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ベストセラー国家の品格の藤原センセの受け売りですが AならばB、BならばC、CならばD‥となるとき そのならばのことを論理と言います。 数学などの場合、このならばにあたる部分は= つまり AならばBである確立は100%です。 だからその論理の数珠がいくら長くなっても、 論理の出発点Aが正しければ、行き着く結論も必ず100%正しいということが言えます。 しかし、一般的にはその論理の確からしさが80%だったり、70%だったりすることが多いわけです。 ということはAならばB程度のことは言えても それがA→B→C→D→E→F→G‥‥と長くなると その結論はドンドン怪しくなっていくわけです。 仮に出発点Aが正しくても、ならばが80%の確からしさだとすると Cでは64%、Dでは51%‥‥Gになると26%です。 そうなるとAならばGとはとても言えません。 1/4の信憑性しかないワケですから。 つまり、一般的に言って長い論理ほど正しくないのです。 風が吹いても桶屋はちっとも儲からないのです。 なにを言いたいかというと、こういうことです。 たとえばある人から地球の環境問題についてもっと考えようという考えを聞いたとします。 もちろんそれはとても共感できる考えです。異論はありません。 しかしその考えの出発点はとても正しいし共感できる考えだったのに 話を聞いているとその論がだんだんアヤシクなってきて 起源意識がどうだとか、エネルギー体がどうだとか言い出したりするわけです。 胡散臭さがプンプンと漂ってくるわけです。 まぁこの場合、論理の飛躍がかなりあるんですけどね。 (あと最初仮定で持ち出したモデルの理屈を、確定したかのように摩り替えてたり) いや実際そういうなんだかよくわかない論理を展開している人たちや団体があったりするのです。 ひとことでバッサリ言うと 「言いたいことはよくわかるが、言っていることはさっぱりわからない」 そういう団体です。 もしその言っていることがビジョンだの思想だのというものであるとすれば ビジョンや思想って何なんだろうと思ってしまいます。 それは信仰ではないのだろうかと。 なんかこないだから深い話ばかり語ってるなぁ。 そこで一句 ちょっと待て 長い理屈にゃ 気をつけろ
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AならばBが必要条件であってもBであるならAであるの十分条件が満たされないのであれば論理のトリックです。塩(塩化ナトリウム)はしょっぱいですが、しょっぱいのは塩かと言われると塩化カリウムもしょっぱい。逆は成り立たないのです。こんな論理を積み重ねて検証できない状態にしてけむにまかれるのです。いやですよねぇ。
[ なんぎ ]
2007/4/3(火) 午前 10:21
そうですねぇ、必要条件と十分条件の問題もありました。逆もまた真でなければ本当の意味でのイコールじゃありませんよね。ただ、例えば「春になる→スギ花粉が飛ぶ→花粉症の人は辛い→ティッシュが売れる」ぐらいの論理の短さであれば、必要条件だけを演繹法的につらねていっていってもまぁまぁそういうこともあるだろう的に納得するのですがねぇ。
2007/4/3(火) 午後 5:15