|
ショータイム出演が一段落着いてきた頃に南流石氏よりあるオファーが来た。 当時活躍していたアーティスト「PSY・S(サイズ)」のバックダンスだ。 なんと番組出演。オンエアはクリスマスイブ。しかもNHK! 駆け出しダンサーの我々には超ビッグな話である。 番組は「ポップジャム」という当時国民的歌番組の一つのクリスマス特番。 失礼ながら正直私は、「PSY・S」というアーティストについての情報は皆無だったが、本格的芸能活動の第一歩に喜んだ。 ダンスの内容は、流石氏が振付けるパートもあるのだが、ほとんどが普段JAZZ BOOでやっているショーの振付を使用すれば良いとの事。 これは願ってもない事だ。 自分達のスタイルをしっかり表現しながらメジャーな舞台に立つ事が出来る。 この時のダンサーは流石組として流石氏とアシスタントの女性一名(チカちゃんだったかな・・・?)。 それと三宅裕司氏で有名なS.E.T(劇団スーパーエキセントリックシアター)より男性が4名。彼らは流石組のサポートメンバーでもあった。 そして我々JAZZ BOOよりササボー、SIVA、私の3人であった。 この時の事前リハーサルで使用した場所が、この後私達と深く関わる事になって行く下北沢の「スタジオ・ルゥ」である。 流石氏の旧友、現在でもCM振付を中心に活躍中の香瑠鼓こと五十嵐薫子氏のスタジオとして、この頃設立間もない施設だった。 当時ダンス用の貸しスタジオといえば、料金が一時間5000円が相場だったが、このスタジオは非常に良心的で3つのスタジオそれぞれの料金が1800円〜3500円という破格の値段であった。 また、薫子氏の豊富な人脈により芸能関係の使用頻度も高い、いわゆる業界向けのスタジオで有名だったようだ。 さてリハーサルも順調に進み、ササボーのBMXのテクニックもコラボレイトしたバックダンスが出来上がり、本番当日に・・・。 NHKの正面玄関から控え室に向かう。 幼少時代に数回子供番組に出演経験があった私だが、当然のように当時とは全く違う景色に見える。 控え室では、初めてヘアメイクを経験・・・笑 そして、この時初めてメインのアーティストとも顔を合わせた。 ダンスに関しての緊張感はなかったが、以前出演した「DA DA」や「DANCE DANCE DANCE」とは全く違うスタジオの雰囲気に少し戸惑った。 リハ、カメリハと終え、本番も数テイク・・・。 初めての経験の私は全てフルアウトで、終了した時はヘロヘロ状態だった事を覚えている。 とにかく撮影は無事終了。オンエアも後日、ビデオでチェック。 おかしな話だが全てが順調に淡々と進んだ今回は、当時の私にとって可もなく不可もない内容だった・・・笑 しかし、いずれにせよ色々な意味で、新たな大きな経験をした出来事であった事には違いない。 そして、この同時期に別のオファーが我々に来ていた。 この時期、私が最も印象深いイベントへの出演依頼である・・・。 PSY・Sチャカ氏、松浦雅也氏によるJポップ・ツインユニット。(写真はボーカル担当チャカさん) 1985年CBSソニー(現Sony Music)よりアルバムデビュー。 オリジナルアルバム11枚、ライブアルバム1枚、ベストアルバム3枚、その他数枚の企画アルバムを発表。 1996年解散。 香瑠鼓「慎吾ママのおはロック」、郷ひろみのCM「ナンパオ源気」等、番組やCMなどで振付作品を数多く発表している。 これまでに三百五十人以上のアーティストの振付け、四百本以上のCM振付けを手掛ける。 振付けの受賞作品として、ウインクの「淋しい熱帯魚」や「踊るポンポコリン」がレコード大賞、木村拓哉出演のCM「JRA」シリーズでACC金賞を受賞している。 (因みに「JRA」シリーズの一つに私、GOも出演しています・・・笑) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
下記の各URLのクリックにご協力お願いします! 【Bestブログランキング】http://www02.bestblogrank.zmapple.com/cgi-bin/1/ranklink.cgi?id=ankh_go 【週刊ブログランキング】http://kutsulog.net/ |
過去の投稿月別表示
[ リスト | 詳細 ]
|
さて、先輩方との初のコラボレーションとなるショー当日が訪れた。 ところが、とんでもない事件が起きる。 夕方からの現場でのリハだったのだが、朝起きると身体が動かない。 頭痛と吐き気を併発していた。 どうやらここ最近のショー、バイト、練習等でのハードスケジュールで身体がおかしくなっていたようだ。 気持ちは現場に向かう為の準備をしたいのだが、どうしても身体が言う事をきいてくれない。 私はすぐにCHIZUKOに連絡を入れ、リハーサルの不参加を願い出た。 電話の向こうで「何時に来れる?」とだけ。 私は少し余裕を考えた時間を設定して、現場に向かった。 当時、ディスコとして有名だった六本木のシパンゴである。 現場に到着するまでの間に薬などの作用もあり、体調はだいぶ回復していた。 店内に入ると既にリハーサルは終了していた。 メンバー達に謝罪をした後、CHIZUKOに呼び出された。 彼女は重々しく口を開いた。 「GO、お前の代わりはいくらでもいるんだよ。 体調のせいにすれば許されるなんて、そんなにこの業界甘くないよ。 お前1人欠けたくらいでリハが出来ない事なんてないけど、お前はそれで良いの? 最近ショーの仕事も増えて、頑張ってるみたいだけど、自分の出来る範囲以上に請け負ってるんじゃない? 今回は私がフォローしたから良かったけど、こんな仕事の仕方をしていたらすぐに干されるよ。 自分の能力をもっと自覚してスケジューリングした方が良いんじゃない。」 ・・・・・・一切反論出来なかった。 以前、「ギャラを貰うからにはプロ」という意識が芽生え、自分の中で意識改革が起こったと思っていたが、 まだまだ甘かった。 全てが、彼女の言葉通り・・・ 「あれもやりたい、これもやりたい」になっていて、基本的な認識が甘かった。 色々な仕事の話をもらえるのは、全てがチャンスに繋がるので有難い事だ。 しかし、今回のように自覚しないうちに身体を酷使して、リハや本番に穴を空けた場合、チャンスどころか、信頼まで失う事になる。 信頼を失えば、確実に「次」は無くなる。 あらゆる面で自分自身を理解する事と、自分の器を越え過ぎる責任を負わない事を改めて思い知らされた。 過度なショー出演が、当時の我々のスキルを大きく超えている事を彼女は指摘してくれたのだ。 また、彼女の言葉は業界の厳しさを改めて私に訴えたモノだった。 言い訳は一切きかない。代わりはいくらでもいる。 そして理由はどうあれ、遅刻して自分だけリハに参加しない事は、何よりも先輩方に対して失礼な事であった。 彼女はまたしても、道を外しそうになっていた私を導いてくれたのだ。 当時もそう思ったが、今考えても本当に有難い言葉を貰った。 話が一通り終わった後、今度は彼女がにっこり笑って、 「よし、じゃあ説教はここまで!もう充分わかったんだろう? こっからは良いショーをやる為に、そっちに気持ちを持っていきなっ!体調は平気?」 私は、こんな人間になろうと思った。 ショー本番は、DATZの二人とCHIZUKOが上手くリードしてくれたのを憶えている。 今までのショータイムよりも、全てがスムーズに気持ち良く行われた。 本番においても、大きな「経験の差」というモノを感じた。 因みにこの時、もう1チームゲストダンサーが呼ばれていた。 このブログでも紹介した「DANCE DANCE DANCE」二回目の特番のチャンピオン YOHEI氏、SHIGE氏、ARAKAWA氏の「ソルジャー」だった。 ショーを始める前に、控え室でお互いを奮起させてるうちに彼らとも親密になっていった。 全てが終わった後、改めてこの日の出来事を出演者全員に謝罪した。 そして私は、改めて目標に向かっての進むべき道を再確認したのであった。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
下記の各URLのクリックにご協力お願いします! 【Bestブログランキング】http://www02.bestblogrank.zmapple.com/cgi-bin/1/ranklink.cgi?id=ankh_go 【週刊ブログランキング】http://kutsulog.net/ |



