☆Clover of four leaves☆

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☆ココロ☆

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お久しぶりデス☆

こないだは優しいコメントや「誕生日おめでとう」ってコメントをくれてありがとうございます
 
なのに、一人一人にレス辺できずに、こんなとこでみんなにいっぺんに返事を書いてスイマセン
 
でも、本当に嬉しかったからありがとデス
 
 
ところで。。。すっかり秋ですね〜。
 
でも、気温的には夏になったり秋になったりで。。。
 
かなり体調管理に四苦八苦してます
 
 
最後に更新したのが。。。そういえば自分の誕生日でしたね〜
 
あれから2ヶ月しかたってないのに、体の変化は著しくて
 
毎日毎日、しんどくて仕方ないです。。。
 
 
できないことが次から次へと増えててツライ。。。
 
 
肩から背中まで痛くて立っていられない。
 
歩くのも、すぐ痛みが出てツライ。
 
左手はもう、常に指先まで痺れてて出来ないことだらけ。
 
力が入らないし感覚もないから、細かい作業ができない。
 
袋を開けたり破ったり、ペットボトルのふたを開けたりもできない。
 
割り箸も割れないし、作ったおかずをお皿にうつす事もできない。
 
 
最近はもう、お皿を洗うことすらできない。
 
野菜を切ったり、皮をむくことすら無理で、情けなくなってくる。
 
 
それに、まともに横にさえなれないのがツライ。。。
 
横になっていたいのに、どの体勢も痛いし辛いし。。。
 
寝ることすらさせてもらえない。。。
 
 
今、一番心配なのは。。。
 
ボランティアに行けなくなるんじゃないかってこと。
 
こんな状態で、子どもと遊んだり、子どもの手伝いなんてできるわけがないんじゃないかって。。。
 
 
実際、今月のボランティアは行けなかったんだ。。。
 
 
うちのボランティアは8月〜9月は「わいわい広場」が一時中断するの。
 
去年までは「ドリームキャンプ」っていう事業(最終日の宿泊キャンプに向けて計3回、班ごとで旗を作ったり火起こしの練習やデイキャンプをする)を行ってて、私にはちょっと大変な事業だから、休養に当ててたんだ。
 
今年からは名古屋市からのそういうボランティア活動に対する助成金が減ってしまって、
 
「トワイラルサタデー」っていう、宿泊なしのキャンプになってしまって。。。
 
すごく、やれることや子どもたちに体験させてあげれることが少なくなってしまって寂しいなぁ。。。って思ってるんだけど。。。
 
 
って、それは関係ないか
 
 
まぁ、そういうのがあって、それでも結局私にはキツイから今年も休養してたから2ヶ月、ボランティアから離れてて。。。
 
その間に、こうやってできないことが増えてきたから、「私はもうボラ行けないんじゃないかな」ってすごく不安で。。。
 
行きながら、今の症状が増えていってたら、きっとまだ「大丈夫」って思えたかもしれないけど。。。
 
2ヶ月開いてしまったから、もう自信が全くなくて。。。不安で仕方ないんだ。。。
 
それで、この前。
 
9日にね、本当はあったの。
 
不安だった。特に、久しぶりなのに一発目から運動系のボラだったから余計に自信なくて。。。
 
けど、やっぱり行きたくて行きたくて仕方なかったから、頑張ろうって思ってた。
 
でも結局、行けなかった。
 
その2〜3日前から高知から友達が遊びに来てたのもあるんだけどね
 
でも、そんなにハードスケジュールだったわけじゃないよ。
 
友達も、もちろん私の体のこと考えて動いてくれてたし。
 
きっと、健康な人にはなんでもない動き。
 
でも、私には無理だったみたい
 
 
結局、すごくしんどくて、痛みも全然とれなくて。。。
 
最後まで「行きたい」ってダダこねてたから、前の日、動かずに半日休んでたけど
 
それでも何も変わらなくて。。。結局、断念。
 
他のボラのみんなに迷惑かけたくなかったし。。。
 
そんな私を見せるのも嫌だったから。。。
 
でもやっぱり、久しぶりだから不安だったけど、不安だったからこそ行きたかった。
 
 
だけど、友達と遊んだことも私がしたいことだったから
 
それをやった上での結果だから後悔してはないけどね
 
 
 
でもね。最近思うんだ。
 
どんどん、やれることが少なくなって
 
できないことが増えていって。。。
 
コレで唯一の楽しみのボランティアまで行けなくなってしまったら。。。
 
 
私、生きてる意味あるのかなぁって。。。
 
何のために生きてるんだろうって。。。
 
 
考えちゃいけないことは分かってるんだけどね
 
 
でも、人って。
 
自分で自分のことできて、やりたいことや好きなことできるから
 
笑っていられるし、生きていられるんじゃないかなって思うんだ。
 
 
だったら、何もかも奪われていくばかりの私は
 
一体なんで、こんなしんどい思いしてまで生きなきゃいけないんだろうって。。。
 
 
いっつも考えてるわけじゃないけど、ふとした時に考えちゃう。。。
 
 
ダメだよねぇ
 
 
 
みんなにも、いっつもこんな話ばかり聞いてもらって本当に感謝してます
 
ここがなければ、ずっと溜め込んでる気持ちだから。。。
 
ただ、みんなが優しく受け入れてくれるから、安心してグチばっかり書いちゃって。。。
 
最近こんなことしか更新してないから、申し訳ないけど
 
 
本当にありがとうございます
 
次は、もう少し明るい話題を更新できるように頑張るね
 
あと、みんなのとこに顔を出せるように。。。
 
今はパソコン出すのもしんどくて、ついついサボっちゃうけど
 
少しずつでも通えるように頑張るから、見ててね

複雑なキモチ。

今日の朝のニュースで、ある曲がオリコン1位になったと言って特集を組んでいました。



その曲とは、 『千の風になって』 です。



皆さんは知っているでしょうか?

テノール歌手の秋川雅史さんが歌っています。

とっても。。。とっても優しい歌です。

「歌っている」というより「語っている」という方がピッタリかもしれません。



この歌は、もともとは『歌』ではありませんでした。

誰が書いたのかも分からない。。。

作者不明の。

『詩』なのかもしれないし、

もしかしたら『手紙』なのかもしれない。

それを誰も知らないけど、同時多発テロの追悼式で

父親を亡くした、ある女の子が朗読したことによって

みんなに知られることになりました。

そして、感銘を受けた作家新井満さんが翻訳をし、『歌』になりました。


私は、この詩を『歌』になる前から知っていました。

本屋さんで、ふと目に止まった一冊の本。

そこには、綺麗な空や海や花や風を思わせる写真とともに

この詩が載っていました。

ただただ、感動しました。

『綺麗な詩だな。』

それぐらいだったように思います。

でも、ある日を境に、キモチが変わりました。

『本当の意味』が分かりました。



『オリコン1位』

それだけを聞くと素晴らしい、喜ばしいことだけど。


私は、考えてました。

ニュースを見ながら。


発売されてから、わずか800枚ほどしか売れていなかった曲。

紅白で歌われてから、急激に売れて1位になった。


『本当に喜ばしいことなのかな』


確かに、いい曲です。

この詩に。歌に。

私も癒された一人です。

でも。。。

それだけ誰かの心に響くということは。

それだけ。。。辛い思いをした人が多いのではないか。。。

そう思いました。


大切な人や愛する人や、かけがえのない人を

事故や殺人や自殺や病気で亡くした人が

こんなに辛い想いをした人が

それだけ沢山いるんじゃないか・・・と。



それだけ、哀しい世の中になってしまったのではないか・・・と。





そう思うと、この曲がこれほど売れたことを。

みんなのココロに響いたことを。

喜べなくなりました。



できれば『癒しの歌』なんて必要ない。

こんな。。。どうしようもなく辛いことなんて誰にも起こらない。

幸せだけしか存在しない世の中になってほしい。



無理なことは、もちろん分かっています。

人は、どんな形であれ死んでいくし、

人生は、出会いと別れが作っているのだと。


でも、願わずにはいられない。

どーしようもないヤツですねww




そんなことが『有り得ない』世の中だということも

大切な人を亡くす『傷み』も知っているから

『千の風になって』が、こんなに心に響くことも分かってるんです。


でも、それでも。。。

この曲に出逢って癒された人がいることを『よかった』と想い

この曲が売れたことを『哀しく』想う。。。

複雑なキモチが、無くなってくれない。



でも、世の中にはまだ、幸せな人もいるようです。

特集の中で、インタビューを受けている人。

この曲は40〜50代の人から特に支持を受けているらしく、

インタビューを受けている人たちは、そのくらいの年代の方々でした。


この曲が好きな理由を聞かれて、こう答えていました。


『歌っている方の顔がカッコいいから』


「歌や詩は、全く聴いてないんだなぁ」と思いました。

それでいいのかもしれません。

詩に感銘を受けない人は、それだけ幸せな人なのだと思うから。

でも。。。なぜか、哀しくもなりました。

『幸せだけの世界』を願っていたはずなのに、勝手なヤツですよねww


でも、なぜ、そんなキモチになったのか。

自分でも、よく分からなかった。



なんか、だんだん何が言いたいのか分からなくなってきましたww

自分でも。

整理のつかないキモチに付き合ってくれてありがとうございます(∩ ∩)




ただ。。。

この詩に感謝していることが、少し癒されたこと以外にもう一つ。


それは、けいちゃんを亡くして。。。

『一度もお墓の前で泣かずにすんだ』ということ☆

けいちゃんを亡くす、ずっと前に出逢えていたから。

けいちゃんを亡くして。。。

周りのみんなが、お墓の前で泣く中。

私は、この詩の意味をやっと理解して、泣かずにすみました。


あんなに自由だった人を、

こんなちっぽけな世界に閉じ込めずにすんだから*^-^*

それは感謝しています。

私の中の、大切な人は。

私が想い出すとき、いつも大好きだった自然の中で笑っています。







〜千の風になって〜


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています

あの日から一年。。。

今日は、けいちゃんの命日です。

けいちゃんとは私の伯母です。

私は伯母のことを「けいちゃん」と呼んでいました。

詳しいことが知りたい方は


へ、どうぞ。



けいちゃんは、一年前の今日。

午後2時53分、永眠しました。


時間って、早いですね。

まだ、昨日のことのようです。

あの日の哀しみや傷みを、すぐに思い出すことができます。


一年たっても。。。何も変わりません。

やっぱり、会いたくて。。。会いたくて。。。

笑った顔が見たくて。。。

おしゃべりしたくて。。。

名前を呼んでほしくて。。。


一年たっても。。。

けいちゃんを思い出すと、涙が止まりません。。。

これを打ってる今でさえ。。。

涙で滲んで。。。文字がよく見えない。。。




あの日、私はきっと、けいちゃんに呼ばれたんだと思います。

私と、もう一人の叔母。ひろちゃんは

きっと、けいちゃんに選ばれた。


2日に、一度、家に戻った私たち。

9日の夜。。。ひろちゃんから1本の電話がかかって来ました。

「一人じゃ無理だから、あんじゅの力を貸してほしい」


私は、すぐに10日の飛行機の予約を取りました。

夕方の便でした。

父は入院を控えていたので、私一人で行くことになりました。


出発当日。。。

やっぱり、もっと早く、けいちゃんの傍に行ってあげたいと思った私は

朝一番の便に予約を取り直しました。


夕方の便は16時35分発。

朝一番の便は7時35分発でした。


そうです。

もし、私が最初の予約どおり夕方の便で行っていたら。。。

私は、けいちゃんには会えなかった。

温もりを感じることもできなかった。

目を見ることもできなかった。

声を聴くこともできなかった。

なにより。。。

あの言葉にならなかったけど一生懸命言ってくれた

「ありがとう」の言葉を聴くことはできなかったんです。


そして、もう一つ。

私とひろちゃんが買い物に出た時。

危ない時があったのです。

そのときは、けいちゃんの子供の一人。

次女が付き添ってました。

でも、けいちゃんは、そこで持ち堪えた。

そして、次女と私たちが交代し、それから2時間後でした。


やっぱり、子供たちには見せられなかったんじゃないかなと思います。



これは、私たちの思い上がりかもしれませんが。。。

でも、私は今、思っています。


私は、けいちゃんに呼ばれたんだと。。。

そして、私たちは、けいちゃんに選ばれたんだと。。。



でも、そう思ってる半面。。。

選ばれたくなかった。。。という思いもあります。

後悔してるんです。

「どうして2日の日、帰ったんだろう」と。。。

ずっとずっと、そばにいてあげたらよかったって。。。


今、私は確信を持って言えるんです。

「けいちゃんは私に傍にいてほしかったはずだ」と。。。


あの日。。。泣きじゃくるけいちゃんを置いてきた。

背中越しに、涙を流す目で私を追ってることは分かってたのに。。。

振り返ったら。。。きっと帰れなくなるって分かってたから。。。


でも、今は後悔してる。

「私だけでも残る」って言えばよかったって。。。



選ばれなくてよかった。

呼ぶ必要がないよう、傍にいてあげたかった。。。





私の大好きな、ある人のブログに、こういう詩がありました。

「姿無く、生きて人の心をゆさぶる大きな力。」



本当だね。

心の中で、つぶやきました。


もう姿はないのに。。。

二度と会えないのに。。。

それでも、ずっときっと永遠に、私の心にいる人。

私の感情を、どうにでもできる人。

私を簡単に苦しませ、私を簡単に微笑ませ

私を簡単に泣かせ、私を簡単に包み込める人。。。




きっと、これからもずっと変わらない。

あなたを思い出すと、きっと泣いてしまう。

やっぱり、会いたいから。。。




ごめんね。。。ごめんね。。。


最初に、いっぱい謝っとくね。

何千回か何万回か。。。

わからないけど。

これから流す涙の分だから。。。


今日、けいちゃんの大好きなお花を持って

お墓参りに行くからね。

そこで、会おうね。

けいちゃん。。。

いつまでも、大好きだよ。

奇跡

みなさんは『奇跡』ってあると思いますか?

そもそも、みなさんは『奇跡』を、どう捉えてるのかな?



私の父が、最近ソフト関係で仲良くなった人と意見の食い違いがあったんです。

その人とは週に2〜3回、ピッチングの練習をしていてたんですけど、

「もう、やりたくない」と言い出して。。。

そのことをメールで伝えたところ

「どうして諦めるのですか?○○さんの病気は確かに難しい病気なのかもしれませんが

奇跡は起こるかもしれないじゃないですか!」

と入ってきたそうです。


それを聞いて、私は不快に感じました。

どうして、まだ出会って半年ぐらいの人に、そんなことを言われなきゃいけないんだろう?

父の何を知ってるんだろう?何を知ってて、そんなこと言うんだろう。。。って思いました。

どうして、その人との「ピッチング練習をやめたい」と言い出しただけで“諦めてる"と取られるのでしょうか?

父のどん底を知らないのに。。。

父が、どういう気持ちでソフトを始めたか。。。続けてるのか知らないのに。

その人は平気で、そういうことを言うのです。

父のソフト再開の気持ちは、コチラを読んでください↓↓↓


さすがに腹が立ちました。

それに、『奇跡』という言葉にもです。

簡単に口にするけど、奇跡って何なんでしょう?

健康な人は、よく「奇跡を起こそう!」「奇跡は起こるよ!」って言うけど、

私は奇跡は起きるものじゃないと思うんです。

『奇跡』は、後付けだと思うんです。


例えば、末期ガン患者が、治療を拒否して、自宅に帰り、普通の生活をして

家族や友達と笑って過ごした。

そしたら、ある日、ガンが跡形もなく消えていた。


こういうケースは実際にあることです。

そして、人はこれを『奇跡だ』って言います。

でも、本当に奇跡なんでしょうか?

もし、この方が亡くなっていたら。。。

みんな「治療を続けていたら奇跡が起こったかもしれないのに」

「諦めなければ、もう少し長生きできたかもしれないのに。。。」

そう言うんじゃないかな?

九死に一生を得た人だって同じことです。

あとから考えてみたら『奇跡』なだけで、そのときは「奇跡を起こそう」

なんて考えてもいなかったはず。


だから、私は思うのです。

『奇跡』は、起こすものじゃなく、ただの後付け。

いくつもの偶然が重なって、それが、後で考えてみたら『奇跡』なだけだと思うんです。


ただ、誤解しないでほしいのは、

だからって私が奇跡を信じてないわけじゃないってことです。

奇跡が起こってほしいって、願ってるってことです。


『奇跡は起こすもの』と思ってる人たち。

『奇跡』を後付けだと思ってる私たち。

ただ、それだけの違いで『奇跡を起こそう』と思わないと思われてしまって

『奇跡を起こそう』と思ってないから『生きることを諦めてる』と言われるのは

正直ムカつくんです。


そういうことは、ちゃんとその人の人生、全て知ってから言ってほしい。

ちょっと聞いたぐらいで、全部分かった気になって。。。

決め付けられて説教されるのはイヤなんです。



。。。私の言ってることって、間違ってるのかな?
あれから10ヶ月たったけど、未だに悲しくて寂しくて、会いたくて仕方ありません。
泣き虫が直りません。少しのことで泣いちゃうww
ドラマを見て。。。ニュースを見て。。。歌を聴いて。。。
まだまだ傷は癒えないようです。

そんな私が、けいちゃんから学んだこと。
それは「我が道を行こう!」って事かな。

私がけいちゃんの生き方を否定していたことは「大好きなけいちゃんへ」(ファン限定)を読んでいただいた方なら、ご存知だと思います。

でも私は間違っていました。何も分かっていなかった。
けいちゃんの表面しか見ようとしていなかったのです。

それは、けいちゃんのお通夜のとき。
けいちゃんがノートに残していた言葉で知りました。
けいちゃんは、もうずっと前から知っていたのです。。。きっと。
だから、あんなノートを遺していたのでしょう。

そこには、こう書いていました。
「1日1日、体が変わっていくのが分かる。朝、起きるのが辛い。
周りは、病院に行って検査したら?とか、薬をちゃんと飲んだ方ががいい。って言うけど。
自分の体は自分が一番分かってる。けど、知るのは怖い。考えたくない。一人でいたくない。
夜も、朝も。
だから、夜釣りに行ったり、山に行ったりするんだよ。
朝起きると、すごくしんどくて、じっとしていたら、そのまま動けなくなりそうで怖いから
しんどい体にムチを打ってでも山に行く。おばちゃん(けいちゃんの何十年来の友達)のところに行って何時間も座る。
動いてないと怖いから。」
私は外に飛び出しました。1月の寒空の中、声を上げて泣きました。
きっと、生まれて初めて。。。

「ごめんね。何にも分かってなくてごめんね」って何度も謝ってました。

ずっと「何で自分の体のこと何も考えないんだろう」って思ってた。「どうでもいいのかな?」って。
でも違ったんです。
けいちゃんは分かってたんです。誰よりも、自分の体のことを考えてた。
自分の人生のことを考えてた。
だから、病院に行かなかったんです。薬も検査も拒否してたんです。


「病院に行く暇があったら、好きなことをしてたい」って思ってたんです。
だから、周りに何を言われても、自分の生き方を貫きとうした。

そのことに気づいてから、私は自分の「考え」を、改めて考えてみました。
そして思ったんです。
「けいちゃんのような生き方をしたい」って。

病院行って検査して薬飲んで。。。
私の人生って8割方それで、でも、何も変わらなくて。。。
良くなるわけでもなくて。
だったら、もう少し やりたい事をしようって。

諦めるわけじゃない。ただ必要以上に頑張ることないんじゃないかなって。
自分の体を諦めない代わりに、他の事、いろいろ諦めてきたけど、
そんなこと、もうする必要ないんじゃないかなって思ったんです。

だって、人生なんてどうなるか分からないじゃないですか。
私みたいに病気の人だけじゃなく、健康な人だって明日どうなるか分からない。
私だって病気以外で死ぬ事だってあるじゃないですか。

だったら病気のためだけに生きるのはイヤだなって思ったの。
やりたいことして、会いたい人に会って、行きたいところ行って、買いたいもの買って。
一度しかない人生
もう少しワガママに生きてもいいと思いませんか?

誰かに迷惑かけたり、心配かけたり、誰かを傷つけたり。
そういうことは、絶対してはいけないと思うけど。
でも、今の自分より、もう少しワガママに生きてもいいと思うんだ。

それで、最期に「いい人生だった」って死ねたら、いいと思うし、
自分の死を誰かが惜しんでくれたら、それが一番いいんだと思う。

だから私は、ボランティアを始めたんです。
私は今の状況じゃ子供産めないから。。。でも、子供が好きだし☆
だから、今まで「運動はダメ」って言われてたんだけど、挑戦してみることにしたんです(o^v^o)
まだ始めたばかり。
これから、どうなるか分からないけど。。。
でも、私は私の道を行こうと思ってますp(^-^)q

まだ、悲しくて悲しくて仕方ないけど。。。
でも、そう気づかせてくれた、けいちゃんにはすごく感謝しています。

そして、きっとけいちゃんは幸せだったと思う。
短い人生だったけど。48歳になれなかったけど。。。
でも、ギリギリまで好きな山や川に行って、車椅子になってからでも、頑張ってタバコを吸いに行って。
きっと。
ううん。絶対、幸せだったと思います!!o(*⌒―⌒*)o

皆さんも、そんな人生が送れますように。。。

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