ここから本文です
たなかじゅんのヨモヤマ日記
漫画家たなかじゅんのブログです。ツイッターもやってます juntnk FBもやってます。

書庫主張

記事検索
検索

しんどい

イメージ 1

ネーム中です。

しかし何ですね。
長年のクセというか習慣というか、なかなか机に向かえない自分が腹立たしくなります。
このモチベーションのコントロールというやつどうにかならないもんでしょうか。

---

今ここに、「合う・合わない」に関することを書いたのですが
内容にいろいろ差し障りがあるので、一度書いた文章を全ボツにしました。

ただ一般論として結論だけ書くと

「センス」や「美学」で生きている「プライドの高い」人たちとは、基本的に合わない

そういうことです。

そういう人と合っていると、なんだか自分が小バカにされているような錯覚に陥り
自然体でいられず、低く見られないように無理して自慢的な話をしなくちゃならないような
そんな強迫観念に襲われる‥というのはまぁ大げさですが、
それに近いような気分になってしまうのです。
わかりますかねぇ、この気持ち。

本当は具体的な内容を書きたいのですが、ま、相手のいることですし割愛させていただきます。
一度書いた文章はなかなかに読み応えのある考察だったのですが残念です。
何か奥歯に物のはさまったような言い方ですみません。

ま、やっぱりボクはオシャレじゃない垢抜けない育ちもそんなによくない男ですから
そういう「種類の違う人たち」と合わないのは仕方ありません。

オシャレなカフェやオシャレな音楽は好きですが、オシャレな人はキライなのかもしれません。

今上に書いた一文が、なにか真理を言い当てているような気がします。
堂本剛くんが言ったことが的を射ています。
「正直しんどい」

まぁそういう話でした。

なんか今回は何を言っているのかよくわかりませんね。
具体例を書いたらわかりやすいのですが、差しさわりがあるので
一般論でカンベンしてください。
もちろん今までの話は単に「合う・合わない」の話で
個人攻撃や非難や否定をしているわけではありませんので
そこのところヨロシクお願いします。

写真はパソコンのモニターを眺めている風を装って実は寝てるだけのキジさん。

イメージ 1

住宅地に後から共同墓地が出来る。
住宅地に後から屎尿処理場ができる。
住宅地に工場ができる。

こういう場合、必ず住民から建設反対運動が起きます。
これはまぁ理解できる話です。
住宅地としてのイメージが下がる→買った土地の値段が下がる→資産価値が下がるわけですから。
納得できる話です。(個人的には墓地ならええかと思ってしまいますが)

しかし逆の場合はどうでしょう。
例えば工場地帯にマンションができる。
畑の真ん中にマンションができる。

この場合たとえばマンションの住人が
「工場の騒音がうるさい!」「有機肥料が臭い!」と
文句をいえるでしょうか?
もちろん法律上はどうか知りませんが
心情として後から来て文句を言うのは筋違いなような感じが否めません。
度が過ぎる場合はべつでしょうが。

さてもうひとつ。
最近高層マンションというのが首都圏では大流行りです。
ボクは高層マンションは大キライなのでまったく住みたいとは思いませんが
ただ土地のない都心の場合、土地を有効に経済的に使うという意味でも
サラリーマンの通勤時間を少しでも少なくするという意味でも
それなりの意味はあると思っています。
ただしそれは都心の場合です。

そんな高層マンションを郊外に建てる必要があるでしょうか!(ちょっと怒ってます)
だいたい郊外は、そういう高いビル群などがなく、自然の緑にあふれているのが魅力のはず。
だから都心からちょっと離れている不便のかわりに、
そういう自然豊かな落ち着いた圧迫感のない環境が得られるのではないでしょうか。

何を言いたいかというと、このあいだボクのイチオシのスーパー銭湯に行ってきたのです。
町田のはずれ小山というところにある「いこいの湯・多摩境店」です。

ここはウチからもけっこう遠いのであんまり行きませんが
何もないところにあった、天然温泉の施設で
そのセンスのいい徹底的な和風の造りと、
裏が小高い山になっていて、露天がその山の緑と一体になった
自然豊かなとてもいい温泉施設なのです。いや、だったのです。
だったとはどういうことか。
説明しましょう。

まずここで「いい露天」の定義を説明しておきましょう。
「いい露天」とはまず「開放感」なのです。
「開放感」を数式で表すとこうです。

「開放感」=「露天の広さ」/「柵や塀の高さ」

つまり「露天が広いほど」「柵や塀が低いほど」開放感があるといえます。

この「いこいの湯・多摩境店」は裏が山なので柵もあるようなないような感じで
しかもそこそこ広いので、その露天の開放感はこのあたりでは抜群でした。
都心にあるスーパー銭湯ではとてもマネできません。

ここからが本題です!

こないだ、ひさしぶりにここに行ったんです。
するとどうでしょう。
ただの林と草むらだった隣の敷地に巨大マンションを建設中じゃありませんか!
しかもかなり高層です。
これ、露天風呂が丸見えじゃないですか!

今は工事中でシートがかけられていましたが、
完成するとここに窓が無いというのはまず考えられないので
それを見えなくするには、露天風呂の塀を高くするしかありません。
しかしそのマンションはかなり隣接してて高層なのです。
一体どんだけ高い塀をつくらなきゃならなくなるんでしょう。
しかもそんな超巨大塀をこしらえたら、ここの露天の魅力「開放感」が台無しです!
周りを高い塀で囲まれた露天ほど圧迫感のあるものはありません!

たしかに隣は他人の土地ですし、資本主義や経済の法則から言っても
とやかく文句を言う筋合いはないのかもしれません。
しかし、すでに隣に開放感豊かな露天風呂があるのに
そんなすぐ隣に高層マンションなんて建てなくてもいいじゃないですか!
というのが心情です。
高層マンションは都心だけにしてほしい。
郊外に高層マンションなんて要りません!

なんだかガッカリです。
もう「資本の論理で動く時代」じゃない世の中になってきたというのに!
プンスカプンプン!ヽ(`д´)ノ

バラで来い!

イメージ 1

2年ほど前、箱根の天山という落ち着いた温泉に入っていたときのこと。

夜風が箱根の山の木々の間をさわさわとそよぐ中
ゆったりまったりした気分で露天風呂に浸かっていたと思いなせえ。
そこに現れたのが学生(多分大学生)4人組。
こいつらがでかい声で騒ぐわはしゃぐわ。
まったりした温泉気分が台無しです。

あるスーパー銭湯に行ったときのこと。

気分よくお風呂に浸かろうとしたら、また団体の学生(高校生?)です。
彼らはでかい声で騒ぐわはしゃぐわ。
おまけに風呂の縁にずらっと腰をかけてペチャクチャペチャクチャ。
そこに団体で腰掛けられたら、他のお客が入れないだろ!
入るなら入る、出るなら出ろ!
心の中で怒鳴りまくりです。
もちろんボクは穏やかな人間ですから決して声を荒げたりはしません。

やはり「学生」の「団体」は「騒ぐ」ものなのでしょうね。
その気持ちはわからないではないですけど
しかしちっとは周りの迷惑ってもんを考えて欲しい。

写真は近所のバーミヤンの入り口に貼ってあったハリガミ。

「学生の団体」と限定しているところに注目。
わかりますよその気持ち。
きっと「学生の団体」に何度もひどい目にあったのでしょう。
学生はバラで来い!

教育的配慮

イメージ 1

このブログをお読みの皆さんなら、
また「ナッちゃん」ファンの方ならきっとわかっていただけると思います。
ボクの趣味というかセンス。

新品のピカピカのものよりちょっとボロくて古くてシミだらけのほうが好きというセンス。
たとえばガラスとアルミとコンクリートで出来たピカピカの未来都市みたいな六本木ヒルズより
路地裏や田舎の瓦葺の木造の風景のほうが大好きなのです。

たとえば自然の中で朽ち果てそうになった古い石橋の橋脚。
戦後すぐに建てられた長屋の並んだ町並み。
木造モルタル2階建ての看板建築群。
かつては子供たちであふれかえっていたであろう朽ち果てた炭鉱の町の学校。

味わいといったらいいのか、ワビサビの心といったらいいのか
そういう使い古されたり、また朽ち果てかけてたりするものに
えもいわれぬ情緒を感じるのです。

で、小学3年生の頃。
工作好きのボクは、夏休みの工作で家の模型を作りました。
ちょうど納豆を包んでいたワラがあったので、それをワラ葺きの屋根に見立て
バルサ材で和風の木造の家を作りました。
内部の畳や障子、襖もちゃんと作りました。
もちろん先ほど述べた趣味で。

そう、それをわざと汚しを入れてボロボロに着色し
ところどころはわざと壊し、いかにもオバケの出そうな、
水木しげるの世界のようなオンボロ小屋に作り上げたのです。
小学3年生が作ったにしては、なかなかのコダワリの逸品です。
そしてそれにボクは自信を持って「ボロ小屋」というタイトルをつけ
意気揚々と提出したのでした。

しかし、おせっかいというか親切心なのか、
その提出されたボクの作品「ボロ小屋」
あろうことか担任の先生が、ボクの思いなどいざしらず
せっかく頑張って作ったのにボロ小屋という名前はいかがなものかという
勝手な配慮で、タイトルを「小屋」と変えて陳列してくれたのです。

多分先生は、ボクが「卑屈な心」「自信のなさに対する防衛反応としての謙虚さ」でもって
そんな名前をつけたのだと判断したのでしょう。
だから教育的配慮としてタイトルを変更したのだと思われます。

「大人はわかってくれない」
子供心にそう思ったのでした。

もちろんとてもいい先生でしたよ。もう亡くなりましたけど。

泳げるし運転できるし

イメージ 1

尻に火がつかないとモチベーションの上がらない自分の体質を憎んでいます。
いや、ネームの話なんですけどね。
早くやってしまわないと自分の首を絞めることになるということは十分わかっているのに
今までそれで苦労してきたことは身にしみてわかってるくせに
♪いつまでたってもダメなわたしねぇ〜(誰の歌でしたっけ?)
---

さて写真は愛車マーチ君です。
もうそろそろ買って5〜6年になるでしょうか。
ほぼ毎日活躍してもらってます。僕の生活の足です。

東京の都心部など地下鉄網の発達したところに住んでいる人にとっては
高い駐車場料金や使う頻度などを考えたら車はむしろ邪魔物ですが
ボクなどのように首都圏のくせに中途半端な田舎な場所に住んでいると
車は生活必需品です。

なにしろボクが住んでいる横浜の港北ニュータウンという町は
「車生活」を基本に都市計画がされている町だからです。
道は広いし駐車場のない店は流行りません。

ところで田舎育ちの人間にとっては
「免許を持っている」「車を持っている」ということが
「大人の証明」みたいな感覚があります。

なので東京に住んでいる人で「車を持っていない大人」というのは
結構いますが(それすら田舎モノのボクには驚きなのですが)
「普通免許を持っていない大人の男」に出くわすと正直ビックリします。
「えっ?大人なのになんで?」という感覚です。

いや、結構いるのですよ。
ボクがヤングサンデーで描いていたころの担当さんも免許もってなかったし
かつてのウチのアシM君も普通免許は持ってませんでした。(彼は熊本出身なのに)
それは例えば「大人なのに泳げない人」に出会ったときのオドロキに近いものがあります。
(小学生時代に泳げるまで学校で徹底的にたたきこまれるものとばかり思っていました)
田舎モンのボクにはビックリです。

田舎では「運転ができない」「運転免許をもってない」ということは
「一人前の大人じゃない」ということと同義なのですから。
これは車好きとか、そういう次元の話ではありません。
いわば「大人のスキル」としての話です。

やっぱり環境が違うと感覚も違うものなのですね。

ま、東京都内の都心部に住んでいる限りは車も免許も必要じゃないんですけどね。

そういえば最近「若者の車離れが進んでいて、国内で車が売れなくて困る」と
トヨタなどのメーカーが嘆いているというニュースを耳にしましたが
きっとそれは都会の若者なのでしょうね。

ま、地球環境にはやさしいからいいんですけど
やっぱりいつまでたっても田舎モノのボクの感覚と
都会に住む今時の若者の感覚はずいぶん違うものなんですねぇ。
ani*ond*d
ani*ond*d
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事