DANCE HISTORY OF A MAN

1985年の原宿のストリートから始まる物語。 ある男”GO”のダンス人生です。 最初から読むと、きっとハマリます(笑)

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0040_決断

偶然的な感覚でDADAのチャンピオンになってしまった私。
調子に乗ってはいたが、これを機に人生最大の選択をする事となる

「アメリカに行かなくても、日本で充分出来るはず!DADAでもチャンピオンになったし。」
はっきり言って安易な考えではあるが・・・。

当初の計画では、「アメリカにダンス留学をして、自分スキルを上げて帰国し、日本の中心となりうる存在として活躍する・・・・」であったが、これまで、日々の生活の中であやふやになっていた留学の為の勉強の必要性などに疑問を持った。

進学後、渡米、ダンスを習得後帰国、その頃の年齢などを考えると、これは逆に遠回りになるのではないだろうか。

「アメリカに渡らないと出来ないのではなく、日本に居ても充分出来る。いや、日本国内で活躍し、海外にまで呼ばれるくらいにならなければ、日本のシーンに影響を及ぼす事など出来るはずも無いのではないか。ならば、国内において少しでも早く、自分の地位を上げる為の努力をするべきだ!」
こう考えた。

勿論、地位向上の為にはダンススキルをアップさせる事は最低条件。更にダンスだけやっていてもダメだと考えるようになっていった。

私にとって進学の意味がこの段階で全く無くなった。
予備校に取られる時間ももったいないと考える。そう、認識してしまったのだ。

更に、この時の私は進学して余計な人生の保険を得るより、がけっぷちで逃げ道を塞いだ上でダンスに取り組むべきと考えた。

とにかく、ダンサーとしての最終段階に向かう為にその時の自分自身で考えうる最高の選択をしたつもりだった。
後戻り出来ないように自分を追い込み、少しでも足が止まれば、全てこれからの人生に影響していく環境に自分を置こうと決めた。


そう・・・、決めてしまった。何があろうがダンサーとしてやって行くと。

先日S.I.JOEで観た先輩ダンサー達やDADAのレギュラーであるZOOのメンバー達を将来的には凌駕出来るようなダンサーになり、ヒップホップダンサーと言う物が認知される様な世界を日本に作っていくと・・・。

悩みはしたが、答えが出た時、すべき事がたくさん見え始め、今までの悶々としていた時期と比べ気持ちはスッキリと晴れた。

ここからは、とにかく休む暇はなく夢の為に走り出すしかない。


私がプロダンサーとなろうと本気で決心したのはこの時である。




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