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遥か昔の私は、若者たるもの 己の心身をいじめ 鍛えるべし との 大義名分を盾に、挑戦ごとを 好んでしていた。 その行動を、自句 「 青春は 甘美な狂気に 満ち溢れ 」 虚空 に沿って 考証してみた。 甘美には、素直さや ロマンチックさと、一方 甘えがある。 狂気には、真面目さや ひたむきさと、一方 ふざけ心 がある。 これらの プラス・マイナスの要素が 入り乱れ 色んな 行動を 起こすのが 青春と 言う奴 なのだろう。 ・ 紀州 大学生の頃の 夏休み 郷里に戻っては 40日間、毎日のように 海で游いだ。 紀州田辺湾の、三壺崎水泳場から 沖のブイを回って来る 2時間コースが 定番であった。 でも、時には、三壺崎から 白浜の神島の隣の島、神楽島までの往路を 6時間余りで 遊泳した。 途中、今は消えた 田辺から白浜への巡航船の船長らが 「大丈夫か?」と、声だけをかけ、遠ざかって行った。 おおらかな 時代だった。 帰った時、足は疲れ果てていて、暫くは 砂浜の上を 歩くことさえも 出来なかった。 ここには、己の力の限界を知りたいとする 素直で真面目さが あった。 ・ 冬休み 何か期する事(忘却〜^)あってか、冬の真夜中、除夜の鐘を聞きながら、 急に 泳ぎたくなり、ナショナルトラスト発祥の地の 天神崎から離れ島 元島まで泳いだ。 冬の夜の海は流石に 暗く 怖かったし、帰る地点が 分からなくなって 迷い 困った。 寒さは、さほど 気にならなかったのか、記憶にはない。 これは、生きる目的を模索することに疲れ 甘えながら、しかし ひたむきな 行為だったようである。 ・ 遠州 アカデミックな場にいた時も、年の差が 余り変らない学生らを巻き添え にして、やった。 浜名湖、観山寺から対岸の三ケ日まで 片道(道は無いけど^) 4時間余りか 決行。 バレて、危険行為として 教授会で問題になりそうになったが、 恩師である教授が、如何言う手段でか 揉み消してくれた。 これは、いわゆる青春時独特の、単なる ノリ だったようである。 甘えと、おふざけの混在した 行為と言えよう。 ・ 近江 失恋して、またも 遠泳していた。 新唐崎から対岸へ向かう。 琵琶湖の南湖、草津の支那の葦の原まで、3時間程 か。 淡水なので、海のような浮力は無く 上向きになり浮いて 暫し休むことができず、思いのほか 厳しかった。 しかし、心の苦なんか 何も 解消はしなかったようだ。 これは、ナルシズムを 自分で演出する行為であり、失意を美化 しようとする 自分へのポーズでしか なかった。 ロマンチックのようでは あるが、おふざけに 類する行為であったろう と思う。 私にとっての 遠泳した 動機は ? 何故 こんな無意味なことを と思えば、今もって 分からない。 泳ぎを止めようとの心を封じて 事に臨ませ、究極時に生き逃れたいと するや否やかを、自らの身体に訊ねること だったのかも 知れない。 しかしながら、結局は 何ひとつ 変わらなかったし、得られた ことは なかった。 青春とは、自分でも分からぬ衝動に支配される時期なのだろうか。 自己設計 自己実験、そして 自己演出 自己観客 自己満足 の 青春 だった ような 気がする。 長じて、しがらみの中で しなければいけないことを 素直にする事で 楽になれた面も あるようである。
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青春
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「 人生を 済ませたように 筆洗う 」 虚空 格技を好んでしてた。 ・ 小学校 相撲部で 28手のなる渾名(あだな)、細長い足が武器のくせ者技。 父は子供用の稽古本のみを与え、稽古相手の所望を拒否、己でやれとの 実績主義者。 ・ 高校 柔道部 、武道王国で体育外の一般教師でも6段の猛者が 二人も居て、 手を使わず押さえ込まれ、重心の移動を悟られ 上に乗っかってだけなのに動けず そのコンニャク感が今も残る。 先輩に 気合いのみで 跳ね腰で投げてやろうと挑まれ、 痩せ蛙は、足を絡めてしのいだ。 ・ 長じて 大学で剣道部 、朝稽古に未だ来ぬ指導師の教官を、みんなで 怒鳴り声を立て 起こしに行くなど、和合した。 ・ 以後、オイゲン・ヘルゲル氏著書の「弓と禅」に魅せられ、 教員として勤めつつの もぐり弓道部 。 日置流の 老いた禅僧の師が指導していた。 私は夜行性だから、会えなかった。 里芋の葉っぱに玉露が溜まり、自然に落ちるのを理想とする 矢の離れ を 体得したかった。 しかし、的に10連発できた深夜、矢場に入った野良猫に矢を 向けようとした、矢は 放つ事はなかった でも 私の心は 一気に崩れ落ちた。 二度と 弓が 弾けなくなった。 技が決まった快感と達成感の余韻と、残心を味わうのが目的だった のに 己の 残忍な心に 気付き。
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受験期になると 思い出す。 大学教員の頃、田舎にいた従兄弟の大学受験の世話を任された。 だが、この地がバイク狂国であることを教えるのを 忘れていたのだ。 早朝歩道を下見し 登路に犬の死骸を見、不安を与えてはと気遣いて 対路の歩道を歩かせ たのが 裏目に出てしまう。 横断途中に、バイクに撥ねられた。 郷里へ もたもたと 電話連絡、元憲兵の叔父は 「死んだのか、生きてるのか まずそれを 言え」と、どやす。 医者は ほっぺを 強く叩いて うなずく従兄弟を 意識あると見届け 去る 二日間昏睡状態で、私も 寝ずに見守った。 真っ青な自顔、 若い看護婦さん来ての 「あれ〜?、どちらが患者さんなのか なぁ〜」
との、優しげな ブラックユーモアで、どれだけ救われたことか。
私の川柳に対する眼、モチーフはこの時に芽生えたのかも知れない。 叔母は、 「 横断歩道じゃない、そちらに非がある 」 と、作文読む如き加害者を 睨んでいた。 |
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古びた碁板を虫干し、馬鹿な男の年輪が、染みのように浮かび上 がる。 大学囲碁部の潜り部員、玉砕を構わずの喧嘩碁。 即、ムチャーチョスとの字名(あだな)を 頂戴 (ラテン曲アディオス・ムチャーチョスが 流行っていた)。 負け、眠れぬ夜、天井が碁板となり、舛が浮かぶ。 夏休み、昨年夏逝った二人兄弟だけの、その兄には本音をぶつ け、甘えた。 九目置かせ、容赦なく板面の石を全て取ったら、二度と相手をし てくれなくなった。 後、友との勝負で負け カッカして駆け込む若き学生論客達には、 態とポカをして、負けては 自信を与えた。 己(おのれ)が 上達する訳はない。 母方の祖父は、孫の私と五目並べの相手をしつ可愛がってくれたが、 毅然とし、決して勝ちを譲ってくれなかった。 どちらが教育的指導なのか、何うも後者のようだ。 |
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むかしむかし、ケンという良い子ちゃんぶった子がいたそうな。 最近あまり見掛けない。 叔母らは、みんなケンの真似をしろと 従兄弟を 託しにきた。 みんな技術系へと ついてきた。 夏休み母の里の朝、みんなを並べ宿題させ、まるで塾もどき。 出来た褒美に、紙飛行機造り や 川魚狩りで遊んで やった。 でも、彼には それも 苦痛だった。 叔母に、網を修復する糸が欲しいとの要求もできない 対人恐怖症では。 以後も 続いた 浪人中のヤツの下宿に、真面目にやってるかと スパイ役。 大学合否発表の日のヤツに、落ちて 自殺されてはとの 叔母の命で引卒。 脱校し 外国貨物船での密航騒ぎしたヤツにも 付き合った。 従姉妹を風呂入れ、お琴の聞き役 や 宿題見もした。 ― 六人姉妹の長女だった母の7回忌の日に ― |






