History
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大学受験で負け組みになった私は、「やってないんだから仕方ない」「やれば出来るから、来年は大丈夫」という楽天的な考えを持っていた。 自分の能力をどう考えていたのか・・・笑 受験結果が出て、予備校が始まるまでの数日間もダンス漬けになっていた。 本来は、「翌年の受験に向けてスタートだろ!」と思うが、失敗したばかりにも関わらず、 「予備校が始まってからやれば良いや」的な安易な考えだった。 そして、予備校での授業がスタートする。 因みに代ゼミ原宿校舎だった。 いざ始まって、勉強に取り掛かると、授業の内容がわからない・・・ やはり、考えが甘かった。理想ばかり高く、能力と努力が伴っていない訳だ。 理解の出来ない授業を受け続ける事は当時の私に出来る訳も無く、始まる時間に家を出るのだが、 原宿の街で時間を潰す、どうしようもない人間になっていた。 いわゆるダメ人間・・・笑 この頃の生活といえば、朝、とりあえず家を出て、予備校に向かう、気が向けば授業に参加。 大体は、同じ高校から同じ予備校に入った仲間が校舎の前で私のことを待っていて、 そのまま2人でお茶をしに・・・ なんでもないくだらない時間をダラダラと過ごし、夕方から、居酒屋のバイトへ。 12時頃バイトが終わると、ほぼ毎晩のように1人でクラブへ・・・。 地元渋谷の店ならば、「チョット寄って踊っていこう」が可能だった。 当時は平日なら1000円で入店することが出来た。 1,2時間だけ踊って帰宅。 翌日の朝、又同じように予備校に向かう。 週末になれば、朝までクラブに・・・・・・ こんな毎日を送る中、「DADA」の収録にもクラブで知り合った友人達と一緒に数回、足を運んでいた。 今、書いているだけでも我ながら腹立たしくなる。ダメダメな日々だ・・・。 何をしたいのかまったく分からない。ただ、無駄な時間をむさぼっているだけだ。 いま、社会的にも問題になっているニートはこうやって生まれていくんだろう・・・。 こんな自分を反省してという訳ではないのだが、この後起こる、ある事がきっかけで生活が一変するのである。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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ディスコ・クラブ遊び、そしてダンスに再び火が付きそうな勢いの私であったが、そこは高校3年生。 受験に対しての意識も一応持っていたので、ダンスへの気持ちはムリヤリ歯止めをかけた。 しかし、テレビにダンサー達が登場してきた事によって、これからの時代、ヒップホップのダンスを仕事にする事が可能ではないかとも考え始めていた。 ヒップホップの文化が確立しきっていないこの時代に、第一人者になりさえすれば・・・と考えたのだ。 以前は、ダンサーになるなどとは微塵も考えなかったが、この頃にはブームとなっていたダンス、ヒップホップの日本における可能性も考え、どうにかして将来ダンスと携わる事に気持ちが向いていた。 無理矢理な考えではあるが、大学に入り、語学、文化を学び、卒業と同時にアメリカに渡ってダンスを本格的に習得するというシナリオを自分の中で作った。 いきなり「ダンサーになる」と言って親を説得するのも大変。ヒップホップダンサーとして活動できるようになるにはどうすれば良いのか方法もわからない。 親も納得出来るように、とりあえず進学。・・・・・・本当に甘い考えだが。 英文や国際関係学の道に進む事が当時の望みだった。 しかし、というかやはり、まともに受験に向かい合うには時期が遅すぎる・・・。 野望としての進路はあるが、大学受験の壁は大きかった。 数ヶ月間、クラブ、ディスコ通いもガマンして、後の野望の為に勉強に励んでみたモノの見事に受験失敗!! まあ、当たり前といえば当たり前だが・・・笑 しかし、前述の人生プランは捨てきれない。ダンスに魅了されていた当時の私にとっては最良のコースだ。 というか、スグにダンスで勝負する度胸もなく、時代的にも世間体を気にしての進学。カッコ悪い考えだ。 とにかくアメリカに渡るための下準備を大学でしなくてはならないと思っていた。 大学進学は世間一般的にも決して恥ずかしい事ではないので、予備校でもう一年勉強し、再度受験にチャレンジする道を選ぶ事になった。 全てがダンスの為であった。(当時、両親にはこの考えは秘密であったが・・・) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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