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納得はしたものの事実上、家を追い出された私は、とりあえず通いつめていたクラブ「S.I.JOE」に向かった。 誰か友人に頼るか、最悪、店に住み込んで働いてでも居場所を作らなければ・・・。 しかし、本当に思い切った事をしたものだ。 丁度週末だった為、店に入ると知っている顔が沢山いた。 誰に相談するか特に考えていた訳ではないが、たまたま遊び仲間の1人になっていた3つ年上の友人に話をした。 深く理由や経緯を話した訳ではないのだが、その彼は「いいよ、うちに来れば?」 この時、その彼とはそんなに深い仲ではなかった。この店や、TVの収録で顔を会わせるとくだらない話をするくらいで、お互いの連絡先なんかも知らないくらいだった。 大して知りもしない私の事を快く迎えてくれた彼には本当に感謝している。 この彼との出会いも、後に私に大きな影響を与える事となる。 今後、ダンサーとして活動していく基盤を作って行く時期を共に乗り越え、数え切れない位の助言を私にしてくれた盟友だ。 彼の名はWATARU。 ダンサーとしての活動はしていないのだが、現在でも私の同期のダンサー連中には良く知られた名だ。 当時、彼は新宿の下落合に住んでいた。 私はこの日より彼の元に世話になる事になった。 実は元々、WATARUの家には数人の友人が転がり込んでいる状態で生活していた。 これは、彼の家で数日過ごした後に認識したのだが、WATARUは友人達から信頼される(頼られやすい?笑)人物のようだ。 とにかく、路頭に迷うことなく寝床を確保した私は一安心。 人生の大きな財産となる出会いを果たした私は、こうして数人での楽しくも奇妙な共同生活がスタートするのである。 WATARU上記の頃から半年もするとダンスチーム「JAZZ BOO」のマネージャーなどと言われていたが、そこに金銭が発生していたわけではなく、彼の好意で我々に多くの助言や助けをしてくれた恩人である。 (写真は出会いから2、3年後の物だったかな・・・?) 音楽やプロデュースのセンスがずば抜けていて、その武器で我々を導いてくれた。 後にソニーミュージックでその腕を買われ、アーティストの新人発掘や人材育成の為に日本中を駆け回る事となる。 現在は、某芸能プロダクションの代表である。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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「DANCE DANCE DANCE」の収録で何か一つステップアップを感じた自分は、次に何をすべきか模索していた。 とりあえずクラブ通いを続けながらダンサーとしての道を歩むべく、新しいステップの情報収集や、業界に入り込むコネクションを広げようとしていた。 傍から見れば只クラブでチャラチャラ遊んでいるようにしか見えないだろうが、「ダンサーとして成功する!」という強い意志は持っていた。 「DA DA」で優勝した勢いと、ちょっとだけ「DANCE DANCE DANCE」で業界を覗けた事、そして、以前先輩のEIJI氏に説教された悔しさが、脇目を振らない自分を作ったのだろう。 確かに楽しい日々だった。自分の趣味を仕事として確立していく事を考えるのは楽しい事だった。 しかし、まだ親は私の事を、大学を目指して勉強する予備校生だと思っている。 これは、自分の中の覚悟でもあるので、大学進学はせずにダンサーとしての道を歩むという事を伝えなければと思った。 父親と話す席を設けた。 当時、私はバイトをしながら小遣いを稼いで予備校に通っていたと思っていた父は激怒した。 実は予備校入学時も、入試失敗の事を含めクドクド小言を言われ、予備校の金などないと言われたのだが、 数日後に年間の授業料100万円以上をキッチリと揃えてくれた。 多分、多少の借金もしたのだろう。 そんな思いまでしたのに、あっさりとダンサーになるなどと言われれば、激怒するのは当然だ。 この頃は、ダンサーという職業が確立していないどころか、何をして金を稼ぐかも分からない時代だった。 父には本当に申し訳ない事をしたと思ったが、何を言われても私の決心は変える事は出来なかった。 勿論、父はこんな事を許す訳も無く、何時間も説教を喰らった。 だが、父の熱弁に私は首を縦に振る事はなかった。今考えると本当に親不孝者だ。 父はこんな私に「出て行け。そんな奴、置いとく理由は無い。」 もっともだ。私は納得した。「はい。」 こうして、その日のうちに私は家を出る事になってしまった。 しかし、金もなければ、当てもない私。 多少の荷物はまとめたものの、本当にどうするべきか、この時に初めて現実を考えた。 「どうしよう・・・・・・」 勿論父は、本気で19歳のガキが家を出て行くとは思っていなかっただろうが・・・ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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美竹公園での深夜練を行った後、それぞれ一度帰宅し、数時間後に渋谷で集合。 バスに乗って当時まだ新宿区河田町にあったフジテレビに向かった。 幼少の頃、NHKの子供番組には数回出た事があったが、やはりその時とは全く違う興奮をテレビ局という場所に覚えた。 DADAも結局のところ、クラブやディスコスタイルになっている現場での収録だったので、今回の収録は素人だった私にとってまさに「テレビの中の世界」だった。 セットや機材に圧倒されながら、待機していると予選が始まった。 当時、まだ無名だったメインストリートのオーガナイザー、ラーハ氏やROOTSのKOJI氏、後にDJとなり大活躍中のKEN-BO氏、現在オールテンポ代表のIZUMI氏、元DADAレギュラーダンサーMr.T氏などもコンテストに参加していた。 勿論、私の周りのダンス仲間達もそれぞれにグループを組んで参加していた。 そして我々、「JAZZ BOO」がコールされステージへ。 正直言って、DADAの時と比べ物にならないくらい緊張し、頭の中が真っ白になった。 テレビ局独特の雰囲気がそうさせるのか、ショースタイルのコンテストがそうなのか、とにかくビビった。 1分半、必死に踊ったが、やはり予選落ちとなる・・・・・・。 ここで、また、何がいけなかったのかを改めて考えさせられる事となった。 予選通過したグループの我々とは明らかに違うパフォーマンスを観て、更に納得もした。 自分達に足りないモノもたくさん確認出来た。 番組制作の一端も垣間見る事が出来、テレビ的に好まれるモノやコンテストに向いているパフォーマンスの判断も少しだけ分かった。 また、ヨシ坊氏やテディー・ダン氏を初めとする時代を築いてきた日本各地の大御所ダンサー達による 「Dance History」の企画やホストダンサーGQマシーンのPV等もあり、オンエア後は私の良い教材となった。 (↑GQマシーンの面々の一部。しかし、この面子が一緒に踊っていたと言うのは、今考えると本当にすごい。) 因みにこの番組で優勝したのは、YOHEI氏率いる「ソルジャー」。 前回はSHIGE氏、荒川氏、YOHEI氏の3人でのエントリーで本選は残ったものの優勝は逃していた。 この回は、当時B-BOYとしてはアンダーグラウンドで超有名人だったKENYU氏を加え、4人でのチームとなって勝利を獲た。 準優勝には、後に私と多くのステージを共にする事となるKANAが所属する「JAM」というグループが輝いた。 結果は今回も惨敗に終わったが、DADAのチャンピオン大会と比べると、比較的実りの多い経験となった。 そして、今後この番組との様々な関わりが、私の「ダンサーとしての成長」を加速させて行くのであった。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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クラブやDADAの収録で知り合った仲間の一人、当時大学生の神谷正樹氏と、以前よりダンスグループをやろうと話をしていた。グループ名は決めていた。 JAZZ BOO(ジャズ・ブー)である。 「ACT UP」と「JAZZ BOO」で悩んでいたのだが、響きの良さで最終的に私が後者に決めた。 フジテレビのコンテスト番組はグループでの参加が一般的だったので、このグループを始動させる事とした。 神谷氏と私、それとササボーの三人でこの「JAZZ BOO」は始動した。 フジテレビのダンスコンテスト番組は、あの「DANCE DANCE DANCE」であった。 (正式には「全日本ディスコダンス・コンテスト DANCE DANCE DANCE」) 司会はダウンタウン、DADAのZOOに当たるダンスグループはS.I.JOEでもパフォーマンスを披露していた SAM氏率いるGQマシーンだ。 (特番時代のGQマシーンは、ヨシ坊氏率いる現在の「BE BOP CREW」を母体にした九州勢と、SAM氏が中心となる東京勢との混合チームだった。) 実はこの特番の放送は二回目で、深夜のオンエアにも関わらず前回の放送の視聴率、評判が良かった為に 今回も機会が設けられた。「DADA」に引き続いて、ダンスブームに乗った番組の一つだ。 とにかく、プロダンサーへの道として大きなチャンスがまた訪れた。 内容的には1分30秒のダンスパフォーマンスをフジテレビのスタジオで踊り、それぞれ審査されるというものだ。 DADAのコンテストスタイルとは全く違うもので、個々のダンススキルだけでなくショーパフォーマンスのクオリティも重要であった。 予選も同じスタジオで事前に行われ、通過した者達だけがオンエアされる本選に残る事が出来た。 とりあえず、収録日の数日前からショーパッケージに使う楽曲に悩んだ。 渋谷のレコードショップを駆けずり回って、当時流行のニュージャックスイングの曲の中から新譜を使った。 (楽曲名は覚えていないな・・・) 選曲に苦しんだ事もあるのだが、それぞれメンバーのスケジュールが合わないと言う事で練習も全く出来ない状態だった。 しかし、これは今考えると言い訳であるとしか言えない。 結局、練習は一夜漬け。しかも私の地元で昔からの練習場所、美竹公園で済ませた。 JAZZ BOO1990年結成、1994年解散。初代リーダーは神谷正樹氏。 二代目リーダーの私ことGOの下、数回メンバーも入れ替わりながらも時代の一端を担うダンスグループとなる。(なったかな?笑) 私のダンス歴の中で最も熱い時期を過ごしたグループである。 チーム名は、米スラングで、「格好つけてる奴」「スカした奴」みたいな意味。 定着するまでは、良くジャズダンスのチームかと勘違いされた(笑) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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ここで1人の人物を紹介しておきたい。 この頃、普段から良く一緒に遊んでいた仲間だ。 高校時代同級生で、以前記した予備校も同じだった彼、ササ坊である。 彼とは高校3年で初めて同じクラスになり、当時のディスコ遊びなどでも一緒だった仲だ。 私は、3年生で同じクラスになる以前より彼の存在に注目していた。 と言うのも、彼は高校生でありながら、当時国内に数人しかいなかったBMXのプロライダーだったのだ。 その存在は校内でも有名で、中学時代からダンスを始めた私は、彼に対して何か同じニオイを感じていた。 案の定、音楽やダンスの趣味も合い、高校卒業後もしょっちゅうツルんでいた。 時代的もダンスブームで、彼は当時BMX以上(?)にダンスにハマり、少しだけ彼よりもダンスの知識があった私を絶大に信用してくれた。(本当に嬉しい事だ!) 勿論、私の当時のダンス遍歴も全て知ってくれていた。 この頃彼とは流行のダンススタイルを共に研究したり、練習したりする仲であった。 そんな仲間と人生を大きく左右する出来事を乗り越えて行く事になる。 DADAのチャンピオン大会が終わったすぐ後に、フジテレビの深夜枠の特番でダンスコンテストが行われると、 常連となっていた渋谷の例のクラブS.I.JOEの従業員AKAが教えてくれた。 これは次のチャンスが来たと私はスグに動きに出た。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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