DANCE HISTORY OF A MAN

1985年の原宿のストリートから始まる物語。 ある男”GO”のダンス人生です。 最初から読むと、きっとハマリます(笑)

History

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

0032_EIJI

イメージ 1

地元の先輩達との交流があった私は、ある日、3つ上の先輩に6つ上の先輩を紹介された。

その彼は、小学校、中学校共に出身校が私と同じ。更にバスケ部出身で色々と私に被る人だった。
しかも、私が小学校、中学とお世話になったバスケのコーチと同期でチームメイトだったと言う。
私は一気に親近感が沸いた。

数人の私の同学年の仲間と先輩方とくだらない話で盛り上がっている中、ダンスバカとなっていた私は当然のようにダンス話を持ち出す。
原宿で踊っていただの、「DA DA」の収録に行っただの、何処のディスコがどうだの・・・。
ダンスのウンチクまで持ち出す有様・・・(カッコ悪い・・・笑)

ブームになっていたダンスやブラックムーブメントなので、そこにいた殆どが興味を持ち話を聞いたり、質問したりしてきていた。

そんな中、6つ上の先輩が「自分もダンスをやっている」と言ってきた。
私にとっては格好の話し相手だ。
当時にして、約5年間ダンスに関わって来た私は、彼に熱くダンスの思いを語ったものだ。

この時はまだ、知らなかった。知らないと言う事は本当に恐ろしいものだ。

この6つ上の先輩、ダンス業界では知らない者はいないEIJI氏だったのだ。

私の原宿時代は憧れの目で見ていた東京BE BOP CREW、この当時はJUNGLEというグループで、OUJI氏、佐久間氏、KUROMA氏等と一緒に全国各地で活躍していた超一流のダンサーだ。

そんな事をまったく知らない私は、彼にガンガンダンス話をぶつける。
EIJI氏は面倒臭そうに、私の話に付き合ってくれていた。

今となっては本当に笑い話だ。

この時はまだ、そのきっかけはないのだが、後に彼との出会いは私のダンス人生に大きな影響を与える。
そして、私の大きな目標の1人として立ちはだかる事になって行くのであった。


EIJI

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_9395572_0?1124737782
ダンス業界で大御所と呼ばれ、長年国内外で活躍する超一流のダンサー。
本文中でも紹介したように「東京BE BOP CREW」「JUNGLE」など、
シーンを牽引してきたグループの中核を担ってきた業界の最重要人物の一人。
フジテレビ系ダンス番組「DANCE DANCE DANCE」のレギュラーとしても活躍。
近年リットーミュージックから発売されたHOW TO VIDEO「ダンススタイル」等でも有名。
振付やバックダンスを務めたアーティストは郷ひろみ、荻野目洋子、SMAP、KINKI KIDS、観月ありさ、ジェリービーン(浅野ゆう子、田中美佐子)、DA PUNP、DEEN、第3舞台、MICHICO、A.I等。
現在、「THINK」等のユニットでクラブシーンでも活躍している。

かつて、観月ありさのコンサートの演出でバスケのパス回しをし、中学のバスケ部のOB会でも一緒にプレイした、おかしな仲です。(笑)



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

0031_学園祭

イメージ 1

1990年前後、学歴社会が当たり前の頃、バブル期からの流れで大学進学も当たり前の様に考えられていた。
高校3年生の私も、特に理由も無く周りの皆に合わせてか、一応進学を考えていた。

しかし何を思ったのか、受験には特に大切なこの秋、友人達と高校生活の思い出にと学園祭に有志団体で参加する事となった。
しかも、仲間うちで始めるつもりが、我々を慕ってくれる後輩連中まで入って来て総勢50人を超える大所帯となってしまう。中心人物の私達は彼らをまとめるのも大変だった。

当時、私の影響でディスコにはまってしまった仲間達は、すぐに学園祭ではディスコをやるという事でまとまっていた。やはり、只、音楽を流すだけではなく、それなりの出し物もしなくてはいけない。
当然、ダンスショーをやる事になった。

私にとっては中学生の頃のホコテン時代ぶりのショーケースになる。
一緒に踊る事になった仲間は、勿論初めての経験である。
ダンスは私が中心になり、仲間達に教えながら振付を進めた。

ディスコで遊んでいただけで、見せるダンスという事を数年意識していなかった私にとっては、久しぶりの客を意識する舞台だった。

参考になりうるマイケルや「DA DA」のビデオを片っ端から見まくって、イメージを固める。
感触を確かめるかのように作品を形にして行った。

この時の作品はマイケル・ジャクソンの影響がかなり強く、振り付けのベースは「スムース・クリミナル」、衣装は「BAD」、なぜか楽曲はマイケルのモノではなく何を使ったかすら忘れてしまった・・・笑
確か、ヒップホップでもニュージャック・スイングでもない、一発屋で終わったアーティストの楽曲だった気がする。
とにかく、メチャクチャな組み合わせだった。

それでも、初心者の仲間と試行錯誤しながら作り上げたが、勿論、今考えるととても見れたモノではなかった。

しかし、ディスコでチャラチャラ遊んでいただけの私にとって、この期間の毎日の練習と参考にしていたダンスモノのビデオチェックがダンス熱を更に加速させた。
ホコテンでの日々を思い出したという訳ではないのだが、ダンスに改めて真剣に取り組む事によって、更なる魅力を見出してしまったようだ。
この頃の空前のダンスブームも私の背中を押した要因の一つであろう。

とにかくニュージャック・スイングのダンスに対しても、より貪欲になり、勉強なんかそっちのけで踊りまくった。
新しいステップを求めて、六本木や渋谷のディスコにも積極的に足を運んだ。


夏から秋にかけての、この時期、まったくと言って良いほど受験勉強はしていない。
なのに進学する気満々だった不思議な私がいた・・・笑



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

0030_DADA

イメージ 1

ある日の深夜、テレビをボーっと見ているとダンスコンテストの番組を発見した。
何やら良く意味もわからなかったが、当然私はテレビに食付いた。

フロアで踊るボディコン姉ちゃんや当時流行のボビ男、ハマ男達をレギュラーらしきダンサー達が
ピックアップし、最終的にチャンピオンを決める番組。
そう、「DA DA」である。
私が初めて観たダンス番組だった。
放送開始後、2〜3ヶ月程度のこの当時は「DA DA LMD」というタイトルだった。

この番組の存在を知って以来、毎週ビデオに撮って繰り返し観まくった。
私にとってはコンテスト参加者のフロアでの踊り、パーソナリティのRIKACOやホンジャマカの恵のトークは、はっきり言ってどうでも良く、レギュラーダンサー達のラインダンスが毎回の目的だった。

当時私は、番組で踊るダンサーがどんな人なのか良く知らなかったが、これまた前回のレーザージュークに引き続き、良いお手本が観れる事に喜んだ。
しかも、数人いるダンサー達が当時流行のダンスを毎週披露している。
これはもう、自分のバリエーションが増える一方だ!(笑)
とにかくビデオに録画したダンサー達全員の動きを毎週パクリまくった!判らなければ、スロー再生。
何度も何度も繰り返し・・・。
いや〜、本当に便利な時代になったモノだ!そして、ダンスブームに感謝!!

因みにこの頃、「ZOO」というグループは、まだ存在していない。
タイトルにもなっている「LMD(LOVE MUSIC DANCERSの略)」がレギュラーダンサーとして踊りを披露していた。
諸々の事情があったのだろうが、毎回微妙にメンバーが変わるグループ?だった。
主要メンバーにはTACO、KAZU、Mr.T、Crazy-A、SATSUKI等の顔が揃っていた。(敬称略)
後にZOOを構成する他のメンバー達が番組内のコンテストにて選出され、メジャー初のビッグダンスユニットが誕生する事になる。

オンエア中にコンテスト参加者の募集をしている事を知り、私は早速収録に足を運んだ。
麻布のマハラジャが現場だった。
数回番組を見ていたので、最初は目立った者勝ちだと思い、暴れるように踊り狂ったが、あっけなく第一次選考で落っこちた・・・(笑)
はっきり言ってこの時の収録の事はあまり覚えていない。
オンエアで自分を探すのも大変なくらいだ。(笑)
只々、悔しい思いを強く持った気がする。

しかし、この番組は後に私にとんでもない決断をさせるきっかけとなってしまうのだ・・・。



ボビ男(ボビお)・ハマ男(ハマお)

ボビー・ブラウンや、MCハマーの流行により、彼らの髪型やファッションを真似する若者が急増した。
ディスコやクラブでニュージャック・スイングで踊りまくる彼らの事を、この様に呼んでチャカす事が良くあった。


DA DA

1989年〜1992年テレビ朝日系にて放送。
「DA DA LMD」「GROOVIN’SCENE DA DA」「CLUB DA DA」等、番組名が微妙に変わったが、通称「DA DA」で呼ばれていた。
番組名変更に伴ってか、収録現場も、麻布マハラジャ、新橋ジ・アース、川崎キング&クィーン、芝浦O’BARなど、都内ディスコやクラブを中心に変わっていった。
後にダンスレクチャーなどのコーナーも出来、よりダンス色が強くなる。
本文中でも触れたように後にデビューするZOOはこの番組のレギュラーダンサー陣である。



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

0029_新しい流れ

イメージ 1

イメージ 2

全く新しいスタイルのステップ系のダンス、ニュージャック・スイングに出会った私は、とにかく練習をした。
存在を知ってしまった以上、習得できないダンスがある事が当時の自分には許せなかったのである。
以前原宿で踊っていた時のように、ディスコで見たステップや動きを思い出し、イメージを膨らませながら何度もランニングマンを踏んだ。

しかし、時代は進んでいた。便利というか、良い時代になっていた。
この頃、ゲームセンターや、ビリヤード場、ボーリング場等に溜まっていた私達には強い味方があった。
レーザージュークである。
100円入れるとPVがモニターに流れる例のヤツだ!

当時、話題になっていたジャネット・ジャクソンの「RHYTHMNATION」やボビー・ブラウンの
「EVERY LITTLE STEP」のPVを立て続けに何度も流して一つ一つのステップを細かくチェック。
その場で仲間達と踊りまくり。(周りの客は相当迷惑だったろうな〜・・・笑)

とにかく手頃なお手本がいつでも見れる環境で、平日はダンスに興味を持つ仲間達と渋谷で溜まる事が増え、
週末は新宿のディスコで踊り明かした。

この頃には、音楽的にもニュージャック・スイングが流行になりつつあり、新宿のディスコでも以前より黒人音楽が流れる比率が増えていった。
それに伴い、ダンスに力を入れる客も以前より増えた。
ディスコ業界ではニュージャック・スイングが主流の一つとなり始めていたのである。

しかし、オールドスクールをリアルタイムで経験した私には、この新しいダンスよりブレイクダンスへの愛着の方が、この頃はまだ強く、どこかで違和感を感じながら踊っていた。

仲間の中で一番上手く踊れないといけないと言う意味のないプライドがこのダンスと私を結びつけ、練習させていた様な気がする。


RHYTHMNATION

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_8815262_1?1123937411
デビュー当時、マイケルの妹と言うくらいでしか話題にならなかったジャネット・ジャクソンが
一気にスターダムにのし上がった作品。
全編約30分のショートムービー「RHYTHMNATION 1814」には「MISS YOU MUCH」のPVも含まれており、これより数年前のマイケルの「スリラー」同様、一般社会のおいても話題になった。
ダンス業界でも、このPVの影響が強く、全く同じ振付や小道具の使い方をマネするグループも多かった。
ダウンタウンの悲劇を印象的なモノクロで表現したこの作品は、オールドスクール出身のストリートダンサーアンソニー・トーマスの振付と当時のトップダンサー達の洗練された迫力のあるダンスで見所満載。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_8815262_0?1123937411

ちなみに、この「リズムネイション」は音楽的にもPVのダンスもニュージャック・スイングではないのだが、まだまだ情報量が少ないこの時代、我々に対する影響力は大きいモノであった。
(PVでランニングマンは踊ってた・・・)



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

イメージ 1

ディスコにハマって、約一年半が過ぎた。私は当時高校三年生になっていた。
地元である渋谷や六本木のサーファー系ディスコでもチョクチョク遊ぶようになっていたが、この頃はまだ新宿のZEBRAがホームだった。

原宿時代ほどダンスのテクニックに固執せず、パフォーマーとしてではなく、只々ダンスを遊びの一つとして楽しむ日々を送っていた。

正直、この時期はダンサーとして考えたら何の努力もしない、意味のない期間だった。
ダンスに対する貪欲さが全く欠けていた。
しかし、以前にも書いたようにプロダンサーになる気など、全くなかった私にとっては普通の事。
今から考えれば全くの勘違いではあるが、ディスコで踊りが上手いと見られるだけで満足だった。

この頃になると、ZEBRAの常連仲間達の中にも黒人音楽好きな仲間が出来ていた。
少し年上のアパレル販売をしていたお兄さんだった。

ある日、彼が見慣れないステップを踏んでいた。
ダンスの向上心があるとかないという事以前に、自分が知らないモノには興味を持つ。
「何、その踊り?教えて〜」
と、すぐに彼に駆け寄った。

すぐに出来るはずと甘く考えてステップを教えてもらう。
しかし、中々上手く踊れない・・・
今まで自分が培ってきたダンスの基本とは全く別のモノだった。

だがパラパラ等とは違い、明らかに黒人スタイルのダンス。これは習得すべきステップだと本能的に感じた。

この時のステップがランニングマンロジャーラビットである!

足運びや形は何とか理解出来たのだが、音楽に合わせて気持ち良く踊る事が出来ない。

原宿時代の苦悩を思い出した。

正直、当時踊れるつもりになっていた私は突き落とされた気持ちになった。悔しかった・・・。

これが、私とニュージャック・スイングとの出会いであった。



NEW JACK SWING

80年代末から90年代の初めにかけて爆発的に流行した音楽やダンスの呼称。
ハネるような独特のストリングスや、印象的な強いビートの打ちこみ等が特徴。
黒人音楽がファンクやエレクトロから現在言われるヒップホップやR&Bに変遷する鍵となったスタイルである。
ダンス面ではボビー・ブラウンやMCハマーの出現により、LAスタイルのステップ系ダンスが主流となった。
ブレイクダンスが一気に姿を消し、このダンススタイルが黒人文化の代名詞となっていた。
当時、「ニューダンス」「ISD(インターナショナル・ステップ・ダンスの略)」等とも呼ばれていた。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_8532662_0?1123569191




■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

.

ブログバナー

GO
GO
非公開 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事