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大学時代の思い出…といえば、 大学の電子工学科の授業でも研究室での研究でも 漫画同好会の思い出でもなく 大学生協での思い出です。 大阪工業大学消費生活協同組合(以下工大生協)は たしか学園紛争華やかし頃に、学生運動の一環として出来ました。 しかし、その成立の過程から、大学当局とは折り合いが悪く 大学生協でありながら「キャンパスの外にある」という 非常にまれな大学生協でした。 (ほとんどの大学生協はキャンパス内に存在します) ボクはその学生委員というのをやっていまして(組織部ともいう) 2年次にはその学生委員長というのをやっていました。 ボクが入学した84年当時は、すでに学生運動なんてものは消え去っていましたが 生協や学友会あたりには、まだまだその当時の名残りというか空気感みたいなものが 若干残っていた時代です。 若かったボクも、当時はどちらかというと左寄りの考えだったので (といってもかなり日和見主義でしたが) そんなところに居場所を見つけたのかもしれません。 (もちろんオトナになった現在は左寄りよというわけではありません) そういう思想信条はともかく 高校時代までは、精神的にはホントに子供な状態で 人前で話をするなんてとんでもない、 自分の意見すら言えない、いや意見なんてそもそも持っていない コミュニケーション能力も極端に低い、一介のオタク少年だったのですが 生協の組織部の活動で、本当に鍛えられました。 人間的にもものすごく成長することができました。 たとえば、生協の大事業、春の新歓期の「教科書供給」。 (生協では「販売」と言わず「供給」と言う) 前述したように、生協は大学当局と折り合いが悪い状態です。 そんな中、大学主催の新学期の履修ガイダンスのときに 説明している先生に、ムリヤリねじ込んで行ってマイクを奪い 「教科書供給」の説明をさせてもらう…といった 「心臓に毛を生やす訓練」みたいな活動をやったり 学生1000人が参加する淀川河川敷でやるソフトボール大会を運営したり また大阪の大学の学生を集めて 大阪南港からフェリーで沖縄一週間ツアーを企画し ワガママな女子大の学生を含め組織して運営する… などなど、人間の胆力というか精神力を鍛えられるような活動ばかりやっていました。 そんなことをずっとやっているので その当時、1年1年自分自身が成長しているのが自分自身でわかりました。 人見知りのはげしいオタク少年だったボクが、堂々と人を組織して動かしているのです。 人前でしゃべるなんてへっちゃらになっているのです。 それから人生とか生き方とかに影響を与えてくれる大人の存在が自分の成長には大きかったです。 とくに世話になったのは、当時の工大生協専務Tさん。 ボクが留年して、生き方に迷いを感じ塞ぎこんでいたときに 「自分の生きてきた20年間を振り返って、一体自分は何がやりたいのか考えてみろ」 と、言ってくれたおかげで、ボクは漫画家を目指す決意が出来たのです。 それから食堂の店長だったMさん。 この人にはとても大事にしてもらいました。 組織部の後輩達のまとめ方などで悩んでいたときなど 「この本を読め」と、とても参考になる書籍を勧めてもらい 今ではそれが自分の血となり、骨となっています。 失恋したときなどに悩みを聞いてくれたIさん。 本当にお世話になりました。 そんなこんなで、ものすごく「濃い」青春時代を送れたおかげで 人間的にもかなり成長でき、今の自分があるわけです。 基本的にオタク少年・青年が多い漫画家を目指している青少年ですが そんなわけで、小学館でのデビューのパーティーのときの いきなりふられた簡単なスピーチで、多くの受賞者がオドオドとしゃべる中、 ボクひとりが堂々と(軽い冗談なんかかましながら)しゃべっていたのでした。 それで同じ受賞者にビックリされました。 「おまえよくあんなにしゃべれるな」と。 その大恩ある工大生協が、この春ついに解散して消滅してしまいました。 大学内には「厚生会」という、もろ生協と競合する組織があり やはり学外にあるというのがデメリットになったのか、時代の流れなのか、 存続できなくなったようです。 そのことについては仕方ないなとは思っているのですが 自分にとっては、まさに「青春時代そのもの」ですから なんというか感慨深くならざるを得ません… さらば工大生協 さらばボクの青春 当時の仲間たちと酒でも酌み交わしながら話したい気分で、この項を書いています。
とくに面白いオチがなくてすみません。 |

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私もIさんと呑んでいて、
「あ、今日、工大生協の解散式!」
と、聞いてびっくりしました。
そうなんだ、無くなったのか、ふぅ・・・、と。
私も最後の1年は濃い期間を一緒に過ごさせてもらったので、感慨深いものがあります。
[ なんぎ ]
2009/5/29(金) 午後 0:34
>なんぎさん
そうですかI谷さんと飲みましたか。お元気そうでしたか?
なんぎさんとは「キャムログ」を一緒に編集した仲間でしたね。
2009/5/29(金) 午後 5:14
こんばんはぁ〜
久々の登場です!(1ヶ月の応援が終わりましたm(_ _)m)
いい想い出ですね。青春時代の1ページが凝縮さらた時間と共に
心の中に刻まれていることでしょうね。
特に多感な時期の想い出は、良くも悪くも印象が強いですから
ふっとした時に「あの時は・・・」と思い出してしまいますね。
ちなみに、私は今でもオタクですよ!車関係の・・・(^^;)>゛
2009/5/31(日) 午前 0:12
>キヨピーさん
お久しぶりです。元気にしてましたでしょうか。
多感な時期で思い出しましたが、もうそろそろ多汗な時期ですね。
昨日も駅から40分歩いて大汗をかきました。
2009/5/31(日) 午後 0:12
初めて書き込みさせていただきます。
ちょくちょく覘かせていただいていましたが、今回は気になる点があったのでキーを叩いてしまいました。
たなか先生の企画された大学生協の沖縄の旅って津賢島の時ですかね?
この時だったら私も参加していました。
普通の観光ではありえない楽しさだったと記憶しています。
それにしても、東京で出会った人のブログで20年以上前の思い出を引っ張り出されるとは思いませんでした。
また、書き込みさせていただきます。
[ n.yasuda ]
2009/6/1(月) 午後 10:39
> n.yasudaさん はじめまして。
あれれ!津賢島に行かれたのでしたか?!
しかしボクはあれに参加したのは一回だけなので、同じ時に行ったかどうだかは不明ですけど、一緒だったらスゴイことですよね!
今調べたんですが、行ったのが87年だったか86年だったか不明です…。ボクは8班のGLをしていました。
2009/6/1(月) 午後 11:37
さらば生協・・
そうですか・・工大生協が解散したんですか・・しみじみ。
亜呂麻(字あってましたっけ?)でココアをすすり、本屋の事務所で検本(立ち読み?)していた、あの日が懐かしく思い出されました。
「教科書供給」腰にくる大きな段ボール箱の山や、バンで倉庫と本屋の店舗を往復した日々が懐かしいです。
Mさんは食堂のバイト時代にお世話になりました。
バイトが終わり22時頃食堂を片付けたあとに、事務所で残りものの冷やし中華なんかをすすりながら、社会批判とか聞いた記憶もあります。
時代の流れかもしれませんが、青春時代にお世話になった場所が消えていくのは、さびしいものですね。
[ 早川 薫 ]
2009/6/2(火) 午前 4:41
>早川センパイ
そうなんです解散したんです。
長年経営難にあえいでいたみたいでしたが、とうとう…。
90年頃は規模も拡大して大盛況だったんですが…
早川さんも「教科書供給」のバイト経験されたんですか!あれは修羅場でしたからね。ボクはバイトではなく指揮したり組織したりするほう(もちろん無償)でした。よく徹夜でリストを印刷したものです。
食堂のMさんは多分違うMさんじゃないですか?
早川さんの言うのはM山さん。ボクの言っているのは、その後店長になったK林さんの後のM下さんです。
早川さんはボクが入学した年にはすでに卒業してましたから間違いありません。たぶん。
みなさん元気にしてらっしゃるのでしょうかねぇ。
2009/6/2(火) 午後 3:12
おひさしぶりです。凄くお久しぶりです。(汗)
somniumrx8こと、そむにうむ@森山弘樹と申します。
いや、このブログに書かせて頂くのは初めてなのですが、
同じ漫研に所属していた森山と言えば思い出して頂けるでしょうか。(大汗)
私も大阪工大を卒業して20年以上になりますが、4年前に結婚して新居を大阪工大の正門前通りに構えることになってしまいました。
で、思い出深い大阪工大生協は昨年秋頃に取り壊され、現在は空き地となっています。
亜呂麻(早川先輩、正解です)の建物は残っていますが、1階が生協とは関係ない事務所として使われているようです。
実は「ナッちゃん」を刊行されておられたことを今年に入って初めて知りました。(大汗)
お世話になっている取引先の事務所に「ナッちゃん」が全巻揃っていて、「これ面白いよ」と薦められて読んだ次第です。
・・・自分の不勉強を嘆きました。(大汗)
しかしお元気そうで何よりです。
これからの一層のご活躍を期待しております。(^^)
[ そむにうむ@森山弘樹 ]
2009/6/3(水) 午前 10:21
>森山さん
ものすごくお久しぶりです。
もちろん覚えていますよ。漫研に所属してただけじゃなく、CG研(そんな名前でしたっけ?)も主催されていましたよね。
あの時代に3DCGで独自にフィギュアを作っていた功績は語り草になっていました。
しかし工大正門前通りに新居ですか!
そりゃまたビックリですね。
ボクも今年の3月にあのあたりを歩いたのですが、ずいぶん変わってしまっていたのを覚えております。
「ナッちゃん東京編」はまだまだ連載中ですので、また見てやってくださいネ。
2009/6/3(水) 午後 2:53
どうも、覚えていてくれて光栄です。(^^)
大学在学中に立ち上げたCGの研究会(グラフィック研究会:GR)は昨年の学祭で消息を聞いたらまだ存在はしているそうです。
大学の卒業研究でうっかり3DCGフィギュアを作ってしまったために、現在もまだその方面で稼いでます。最近では3D立体出力装置が安価になってきたので、その普及と新しいホビー事業への展開目指して秋葉原UDXの一角で悪巧みをしています。(汗)
といいつつ、仕事場は南森町にあったりします。(^^)
新居に引っ越しして以来、母校とその学生たちを朝な夕な見続けてきましたが、最近は2部が廃止になったので学生数がめっきり減りました。
さらに昨今の新型インフル騒ぎの時には、大学周辺がほぼゴーストタウン化しました。(笑)
「ナッちゃん」早速ウチの事務所にも揃えます。新作もチェックさせて頂きます!(^^)
[ そむにうむ@森山弘樹 ]
2009/6/3(水) 午後 3:15
>森山さん
もちろん覚えていますよ。
そうですかGR研は健在でしたか。
ボクのほうも、ついうっかり「モノづくり漫画」なんて描いちゃったら、すっかりその道の人になってしまいました(笑)。
このブログの書庫の「ものづくり」の過去ログをぜひ読んでみてください。たぶん森山さんが興味をもたれるであろうことが山ほどあると思います。とくに3Dデータの3軸マシニング削り出し等身大ナッちゃんフギュアとかの記事はぜひ。
2009/6/3(水) 午後 8:23
大阪に帰るきっかけがあったので 工大生協の跡地をみてきました。
やっぱり悲しくなるね。
でも違う建物になる前にみれてよかったとおもう。
[ たぼ ]
2010/8/31(火) 午前 0:50
>tak*tak*19*5さん
更地になってましたか。なんか寂しいですよね…
まぁでも仕方ないのかもしれません。
2010/8/31(火) 午前 0:56
ストリートビューを見て昔生協の合った場所が更地になっていいるのを見て、驚きました。創設期に関わったものの一人として、大変寂しい思いもあります。
[ sokamoto ]
2011/5/24(火) 午後 2:16
>sokamotoさん はじめまして。
そうですか、創設期に関わられた方でしたか。
そりゃ寂しさもひとしおですね。
2011/5/27(金) 午後 7:13
>N田さん
おひさしぶりです。
(内緒コメントにするとボクしか読めないので、ふつう書きます)
昔、奈良明日香ツアーに誘ってくれましたよね!
たしかご自宅にも停めていただきました。
よく覚えていますよ!
2011/7/25(月) 午後 1:50
初めて書き込みさせていただきます。
11月15日の夜7時ごろ工大に行きました。生協がない。アロマもない。今まで知らなかった。確かに学生数は減り、夜のにぎやかだった頃とは大違い、90から95まで在学していましたが、生協の組合員意識が希薄になっていることに危機感を持って活動していましたがF田理事長が辞められても、大学当局との仲は修復されなかったのですね。
[ hph545 ]
2011/11/25(金) 午後 6:21
>hph545さん、はじめまして。
90〜95年までというと、ボクとは入れ違いですね。ボクは84〜89まででしたから。
後半の潰れる寸前のこと、講演を頼まれて工大に行き、そのとき生協もよりましたが、当時の話では大学との関係はむしろ良好のようでしたよ。むしろ助けてやろうという感じがみうけられました。しかし時代の波に勝てなかったようです。
2011/11/27(日) 午前 10:49
松岡様。
ボクのブログ記事でよければ、どうぞお使いください。
2013/10/31(木) 午前 2:51