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父と母
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父は 親子酒の戯れに、
子供が転び泣いた時、
「僕は泣きませんでした」と書く事に、文学の源流があると 言った。 その時は、「そんなもんかな〜」 ぐらいしか考えなかった。 ちょっと違う 事実と真実、現実と普遍。 嘘と狂気を操り、人間という奴の多面性を知らしめんとした作家 山田風太郎氏は、医学知識を武器にキテレツな忍者を創造し、 人間の夢と特質を示した。 世に求められるものは、エコノミックな 時代が要求するものだけでは ない。 科学、芸術、生態学の世界に関わらず、 アインスタイン、ピカソ、岡本太郎、グレン・ゴールド、 リチャード・ドーキンスら偉人は 異端者扱い、後 アラタに評価された。 文学は報告・報道でない世界、私小説だって 純事実ではない。 「一杯のかけ蕎麦」は、マスコミが 作家の素行で叩き潰した。 文学とは、真実と言う 定義の不明確なことを、意義づける行 で成り立つもの。 創造し 書くということは、せんない苦しい作業、 今、父が居たら、前述の言葉の真意などについて、話相手になっ てくれたのにと 悔やむ。 |
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6年前の今頃、母逝去の連絡が従兄弟より携帯に入った時、 私は 寛いでいた。 帰郷して 前日に母を見舞い、小水の少なさに危惧を感じるも、 義父を養護施設に送り届けて帰宅し、実家の墓掃除で負うた足小指 微少骨折の妻を 近隣の整形外科医に託し、やっと得た自分の時間。 隣の市での全国陶器市、 迷いつ選んだ。 備前の焼締 焼き物 ぐいのみ。 灰被り 胡麻 柚肌 コゲ、この景色多彩な小物。 お通夜の日、もう一日居てやっていればとの悔恨、愛を素直に 受け止められなかった捻くれ息子。 甥っ子が、この陶器で飲む私に 朝まで相手してくれた。 風化したくて酷用、 ビール、焼酎水割り、お酒 すべてを受けとめ てくれる この奴を 母の涙と称して愛用している。 強い人ではあった。 家で転んで頭を打ち、意識のないまま2年間も生き続けた。 仲の良い6人姉妹同士は 何時も看に来てくれた。 通夜、身体の弱かった叔母は、子供の時の母を語った。 靴だけ持たされ学校まで負んぶして通ってくれたこと、帰りも待 ち伏せするいじめっ子から 守ってくれたことなど。 叔母たちを見ていて、私は、母は生を終わっても まだ6人姉妹の 長女をやっていたように見えた。 またして起こった大震災という悲しい日に、心が疼く。 避けられない天災と命の終焉。 「あるがまま」とは いうけれど。 |
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高校終末の頃、兎にかく家から逃げたかった。 目覚めに夫婦喧嘩有無の確認地獄。 兄の蛮カラ生活の尻拭い。 父が転任祝賀会の酒屋で 地の有力者のならず者に無抵抗を通し 殴られ 血まむれになって帰宅。 兄と復讐の計画を立てたが、怖くて実現出来なかった。 夏、その相手の家にお中元を持って行かされた。 剣道神道無念流の有段者の父が教育者だから我慢したのだ。 俺もだと言い聞かせつつ。 休日、父赴任の学校で走高跳びの練習をしていたら、「ペスタ ロッチ教育」を教育理念としていた父は、一人黙々と荒れた運動 場の石拾いをしていた。 台風の夜中、学校へ行って来ると出かけてしまう。 母と子で必死で雨戸を押さえた。 かくして、俺の人間不信で慇懃無礼な一過性性格が形成されていった。 今なら分かる。 |
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私の父は、自分にも子供にも厳しく 己の心を見せない人だったが、 酔って帰った時、嫌がる俺を組み伏せ髭面を押し付けつつ過去を語った。 片田舎からの旧中学校修学時、同下宿の友と勉学の果し合いをし、 お互いに隠れて勉強をした果て相手を病にさせた事など。 勇んで夜、山道を夜鷹から提灯の火を守りながら 4時間も掛け歩き家に帰り 「2番になった」に、祖父には「なに〜、1番になるまで帰って来るな」
と言い追い出され、また夜中の道を引っ返した。
祖母も強い人で、馬喰に頼まれ暴れ馬や牛を簡単に鎮めたと言う。 野良仕事で手が破傷風になった時、鎌でその指を切り取った。 父はその母を溺愛していたのがよく分かる。 「時に触れ 母の面影が浮かぶんだ」と言っていたから。 |








