DANCE HISTORY OF A MAN

1985年の原宿のストリートから始まる物語。 ある男”GO”のダンス人生です。 最初から読むと、きっとハマリます(笑)

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0021_ディスコデビュー

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原宿で踊らなくなり、高校生なった私はバイトを始めたものの、ごくごく普通(?)の学生生活を送っていた。
相変わらずバスケを続けていて、部活に青春を燃やしていた。
ヒップホップの文化から離れ、多少のストレスも感じてはいたが、ラジオから流れる音楽がそれを解消してくれていた。

そんなある日、高校で知り合った友人で同じバスケ部のダイゴが私にこう言ってきた。
「ねえ、今度一緒にディスコ行こうぜ!」
諸々の事情があり、一つ年上の彼は新宿のディスコで良く遊んでいたらしい。

原宿時代には縁のなかった大人の世界である。
基本的には今のクラブと同じで未成年の入店は違法だが、ヤンチャな私には色々な意味で興味深い世界であった。

1988年1月、高校1年の冬にそんな流れで友人数名とダイゴの案内で新宿のディスコに行く事になる。

歌舞伎町のド真ん中に位置する東亜会館の3階「ZEBRA」だった。

ディスコ全盛期という訳ではなかったが、まだまだ新宿ディスコ業界が元気な時代。
同じ東亜会館内には、4階「グリース」、6階「センチェリー21」、7階「GB」、
徒歩一分以内の場所にも「ニューヨーク・ニューヨーク」「ゼノン」など、伝説的な店舗が営業していた。

ドキドキしながらフロントを抜け店内に入る。
スゴイ光景が広がっていた!
店内総鏡貼り!無数の照明器具がグルグルと回る。
店内のいたるところにヒカリモノが使用されていて、ホントにピカピカ、キラキラの世界!
流れている曲は当時大ブレイクしていたユーロ・ビートがメイン。
テレビで見たことがある光景が目の前に広がっていた。

夜7時か、8時か忘れたが早い時間に入店するとかなり安い料金だった為、そんな時間から我々は入店。
因みにメンバーズカードなる物もあって、初めて行くとそれを貰える。
以後、入店時に提示すると割引料金になるシステムだった。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_7434313_1?1122200329


そして私は、このディスコデビューの日に様々な経験をし、様々な思いを抱くのであった・・・。

東亜会館

新宿ディスコ黄金期を支えた重要な存在。
全盛期の店舗名は「BIBA館」「ギリシャ館」「B&B」「GBラビッツ」である。
後に、本文中の店舗名に変わった。




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0020_消えたダンサー達

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ダンスを始めて約1年、1986年の初夏。中学3年生の私は受験勉強の為にしばらくストリートを離れる決心をした。
当時、私にとってダンスは趣味と言うか遊びと変わらないモノで、将来ダンサーとしてやって行くなど考えもしていなかったので当然の選択であった。
もちろん、この頃は我々が踊るようなダンスが職業として成り立つなど、誰も考えられなかったと思う。
正直、名残惜しい気持ちはあったが、数ヶ月の辛抱と、中学生なりに考えて原宿に足を運ぶのをガマンした。
それでも音楽だけは聴き続けていたが・・・。

第二次ベビーブームの時代に産まれた私にとって、受験は個人的にも色々と大変だったが、無事?終了。

1987年3月、数ヶ月間のブランクが出来てしまったが、受験勉強の呪縛から解き放たれて、原宿へ。
携帯電話もパソコンもない時代。原宿に足を運ばなくなってしばらくは数人の仲間と家の電話で連絡は取っていたが、この頃は全くやり取りもなかった。
それだけに、皆があの場所で元気にやっている姿を想像し、ワクワクしながら、いつもの場所に向かう。

そんな私は愕然とした・・・。

ストリートの景色が変わっている!

アレだけいたダンサー達の姿が見当たらないのである。自分のチームメイト達も・・・。
ダンサー以外のパフォーマー達は以前と変わらずストリートに溢れているのに。

そんな中、原宿口近辺で一つだけのグループが活動をしていた。「B-FRESH」だ。
東京のラップシーンの先駆者として業界内外で活躍し、以前より「ストリートの主」的な存在であった大先輩のグループだ。
しかしその時の私には、まるで衰退したヒップホップの残党であるような悲しい光景に見えた。

彼らの他に、行き場を失ったヒップホッパー達が数人周りを囲んでいた。
・・・その中に、あのWAKAを発見した!
私はすぐに彼の元に駆け寄って事情を聞いた。
「他のメンバー達は?他のダンスチームも無くなってない?」
「みんな、いなくなっちゃったよ。」

私がストリートに出ていた頃は、映画「フラッシュダンス」「ブレイクダンス」で盛り上がったブレイクダンスブームの終焉の時期にあったらしい。
80年代という時代は、流行も、文化も、音楽も、ファッションも、全てが目まぐるしく変化した時代だった。
80年代は時代の流れが速すぎた。
若者達が本気で夢中になっていた事も、気が付くと違うものへと平気でスライドしてしまう様な風潮だったのだ。
ブレイクダンスという物は、一番これに当てはまったモノではないだろうか。

WAKAの話によると、仕事を持ったり、地方の実家に帰ったり・・・、それでもしばらくは顔を出していたメンバーもいたらしいが、だんだんと数が減って・・・。
ほんの数ヶ月の間の出来事だった。誰もがダンスで食べていく事など、考えもしない時代の悲劇だった。

当時まだ、B-FRESHのメンバー達と繋がりも面識もなかった私は、その場の空気に慣れる事が出来なかったが、WAKAが居た事もあり、なんとなくその日のストリートをそこで過ごす。

その次の週もヒップホップの匂いを求めてその場に赴いた。

しかし多くの仲間を失った私は、その日を最後に再びストリートに立つ事はなかった・・・。



こうして、私のストリートダンサーとしての第一章は幕を下ろした。



B-FRESH

MC BELL(エムシー・ベル)氏とCAKE K(ケイク・ケイ)氏を中心に形成されるラップグループ。
この以前の時代よりダンサーは数多く活動していたが、ラップを主体とするグループは少なく、シーンを支える貴重な存在でもあった。
2004年、再活動でアルバム「5th Element」をリリース。業界の重鎮達のゲストで話題になった。
当時はバックダンスを元TOKYO B-BOYSのCRAZY-A氏と、後のちゃんねるずチノコウジで担当。
DJはDJ BEAT氏が担当していた。
因みにCAKE K氏は以前CRAZY-A氏と共に風見しんごのバックダンスチーム「エレクトリック・ウェーブ」に参加していた。BELL氏も横浜のダンサーとして有名な存在であった。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_7245014_0?1121963525
「5th Element」B-FRESH




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0019_道端の風景

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ダンスのビデオを借りては返しを繰り返し、他人のダンスを盗み、ラジオで曲を覚え、ストリートダンサーとして何となくサマになってきた私(?笑)
この頃、ストリートで踊る事も、バトルになる事も慣れてきて本当にストリートを楽しめるようになっていた。

腹が減れば、テキ屋のお好み焼きや焼きそばを食べて、人が集まってくればパフォーマンスを始める。
ギャラリーが自分達のサークルに集まらなければ、他のサークルにちょっかいを出しに行く。
もう、周りのサークルもダンサーだけでなく、バンドや竹の子族系、ローラースケターなど、幅広い付き合いが出来ていた。  ダンスをやっているのか、ただタムロしてるのかわからない状態だ・・・笑

ストリートで踊っていると、ダンサーが珍しいのか、興味本位なのか、ファンらしきモノが出来るようになる。
大体は修学旅行で地方から出てきた子たちが多い。パフォーマンスを見ても見なくても、
「一緒に写真撮って下さ〜い」は良くあることだった。
普通に生活している中学生としては、なかなかそんな経験は出来ないので、少し調子に乗って写真に納まっていた覚えがある。

東京、あるいは近郊に住むファンも少しずつ増えて、私達のグループもダンサーとその取り巻きの団体となる。
なんか、インディーズの人気バンドみたいなノリだった・・・笑
ちょうど、ダンスが話題になっていた事と、我々のファッションも派手だった為に、雑誌の取材なども多くあった。
こうして、勘違いを繰り返しながらどんどん有頂天になって行く・・・笑


しかし、もっと凄いチームがいた。タマにしかストリートに現れないこのチーム、ショースタイルのダンスが抜群だった。当時、彼らは別格の存在だ。「BE BOP CREW」である。

今の考え方だと、九州のチームとういのが当たり前だが、この頃は東京支部的なこのグループが存在していた。
TRFのSAM氏や後のJUNGLEリーダー、OUJI氏などのチームだ。
ベニア板のような物にグラフィックを描いたものを大きく飾り、DJ機材を用意して、大きなスピーカーから大音量で曲を流す。・・・我々のラジカセとは大違い。
専属のDJがいるなんて凄い事だった。衣装もお揃いで、完全に芸能人。

もちろん、膨大な数の追っかけの女の子達がいた。彼らの存在感は凄いものだった。
彼らにはどうひっくり返っても勝てる訳なく、ただのギャラリーとなってショーを見つめていた覚えがある。



ストリートが終わると先輩のメンバー達は渋谷、新宿、原宿にあるディスコに行く事が多かった。
しかし、中学生の自分は金銭的にも辛く、そこまで付いて行く事はなかった。
ストリートで踊りはするが、ディスコには行った事がないダンサー・・・。
チョット微妙な感じだが、中学生って事で・・・笑

周りのメンバー達から先週ディスコで何があったとか、これが面白かったとか話されながら、想像だけが膨らんでいた時代である。(私がディスコで暴れまわるのは、もうチョット先の話・・・)
代わりと言っては何だが、歩行者天国が終了した後も、ディスコに行かないメンバー達と近くの公園等でパフォーマンスや練習を続けたことは多かった。
やはり、仲間達といるといつまでも踊っていたいものだ。夢中になっていると本当に時間を忘れる。

時間が経ち過ぎて深い時間になり、警察に補導されそうになった事も数回・・・。
仲間が皆、年上だったので助かっていたが(笑)


しかし、こんな当たり前のようになった日々も長くは続かないのであった・・・。



東京 BE BOP CREW

1984年結成。89年解散。
本家BE BOP CREWのヨシ坊氏のダンスに魅了されたOUJI氏が本家に許しを得て、
「東京BE BOP CREW」を結成。
SAM氏、OUJI氏を中心に現在でも日本のダンス界をリードするダンサー達がメンバーとして在籍していた。
当時、ビジネスになりえないと思われていたヒップホップをショービジネス界に参入させた重要なグループ。
SAM氏がメジャーデビューしていたアイドルグループ「リフラフ」のメンバーだった事からか、
本当にファンが多かった。
当時私は、「凄いチームだな〜」とは思ったものの、彼らがそんなメンバーだったなどとは知る由もなかった・・・。
因みに、ライバルチームとして東京の2大派閥の一角はCRAZY-A氏率いるTOKYO B-BOYSであった。
色々な意味でダンサー間では「ニューヨークシティブレイカーズ」のスタイルがBE BOP CREW、
「ロックステディクルー」のスタイルがTOKYO B-BOYと認識されていた。

PHOTO

ダンスの画像は少ないが、どれも当時のホコテンの雰囲気を忠実に再現している写真だ。
これぞ、80年代って感じだなぁ・・・。

右の写真は当時の私・・・子供ですね(笑)踊ってる写真はなかった。       https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_7087966_1?1121785582




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0018_「19-Nineteen-」

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FMラジオを情報源に少しずつ曲を覚えてきた私は、ストリートで流される曲も、その都度ウザイほどに先輩ダンサー達に曲名、アーティストを聞き、メモってFMでオンエアを待つようになった。
ダンスの練習、曲のチェック、中学でのバスケの部活、忙しい毎日だ。(勉強も少し・・・笑)

ある日、ストリートで流される曲にショックを覚えた!
「このテープ、誰の?」仲間のダンサーに聞くと、「WAKAのだよ」と返事。
すぐさまWAKAに質問。「この曲は?」
当時から音楽に早い彼は、私に打って付けの情報源であった。WAKAの返事は、
「19(ナインティーン)だよ!カッコいいでしょ!」
・・・カッコいいなんてモンじゃないっ!!
只でさえ、曲数を知らない私にとって、この曲は本当にビビッときた!

この曲、ポール・ハードキャッスル「19」

エレクトロミュージックにラップというか、ニュースやナレーションをのせた楽曲。

詩の内容は、ベトナム戦争の悲惨さなどを訴えたものだ。
社会問題を取り上げる曲だが、ポップな楽曲と印象に残るフレーズも多く、口ずさみ易いモノで大ヒットした。

当時、各国でそれぞれの言語に訳されたバージョンも作られて発表された。
勿論、日本語バージョンも製作されており、小林完吾アナウンサーのナレーション(?)「その時、彼らの平均年齢は19歳だった」「じゅ、じゅ、じゅ、じゅ、じゅうきゅう」で話題になった。(笑)
(しかし、日本語バージョンの詞を良く聴き、当時中学生ながら戦争の悲惨さや、社会情勢、アメリカへの不信などを色々と考えたものだ。)

WAKAはこの「19」を英語、ドイツ語、日本語、それぞれ数バージョンをレコードで所有していた。
「来週、ダビングして来て!」と、ムリヤリ頼んで、46分テープに全曲バージョン違いの「19」を手に入れる!
それからというもの、自宅でも、ストリートでも「19、19、ナ、ナ、ナ、19、19」の繰り返し!
(知らない人は、聴いてみれば分かります。笑)
この曲は、今でも当時を思い出すと必ず頭に浮かぶ、私にとって最も印象深い大切な楽曲である。


Download

下記のサイトでPaul Hardcastleバージョンと小林完吾バージョン、試聴出来ます。感想聞かせてください。
http://www.toa-kaikan.com/disco_music/
因みに、このサイトはディスコの名曲の宝庫です。その時代を知らない人は勉強出来ますよ。知ってる人は、ひたすら聴き続けるでしょう!(笑)




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0017_FMラジオ

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お金をかけずに音楽情報を得る方法はテレビとラジオの音楽番組。後は多少お金は掛かるがレンタルレコード。
しかし、当時、我が家にはレコードプレイヤーがなく、後者は却下。
テレビ番組では邦楽モノはたくさんあったが、洋楽をピックアップするモノは少なかった。

そんな、私を救ったのはラジオである。
特に、FMラジオは音質も良くマニアックな音楽も取り上げる打って付けのメディアであった。
2週分の番組表が付いているFM番組誌を毎回購入して、いつ、どんな番組があるかを細かくチェック。少しでもそれらしい番組は欠かさず聴いていた。
そして、同時にカセットテープに録音。本当に日々の習慣になっていた。
当時、写真のラジカセと同型SANYOのW-U4を使用していた。色まで一緒!

前述した様に、ヒップホップが確立されていないこの時代、専門番組は存在しない。
ストリートで流される音楽も、まわりの仲間達からの情報でチェックはしているが、当時としてはマイナーすぎてなかなか番組で取り上げられない。本当に困ったものだ。
私が欲していた音楽は今で言うエレクトロ系の打ち込みバリバリの楽曲。
当時では、相当マニアックな世界だった。

そして、当時マニアックな部類ではあったが、ディスコミュージックの流れで世に出てきたのが
ハービー・ハンコックの「ロック・イット」、「フューチャー・ショック」、アフリカ・バンバータの「プラネット・ロック」、チャカ・カーンの「アイ・フィール・フォー・ユー」などだ。

正確には当時より数年前のモノかもしれないが、私にはストライクの楽曲。
FMで録音出来る機会を探し何度もチャレンジした。ゲット出来た時にはそれこそ宝物だった。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_6805035_0?1121486015
更に、原宿の露店で安く販売していた海賊版のカセットテープを先輩達のアドバイスを基に購入。
初めて買ったカセットテープは、未だに覚えている。
「Krush Groove」
これは、当時のヒップホップ映画のサウンド・トラックでランDMC、カーティス・ブロウ、ファット・ボーイズ、
シーラ・Eなどが出演していた為、彼らの楽曲がそのまま収録されていた。
しかし当時、映画自体は観た事がなかった。

そして、先輩ダンサー達にムリヤリお願いして映画「ブレイクダンス」のサントラテープ等をダビングのダビング状態で提供してもらった。

ダンス映画のサントラを欲し、映画音楽特集番組をチェックした時には、「ダーティー・ハリー4のテーマ」なんかもゲットした事もある。(意外と知られていないが、これがまたエレクトロなのだ!!)

こうして集めた音楽のテープを自宅ではヘビーローテーション!
歌詞はおろか、ドラムのパターンやリズムの癖まで覚えるくらい、何度も何度も聴きまくった。

なぜなら、当時の自分にはそれしかダンスミュージックがなかったから・・・笑

実際にはこの当時も、素晴らしい楽曲はたくさん発表されていたが、何分中学生の情報力なので・・・。



Krush Groove

1985年作品。ダンス映画ではなく、ラップを中心に音楽でメジャーを目指す若者達の青春ストーリーモノ。
当時はこの手の物語が多かった。
出演アーティストの豪華さには、今観てもびっくりする。
ランDMCのランとシーラ・Eのラブロマンスがチョット笑える。




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