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アシモモ〜のブログ
日記に近い感じで日常生活を綴っています。

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高千穂を堪能した後は、国道218号線を八代方面に向かいました。

【参考】高千穂シリーズ3部作
その1 : 天岩戸神社  https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/15986464.html
その2 : 高千穂峡  https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/15986542.html
その3 :: あまてらす鉄道  https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/15986628.html



目指すのは美里町。途中、山都町にて腹ごしらえをしました。通潤橋の近くにある熊本ラーメンの老舗に行きました。

おちかラーメン
熊本県上益城郡山都町下市5
イメージ 1イメージ 2知る人ぞ知る熊本ラーメンの老舗。チャーシューがたっぷり、焦がしニンニクの風味がパンチを効かせ、あっさり系のスープとマッチしていました。ラーメンとともに、もう遠くなった昭和の雰囲気を味わうことができます。



〇霊台橋
イメージ 3
道中を急いでいたため、通潤橋は今回は割愛しました。国道218号線で美里町に入り、のどかな田園地帯の風景の中に突如としてステキな石橋が現れました。国指定重要文化財の霊台橋(れいだいきょう)です。江戸時代の石造単一アーチ橋としては日本一の大きさを誇ります。長さ89.86m、幅5.45m、高さ16.32m。
イメージ 4イメージ 5船津峡は、交通の要衝で江戸中期より木橋が架けられていましたが、いずれも流失したため、庄屋の篠原善兵衛が石橋架橋を計画し、総勢72人の石工が各地より集められ、工事は弘化3年(1846年)から弘化4年(1847年)にかけておこなわれました。明治時代以降も、昭和41(1966)年に上流に鉄橋が架かるまで道路橋として使用され、バスやトラックも走っていたそうです。
イメージ 6イメージ 7完成後約170年が経過していますが、この荘厳さには圧倒されます。熊本地震にも耐え、当時の建築技術が優れていたことが証明されたと言えましょう。

美里町は石橋の町としても有名で、町中に大小の石橋が点在しています。役場のウェブサイトでは石橋マップを参照できるので、石橋を訪ねてハイキングをするのも良いかと思います。
イメージ 8



〇御坂遊歩道(日本一の石段)
八代市と美里町の堺に位置する大行寺山には釈迦院があります。その表参道は美里町側にあり、昭和55年(1980年)から8年の時間をかけて、3,333段の日本一の石段を整備しました。当時は美里町ではなくて中央町という行政区画だったようです。
イメージ 9イメージ 10登り始める地点の標高が240mで、大行寺山の標高が957mだと言いますので、710mの標高を3,333mの石段で一気に登ることになります。これは大事業です。当時熊本県知事であった細川護熙氏の「日本一づくり運動」に呼応した事業で、それまでの羽黒山 (山形県)の石段2,446段を抜く3,333段の日本一の石段として整備されました。

イメージ 11イメージ 12(左)すべての始まり、スタート地点です。ここから一段一段、踏みしめて登っていきます。(右)ご丁寧なことに100段ごとに表示されています。こちらは1,000段地点。
イメージ 13イメージ 142,000段地点、3,000段地点と、上がってくるたびに後悔の度合いが強まってきました。通潤橋をゆっくり見物していれば日没時刻との関係で石段は延期になったかもしれないのに…と。3,000段地点の脇にはソ連の石が使われている旨が書かれています。当時はまだソ連だったのですね。ソ連だけでなく、世界各地の石材が使われています。

イメージ 15イメージ 161時間程の時間をかけて頂上に到着。最後の100段程度は3,333に合わせるためでしょうか、段の高さが低くなり、微調整をした形跡が感じられました。無理をして「3」で揃える必要も無かろうに、と思いましたが、細川知事のつまらないこだわりだったのかもしれません。


〇釈迦院
3,333段の石段を登り切ったならば、頂上から徒歩20分程度のところに位置する釈迦院まで足を延ばさないことには、石清水八幡宮を拝まざりければと麓の祠を拝んで帰ってしまった愚かな仁和寺の法師とまさに同じになってしまいます。力を振り絞って山道を進みました。
イメージ 17イメージ 18標高が高いだけに、10月末だというのに紅葉が始まっていました。木々の切れ間からは八代市、宇城市の市街地や不知火あたりの八代海が見えました。
イメージ 19イメージ 20延暦18年(799年)、桓武天皇の勅願により奘善(しょうぜん)大師が草創したと伝わっています。奘善大師は幼名を薬蘭といい、薬蘭の祈祷が桓武天皇の病気平癒に効験があったため、桓武から奘善大師の号を賜ったとのことです。
イメージ 21イメージ 22天正年間(1573年 - 1592年)に、キリシタン大名の小西行長による寺院焼き討ちにあい、寺坊は焼きつくされ、社領も没収され衰退しましたが、加藤清正・忠広親子により再興され、熊本藩主細川氏により修復されました。
イメージ 23イメージ 24信仰すれば、長わずらいすることがないとのことで、「ぽっくり寺」とも呼ばれています。ピンピンコロリを目指したいものです。



参拝後、迫る日没時刻に急かされるように下山しました。石段を登るときも辛かったですが、下りの辛さはそれを上回るかもしれません。「膝が笑う」という状態の中で、一段一段降りる衝撃は太ももやふくらはぎを蝕みました。筋肉痛は2日後がピークで、1週間程度続きました。ジョギングでは使わないところが痛んだので、よいトレーニングになったものと信じています。

【参考】筋肉痛のために10月下旬のジョギングは低調に  https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/15969617.html

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