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「 青春は 甘美な狂気に 満ち溢れ 」 虚空 「 水音 」 4 奥山半僧坊 若者は、炭焼き小屋の入り口の傍で、土の上に直に座っている。 半僧坊の横から少し分け入った山の、斜面にある平らかでやや窪んだ 場所である。 真夜中である。 膚寒い秋風が、わずかながら吹いて、枯葉を揺する。 若者は、一途にすべての思いをやめ、無心に座っている。 静かである。 月も、出ていない。 周りは、闇である。 真の闇である。 音がした。 かさかさと落ち葉を踏み鳴らして、山犬がやってきたようだ。 足音が、近くなる。 だんだんと、近づいてくる。 犬の息する音が、若者の耳に入る。 周りは、闇。 山犬は、若者を見詰めているようである。 更に、近づいてくる。 近くに、やって来た。 山犬の息が聞える。 若者の手に、山犬の息が当る この時、 若者は、死んでもいいと思った。 自分の心を見ることを、やめた。 急に楽になった。 若者は、すべてを無視できることで、座った。 夜が明けた。 周りが、うっすらと白ずんできた。 旭日の光が、かすかに木の間から漏れ、若者を照らす。 わずかに赤みを帯びた葉っぱ は 夜露に濡れ、光を受けて 照り、輝いて、きらきらと光っている。 魔境だったのだろうか。 不動明王の、叱咤か 加護だったのだろうか。 山犬は、去っていた。 山々は、徐徐に色づき、もみじの色がその濃さを増して行くかのようで ある。 風が、紅葉化した色とりどりの葉を、揺り動かしている。 小鳥の声が、だんだんと若者を取り巻くようになっていた。 |
水音
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「 青春は 甘美な狂気に 満ち溢れ 」 虚空 「 水音 」 3 竜泉寺 ー 夏 ー 夜は、やや更けていた。 禅堂の傍にある茶畑に接した松林の中で、若者は独り座っていた。 月の光が、松林を斜めから照らしている。 清浄な空気が身を包む。 やがて、やぶ蚊の羽音が耳に入った。 その羽音が消える。 しかし、一匹の蚊は、若者の左手の手首に近い甲に止まり、羽根を たたんで休んだ。 一陣の涼しい風が、若者の頬をかすめて遠ざかった。 まもなく、耐え難い痒さが、襲ってきた。 手の甲の痒さが、痒さと痛さが入り混じった痒さへと徐々に変っていく。 身体全体に震えがやってくる。 我慢する。 しかし、心はその痒さのみに囚われてしまっている。 蚊は、飛び立とうとして、グミのように膨らんだ身ではできずに 若者の組んだ足へと落ちた。 丸く柔らかく生暖かいものが、足のくるぶし付近に触れたように、若者は 感じた。 若者は、再び座禅に集中しようとしていた。 蚊が、顔や手や足の周りを飛び回っているようである。 羽音が、多くなってきた。 若者は、それを無視して、座に集中しようとしていた。 時々、松の木々の間を縫ってくる風だけは、若者をやさしく撫でて いるかのようである。 |
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「 青春は 甘美な狂気に 満ち溢れ 」 虚空 「 水音 」 3 竜泉寺 ー冬ー 若者は、禅堂の外の、軒下で座禅をしている。 木の葉をも散らす、風雨である。 木枯らしが、凄まじい。 若者は、無心になろうとしていた。 だが、心のなかでは、雑多な思いが走り、心は荒れ狂っている。 わずかに開いた眼の前では、葉は鳴り、木々は唸り大きく揺れ動いてい た。 若者は、何かをすることで気を散らさないようにと、数を一から十へと 呼吸に合わせて数えている。 しかし、この行為も長続きせず、気が付いた時には数は十を遥かに 過ぎ、更には別のことを考えている自分がいた。 寒さが、手の甲から背中へと流れ、走っていく。 雨は地を叩き、風がうなりを上げている。 ー 春 − 春の暖かさが、若者を取り囲んでいた。 真昼ながら、やや薄暗い禅堂に、わずかながらも日が差し込んでいる。 若者は、春のけざるさと共に座っている。 眠い。 眠たさが、若者を包み込もうと 襲ってくる。 心は、ほとんど、今であることをから、離れてしまっている。 若者は、手の平の中に握り、隠し持っていた松の葉っぱを取り出した。 左手の甲を刺した。 痛さで一瞬に、目が覚める。 若者は、崩れた姿勢を立て直し、再び気をひきしめて、頭のてっぺんで 天を支える気概で座る。 目の前、数メートル位の所に立てられた線香の煙は、禅堂内に充満し 鼻を刺激する。 若者の半眼に開かれた目には、線香の明かりが、ぼんやりと入って いる。 また眠たさが、襲ってきたようだ。 若者は、線香の明かりに眼をゆだね、見詰める。 線香の灰は長くなり、時間が流れて行くようである。 突如、線香の灰が落ちた。 若者は、万雷の音に会ったように驚き、身体を揺らした。 目が覚めたのだ。 線香の灰が、また長くなって行く。 |
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「 水音 」 3 龍泉寺 ー秋ー
若者は、師の前に居た。
膝を付き合わすようにして、座っていた。 若者は、前屈みになりながらも、師の眼をじっと見詰めている。 突如、師の両袖が割れて、掌が打たれた。 音は、禅堂いっぱいに、鋭く響き渡った。 次いで、師は言い放す。 「 悟ろうが、迷おうが、そういう事に何も関係なく、このようにちゃん としておる。 あんたが気に入ろうが、なかろうが、このように無条件に動くよう にできておる 」 秋の夕日が禅堂内に差し込んで、二つの長い影を、畳に映した。 師は、続ける。 「 君が生まれる前から、宇宙は動いておる 」 若者は、この言葉を聞くと、体中が痺れたようになり、汗が滲み出 た。 師は、片手を挙げながら 「 六感を開放して、この世界に自分を、手放しで解放してごらんなさい」 と、言った。 若者は、迷っていた。 このようなことが、悟りを得る方法と、何のような関係があるのかが、 分からずにいた。 師は、その思いを察してか、止めの言葉を吐いた。 「 今は分からなくても良い、その内きっと分かる時が来る 」 そして、穏やかな ひっこみ笑いをし、 「 禅には、求めるために、求めないという方法がある 」 と言いながら、小さな湯のみでお茶を飲んだ。 若者も、それに合わすように、お茶を飲んだ。 更に方法論にこだわり尋ねる若者に、師は命じた。 「 自分の見解をすべて使わず、今見えているもの、聞えていることに、 純粋に参じて見なさい 」 「 とにかく、座って、自分のために何か意識的にしょうとすることを、 すべて手放して見なさい 」 暫くして、暗い禅堂内で座禅する若者の姿があった。 若者の心の中では、師の打った手の音が、何時までも鳴り響いていた。
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「 水音 」 2 奇絶峡 二人の若者が、磐石の下にある洞窟に不動明王を祭る、不動滝の横 この坂道を、谷川に沿って登って行く。 「 朝の早ようから来て 良かったのう〜、 涼しいし それに だ〜れも おらへんしな〜 」 「 ほんまにや 気持ちええのう〜、新芽がきれいやし 空気がうま いの〜 」 若者らしく、快活な声で、二人は話す。 谷川は、爽やかな水の音を乗せて流れている。 新緑の山が、渓流を映えさせて 清涼感を漂わせるようである。 「 ちょっと 休もう〜や 」 「 うん そうしよう〜か 」 二人は山道から外れて 谷川へと降りる。 葉の茂った木の下で、木陰になっている岩の上に座った。 涼風が二人の若者の耳を撫でて去る。 谷川の水は、しぶきを立て、白い泡を作りながら流れている。 蝉が鳴きだした。 一人の若者がしゃべり始める。 「 「 閑かさや 岩にしみいる 蝉の声 」か、芭蕉もこんな所で、 この俳句を創ったんやろ〜か 」 「 そやないで、あれは もうちょっと夏で、ほいで 夕方に詠んだんと 違うか 」 「 そやけど〜、こんな喧しい蝉の声を、静かちゅうのは、おかしい んと 違うか 」 蝉の声が、一段と多くなってきた。 「 蝉の声に耳を傾けていると、岩にしみ入るようであると、この間 先生が解釈してくれたやろ〜 」 瘠せた方の若者がは、少し間をおいてから、返事をした。 「 それが、一般的な解釈らしいな〜 」 先の若者は、目を空にやりながら、言う。 若者の声と、谷川の音と蝉の声が重なりあって、山は活気に溢れてい る。 瘠せた方の若者は、手を上に延ばし、頭上の木の葉をもぎ採った。 それから、谷川の流れに乗せた。 葉っぱは、舞いながら流れていく。 そして、また、話しかけた。 「 蝉の声が岩にしみ込んだから、静かであると解釈でけんのやろか 」 「 そんなもん、どっちゃでも いいやろ〜、俳句なんて、どうせ自己陶 酔する遊びなんやろ〜し 」 相手の若者は、面倒くさそうに、ぶっきらぼうに答える。 「 そんなもん やろ〜か、芭蕉が生涯かけた道が そんなもんやろか 」 返事は、なかった。 若者のつぶやきを無視して、谷川は依然として、軽やかな水音を立て て、流れている。 「 そんなもん やろか 」 若者は、また一人でつぶやいた。
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