|
ものすごく美味しいものを知ってしまうことは喜びなんだろうか悲しみなんだろうかということがわからなくなることがあります。
たとえばミカン。
この季節になるとミカンが出回っていて、いろんな機会で「これよかったらどうぞ」とひとつふたつもらうことがあります。これがたいてい美味しくないのです。いや、不味いと言ってしまおう。なぜなら本当に美味しいミカンの味を知ってしまっていて、それを食べつけているからです。だから他のミカン(ひょっとしたらそこそこ美味しいかもしれない、僕にはわからないが)はどれこもれも不味く感じてだめなのです。
たとえば香川出身の人が、よそで食べるうどんに納得がいかないように。
恥ずかしい話ですが、ウチの母はあまり料理が得意ではありませんでした。なんでそんな味付けにする?なんてこともしばしば。だから小学校の修学旅行の旅館での食事、同級生たちはまずいまずいと文句ばっかり言っていたけど、僕も姉も弟も、美味しく感じてしかたがなかったのです。とても幸せなひと時でした。
これはまた音楽なんかにも言えることです。
音楽が好きになって、世界中のいろんな音楽を聴くようになってレコードやCDを集めて深く追求すればするほど、今のポップスやロックがつまんなくて聞けなくなってしまうのです。その程度では僕に喜びとかワクワクを与えてくれない‥と。
これを僕は「グルメ状態」と名づけました。
人間は「より美味しいもの」「よりすばらしいもの」を求めてしまいます。
これは性(サガ)というか業(ゴウ)というか、人間本来の欲求で、それがあるからこそ発展してきたのです。
しかしそれは「グルメ状態」に陥ってしまう危険もはらんでます。そうなると、これははたして幸せなことなんでしょうか不幸せなことなんでしょうかと、思ってしまうわけです。
「幸せってなんだっけ?」
やっぱり「ポン酢しょうゆがある家」のことなんでしょうかね。
|