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店長本宮氏が出してきた提案。それは私の気持ちを一気に揺るがした。 それは、「従業員になれば、このS.I.JOEでイベント時にダンスのショーをやらせてやる」というモノだった。 当時はダンスイベントなども少なく、ましてや我々のような駆け出しのダンサー達が踊りを披露できる場所などなかなか無い状況。 しかも、ダンサーの登竜門と呼ばれ、偉大な先輩達がショーを行うこの店で、自分達のショーが出来る! とんでもない事だった。というか、反則だ!(笑) この店で踊れるという事は、自分達の名前を売るにも、人脈を作るにも、当時の私にとってはとんでもない利点だった。 本来なら飛びつくべき事ではあったが、前述した従業員というものへの偏見がわたしを悩ませた。 従業員になるべきか、従業員にならずとも、この店で踊れる存在になる努力を重ねるべきか・・・ いくら考えても行ったり来たりである。 行き詰った私は、ダンスの大先輩で、この頃にはあらゆる面で絶大な信頼を寄せていたCHIZUKOに相談をしてみる事にした。 S.I.JOEのVIP席で話した事を今でも良く覚えている。 とりあえず私は、事の経緯を説明した。 彼女は最初、少し驚いてはいたが私の話を聞き終わると少し考えて口を開いた。 「GOは何になりたいの・・・?」 この言葉には驚いたというか意表を突かれた。 自分はダンサーとして少しでも早く大成しようとしているという事を再認識させられた。 そして彼女は続けた。 「自分の目標の為にあらゆる物を利用して、それを最大限に活かす覚悟は出来てるんでしょ。 自分の中で嫌な事や辛い事を乗り越えないで理想の自分が出来るなんて事はありえないんだよ。 ダンスの世界でどうにかなろうなんて、生半可な気持ちじゃ出来ない事はGO自信が分かってるじゃん。 こんなに早くJOEでショーが出来るチャンスをみすみす逃すはもったいないし、クラブの店員のイメージが嫌なら、GOが変えてやれば良いんじゃない。 私は悩むポイントが違うと思う。やるかやらないかじゃなくて、どうすれば全てプラスにして行けるかじゃないかな。 あなたはダンサーとして少しでも早く有名になるんだよね? 大きな目標がはっきりと見えているんだったら、目の前の試練は全て利用してやりなよ。 止まってると他の誰かがドンドン前に行っちゃうよ。」 全てが彼女の言ったままだった。 私は、先の目標ばかりで今何をすべきかを模索していた。いや、模索していたのではなく目をそらしていたのである。 心の中で決めた覚悟が、まだまだ甘く、実際の行動に伴っていなかった事に気付かされた。 私は知らず知らずのうちに、自分自身をごまかして楽な道を選ぼうとしていたのだろう・・・ 「私はクラブの従業員だろうが、ホストだろうが関係ないと思うよ。だって、GOはGOじゃん!やりたい事の為に、常に前進した方がGOらしいよ。」 有り難い言葉だった。CHIZUKOには本当に感謝だ。 私の心は固まった。最初から、そうしなければいけなかったのだろう。 彼女と話をした直後、店長本宮氏の元へ行き挨拶をした。 「お世話になります。よろしくお願いします!」 こうして、クラブの従業員GOが誕生。 CHIZUKOの言葉が間違いでは無かった事を、この後何度も感じる事となる・・・。 DJ SHUちなみに写真はJOEで一緒に働いていた仲間だが、私の隣に移っている人物は現在、大御所DJとしてベルファーレやalifeで活躍中のSHUである。ユーロの第一人者となっているようだ。当時は、私と同じように一般従業員として働き、その後にJOEの見習いDJとなった。 後に彼にショーパッケージの音源編集なんかもしてもらっていた。 この頃我々は、それぞれダンサーとDJへの夢をお互いに語りながら下積みをしていた。 いわゆる戦友の1人だ・・・・・・懐かしい(笑) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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History
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「DANCE DANCE DANCE」のオーディションの準備をしているこの時期、S.I.JOEの従業員が一斉解雇になるという事件が起きた。 以前よりこの店のヘルプとしてカウンターで酒を作っていた、本宮氏がディスコ色の強い従業員を一斉に辞めさせ、彼自身が店長になるという改革を社長と計画しており、以前の店長、副店長など、役職が付いていた従業員、それからその後の目指す店舗カラーに合わないバイト連中まで一気にクビにした。 写真の様に営業時間が終わった後まで、従業員達との交流があった私にとっては複雑な思いだった。 ダンサーの登竜門と言われながらも、ヒップホップ色が強い従業員が1,2人しかいなく、ほとんどがディスコのナンパなイメージの従業員ばかりだったという事を打開し、新たに筋金入りの音楽好きや、DJ見習い、クラブ遊びに精通している人材などを集め始めた。 従業員を筆頭に、本当の意味でのヒップホップな店に変えるという計画だったようだ。 この時店長に抜擢されて、社長と同じ意識で改革を進めた人物、本宮氏は元々DJプロダクションMIDのスタッフで、S.I.JOE自体この「MID」のカラーが強い店舗と業界内では言われていた。 本宮氏はDJではなかったのだが、その業界で最前線で物事を見てきた事もあり、今回の改革のキーマンとなった。 この改革以前より私は本宮氏とは親しく、実はこの改革の件も以前より秘密裏に彼から聞かされ、色々と相談を受けていた。 そして、私もこの改革に巻き込まれる事となる。 バイトではあるが従業員にならないかと本宮氏よりオファーを受けたのである。 彼らが目指す店のコンセプトにピッタリ私の存在はハマったようだ。 この頃、ダンサーに対する知識を持つ者が少なく、大御所ダンサーが来店してもいわゆる接待もしない、というか気付かないという状況だった。 店的には、業界に精通するダンサー達を常連化する事により、そのジャンルの顧客も増えるという計算のだったようだ。 その様な事情に詳しく、更にストリート色の強い人材。 ヒップホップやダンスの色をより濃くする為には必要不可欠なポストだったらしい。 しかし、私は即決で断った。 と言うのも、高校時代よりディスコで遊んでいた私は、ディスコ従業員の素行をリアルに見てきていた為に、自分もその様に見られることが許せなかったのだ。 賃金の安さ等の待遇面よりも、ディスコ、クラブの従業員の女性に対してナンパなマイナスイメージが私を留まらした。 正直、当時はダンサー自体も世間からはナンパ寄りなイメージで見られていた。そこにこの誘い・・・。 今考えてみれば、ほぼ毎日のようにこの店に入り浸っていた私にとって、従業員だろうが客だろうが関係ないといえば関係ない・・・ と言うよりも少しでも同じ時間で金を稼いだ方が良いものだ。 しかし、この改革の中軸の一つとして本宮氏はどうしても私を必要としてくれていたらしい。 数日後、彼は私にとんでもない提案をしてきたのである。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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とんでもないというか、素晴らしいニュースが飛び込んできた。 元々噂にはなっていたのだが、特番を2回放送したフジテレビの「DANCE DANCE DANCE」がレギュラー番組になると言う事だ。 「DA DA」に続いてダンス普及番組の登場。ダンスブームが最高潮になっている証だった。 勿論、前回の特番で惨敗した私は飛び付いた。 実は前回、スタジオ予選に行く前にS.I.JOEでの一次予選があり、これをクリアしてスタジオに出向いていた。 そういう関係もあり、JOEには早くからこの情報が入っており、周知のダンスバカな私には従業員が一番に教えてくれた。 早速、新生「JAZZ BOO」の始動だと意気込んだ。 前回の失敗を糧にどのように闘うべきかを考える・・・。またもや、悩む事となる。 今回のオーディションはクラブでの一次予選は無く、スタジオでの予選も無い。 フジテレビのリハーサル室で、予選というかオーディションを行い、レギュラー番組らしく各週においしいキャラクターの出演者を割り振って行くようだ。 この時の私は何がおいしいとか、何をすればテレビ受けが良いとかよりも、とにかくダンサーとして認められる為には・・・と考えた。 とりあえず、曲を決めるところから始めた。 当時、私が絶大な信頼を寄せていたS.I.JOEのDJの1人に相談したところ、デビューしたばかりの黒人男性3人組の楽曲を薦められた。 トニー・トニー・トニーの「FEELS GOOD」だ。 当時のニュージャック・スイングの流れの中の一曲でポップなイメージの楽曲だった。 直ぐにこの曲で行く事に決まった。 ダンスを一分半にまとめる事はこの頃の私には難しい事ではなかった。 と言うよりもこれ以上の間を持たせるスキルが乏しかったという方が正しい言い方だろう(笑) 悩みつつも、振付はニュージャックスイングと下手くそなロッキンでまとめる。 衣装はこの頃「DA DA」にもゲスト出演して話題になっていたR&BアーティストHIROKOのバックダンサー達を参考にした。 現在定着しているルーズなヒップホップファッションのはしりだ。 「ビックサイズのトレーナーがカッコいい!」とメンバーに力説して、探しまくり購入。 後は、少しでも振付を揃える事に努力した。 WATARUに調べてもらい初めて深夜、スタジオを借りて反復練習とビデオチェックを繰り返した。 こうしてオーディションに備えた。 トニー・トニー・トニーTONY TONI TONE'はラファエル・サディーク(lead vocals/bass/guitar/ keyboards他)、ドゥエイン・ウィギンス:(lead vocals/guitar)とティモシー・クリスチャン・ライリー(drums/piano/ organ他)の兄弟・従兄弟の3名からなるリアル・ソウル・グループ。 彼らの楽曲でもっとも特徴的なのは、"今どき"でありながらも、どこかレトロ・ソウルの趣を感じさせるところで、その絶妙なバランス感覚はシーンの中でも抜きん出ており、音楽的センスの高さは細部にわたって垣間見ることができます。 デビュー当時は現在とは全く違う方向性の音楽をやっていた・・・笑 HIROKOこの当時、アメリカで生活していた日本人女性がいわゆるR&Bやヒップホップを一面に出してデビューした。日本のメジャーシーンからの、このジャンルでの先駆者の1人である。 バックダンサーにはLAアンダーグラウンドで活躍する面々を揃えていた。 勿論我々はこのバックダンサー達に飛びつき、最新の振付やグルーブを盗もうと必死になっていた。 後にジャネット・ジャクソンやディスティニー・チャイルドのダンサーとして活躍する、私の友人でもあるロバート・ビンソンもメンバーの1人として踊っていた。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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ダンスチーム「JAZZ BOO」固定メンバー3人で、どうして行くかを考えながらも、 なかなか具体的に進展しない毎日が続いた・・・。 ある日、たまたま1人でS.I.JOEに遊びに行った。 1人で遊びに行っても、ひたすら踊りまくる私にとっては何の問題もない。 勿論この頃には従業員は全員知った顔だし、1人で遊ぶ事には慣れていた。 仲間達とバカをやりながら騒いでいるのも良いのだが、音楽の中に入り込んで踊りまくる時間は特別楽しいものだった。 すると当時の私にとっては、とんでもない人物との出会いを果たす。 ある女性が、これまた1人で店に入ってきた。特に不思議には思わなかったのだが、VIP席に通された。 どこかで見た顔である・・・。 この人物、毎日何度も繰り返して見ていた「CLUB HIP」に出演していた、ダンスグループJUNGLE唯一の女性メンバーCHERRYことCHIZUKOだった! そう、当時の私には憧れの人物の1人との出会いであった。 私は、動揺を隠しつつ改めて従業員に本人確認をし、勇気を持って話しかけた。 何を話したかは全く覚えていない。 しかし、彼女は気さくに対応してくれて、あっという間に打ち解ける事が出来た。 先輩EIJI氏と同じチームで、しかもあの濃いメンバー達の中で女だてらに充分存在感を発揮するこのダンサーには、以前より非常に興味を持っていた。 ダンス業界の一線で活躍していた彼女だが、実はこの時、JUNGLEを脱退したばかりだった。 この時、そんな事情などもあり1人で遊ぶ方が楽だったようだ。 彼女とは、後に姉弟などとまわりに言い回るほど仲良くなり、毎日のように行動を共にするようになる。 彼女との出会いは、当時駆け出しダンサーだった私に様々な影響を与えた。 私の今後の人生の基盤を作った一人との大きな出会いである。 そのお話は今後少しずつ・・・ CHIZUKOこれまでに紹介してきた、JUNGLEのパフォーマンスでは中核を担う存在だったダンサーである。日本のダンス業界において最も有名な女性ダンサーの1人であった。 この当時、本文中でも書いてあるようにJUNGLE脱退直後で、特にチームには属していなかった。 私は後に彼女を通して、多くのダンサー達と知り合い、多くの教訓を教わる事となる。 しかしこの出会いの後、約1年後にダンス業界から引退して結婚。現在はオーストラリア在住。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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WATARU邸に転がり込み、居酒屋のバイトを続けながら、毎日のように「CLUB HIP」のビデオ鑑賞。 その日によって人数が変わるのだが、同居人が男女合わせて5〜6人。ホント不思議な生活だった・・・笑 1DKの部屋には多すぎる人数だが、皆で楽しく過ごしていた。 勿論、住人は皆クラブ好きのダンス好きで、週末は全員揃って渋谷S.I.JOEで遊んでいた。 そんなある日、ダンスチーム「JAZZ BOO」にとって最初の試練が訪れた。 結成1ヶ月程で、初代リーダーの神谷氏と連絡が取れなくなったのだ。 まあ、アマチュアダンスチームでは良くある事だ。 ただの遊びの延長で踊っていた神谷氏にとっては、何の問題でも無い事だったろう。 しかし私にとっては違った。 特に何に出演するとかの、近々の目的があった訳ではないのだが、常に先に行きたいこの頃の私にとっては大問題だった。 練習もしたければ、何かと頼りになるはずの年上のメンバーがいなくなる。しかも、3人でのグループだったので、残されたのは私とササボーだけだ。 パフォーマンスをするチャンスがあっても、当時の私達には2人では難しい事が多すぎた。 前述したように、直ぐに何があると言うわけではなかったが、メンバーを補充する事を考えた。 相棒のササボーとあれやこれや相談し、やはり男性メンバーが最低でも1人は欲しいという結論に至った。 仲間の中で、何人か候補が上がった。 WATARUや、当時WATARU邸で同居していたコージにも相談したが、この時は諸々の事情で断た。 そんな中、WATARUに薦められて相談した人物が数日悩んだ後にメンバーとして正式に加入する事となった。 元々、以前の「DANCE DANCE DANCE」の特番には「COLORS」(だっけな?)というグループで WATARUや同居人のコージ等と一緒にコンテストに参加しており、私がエントリーした 「DA DA」のチャンピオン大会では準グランプリに輝いた経歴を持つ人物。 SIVAである。 WATARUと同じ歳で私の3歳年上だ。 「COLORS」も実質上、活動はしていなく、彼自身も将来ダンサーとしてやって行く等とは考えてなかったようだが、ダンスが好きという気持ちは、私同様強く持っていた。 この彼は、「JAZZ BOO」解散まで私と共に踊り続ける事となる。 これと同時に、私がチームリーダーとなり2人を引っ張って行く事になった。 はっきり言って、当時ただのアマチュアダンスチームのリーダーなんて何でもない事だが、私には色々な使命感が芽生えた。 年上のメンバーの上に立つという事が私にそれを感じさせたのだろう。 ともあれ新メンバーが加入し、再び3人になり安心する事が出来た私は、今後の活動をどうして行けば、ダンス業界で伸し上がる事が出来るのかをより具体的に模索し始める。 SIVA後のダンスチーム「JAZZ BOO」サブリーダー。私がこのグループを続ける中、最も信頼できたメンバーである。 特にニュージャックスイングのグルーブは素晴らしい物を持っていたが、後にオールドスクールの楽しさにはまり、ロッキンやポップでも高いスキルを発揮。 徹底した努力家で、常に私に最も近い立場から刺激を与えてくれた人物である。 安定したダンススキルと、大人の雰囲気のキャラクターとルックスで、当時人気が高かった。 現在はダンサーとしての活動は行っていない。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
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