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DJとのコネクションも出来て、高校生でありながら夜8時から朝5時まで踊り続ける週末が続いた。 コレだけ踊れば汗ダクになる訳で・・・着替えなんかは必需品だった。 そう、ディスコに着替え持参で行くほどの踊りバカだった(笑) 週一回とはいえ、コレだけの時間店内に居続ければ軽く常連扱いになる。従業員達とも顔見知りが出来た。 従業員達と友達になる事も、こういう場所で遊ぶ若い私達には重要な事だった。 当時のディスコには良く警察が入った。(現在のクラブもなのかな?) IDチェックなどというシステムもなく、我々の様な多くの未成年が入店していた為に警察が補導の為に店内に入る訳だ。 ある時は、私服警官が数人・・・警官と悟られないように店内の様子をしばらく見て、子供っぽい連中を連行して行く。 ある時は、音楽が止まって店内の照明もつき、数十人の警官隊が雪崩れ込む。一斉検挙だ。 (このパターンは大体深夜3時くらいが多かった。) しかし、私は全て上手く切り抜けていた。 従業員と知り合うことにより、ある程度の情報が入る。「他店舗に警察が入った」などの情報が多少なりとも舞い込むモノなのだ。 従業員に助けられて裏に隠れた事もあった。 更に年上の常連仲間に助けられたりと、運が良かった。 そして私達の対策としては、「大人に見られるためのおしゃれをする」だった(笑) 安いビジネススーツを購入し、社会人に成りすまして遊びに行く事も良くあった。 (まあ、高校生がそんな格好しても大体はバレると思うが・・・笑) 勿論生年月日と干支は21歳のデータで頭にインプット! 警官に質問されても即座に答えて「童顔なんで、良く聞かれます。」コレで切り抜けた。笑 悪い事をしているのは自分でも判っていたが、踊れなくなる事がガマンできなかった。 警察に厄介になるようなドジを踏まなければ、何の問題もなく踊る事が出来るわけだから、その為の準備は十分過ぎるほどしたものだ。 こうやって、夜の遊び方や従業員、常連客達との上手い付き合い方を覚えて音楽と踊る為の場所を確保していった。 そんなある日、原宿で一緒に踊っていたWAKAを店内で発見! ストリートを去った、あの日以来の再会であった。といっても1年ぶりくらいだが。 この時彼は、既にDJとしての活動にシフトしていた。何を話したかは覚えていないが、とにかく嬉しかった。 しかし、これ以降数年、またお互いに顔を見なくなる・・・。 変な仲だ・・・笑 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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数日後、学校でディスコに一緒に行った仲間が何やら練習をしようと言って来た。 休み時間に指定された場所に行くとパラパラを練習している集団が・・・。 「オイオイ、そっちかよ・・・」 彼らは自分達でパラパラを作る事を試みていた。 とりあえず、その場には付き合ったが、当然興味は持てなかった。 しかし、彼らはダンスの経験がある私に質問を当ててくる。 原宿時代のブレイクダンスとディスコのパラパラでは、全く別物だという事を説明。 それでも、「出来るでしょ!」と・・・。 仕方なくその場で、友人達にしばらく付き合った。 数日後、先週のディスコデビューから一週間後に、当たり前のように仲間達と新宿へ。 前回と同じように早い時間帯に入店。 席取り、食事。 そして、少し余裕の出来た私達は女の子の物色など・・・笑 客数が少なく、色々な意味で盛り上がりが欠ける早い時間帯の過ごし方・・・他には? 当時、ディスコにはリクエストカードなるモノがあった。 これは、かけて欲しい曲を書いてDJに提出するものだった。DJ主体の選曲ではなくお客様主体の選曲という時代。凄い事だ! 早い時間帯は、客入りもそれほど良くない為にDJが考える曲順よりもリクエストを優先してくれる事が多かった。 勿論私は、知っている限りの黒人音楽をリクエスト。 お気に入りの楽曲がかかればテンションも自然に上がってくる! 何度も何度もDJブースに足を運ぶ・・・。 当然DJ達には顔を覚えられる。多分、「またお前等かよ〜・・・」だったと思うが(笑) こうして、だんだんDJとも知り合いになって行く。 私が始めて知人となったDJがこの時ZEBRAチーフDJの井口千治氏である。 彼は現在でも、80年代ディスコ愛好家達のカリスマとして活躍している。現在は「ロリポップ井口」と名乗っているらしい。 DJと知り合う事により、私にとっては重大な利点が出来た。 1.新譜の情報 2.楽曲の詳細情報 3.MIXテープの入手 4.リクエスト曲をより多くかけてもらえる 5.ディスコ業界の情報 6.意味もない優越感 こうして、DJと話が出来るようになり、業界へのステップを僅か一歩だけ踏んだ私は、 深い意味もなく、得意になってダンスフロアに出て行くのであった(笑) ロリポップ井口現在、東京の高円寺にて80年代のディスコをテーマにした「マジカル・カフェ」を経営。 彼の詳しいプロフィールやお店の詳細は下記のリンクを参照。 http://www.magical-cafe.com/ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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当時はまだ、チークタイムもある時代だった。 チークになる前にはユーロ・ビートの最新ヒットを流して一気に盛り上げる。 それが分かっている常連連中は、曲の流れがそうなってくると、踊りながら女の子の物色を始める。 そして、チークタイムになった瞬間、声を掛けて一緒に踊る。 チークタイムと言うより、ナンパタイムだ(笑) この時のギラギラした男性客達の目は本当に怖い! 女性客もそれを意識してかチーク前、数曲の間はソワソワする。 何か、下世話なお見合いゲームのようだった(笑) こうして2,3曲、男女のふれあいの時間が終わると、DJはまた盛り上げに入る。 当時流れていた曲で記憶に残っているのは、エブリン・トーマス「HIGH ENERGY」、シニータ「TOY BOY」、マイケル・フォーチュナティ「GIVE ME UP」、バナナラマ「I HEARD RUMOUR」「VENUS」、デッド・オア・アライブ「TURN AROUND A COUNT 2 TEN」、クー・クー「UPSIDE DOWN」等々・・・ (これらもこちらのサイトで試聴可能です → http://www.toa-kaikan.com/biba/) そして約2時間おきに2,3曲流れるブラック・ミュージック。 この時ばかりは、自分の時間とフロアに出る。やはり私の他にも何人か同じ思いの客達がいた様だ。 何となく親近感を覚えながら彼らと踊り始める。 少数ではあるが、このユーロ、パラパラ全盛期にもヒップホップを愛する人達がいる事に少し喜びを感じた。 この時は特に彼らと話したりしたわけではないが、異端児的扱いになっているヒップホップ好きに取っては、かけがえのない仲間意識が芽生えた。 そして、ユーロ・ビートが流れれば、端っこでポップもどきをして踊り、チャカしながらパラパラのマネごとなどをしているうちに、朝5時の閉店時間を向かえた。 色々な意味で高校一年生の私にとってはショックの多い一晩であった。 しかしというか、やはりどんな形にせよ踊る事は楽しかった。 因みにこの頃私はスナップ癖があり、この日の翌日指に「スナップたこ」が出来ていたのを覚えている・・・笑 後から考えたら、リズムに合わせて一晩中スナップしていたようだ・・・ (※ スナップとは、指パッチンの事です。) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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入店時間が7時か8時・・・正確には忘れてしまったが、こんな早い時間にも既に数名の客の姿があった。 まずは、埋まりきっていないソファー席を早いうちに確保。 場所によっては従業員の彼女の指定席もあったりするので注意しなければならないらしい。 この時の私は、どんな曲が流れていようが踊りたくてウズウズしていたが、遊び慣れた友人のダイゴはドリンクを貰いに行こうと言う。 なんと、フリードリンクなのである!現在では考えられないが、当時は当たり前だった。 しかし出されるドリンクは、今だから言えるがとてもお粗末なモノで、ウォッカの代わりに安物の焼酎を使用したカクテルやなぜか薄い生ビールなんて事も当たり前だった。(笑) 今ではすっかりビール党の私も当時はカクテルなんて飲んだりして・・・(笑) この頃はフィズ類なんかが流行っていた。バイオレットフィズを飲んだ覚えがあるな〜・・・。 そして、更にびっくりする事にフリーフードなのである! しかも、簡単なスナック等の乾き物だけではなくチャーハンやパスタ類、サラダ、普通におかずになる肉団子や炒め物まで。店によっては、きんぴらごぼうまで出していた! まあ、味はとても褒められたモノじゃないし、バイキング状態なので、すっかりスモークなんかも掛かってはいるがそんな事は関係なし。 金がない私達にとってはとても有難い事だった。 メンバー料金の場合、1500円から2000円の入場料を払えば、飲み放題、食べ放題なのだ!! スカスカのフロアで、ダンスに飢えていた私は軽く身体を動かした。しかし、原宿でガンガン踊っていたような踊りではなく、軽くリズムに合わせてステップを踏むだけ。 一緒に行った友人達は私を見て、当時としては踊れる人と判断したらしい。この時まで友人達には話した事がなかった、原宿時代の話を少ししてみた。 勿論、周りはびっくりしながらもダンスを教えろとせがみだす。 ちょっと得意げになりながら、リズム取りなんかを教えて、はしゃいでいるうちに2,3時間が経った。 気が付くと店内にも人が増え、次第に盛り上がってきていた。 男性は当時流行っていたアメカジファッションや会社帰りのスーツ系。 女性はいわゆるワンレン・ボディコンが主流。中にはサーフ系カジュアルの女の子も数名。 当時の言い方で言うと「ボディコンギャル」をあんなにたくさんまとめて見たのも初めてだった。(笑) 流れる曲は、やはりユーロ・ビートがメイン。 2時間位おきにヒップホップやR&Bが数曲流れる。当時はブラックなんて言っていた。(黒人音楽だから・・・笑) 更にハイエナジーなるジャンルもあり、大体この様なジャンルが順番に流れるわけだ。 人が増えてきて、場内のボルテージが上がるにつれ、私の気持ちも盛り上がり、久しぶりに思いっきり踊れる楽しみを味わった。 曲のジャンルなんかはどうでも良かった。 約一年半分のストレスが一気に開放した瞬間だった。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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