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禅
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船酔いしない技
中学生の頃 赴任した校長の父は 村の漁師さんらに 好かれ
私も好かれ、沖や離れ島の磯に和船で釣りに連れて行って 貰ってた 途中 私が 船酔いすると、決まって「オマエも 漕げや」 と、 櫂を託された そして 真剣に船を操って居る内に、舟と自分のリズムが一体とになり 不思議に 船酔いは消えた 懸命さと それを果たす為の責任感 とに 支えられて それは、禅公案の「あの走っている船を止めて見ろ」の 回答でもあった 男らは 陽気に 酒を酌み合わせていた、休日なんだから 実世界も 同じ だと思う 揺れる心と共に 揺れながら 進むが よろしかろう ♪ 禅もそれぞれ ブログ友の記に 我が師の掛軸を観た 全てが真実だ 看よ! 看よ! と促す 臨在禅 と 六根(五感に意を加えた六感)を開放すれば 真実ばかりが入って来るではない
か!
との 曹洞禅 と 若き日は 前者に憧れ 老境に至っては 後者に生きる
天地有情なり
みんな みんな 生きとし 生けるものは 生き生きと 生きている 仏教説話に棘あり 昔々、神さまと生き物さんとらが、食欲と性欲の二大欲について 打ち合わせ したとか 食の種類や性の季節に素直に応じる多くの生き物の中 しつっこく権利主張する二種類の野郎共に 神怒り ! 蚯蚓には、勝手に 土でも 食っておれ〜! 「食い尽くしたら?」に、「雨後 日向に這い出て死んじまえ〜〜 !」 人間には、「勝手に 何でも食って 年中 やっておれ〜〜〜 !」 っと ♪ 禅とは 本来の自分のみに満足する道を訊ねる道標(みちしるべ) 神 仏 女房 だって、私の気持は わからないん だから〜 いい加減 手を打って 安楽に なれれば いいのにな 〜〜 ♪ |
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「 老いて なほ 残る野心か 求むる心 」 虚空 ー 老いがやってきて やっと 自由に なって も ー まだ 迷ってる 悲しんでいる 己が無力さ に ついて 更に 自分に向かって 語りかけ 闘って いる 嬉しい 娘らを仕上げた開放の日々に 何を思う 師を想う 師に対しては 無垢にして 純情であれば あるほど いい けれど 青春という 迷いの時 出会って 素直になれた存在 を それでも エゴが邪魔した 悔恨をも 含めて 逃げたくせして また 従った 闘いもあった 日々のことを こんな日にも まだ 闘っている 神や仏に対しても 「自分の為には いらんけど 人の為には いて欲しい」 との、この 自己矛盾を 抱えて 自分のことじゃないと 言いながら いや 所詮 自分のこと なんだ と こんな戦いだった 座禅していて 襲い来る雑念を 書き留める事で 処理せんとしていた 色んな いいと思える 考え(膿)が 浮かんできて それとも 幾度も 幾度も 闘って いた 生死を かけて 見性(悟)に 挑んで いた その 苦悩が 残痕として ありありと 甦る ごく 個人的なこと だ けれど わたしの 源泉 師の著書への 書き込み無残なりといえども 懐かしい まだまだ 続く 長い道のり で あっても 覚悟だけは できている 自分では 治まった けれど 人さまに 披露するには 未だ 混沌と している |
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義衍老師に必死で喰らい付いてた二十歳半ば、竜泉寺の禅堂横の 外庭に置かれた、馬洗い桶を改造した 内室が一畳にも満たない 座禅堂を常宿に 通った。 2年間程、他のことは 何も見えなかった。 大学に勤めながら 毎日のように 自転車で通い、時には夜を徹した。 恩師には、学生達に学問・科学は私が教える、君は心を教えてくれ と託され、それが重みとして のしかかっていた時期でもあった。 遅刻しながらも、勤めていた。 そんな時、座禅している私に、毎夜のように 真夜中の大蛇が そ の桶を ズルズルと締め付けに来る魔境をも 見た。 師の師でもある原田祖岳老師の著書「正しい坐禅の心得」で、そうゆうこと が有り得ると 予見していたので、異常とは感じなかったが、煩わしく 邪魔だった。 後に師の法を継いだ 長子鉄眼老師の結婚の日にも、己のみ に集中してた俺は、何も眼中に無く 不覚にも寺で一夜過ごした ようだ。 義衍老師も、「わし 一寸広島へ 帰ってくるわ」 とだけ。 何も 言わなかった。 知り得たのは、私に人見知りする孫をあやす老師の姿に 接し た時であった。 遅々とし処理できぬエゴとの葛藤、それでも何故か 何時も 皆に守られ 生き永らえて来たと 思う。 二師に交えず の こだわりが その 因であるのかもしれない。 私の父にも、愛される事のみ多く、愛せない己を 叱る歌がある。 「 愛しえず 愛されること 多かりし 反省しつつ 静かに眠る 」 父 わたしの 遣り残している 思い 受けながら 返せない ふがいなさ。 受けたことへの 借金地獄 自己嫌悪 やるせない。
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