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1990年10月30日、我々のS.I.JOEでのショーデビュー当日が訪れた。 緊張からか、毎日のようにいるはずの店の雰囲気に違和感を感じた。 今回のイベントタイトルは「THE BLACK MARKET」。 メインのゲストダンサーは横浜で活躍中の超有名グループVISION。 そして、セミプロチームとしてフロントアクト的な存在のチームが4チーム。 元々、JOEの常連客としても有名で、当時の若手注目株のダンスグループ、CRAZY CRASH。 「DANCE DANCE DANCE」の第2回放送出演グループ、女の子3人組の100 POWERS。 後の「DANCE DANCE DANCE」チャンピオンチーム、若手の中でも実力派のJ.B.GOLD。 そして我々、JAZZ BOOであった。 セミプロと称された我々は以前からのダンス仲間同士で、知った顔ばかりである。 その環境は、緊張しまくっていた私に少しの安堵感を与えた。 さて、本番・・・。 フロアに登場した瞬間、店の常連仲間達から温かい声援が飛んだ。 最初の曲は新ネタ「BLACK CAT」。必死に踊る・・・。 そして、「FEELS GOOD」。世間にはこちらの方がお馴染みなので、多少の盛り上がり・・・。 とは言え、実はこの時の本番での事は正直ほとんど憶えていない。 やはり相当緊張していたんであろう。 今となっては最後のゲストダンサーVISION以外の出演順すら分からない。 ひょっとして、潜在意識の中で忘れてしまいたい程の事だったのか・・・笑 ともあれ、無事に(?)我々はクラブでのショーデビューを果たした。 何度も記しているように、この当時としてはとても大変な事であった。 そして、このデビュー戦によって我々のダンサーとしての確かな歩みがスタートする事になる。 THE BLACK MARKET以前にも記した事があるように、当時のクラブでは店舗主催のイベントが常識であった。現在のイベントスタイルになっている、貸切イベントは通常、週末の夕方や平日に行われる事が普通であった。 その為、このようなイベントは店にとっても、客にとっても大イベントで、集客率も相当なものであった。 店側にしてみれば、ハロウィン、クリスマス、バレンタイン等はイベントを行うのには恰好のチャンスで、営業的にも臨時収入の大きな柱であった。 当然の様に同時期、開催される他店舗との差別化や、集客競争も大変なものであった。 ここ、S.I.JOEでは、当時まだマニアックな部類に入るブラックカルチャーとダンスを一面に出し、コアなファン層を集めていた。 幸運な事に当時のチケットと、我々のファンなってくれた子が撮ってくれた貴重なショーの写真が残っていたので掲載!(笑) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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さあ、念願のS.I.JOEのショーパフォーマンス初登場である。 話を受けてから、いかに自分達の存在を世間に知らしめるかを考え、選曲、構成を行った。 参考に出来る資料も少なく、当時まだ、素人に毛が生えた程度の私にとっては大変な作業だった。 構成は2曲。現在当たり前のように行われている、MIXはせずに一曲ずつ完結のモノだ。 いわゆる、シンガーが2曲歌うのと同じようなノリである。 これは当時、割と普通のショー形態であった。 まずは「DANCE DANCE DANCE」で使用し、我々が世に出た一発目の楽曲「FEELS GOOD」のウルチミックスを選び、踊りもテレビで披露した印象的なシーンを残しリメイク。 もう一曲は当時発売されたばかりの「BLACK CAT」。 大ヒットしたジャネット・ジャクソン「RHYTHMNATION」のアルバムからのシングルカットで、完全にロックな楽曲だ。 この曲は当時のS.I.JOEチーフDJ野手氏が推薦してくれた。 というよりも、「コレでやれ」と命令・・・笑 この頃、DJを含めJOEのスタッフは我々のグループへの協力を惜しまずにしてくれた。 彼らの豊富な知識や経験からのアドバイスは我々にとって大きな財産となり、武器ともなった。 というわけで、この頃の私なら決して選曲する事が無いであろうロックなこの曲を、情報の早いDJに強く薦められ、何も分からないまま納得し、踊る事となった。(笑) この曲にはロックダンスの要素を多く含んだ振付をする事にした。 こうして、約10分のダンスショーの構成が出来上がった。 そして、この時より女性メンバーが加入する事となる。 以前より私は、女性の加入によって表現の幅が広がり、ファン層も厚くなるのではないかと考えていた。 メンバーのササボーの彼女、MEGU。当時高校3年生、18歳である。 彼女は、我々の練習に付き合って、見て真似するうちに自身の柔軟な感性で、必死に練習する我々よりも早く身に付けるダンススタイルがあるほどの才能の持ち主だった。 本人自身もダンスに対しての興味が非常に強く、お互いに良いタイミングであった。 こうして4人構成の新生「JAZZ BOO」が、我々にとっての聖地「S.I.JOE」でスタートする事になる。 当時のダンス業界では、暗黙の了解で集客を義務付けられる。 コレは、「どのダンスチームを出せばどれだけの集客に繋がる」「ならば、ギャラはコレだけ」 「今後もお願いしよう」「もう、集客できないなら使わない」・・・ などのシビアな評価に繋がる重要な事項だった。 チケットノルマのような事ではないのだが、とにかく各方面への自分達の評判の大切な要素だ。 集客はとにかく頑張った。 結果、我々への声援も増え、ショータイムも盛り上がり、知った顔が多ければリラックスした状態でパフォーマンスが出来るという事だ。 自分達自身の為にも、店へのアピールの為にも良い効果をもたらす。 まあ、人を呼ぶからには下手なパフォーマンスも出来ない。 良くなければ、チームの評判は落ち、次からは見に来てくれなくなる。 しかし、良いパフォーマンスが出来ればファンになってくれる可能性もあるし、我々のショーの度に足を運んでくれる人々も出来る。 一回一回のショーが真剣勝負だ。 ショーケースの当日まで、ダンスのクオリティを上げる努力と集客活動に力を注ぐ日々が続いた。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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そんなこんなで、中途半端に顔が売れてしまったが、芸能人になった訳でも、番組のレギュラーになった訳でも、スーパーダンサーになった訳でもなく、ただのクラブ従業員な私。 大好きなダンスの練習をし、気の良い仲間達とクラブで働きながらも楽しい毎日を過ごしていた。 勿論、次のステップアップの材料も探してはいたがなかなかチャンスが訪れなかった。 我々が出演した「DANCE DANCE DANCE」の収録以降も、3週に一回の収録時には観覧者として参加し、友人達の踊りを応援した。 一般観覧者は何かと局側から制限と付けられるのだが、我々は、初期出演者という事もあって番組スタッフにも顔を覚えてもらっていたので、何かと優遇してもらっていた。 その代わりといってはなんだが、番組スタッフ達も出演レギュラーダンサーのSAM氏達と共にJOEに遊びに来る事があったので、その辺はお互い様だったのか・・・? しかし何事も繋がりが大切である!(今でも切実に思うことだ・・・笑) とにかく当時のS.I.JOEは「DANCE DANCE DANCE」の出演者達もそうだが、当時のヒップホップムーブメントに携わる重要人物たちが多く遊びに来てくれていた。 (↑当時からMEGAMIXとして活躍していた、KAORU氏やHIROKO氏も常連の顔でした) 私の個人的な観点から言うと、関東圏では六本木のCIRCUS(サーカス)、Droopy Drawers(ドゥルーピー・ドゥルワーズ)、横浜のCIRCUS、そして渋谷のS.I.JOEという店舗が当時のヒップホップの中心であった。 ただ、当時のクラブはまだディスコ色も色濃く残っており、我々従業員は新規の女性客に積極的な接客を義務付けられたり、時代遅れなユニフォームを着用させられたりした事は苦痛であった。 しかし、これらも我々スタッフの感性を大切にしてくれた当時の店長との話し合いで解決。 ダンサーやDJ志望の従業員達はその筋の仲間を大切にしてゆく事となり、ユニフォームもいわゆる自前のヒップホップファッションを着用出来るのであれば自由と、わりと開放的な雰囲気になっていった。 この様な恵まれた環境の中、コネクションを広げつつも、ある機会が訪れる。 この店での従業員を始めた大きな理由の一つ。 そう、S.I.JOEのショーで踊るチャンスが訪れたのだ。 10月のハロウィンパーティーの企画として、プロダンサーとして横浜を中心に当時大活躍をしていたVISIONをゲストに向かえ、セミプロダンサーとして、我々JAZZ BOOや同期の仲間達のチームに声が掛かった。 入店後約3ヶ月で訪れたチャンスだ。 六本木サーカス当時の東京ヒップホップカルチャーの総本山。この店が無かったら、現在のヒップホップシーンが無いと言っても過言ではない。現在の目黒食堂のオーナー唐氏によって手掛けられたクラブである。 EXILEのHIRO氏やZOOのLUKE氏はこの店の従業員であった。 後のR?Hallの箱である。 横浜サーカス横浜のヒップホップの聖地。ベースの黒人達からのレアな情報やステップが一早く入手出来る重要な場所であった。六本木サーカスもこの店の分派。 横浜にありながら、東京のダンサーやクラバーがわざわざ足を運ぶ店であった。 Droopy Drawers六本木においてサーカスと肩を並べ、ヒップホップムーブメントを牽引してきた店である。芸能人や著名人たちが隠れ家的な存在として常駐するマニアックな店ではあったが、コアなDJ達の選曲により常に多くの人々で賑わっていた。 当時の店長は、現在私と一緒にイベント運営を行っている武田氏である。(当時からお世話になってます・・・笑) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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「DANCE DANCE DANCE」の番組出演で得た経験は確実に私達を向上させていた。 |
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遂に、この時がきた!我々JAZZ BOOの出番である。 フロアに登場した瞬間に、一般観覧で応援に来てくれた仲間達から大きな声が掛かる。 知った顔が並ぶ客席を見ると、いくらか緊張は和らぎ、先程の「MORE DEEP」の存在は頭の中から消えていた。 死ぬほど練習した自信なのかこの時点で、充分に充実した気持ちになっていた。 曲が流れる。何回聞いたかわからないFEELS GOOD。 勿論、頭で考える訳でもなく無条件で身体が動く。はっきり言って染み付くまで踊った振付だ。 1分30秒のパフォーマンスに当時持てる全てを注いだ。 ・・・・気持ち良く踊る事が出来た。 仲間達が居てくれた事は本当に助かった。後押しになってくれていた。 サポーターの重要性はこんなところにも活きている。 そして踊り終わると、軽くインタビューされダウンタウンの2人と絡み、審査員のコメントを聞く。 まあ、この時は正直参考になるコメントは貰えなかった。 テレビ的なにぎやかしコメントだった。 そして、「ありがとうございました〜」拍手をもらいながらステージを降りる。 やるだけの事はやった。後は結果を待つだけだった。 この後、恒例のダンスヒストリー担当のドン勝本氏率いる「KING OF SOUL」のパフォーマンス、SAM氏率いる「MEGAMIX」のパフォーマンスが続いたが、結果が恐ろしく集中して鑑賞など出来ない。 そして、スタッフから出場4チームが舞台上に並ぶように言われ、再びステージへ。 結果発表、その時が来た。 優勝チーム名のコールがされる。 「優勝は・・・・・・MORE DEEP!!」 やはり・・・。彼らには適わなかったか・・・。 そう、あれだけ練習したが、適わなかった。全ての面でスキル不足であった・・・。 なんとも口惜しい結果だが、納得せざる終えない結果でもあった。 以前の特番参加時の予選落ちよりは、はるかに得るものが多かったが、今回もまた自分達に足りないモノを再認識しながらフジテレビを後にする事となる。 充分承知していたつもりではあったが、なかなか簡単な世界ではないものだ・・・。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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