーヴェンの ピアノ・ソナタ「月光」第一楽章に取り 掛かっている。 編曲ぐせを封印、真面目にやる気。 トレモロの粒の乱れが 気になり、弾くよりも 其の音を聞くのが 苦痛。 イエペスの 「愛のロマンス」ー禁じられた遊びー リョベートの 「アメリア姫の想い」. ゴメスの 「悲しみの礼拝堂」 カルロ・ルスティケッリの 「鉄道員」 八橋検校の 「六段の調べ」 等 好きで 弾きこなせた曲でいい、それを忠実にと己に課し、身体に 馴染むまで弾き込もう と 命じた。 当分は、これで 好い。 色んなことを 漁るように やってきたけれど、 好きで、自分に合ったものなんて、そんなにあるもんじゃない。 でも、やって見なくちゃ 分からないじゃないかと・・・ それを確かめる為に生きて来たんだとみなせば、それで 良しと しよう。 エレキの神様と言われ、エレキの発明者とも称される 日本のエレキ ギター奏者の草分け 寺内 タケシ氏の、 「ギターは弾かなきゃ音が出ない」 との 至言 があるように、 屁理屈や言い訳してサボっていたら、本当に弾けなくなってることを 反省しつつ。 |
音楽
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また、真面目に ギターへの挑戦を始めた。 もっと他に いいものが あるんじゃないかと、漁る生きざまをやめ、 好きなものを極めて 素直になろう。 音量、音質、音の延びが 豊かだ。 ギターは40年来の古物、新米の手工品作家が、自作品を 師匠に隠れて流した 質屋ルートもの だ。 貧乏は やはりいかん。 安物弦で育ったギターが、これで生き返った。 丑三つ時から 奏でる。 ギターは 音静かで、トランペットでなくて ラッキー。 無いものねだりは無視して、有るものを武器に工夫して見よう。 曲を介して、自分の想いを どれだけ表現できるかを、 己が耳で聞き 確かめたい だけ なのか。 |
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一の姫のピアノlesson送迎の遠き時空、その楽屋裏を披露する。 先生宅で迎えられ、にこやかな応対、しかしlessonに入れば 別空間。 悪言罵倒で叱咤する かなきり声と、指し棒で指打つ音。 私は、本を読む振りをして、いや本に隠れて、ただ耐えていた。
先生の綺麗な顔が 徐徐に夜叉面に化し 集中 別人格が現れ
二人だけの不思議な、壮絶な世界が展開された。 木偶坊も、その情景から学んだ。 専門家になるのも、ならさせるのも、命がけなんだと。
生き甲斐感は その時、ギョロット! 姿を、チョロット 見せる。
己に飴をやれる奴は 専門家には遠し。 趣味程度で 己を高めることもよし。 真剣にやるか、楽しみとしてやるかは、自由ではあるけれど 決めた生活 と 自由な生活の めりはりを 大切にしたい 特に 今という 情報過多の社会に於いてには ♪ |
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ベートーヴェン の「月光の曲」、 この第二楽章の 激しさ、 第一楽章の、静かに奏で 月の光が燦々と降っている感じを表わすような 旋律との違和感か、長年 サンサーンスやドビッシーの 月の曲との 違いを 奇異に感じていた。 最近、このような感情に 囚われる。 作曲する自分の 動機や思い入れや志しを、作品でのみでしか表現 できない悲鳴を、それを語ろうとする悲鳴を。 第二楽章には、幻想的な月光を感じさせる調べなんか そっちのけで、 それから離れた 己への想いを語ろうとしている ベートーヴェンが いる。 そうなんだ、己との闘いから 漏れ出たものが 作品なんだ。 なおもて、更に真実を知りたいと渇望する 木偶坊を自嘲しつ。 |
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「 迷曲へ 豹変迫る 荒れごころ 」 虚空 ハチャトリアンの 「剣の舞」 サラサーテの 「チゴイネルワイゼン」 リストの 「ハンガリヤ狂詩曲」 デュカスの 「魔法使いの弟子」 激しく乱舞し、人の心を掻き回す、その創意の詮索は置く。 ただ、 モーツァルトが何や?、 ねあかの 曲やんか、 〜文句あっか!〜 と絡みたいような時、助けに来て呉れる。 これらの曲を、ひねくれもんに秘かな楽しみを 呉れる 玩具と捕えている。 心の芯で、ハリケーンが舞い狂い、全てに興味を 無くす時節、これらの迷曲は、 突如と名曲になり、 共に狂ってくれる。 わが愛用の玩具。 |








