DANCE HISTORY OF A MAN

1985年の原宿のストリートから始まる物語。 ある男”GO”のダンス人生です。 最初から読むと、きっとハマリます(笑)

History

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0037_ホンモノ

イメージ 1

店内の入ると、やはりいつもとは様子が違う。全く動けない状態だ。
只でさえキャパが300程度の店に入りきらない人もムリヤリ詰め込んだ満員電車状態・・・。
いつもの常連客の顔の他に、各ダンスチームのファン的な客がギッシリだ。

この店は、特にステージがある訳でもなく、店内の作りも複雑で、
人がこんなに居たら何処で踊りを見せるのか不思議だった。
入口の数段の階段を下りると店内が一望できる。
タテ長のつくりで、丁度真ん中に位置する小さいダンスフロアの両脇には、据付の大きなスピーカー。
その上に乗る事も出来る作りになってはいるが、十分邪魔な存在。
更に、ミーハーディスコのなごりか、長方形の変な形のお立ち台が置いてある。
とにかく踊り手側からすると、とんでもなくやり辛い造りとなっている。

そんな中で、何人かの仲間と時間を過ごしていると最初のチームのショーが始まるようだ。
満員電車にムリヤリ人を詰め込むあの光景と同じように、従業員がダンススペースを空け始める。
絶叫しながら文句をいう人も少なくなかったが、どうにかスペースが出来た。

そんな中、出演に備えたJUNGLEのEIJI氏を発見。
会場のボルテージも一気に上がる中、「見せてもらいますよ!」などと何故か偉そうに声を掛けた私。
彼は笑顔(苦笑い?)で準備に向かった。

そして、ショーが始まった。
ダンスショーを言葉で表現解説しても伝えきれるはずも無いので、ここはスルーするとして、
とにかく、衣装、演出、テクニック、人気、迫力・・・全てにド肝を抜かれた。

各グループが15分から20分の内容の濃いショーを行った。
まとめて一気に全チームが踊り通す訳ではなく、
1チーム終わる事に約30分から1時間のDJタイムが挟まれていた。
各ダンスチームをしっかりとリスペクトした演出であった。
本編のショー以外にメンバー紹介もしっかりと行っていた。

店側、ダンサー、DJ、全てがプロフェッショナル、本物だと感じた。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_13154955_0?1129232562
当時、某有名ダンサーを通してビデオを入手して大切に保管していました。
写真はビデオよりキャプチャーしましたが、流石にテープに劣化があり見辛いですね・・・。
しかし、異常な盛り上がり方は伝わるのではないでしょうか?



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0036_ハウスパーティー

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全てに対して中途半端な自分・・・。
周りには頑張っているフリをしているが、それがフリだけということは自分が一番解っていた。
しかし、この怠惰な生活は続いた。

そんなある日、この頃通いつめていたクラブ「S.I.JOE」のハウスパーティーに行く事になる。
1990年4月24日に行われた「SUPER DANCE SESSION 1990」だ。

まだ業界において、どんなダンスチームがすごいとか、有名とかの知識が、私には無いこの頃、
「ホンモノのダンスに触れるチャンスだ」と、店の従業員で友人でもあるAKA氏から薦められた。
「とにかく、来い!」と・・・。
また、地元の先輩でもあるEIJI氏からも、このイベントに出るんで、観に来ないかとの誘いを受けていた。

今考えると、この頃のダンス業界ではありえない、スペシャルなイベントだった。
普段、別々の週にそれぞれショーを行っているダンスチームが一斉に出演するイベントだ。

当時は今のようなスタイルで何十チームも出演したりするダンスイベントは無かった。
というよりも、そんなにダンスチームが存在していなかった。
また、箱貸しのイベントも学生のサークルでのパーティー位なもので、
現在頻繁に行われているイベント形態も無い時代だった。

ゆえに、このイベントは当時としては大変なモノであった。
GQマシーン、ジャングル、ジプシー、ラッシュのショーが一晩で一気に楽しめるのである。

しかし、彼らのダンスを観た事がない私は「チケットが高いな〜・・・」などとボヤキながら店に向かった。

当時、業界の事情を知らない私は驚いた。
普段の週末の集客の何倍もの人たちが集まっている。店内に入る事も出来ずに店の前に
長い行列が出来ていたのである。

それぞれが人気のプロダンサー集団。そして話題になっているクラブ主催のイベント。
それだけの人が集まるはずである。取材陣の数も半端じゃなかった。

私はこの光景を見た瞬間、何かとんでもない事が起こる様な予感を覚えた。



ハウスパーティー

イベンター、オーガナイザーが主宰するクラブイベントが少なかったこの頃は、
店舗主催のイベントが普通であった。
その店によって、カラーが違う演出や趣向を凝らして当時の客を喜ばせていたのである。
この店舗主催のイベントは、プロモーションには打って付けで、各店舗の売りや魅力を存分に出し、
後の集客に活かしていた。
クリスマスやハロウィン、ゴールデン・ウィークなどのイベント時に、競い合うように行っていた。


AKA

当時、この「ダンサーの登竜門」と言われていた店で、唯一ダンスをやっていた従業員AKAちゃん。(写真右)
良き相談相手というか、アニキ的存在の彼も当時の私にとって大きな存在であった。
業界の入り口を教えてくれた恩人の1人だ。
現在は業界には残っていないが、当時は横浜を拠点に活動をして、何故か渋谷の「JOE」で働いていた。
ダンススタイルは横浜スタイルバリバリのニュー・ジャック・スイングでした。
(因みに写真はS.I.JOE店内の様子。VIPとされていたソファースペース。後ろがDJブースでした。)
・・・・・・やはり当時の写真は恥ずかしいな〜(笑)



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0035_予備校生?

大学受験で負け組みになった私は、「やってないんだから仕方ない」「やれば出来るから、来年は大丈夫」という楽天的な考えを持っていた。
自分の能力をどう考えていたのか・・・笑

受験結果が出て、予備校が始まるまでの数日間もダンス漬けになっていた。
本来は、「翌年の受験に向けてスタートだろ!」と思うが、失敗したばかりにも関わらず、
「予備校が始まってからやれば良いや」的な安易な考えだった。

そして、予備校での授業がスタートする。
因みに代ゼミ原宿校舎だった。
いざ始まって、勉強に取り掛かると、授業の内容がわからない・・・
やはり、考えが甘かった。理想ばかり高く、能力と努力が伴っていない訳だ。

理解の出来ない授業を受け続ける事は当時の私に出来る訳も無く、始まる時間に家を出るのだが、
原宿の街で時間を潰す、どうしようもない人間になっていた。
いわゆるダメ人間・・・笑


この頃の生活といえば、朝、とりあえず家を出て、予備校に向かう、気が向けば授業に参加。
大体は、同じ高校から同じ予備校に入った仲間が校舎の前で私のことを待っていて、
そのまま2人でお茶をしに・・・
なんでもないくだらない時間をダラダラと過ごし、夕方から、居酒屋のバイトへ。
12時頃バイトが終わると、ほぼ毎晩のように1人でクラブへ・・・。
地元渋谷の店ならば、「チョット寄って踊っていこう」が可能だった。
当時は平日なら1000円で入店することが出来た。
1,2時間だけ踊って帰宅。
翌日の朝、又同じように予備校に向かう。
週末になれば、朝までクラブに・・・・・・
こんな毎日を送る中、「DADA」の収録にもクラブで知り合った友人達と一緒に数回、足を運んでいた。

今、書いているだけでも我ながら腹立たしくなる。ダメダメな日々だ・・・。
何をしたいのかまったく分からない。ただ、無駄な時間をむさぼっているだけだ。
いま、社会的にも問題になっているニートはこうやって生まれていくんだろう・・・。

こんな自分を反省してという訳ではないのだが、この後起こる、ある事がきっかけで生活が一変するのである。



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0034_進路

ディスコ・クラブ遊び、そしてダンスに再び火が付きそうな勢いの私であったが、そこは高校3年生。
受験に対しての意識も一応持っていたので、ダンスへの気持ちはムリヤリ歯止めをかけた。

しかし、テレビにダンサー達が登場してきた事によって、これからの時代、ヒップホップのダンスを仕事にする事が可能ではないかとも考え始めていた。
ヒップホップの文化が確立しきっていないこの時代に、第一人者になりさえすれば・・・と考えたのだ。

以前は、ダンサーになるなどとは微塵も考えなかったが、この頃にはブームとなっていたダンス、ヒップホップの日本における可能性も考え、どうにかして将来ダンスと携わる事に気持ちが向いていた。

無理矢理な考えではあるが、大学に入り、語学、文化を学び、卒業と同時にアメリカに渡ってダンスを本格的に習得するというシナリオを自分の中で作った。

いきなり「ダンサーになる」と言って親を説得するのも大変。ヒップホップダンサーとして活動できるようになるにはどうすれば良いのか方法もわからない。

親も納得出来るように、とりあえず進学。・・・・・・本当に甘い考えだが。
英文や国際関係学の道に進む事が当時の望みだった。

しかし、というかやはり、まともに受験に向かい合うには時期が遅すぎる・・・。
野望としての進路はあるが、大学受験の壁は大きかった。

数ヶ月間、クラブ、ディスコ通いもガマンして、後の野望の為に勉強に励んでみたモノの見事に受験失敗!!
まあ、当たり前といえば当たり前だが・・・笑

しかし、前述の人生プランは捨てきれない。ダンスに魅了されていた当時の私にとっては最良のコースだ。

というか、スグにダンスで勝負する度胸もなく、時代的にも世間体を気にしての進学。カッコ悪い考えだ。

とにかくアメリカに渡るための下準備を大学でしなくてはならないと思っていた。

大学進学は世間一般的にも決して恥ずかしい事ではないので、予備校でもう一年勉強し、再度受験にチャレンジする道を選ぶ事になった。

全てがダンスの為であった。(当時、両親にはこの考えは秘密であったが・・・)



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0033_S.I.JOE

イメージ 1

新宿のディスコに通いつめていた私だが、渋谷の店にホームを変えようとしていた。
この頃、渋谷在住だった私は、たった3駅とはいえ、わざわざ電車に乗って新宿まで出向くよりも、徒歩で行ける手軽な場所が欲しかったのだ。

当時渋谷にあった店舗は一通り行ってみた。

その中で、私の趣味にビンゴの店を見付ける。「S.I.JOE」だ!

道玄坂を登りきった所にあり、この頃巷の話題になっていた「HOTEL P&A PLAZA」の地下にあったこの店は、当時としては珍しい、ブラックミュージック専門の箱で、週一回ダンサーのショーが行われていた。
ダンスのショーが定期的に観る事が出来るのも珍しい事だった。

後にダンサーの登竜門と呼ばれる様になるこの店では、現在でも活躍する大御所ダンサー達のショーが毎週観れた。
ダンスイベントなど存在すらしなかったこの時代では、とても貴重な場所だった。

私が初めて訪れたこの頃は、GQマシーン、ジャングル、ジプシー、Bフレッシュ、ラッシュというジャパニーズヒップホップエンタテインメント界のプロ中のプロ達が週代わりでパフォーマンスを行っていた。
只でさえ、ユーロビートはかからない、パラパラもない、こんな素晴らしい状況の中で、更にプロダンサーのショーまで・・・
本当に素晴らしい事だ!



この当時はディスコからクラブへの変遷の時代でもあった。
ディスコとクラブの違いを正確に述べろと言われると考えてしまうが、当時の私は次のように考えていた。

【ディスコ】
1.感覚が古い水商売
2.内装はキラキラ
3.ミーハー
4.選曲なんでもあり
5.客はサラリーマンからコギャルまで多人種

【クラブ】
1.遊び場としては最先端
2.内装は店舗によってこだわりがある
3.マニアック
4.選曲はDJがこだわりを持ち、しっかりとテーマがある
5.遊び慣れた、当時の私から見ればカッコ良い大人たちの溜まり場

上記が正確な判別の仕方とは思わないが、私の中では当然クラブに興味が向く。


このS.I.JOEもクラブとして当時流行した店舗の一つだ。
開店当時は、ディスコ色が強かったらしいのだが、徐々にマニア受けする方向に転向して行き、この当時のスタイルに至っていた。

この店には学校の同級生と行ったのだが、とにかく踊りまくった。
新宿のディスコの3倍は踊ったであろう。
とにかく全てが心地良く、異世界にいるような気持ちになれた。
初めて新宿のディスコに行った時同様、ショッキングな一晩である。

そして、この店もまた後に私の人生を大きく変える要因の一つとなるのである。

GQマシーン/ジャングル/ジプシー/Bフレッシュ/ラッシュ

上記のどのグループも当時、プロダンサーが都内に数組しか存在しなかった時代、第一線で活躍していたヒップホップムーブメントの先駆者達。
GQマシーンは後のメガミックスの前身グループで、SAM(現TRF)、OZ、BEAT、
CHIHARU(現TRF)、HIROKO(石川浩子)、KAORU(原田薫)がメンバーだった。
現在でも、全メンバーが一線で活躍している。
ジャングルはOUJI、EIJI、佐久間、GOTO、KUROMA、百太郎、CHERRYが当時のメンバー。
東京BE BOP CREWが分裂して、GQマシーンとジャングルになったと聞いている。
ジプシーは当時、JUN、YANAGI、SHU、MARK(後のZOO)、JACK、MICHELの6人で活動していた。
ショーの時は黄色い声援が飛び交う、女性ファンが特に多いグループだった。
Bフレッシュはラップグループ。以前紹介した事もあったが、当時のメンバーのままこの頃も活動していた。
ラッシュはTVのレギュラー番組も持つほどの人気グループ。ダンスと笑いを上手く融合させたショースタイルをしていた。
これらそれぞれのグループが、独自の個性を持ち、それぞれのグループを目当てにファン達が、毎週S.I.JOEに詰めかけていた。
(敬称略)



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