DANCE HISTORY OF A MAN

1985年の原宿のストリートから始まる物語。 ある男”GO”のダンス人生です。 最初から読むと、きっとハマリます(笑)

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サイドウォークを練習。
とりあえず、一週間前とは違い確実に練習する物がある事に喜びと安心を感じた。

しかし、こんなに難しい物をどうすれば・・・大汗。
「そんな簡単に出来たら誰も苦労しないよ!」今ならこう思うが、当時の私は何か勘違いが入っていて、出来て当たり前との思い込み。焦りに焦った。

ただ繰り返しても出来るわけがないと判断し、動きのメカニズムを理解しようとした
WAKAの助言を思い浮かべ、基本のステップとなるバックスライドを改めて練習。
その動きをサイドスライドに応用。頭で考えるほど簡単な物ではないが、出来ない自分に腹が立っている私は、必ず一週間でやってやると言う気持ちが強かった。

そして、練習をするにつれ、一つ一つの動きにはちゃんとした理屈があり、こうすればこうなると言う事が何となく理解出来る様になってきた。


こうした練習を続け、また日曜を迎える。
またまた、出来きる様になったつもりで原宿に・・・

この時は、自分からWAKAに見てくれと頼んだような覚えがある。
出来てるつもりでも、やはり、当時は先輩である彼に見てもらうとなると緊張した。

そして、「ちょっと、違うな〜。っていうかさ、ここをこうしてさあ・・・」
ありがとうございます。的確なアドバイス!
あれだけ苦労したものを一瞬で!

今思うと、すぐに答えを教えてもらうより、1週間あーでもない、こーでもないと考え、体を動かした事により彼の言葉が理解出来、体が動くようになったのだと思う。

一見、遠回りの様で実は近道だったのか・・・?



こんな感じで、この後約1ヶ月、1週間に1ムーブのペースで練習に励む。
一つでも多くの動きをマスターしたい気持ちもあったが、一つでも見せられる状態にする事の方が、ホコテン=ストリートで踊る事にとっては重要だった。

ストリートはあくまでも見せる場所であって、練習する場所でない。
そのため、見せる事が出来る物は自分の武器として最大限に活かす必要がある。

サークルの中心に立つためには、中途半端なテクニックを10個持つより、
より完成度の高いテクニックを1つ持っているほうが大切なのだ。



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0004_WAKA

イメージ 1

そして、次の日曜日。
練習してきた成果を誰かに見せたくて、ワクワクしながら原宿へ。
メンバー達は、物凄くフランクで、ずっと昔から知っているかの様に私を迎えてくれる。

メンバー達が踊り始めて30分もしないうちに、人だかりが出来る。
私は、サークルの中心になど行けるはずもなく、ダンサー達と会話をしながらラジカセの脇に腰を下ろして、さも、スタッフ気取り。

その時、仲間の1人が私にこう言った。「何か練習してきた?」
チャーンス! 練習の成果を見てもらおう!

自信はないが、練習をしただけマシにはなってるはず。バカの一つ覚えでやってきた、ウェーブを彼に披露。
「おお、良いじゃない!」
マジで? この一言で勘違い。自慢気に何度も繰り返す。
「でも、もっとこうすればさ〜・・・」やっぱり、違ってた・・・。

でも、このアドバイスが効き、なんと直にサマになった。自分でもびっくり。
やっぱり分かってる人に聞くのが一番だな〜

この彼、運命的な出会いの1人である。現在でも業界で活躍中のDJ.WAKA、その人である。
当時、彼はDJよりもダンスをメインに活動していた。

その彼が、今度はムーンウォークを教えてくれた。いわゆるマイケル・ジャクソンで有名なバックスライドは、以前より興味本位で遊んでいた事もあり、これまた、簡単なアドバイスで形になったような気がする。

それを見たWAKAは、私にサイドスライドをチャレンジさせようとした。
はっきり言って、「なんじゃこりゃ?
さて、どうしたものか。いくら助言をもらっても、形にならない。

結局、その日一日カニになるかと思うくらい、横へ、横へ・・・
で、「じゃあ、来週までの宿題ね!」
初めて課題が出された。


DJ.WAKA

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_5134633_0?1150208518
国内最長のレギュラークラブイベント「CONNECT」のオーガナイザー。
国内外のクラブ、イベントで活躍。DA PUMPのツアーメンバーも務めた実力派DJ。
スクラッチのテクニックに定評がある。



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その日ホコテンから帰ってきた私は、興奮が続いていた。しかし、他のメンバーの足を極力引っ張らない為に何を練習すべきか、何を研究するべきか全くもって分からない。
と言うか、情報が皆無だった。

当時でも、ダンススクールはあった。
しかし、ジャズダンススタジオでジャズダンサーが教える、今考えるととても見当違いな物
更に、中学生の私にはスタジオに通うお金もないし、何処で行われているかなどの知識もなかった。

まず試みた事は、ホコテンで見たダンサー達の動きを思い出す。それを手探りで再現。窓に映る自分とにらめっこをしながら、頭の中のイメージと併せてゆく事だった。

ホコテンは週に1回、次の日曜日までに何か出来るようになりたい。仲間に入っていたいという強い気持ちが自分に練習をさせた。

やはり当時、インパクトが強かったのがウェーブ。特にハンドウェーブをとにかく練習。一週間コレばっかり。
やり方も、基本もなーんにも知らないのに、とにかく見た印象を再現する事に全力を尽くした。



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0002_誕生!?

そんなこんなでギャラリーに混じり、ダンスを凝視しているとシュンがこちらに気付く。
「おおっ、来たね!」
彼はニコニコしながら近づいてきて、他のダンサー達に私を紹介し始めた。

「一回しか、しかも十数分しか話していないのに・・・いいのかな」などと思いながら、
愛想笑いを振りまきダンサー達に挨拶をした。勿論、全員年上のお兄さん、お姉さん達だった。

その後の時間は、只のギャラリーではなくダンサーの仲間としてサークルを作るメンバーとなる。
ダンスなんか全く出来ないが、その場の空気をダンサー達と共有している事に少し興奮を覚えた。

今の時代みたいに、タレントが踊れる時代ではないし、バックダンスはスクールメイツだし、
ましてやダンス番組なんてあるわけない。

映画「フラッシュダンス」「ブレイクダンス」で多少話題にはなったが、まだまだ世間一般的にもストリートダンスが珍しい時代。

サークルのメンバーでいる事によって、その世界を形成する一員になったと錯覚していたのだろう。あれは気持ち良かった・・・


この歩行者天国、「ホコテン」は夏場は13:00〜18:00、冬場は13:00〜17:00まで行われている。
この日、何時に現場に行ったかはまったくもって覚えていないが、数時間、18:00になるまでダンスに心を奪われていた。


そして、ここからが今考えるととても信じられない展開になる。

ホコテンも終わり、道路脇で皆が帰り支度をしながら話していた。
「チーム名どうする?」「シンプルなのがいいんじゃない?」

今まではちゃんとしたグループとしてではなく、何となく気のあった仲間で技を披露しあっていたらしいが、
チームとしての活動を考えているらしい。

彼らの話がまとまってきた時、メンバーの1人が私に向かって「君も入りなよ!」
「!!!・・・なんですと?」
他のメンバーも「ああ、一緒にやろうよ!」
この人達は何を言っているんだろう?
さっき初めて生のダンスを見て、全く何も出来ない自分をグループに入れると・・・

しかし、その時の私もすごい!
その時のその空気を共有していただけでその気になり、あっさりOK!(マジで・・・汗)

こうして、ダンスの「ダ」の字も知らないストリートダンサーが誕生してしまったのです。



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イメージ 1

小学生の頃、マイケル・ジャクソンがアルバム「スリラー」でグラミー賞を総なめにした。当時の音楽業界では歴史的快挙だった。

テレビ朝日で放送していた「ベストヒットUSA」でその時のグラミーの特番放送があり、番組の最後に「スリラー」のPVをノーカットで公開した。
子供ながらに衝撃的だった。PVのクオリティも、特殊メイクの技術も、音楽性も・・・特にというか、やはりダンスも。

当時、このダンスを真似てやってみようとかはしたものだが、この時はまだ、そこから深く求める事はなかった・・・



数年後、1985年5月だっけな、6月だっけな・・・
今後の人生を大きく変えたきっかけが訪れる。


1歳より渋谷駅から徒歩10分という好立地に住んでいた私は、小学校4年生からバスケにはまっていた。
この年、中学2年生の私は中学校と自宅のちょうど中間地点の公園通りにあったスポーツ用品店に、仲間と一緒に良くたむろしていた。(「スポーツ・ギャラリー」だったかな?)

その日、たまたま日曜日に1人でその店に行った。特に買い物というわけではないのだが、従業員とバスケの話をするのが楽しかった。

すると、店にとてもスポーツマンとは思えない風貌の、当時の私からすれば「お兄さん」が現れ、私と特に仲の良い従業員と話している。

しばらくすると、その従業員がその「お兄さん」を私に紹介。
「お兄さん」の名はシュン。歳は20才。原宿のホコテンでブレイクダンスをやっていると言う。(今、言葉にするととてつもなくカッコ悪いなこれ・・・)

当時ダンサーの間で流行っていたシューレース(靴紐)を買いに来たのだが、従業員の後輩だということからすぐに打ち解けて話す事が出来た。
その時に「今度、ダンスを見においでよ!」という誘いを受け、彼は店を出て行った。

数日後の日曜日、同じようにスポーツ用品店に足を運び、その従業員から「シュンのトコ、行ってみれば?」と言われ、何の気なしに足を運んでみた。


代々木公園の竹の子通り(今もそう呼ぶのかな?)の歩行者天国は、あの「竹の子族」を産み、後の「イカ天」時期のバンドブームでは100以上のバンドが演奏しまくっていた全国的にも有名なストリートパフォーマーの聖地だった。
当時、観光地としても有名で修学旅行生や海外からの観光客まで、とにかく人が多かった。


そんな中、踊るシュンの姿を発見。仲間約10人位でサークルを作り、更にギャラリーが50人位。
本当に衝撃的だった!生のダンスとのファースト・コンタクトである。

こんな世界が、世の中にはあったんだ・・・」こう思った。




Thriller

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_4963485_0?1150208155
1982年12月1日、当時のEpic Recordから発売。
マイケル・ジャクソンのソロアルバムとしては「Off The Wall」(1979年)に続く作品。レコード・CDとして歴史上最も多くの売り上げを記録した作品で、2003年のギネスブックの認定によれば全世界で5100万枚以上のセールスを記録している。同じくギネスでは最もシングルカットされた作品が多いアルバムとしても認定されている。
なお米国内での最高セールス記録(約2700万枚)も持っていたが、後にイーグルスのベストアルバムに抜かれた。



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