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たなかじゅんのヨモヤマ日記
漫画家たなかじゅんのブログです。ツイッターもやってます juntnk FBもやってます。

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一応大卒です。

ネームつまり中。
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漫画家の学歴一覧みたいなのをネット上で発見しました。

最初に大学名があって、そこ出身の漫画家の名前がずらずら〜っと載っています。
早稲田大学はだれそれとだれそれ‥慶応大学はだれそれとだれそれ‥てな具合に。
(しかしみんな立派な大学出てるなぁ‥と感心することしきり)
当然大卒の作家ばかりではないので、高校や専門学校なんかも載ってます。
何々高校はだれそれとだれそれ‥と。

ボクの名前もありましたよ。
田辺高校(和歌山)のところに。

だれがどこで調べたのか知りませんけど、いやけっして間違いではありませんけど、
調べるのならもうちょっと踏み込んでほしかったです。
ボクは学歴主義者ではないし(そういう人は好きではない)、
頭のよさと学歴は違うということを、体験的にもよく知ってますのでアレなんですが
学歴一覧ってことはつまり最終学歴一覧だと、読む人はとるってぇもんでしょう。
一応ボクも大学を出ているんですよということを、ちょこっと言いたい。
ちょこっとやけどね。

まぁ自慢するほどのええ大学ってわけやないし。
工学部しかなかった単科大学やし。
大阪工大なんて関東ではマイナーな大学やし。
東京工大に似てるけど私学やし。
しかもそこに5年も行ったオチコボレやし。

ま、そんなことを言うのなら、単行本にプロフィールを載せればいいんですけどね。

しかし今思うと、大学時代があったから今の自分があるような気がします。
青春やったもんなぁ〜(遠い目)

そういえば、同じ田辺高校出身の漫画家に「楠本まき」さんという方がいますが
実は家が近所で、親同士が知り合いで、高校のとき家庭教師で数学を教えたこともありました。
とても頭のよい方で、習ってもない微分積分をスラスラと理解してくれ
とても教えやすかったのを覚えています。
今はアートな漫画で孤高の存在になられてます。

恥ずかしい呪文

大学生のころは、同級生や先輩からは「純ちゃん」
後輩からは「純さん」と呼ばれていたワタクシですが、
(最近は「田中さん」か「先生」と呼ばれることが多いですが)

「純くん」

こう呼ばれるとドキっとします。
いや、もぞもぞって感じですかね。
なんというかこの、中学ぐらいの思春期のウブで純朴なころの自分の感覚が
頭をよぎるから‥というより全身の皮膚がその感覚に包まれる感じがするからです。

たとえていうなら、
照れくさくてあまり話したことはないクラスで好きだった女の子に見つめられて
「純くん」
と言われている感覚。

うわぁ〜恥ずかしい〜ヤメテ〜
書いていて恥ずかしくなってきました。
だからワタクシのことはそう呼ばないでね。

鬼になりました

心を鬼にしました!

近藤局長が鬼になってやったことは
芹沢鴨筆頭局長を斬り、新しい新撰組を作ったことですが、
ボクが心を鬼にしてやったことはそんな粛清ではありません。
ウインドウズについている「スパイダ・ソリティア」をゴミ箱に捨てさったのです。
えらいっ!パチパチ!

これが逃避の元凶、弱い心に付け入ってくるダークサイドなのです。
やはりこういうパズルゲームのたぐいはいけません!
無駄な時間を浪費するばかり。
こいつのおかげでどれだけネームが遅れるか!

そういえば昔も一度捨てたのでした。
しかしその後、パソコンがウィルスにやられダメになったとき
OSをそれまで使っていたMe から XP に変えたのですが、
そのときにまたしてもヤツは付録でついてきやがったのです。
これは、全世界のユーザーの生産性を落とそうという
マイクロソフト帝国の陰謀にちがいありません!

じつは今少し禁断症状が出てます。
ダークサイドというのはそれだけ人を引き込む魅力があるのです。
しかしガマンガマン。
なにしろこれからネームを2本ずつ上げていけないといけないという
殺人的スケジュールが待っているからです。

さて、そんなわけで、これから机向かってネームをやります。

目撃!DQNオバハン

世の中には信じられない人種がいます。

今日のお昼に、とある自然食系レストランにランチに行ったときのこと。
そのお店はエコロジーやオーガニックといったものに力を入れているネイチャー系の雑貨屋さんで
オーガニックレストランが併設されている、わりと主張のあるお店です。
リラクゼーションマッサージやペット用のマッサージルームみたいなのも併設されている、
人にも地球にやさしい系をお店だと思ってください。

食事を終えて、隣接する雑貨屋の店内をうろついていると、
店員さんが、駐車場に停まっているある車の持ち主を必死で探し回っている。
なんでも、車内に閉じ込めれられているシーズー犬が死にそうになっているとのこと。
その店員さんは店内を走り回り必死に持ち主を探していたが、なかなか見つからない。
様子を見に行くと、炎天下に放置された車のシートの下で、シーズーが苦しんでいる。

このままではあと10分もすれば死んでしまう。
締め切った車内はサウナ状態だ。
店員さんたちも車を取り囲んで心配している。
窓をぶち破るしかないのではとか、いやスタンドの人を呼んで鍵を開けてもらったほうが‥
そんなことを言いながら見守っていたら、
レストランからオバハンが出てきました。(あえてオバハンと言わせてもらう)

「恥ずかしいじゃないの〜みんなに見られて」とか言いながらニヤケ笑いしてやってくるオバハン。
そういうことを言っている場合か!

ま、そのシーズーは、暑いところから出られて、なんとか事なきを得たんですが、
周りで心配していた店員さんたちに、お礼も言わす、謝りもせず、またヘラヘラと笑いながら
店内に戻っていきました。
店員さんたちは唖然としています。

そのオバハン、たしかボクらが食事してたときに、後ろのテーブルに座っていたぞ。
向かいのおばあちゃんに「やっぱりオシャレは大事なの」とかぬかしていたぞ。
しかもかなり前。

おまえみたいなオバハンは動物を飼うな!

「ウチの店にはあなたのような客はいりません!」
これくらいのことを店員さんがビシッと言ってくれれば、もっとこのお店の評価が上がるのに。
まぁそれは無理な注文やけど。

なんだかムカムカした体験でした。

無題

ネームでずっと部屋にこもっているので、なにも書くことはないのですが、なんか書きます。
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このあいだから司馬遼太郎のエッセイを面白く読んでいました。
で、ふと気がつきました。
なんとこの文章、ボクが生まれる前に書かれた文章じゃないかと。
そんな40年近く前の文章だというのに、その社会に対する分析が
今読んでも全然古くないのに驚きました。

だいたい社会批評や社会分析というのは、
その当時の主流の考え方に大きく影響されます。
戦前だと皇国史観、戦後だとマルクス史観というふうに。
時代の色眼鏡とでもいうのでしょうか、多かれ少なかれ影響を受けているものなのです。

しかし司馬センセの文章には、それがあんまりないんですよね。
歴史というものを俯瞰で見ているからでしょうか。

イデオロギーで見ると、すべてのことがそのイデオロギーに都合のいいように解釈されます。
でもそれは結局「そういう見方もできる」という程度のものなのです。
それがいくら論理的に正しくても、それは一方向からみた一面でしかないのです。
ものごとというのはいろんな面があって、ひとつの見方だけですべてがわかるようなものでは
決してありません。

そういうことを司馬センセイに教えてもらった気がします。

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