DANCE HISTORY OF A MAN

1985年の原宿のストリートから始まる物語。 ある男”GO”のダンス人生です。 最初から読むと、きっとハマリます(笑)

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0042_ササボー

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ここで1人の人物を紹介しておきたい。
この頃、普段から良く一緒に遊んでいた仲間だ。
高校時代同級生で、以前記した予備校も同じだった彼、ササ坊である。
彼とは高校3年で初めて同じクラスになり、当時のディスコ遊びなどでも一緒だった仲だ。

私は、3年生で同じクラスになる以前より彼の存在に注目していた。

と言うのも、彼は高校生でありながら、当時国内に数人しかいなかったBMXのプロライダーだったのだ。

その存在は校内でも有名で、中学時代からダンスを始めた私は、彼に対して何か同じニオイを感じていた。

案の定、音楽やダンスの趣味も合い、高校卒業後もしょっちゅうツルんでいた。

時代的もダンスブームで、彼は当時BMX以上(?)にダンスにハマり、少しだけ彼よりもダンスの知識があった私を絶大に信用してくれた。(本当に嬉しい事だ!)
勿論、私の当時のダンス遍歴も全て知ってくれていた。

この頃彼とは流行のダンススタイルを共に研究したり、練習したりする仲であった。
そんな仲間と人生を大きく左右する出来事を乗り越えて行く事になる。



DADAのチャンピオン大会が終わったすぐ後に、フジテレビの深夜枠の特番でダンスコンテストが行われると、
常連となっていた渋谷の例のクラブS.I.JOEの従業員AKAが教えてくれた。

これは次のチャンスが来たと私はスグに動きに出た。


ササボー(佐々木慶治)

BMXキャリア24年
【スポンサー】AIRWALK、KAZZROCK、DRAGON、DAIMON、ACE、丸美輪業社

男気BIKESの代表。 http://www.otokogibikes.com/
BMXブームや氷河期時代を経験し、今までのBMXシーンのベース作りを友と共に行ってきた。



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0041_チャンピオン大会

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決心を固めた私は、とりあえず目の前の課題から片付けなくてはならなかった。
と言うよりも、チャンスの一つがすぐに訪れた。

DADAのチャンピオン大会である。

確か、10週分のチャンピオンを集め、グランドチャンピオンを選出していた。
以前までは、グランドチャンピオンや特別賞を受賞したダンサーはZOOのメンバーになったり、
また違った形で番組レギュラーとなる場合があった。
われわれのクラブ遊び仲間にも一瞬だけではあったが、ZOOの妹分的存在として扱われていた子がいた。
とにかく、「印象に残るダンサーとなって、番組に関われる存在となり以後の活動に少しでも有利にしなくては・・・」と考えた。

しかし、どのようにこのチャンピオン大会を闘うべきかは全くもって分からない。
何かの賞狙いか、それともグランドチャンピオンをひたすら狙うか・・・
具体的なプランが出来ないまま、当日を迎えた。

やはり、以前ウィークリーチャンピオンになった時と同様、細かい記憶がない・・・。
いや、忘れようとしたのかも知れない。

結果は惨敗。

グランドチャンピオンどころか、特別賞すら獲れなかった。

まず、スキルの乏しさを感じた。
そして、作戦不足というか、狙いが中途半端な状態で何を求めて踊ったのか意味不明だった。
もし現在の私が審査側だったら、記憶にも残らない存在であっただろう・・・。

一つ良かった事は、仲間の一人が準グランプリを受賞。
後に私とチームを組んでダンス業界に挑むSIVAだ。

しかし、この頃からグランドチャンピオンになろうが、賞を獲ろうが選出されたダンサー達の
番組への関わりは無くなっていた。
番組的にはもう、充分なタレントが揃っていた訳だ。これ以上の人材は逆に持て余してしまい、
統率する事が困難だったのであろう。

とにかく私はプロダンサーへの道を決意した直後に自分の無力さ、力不足を痛感した。
挫折までは行かないが、この失敗や、この後経験する同じような出来事が私自身を大きく成長させてくれた材料になって行く。

この時の失敗を反省し、何が足りなく、何をしなければいけなかったかという事をより具体的に考えるようになったのだ。




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0040_決断

偶然的な感覚でDADAのチャンピオンになってしまった私。
調子に乗ってはいたが、これを機に人生最大の選択をする事となる

「アメリカに行かなくても、日本で充分出来るはず!DADAでもチャンピオンになったし。」
はっきり言って安易な考えではあるが・・・。

当初の計画では、「アメリカにダンス留学をして、自分スキルを上げて帰国し、日本の中心となりうる存在として活躍する・・・・」であったが、これまで、日々の生活の中であやふやになっていた留学の為の勉強の必要性などに疑問を持った。

進学後、渡米、ダンスを習得後帰国、その頃の年齢などを考えると、これは逆に遠回りになるのではないだろうか。

「アメリカに渡らないと出来ないのではなく、日本に居ても充分出来る。いや、日本国内で活躍し、海外にまで呼ばれるくらいにならなければ、日本のシーンに影響を及ぼす事など出来るはずも無いのではないか。ならば、国内において少しでも早く、自分の地位を上げる為の努力をするべきだ!」
こう考えた。

勿論、地位向上の為にはダンススキルをアップさせる事は最低条件。更にダンスだけやっていてもダメだと考えるようになっていった。

私にとって進学の意味がこの段階で全く無くなった。
予備校に取られる時間ももったいないと考える。そう、認識してしまったのだ。

更に、この時の私は進学して余計な人生の保険を得るより、がけっぷちで逃げ道を塞いだ上でダンスに取り組むべきと考えた。

とにかく、ダンサーとしての最終段階に向かう為にその時の自分自身で考えうる最高の選択をしたつもりだった。
後戻り出来ないように自分を追い込み、少しでも足が止まれば、全てこれからの人生に影響していく環境に自分を置こうと決めた。


そう・・・、決めてしまった。何があろうがダンサーとしてやって行くと。

先日S.I.JOEで観た先輩ダンサー達やDADAのレギュラーであるZOOのメンバー達を将来的には凌駕出来るようなダンサーになり、ヒップホップダンサーと言う物が認知される様な世界を日本に作っていくと・・・。

悩みはしたが、答えが出た時、すべき事がたくさん見え始め、今までの悶々としていた時期と比べ気持ちはスッキリと晴れた。

ここからは、とにかく休む暇はなく夢の為に走り出すしかない。


私がプロダンサーとなろうと本気で決心したのはこの時である。




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0039_DADA優勝

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イベントの翌日から、EIJI氏の言葉により改めて自分は何をしようとしているのかを考える事が出来るようになった。
何に対してもハンパな自分でも、「ダンスが好き」という気持ちは本気だと信じたかった。
だからと言って、何を始めるわけでもなく、只々EIJI氏の言葉に対しての悔しさが増すだけであった。
(ここがダメなところなんだけど・・・)


数日後、5月5日こどもの日、ダンス仲間達と「DADA」の収録に行く日が来た。
出口が見えないまま、悶々としている自分の逃げ道でもあった。

この頃、番組名は「Groovin’ SCENE DADA」と変わっていた。
収録現場も麻布のマハラジャから新橋の「THE EARTH」に移り、番組人気によって集まる人数も数百人に増していた。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_13725926_1?1129573748

我々が集まっての番組参加も数回目で、既に仲間の何人かはチャンピオンに選ばれていた。
自分が選ばれず、仲間達がチャンピオンになって行く様を見て、悔しくもあったが嬉しくもあり、複雑な気持ちが混在していた。

しかし、この日は同じダンスに興味を持つ仲間と居れる事だけで楽しかった。
余計な事を考える事もなく、バカをやっていた。

番組の収録が始まり、数百人が一斉に踊りだす。人数がしぼられて、次のステージへ・・・
いつもならここで、私は落選という形になっているのだが、この時は次のステップへ。
「あれ?」と思いながら、また次へと選ばれ続けた。

夢中になって踊っているうちに、気が付いたら5,6人の最終選考のメンバーに残っていた。
初めて来たチャンス。自分のダンスをTVで披露する機会などありえなかった時代、唯一のチャンスだ!

いつもTVで見ていたラインダンスの中央を踊る。
今考えると笑ってしまうが、当時の私にとっては夢のような事だった。
その時どんなダンスをしたのかは、はっきり覚えていない。先日機会があって十数年ぶりに当時の映像を見た。
とんでもなくカッコ悪いことになっていた。(笑)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/47/53/ankh_go/folder/497938/img_497938_13725926_2?1129573748

とにかく、緊張しながら夢中で踊ったその時間は過ぎた。

一緒にここまで残っていた仲間があと2人いた。通称栗ちゃんとエミコだ。
彼らとドキドキしながらステージ上で発表を待つ。

ついに結果発表!

RIKACOさんが、ステージに登場し、落選した参加者数百人を煽る。
会場のボルテージが一気に上がった瞬間、彼女の口から出た言葉。

「チャンピオンは全員!!」

一瞬理解出来なかったが、最終ステージまで残った全員がこの週のチャンピオンになったらしい。
そう、チャンピオンになってしまった。

当時は、選考に悩んだり、面倒臭い時にはしばしばこの様な事があった。
ともあれ、チャンピオンになった。ステージ上の仲間2人と抱き合って喜び、ステージ下では、
他の仲間達が歓声を上げていた。


つい先日、先輩にイタイ言葉を投げ付けられ、この日無心でダンスを楽しんだ私に、
何かの転機が来た様に思えた。




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0038_一言

考えられないほどの物凄いショーを体験した私は、これまでにない興奮を覚えた。

ダンスの素晴らしさを改めて実感したと共に、こんなに素晴らしいダンサー達が日本に存在するという事を本当に喜んだ。

そして彼らに対して少しの嫉妬も感じた・・・。

ショーを終えたばかりのEIJI氏を発見した私は彼に駆け寄り、話をしようとした。
その瞬間、私と眼が合った彼は私に対し、こう言い放った。

「知らない顔じゃないから言うけどさ、お前もダンスやりたいんならチャラチャラやってないで、もっと真剣にやれよ!」

今さっき憧れの人物になった人に、いきなり説教されたという見方もあるが、そういう人だからこそ、
その一言がとてつもなく大きく私にのしかかった。
ショーの感動を彼にクドクド話して、社交辞令的な挨拶をお互いにするより、この頃の私にとっては
よっぽど有益な言葉が、有無を言わさず飛んで来た訳だ。そして、彼はフロアの人ごみの中に消えていった。

本当に大きな一言だった・・・。

それまでの自分を見透かされた、これ以上ない的確な言葉であった。

彼の言葉を受けた私は複雑な気持ちだった。今となっては本当に有難い事を言ってもらったと思える。
正に当時の自分にとってEIJI氏は恩人以外の何者でもない。

しかし、この時の私には悔しさが先に来た。
ダンスもイケてると思っていたバカな自分がいた。それを否定するショーを目の当たりにし、自分自信がハンパ者だと自分で納得して理解したはずなのに・・・・・
天邪鬼な私が自分自身をとても複雑な気持ちにさせた。

有難いとも思ったが、正直一番強く思った気持ちは
「今に見ていろ!スグに抜いてやる」だった・・・。



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