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アシモモ〜のブログ
日記に近い感じで日常生活を綴っています。

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〇4160面まで進んだ
イメージ 1今年最後の12月26日(水)の更新では、また新たに30面がリリースされました。今週こそは15面の更新であることを期待したのですが、30面進むのがスタンダード化してしまったようです。運営側が考えていることは皆目分かりません。1年かけて1000面進めるような形にすればスッキリするのに、このような不思議な運営をしている理由がわかりません。

今回は、所定の数の障害物を消すようにミッションを課せられているにもかかわらず、その障害物がそもそも出現しないという、イライラさせられる面が多数ありました。その都度、無駄にアイテムを浪費させる作りになっていました。勝手な想像ですが、キャンディクラッシュの運営側の製作者は複数して、そのうちの数人が性悪なのだと思います。多大な犠牲を払って、4160面まで進みました





〇それはないだろぉ 〜突如として新たな追手の登場〜
イメージ 42位のmiwa氏を300面以上も引き離しており、順位レースにおいては安泰な地位を維持したと思った矢先、12月28日の朝に画面を確認したところ、Joan氏という香港のプレイヤーが2位にランクインしていました。Joan氏は4040面まで来ているので、アシモモ〜とは120面しか離れていません。

なぜ、何の兆候もなく、突如として、2位に新規プレイヤーが登場してくるのか、意味がわかりません。細分化された組に分かれているらしいことは既に判明していますが、運営側において、組替えが適当に行われているのかもしれません。

もうTeme 氏の追い上げペースを注視するどころの話ではなくなってしまいました。Joan氏が割り込んできたので、Teme氏は8位に下がってしまいました。

最近、運営側のやることに不信感でいっぱいです。もうこのゲームの限界が来ているということでしょうか。来年は本当にそろそろ卒業のことを考えないといけないのかもしれません。


〇もう二度と見たくない難解な面
さて、今回の30面の中で、特に難しく、もう二度と見たくない面を記念に掲載しておきます。
イメージ 2イメージ 3
(左)4132面は、中央の障害物を破壊するにはカラーボム×2、またはパックキャンディを用いる他に方法がなく、結局はその時の運に頼るしかない点が極めてイライラさせられました。(右)4157面は、最近流行の奇妙な「仕切り」が邪魔をして、本当にイライラさせられました。こんな「仕切り」を設けなければ面を構成できないのなら、アイディアの枯渇を告白しているようなものだと思います。
本年1月11日のブログで、「マニュフェスト2018」と銘打って、今年1年間の10個の目標を掲げました。2018年が終わるにあたり、これらの目標の達成状況について検証することとします。

【参考】マニュフェスト2018   https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/15513564.html

①身体的なケア
過酷な気候変動や勤務環境の変化により、身体的な衰えを日々感じながら、年齢を感じさせない身体作りに努力。重点を置くとした口腔ケアについては、高性能な電動歯ブラシを導入する等の取組みを実施。

②適切な運動
熊本に引っ越してからも、ジョギングを中心とした運動を継続、体重は微減傾向にあり、一定の成果は現れているものと評価。血圧を正常値に戻す点については継続した取組みを要する。

③健康的な食生活
熊本では自炊をし、外食は極力控えるとともに、野菜を多く摂取すべく心掛けた。酒の量を適正値にする仕組みを構築するのが課題か。

④家事の効率化・断捨離の断行
基本的家事(掃除、洗濯、炊事等)については、溜め込まず、マメに、スキマ時間を使いつつ実施できたと評価するも、嫌いなアイロンがけについては溜め込む傾向、熊本の住まいではモノを増やさない方針を維持できた。

⑤自己投資としての読書及び英語学習
読書ノート作成は低調、読書の時間を捻出するための取組み強化が必要。英語学習も低調、TOEIC自己ベスト更新ならず。

⑥株式投資の研究
研究に充てる時間が捻出できなかったため、投資は低調な結果に。

⑦業務知識の向上
転勤を伴う勤務環境の変化があったため、業務知識という点においては幅が広がったものと思料。引き続き、現在の業務分野の知見を深める努力が必要。

⑧新たな趣味の開拓
ポンドツーリストを利用した旅行の回数が増加。マラソン大会に参加。

⑨情報発信への取組み
当ブログの記述内容の質的向上に努めた。動画を含めたコンテンツ作りは今後の課題。

⑩時間の管理
時間の管理がまだ生ぬるい。早朝の時間帯の活用(朝活)、家事のより一層の効率化、マルチタスクの追求、シングルタスクの効率化等をさらに推進する必要。
このマニュフェストは、仕事やプライベートなことまで、すべてをバランスよく包含しており、なかなか良い出来だったと自負しています。1年を振り返ってみると、満足な成果を上げられたもの、まったくの手つかずのもの、中途半端に終わったもの等様々あり、総合点としては50点といったところでしょうか。

⑩で取り上げた「時間の管理」をしっかり実施して、バリバリと課題をこなしていくのが理想ではありますが、もしたくない日もあれば、疲れてしまってダラダラしたい日もあり、理想どおりにはなりません。過度な理想の追求は息切れを起こしますが、自分に甘くすると底なし沼のごとく甘くなるので、そのサジ加減が難しいものです。

来年のマニュフェストは、本年のものをベースとしつつ検討し、1月3日に掲載することとします。
12月2日のブログ「熊本のお酒でほろ酔い気分に追加の記述を加えました。

プレミアム焼酎の抽選の結果はいかに!
イメージ 1こんにちは!「ポンツリ」こと「ポンドツーリスト」社長のポンドです。

今年はNHK大河ドラマ「西郷どん」で大いに盛り上がった九州地方でしたが、その最終回を前にした12月中旬、ポンツリ社のよき理解者でもいらっしゃる「じーおっぺ」さん、歴史好きな御子息様と田原坂を訪問しました。

「じーおっぺ」様、その節は大変お世話になりました。お宅訪問編は、日を改めて掲載したいと存じます。

【参考】「じーおっぺ」様が書かれた田原坂訪問記
 ダラダラとまとまりなくご紹介する当ブログよりも、「じーおっぺ」さんのブログの方がコンパクトかつ的確にまとまっているので、そちらをご覧になることをお勧めします。 → http://sekarashika.blog.jp/archives/54592559.html



〇田原坂をゆく
田原坂は、熊本城籠城軍を救援するために南下した官軍と、これを阻止しようとする薩軍が死闘を演じたところです。明治10年(1877年)3月4日から17昼夜にわたり白兵戦が繰り広げられ、死傷者4千人余を出しました。

当時、唯一この道だけが大砲を曳いて通れる幅3〜4mの道幅があったので、官軍はこの道を通らざるを得ず、平凡な坂道が戦略上の重要地点となり、激戦の地となったのです。

田原坂の訪問は、麓の豊岡眼鏡橋から始まります。石造りの良い橋です。眼鏡橋と田原坂の標高差はわずか80mで、一の坂、二の坂、三の坂と通り、頂上まで1.5㎞の曲がりくねった道が続いています。(左)が眼鏡橋です。
イメージ 2イメージ 3(右)一の坂付近から麓の方を眺めると、のどかな田園地帯が広がっています。こんな平和な風景の場所で、何千人もの死者が出た激戦が繰り広げられたのです。


一の坂を登っていきます。鉄板をくり抜いた看板が一の坂であることを告げています。
イメージ 4イメージ 5日中なお薄暗く、両翼の竹林は坂道に覆いかかるかのごとし。坂は切通しのようなくり抜いた凹型の道で、実際に現地に行けば、待ち受ける薩軍側にとって攻めやすい地形であったことがよく理解できます。今なお、両側から薩軍が襲ってくるのではないかと感じさせる気迫があります。


三の坂付近にある(左)「西南之役戦没者慰霊碑」、(右)「伍長谷村計介戦死之地」の石碑。
イメージ 6イメージ 7谷村計介は、明治7年に陸軍伍長となり、明治10年の西南戦争に従軍しました。熊本城内で守城軍として活躍し、密使として官軍本営との連絡に当たり、捕われつつも隙を見て逃亡し、その任務を完遂しました。その後、戦闘に参加して、3月4日に田原坂にて戦死なさいました(享年25)。


(左)試みに、坂の脇の高台の茂みに潜んで官軍を待ち受ける気分を味わってみました。このような具合で茂みに隠れていれば、なかなか見つからないし、襲撃するのも容易でしょう。
イメージ 8イメージ 9周囲に目を転ずれば、ミカン畑や農地が広がり、本当にのどかな風景であります。激戦だった故、今もなお、畑を耕せば当時の弾薬が出土すると言います。


〇田原坂の頂上
田原坂の頂上付近には田原坂公園が整備されており、大木がお迎えしてくださいます。この木は、西南戦争の当時からこの場所に生えていたことでしょう。
イメージ 10イメージ 11
雨は降る降る  じんばは濡れる  越すに越されぬ  田原坂

右手(めて)に血刀  左手(ゆんで)に手綱  馬上ゆたかな  美少年

と歌われた民謡「田原坂」が彫られた馬上の美少年像です。(右)


イメージ 12
田原坂崇烈碑(たばるざかすうれつひ)は、田原坂の激戦と勝利の意義が官軍の立場から述べられています。概要は以下のとおりです。
〇明治10年2月、西郷隆盛は反乱を起こし、熊本城を囲んだ
〇天皇陛下は大変お怒りになり、軍隊に討伐させた
〇熾仁親王が征討総督で、陸軍中将山形有朋、海軍中将川村純義が参軍
〇2月27日、官軍は高瀬を占領、3月4日には木葉も占領、薩軍は退却し、田原坂に陣を構築
〇薩軍は皆精鋭の兵で、堅固な陣地を築き、狼や虎が吠えて襲うように出撃、官軍は苦戦
〇激戦は昼夜を問わず17日に及び、死傷者4千余人、数百の激戦があった
〇仮に、この坂を抜くことができず、薩摩が北方に進出したならば、直ちに政府に不満を持った者たちが立ち上がり、禍は計り知れなかっただろう
〇嗚呼、死者の功績は大きく、そのままにしておけない痛ましいことである。そこで碑を田原坂の頂上に建て、このことを記し、忠烈な戦いを顕彰する


〇田原坂西南戦争資料館
田原坂の頂上には田原坂西南戦争資料館があります(http://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=16402)。平成27年11月、「近代日本の夜明けを学び伝える歴史学習施設」を基本コンセプトに新装オープンを果たしました。
イメージ 13イメージ 14映像・音・振動・ジオラマで戦いの様子をリアルに再現した体感展示や、実際に使われた銃や弾、古文書等の貴重な資料の展示など、西南戦争に至る時代背景や意義について分かりやすく展示しています。資料館の入口の向かいには、弾痕の家と呼ばれる、当時の激戦の様子がしのばれる建物が移築されています。内部も観ることができ、赤十字関係のものが展示されています。


館内では、ありがたいことに館長様が熱心に案内していただきました。「じーおっぺ」さんの根回しと交渉の賜物であります。ポンドツーリストと言えども、ここまでの手配はできません。館長様の説明は、博識に裏打ちされた大変詳細なものでしたが、シロウトでも十分に理解できるように、平易な言葉で丁寧に説明してくださいました。おかげで、西南戦争に至る道のりや、当時の時代背景まで、「歴史の流れ」を理解することができました。高校生の時、このような日本史の授業を受けていれば、もっと歴史が好きになったろうにと、アシモモ〜は思ったそうです。
イメージ 15イメージ 16展示物のクオリティが高く、田原坂周辺から出土した弾薬や、本物の西郷札も展示されています。西郷札というのは、資金不足に陥った薩軍が発行した戦時証券です。実際には布でできています。無理やりに流通させたものであったと言います。薩軍の敗北とともに単なる布切れとなり、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を引き受けた商家は没落するところもあったといいます。なお、西郷札は明治政府が没収してしまったため、あまり現存していないそうですから、ここで本物を見られることは非常に意義深いものです。


当時用いられていた銃もきれいな状態で展示されています。火器が使われましたが、田原坂では日本刀を用いた斬り会いが行われ、薩軍が圧倒的に強かったと言います。ただ、近代的な火砲や小火器にはかなわなかったということです。
イメージ 17イメージ 18熊本城からも銃砲弾が出土しています。熊本城で籠城戦が行われていた当時、食糧難から、敷地内にいる犬、猫に至るまで食べていたと言います。西南戦争当時にも周辺地域には猫はいたでしょう。どんな様子だったのだろうか、犬猫も戦乱に巻き込まれ逃げまどっていたのだろうかと、思いを馳せました。


さあ、記念撮影タイムです。周囲からの冷たい視線に耐えながら、「政府軍くまモン」と「薩摩軍くまモン」に挟まれてポーズを決めました。
イメージ 19イメージ 20西南戦争当時に使われた「四斤山砲(よんきんさんぽう)」です。フランスから輸入し、両軍が使用しました。射程は1,000m〜1,500mで、砲弾の重さは4㎏(=四斤)。砲身は、アタシがちょうど収まる太さでした。
イメージ 21
資料館のテラスからの眺望です。右手遠くに薄っすら見えるのが雲仙岳。その少し左手の台地は二俣瓜生田官軍砲台跡です。官軍はここから田原坂方面に砲撃を加えたのでした。左側の山並みは、吉地峠をはじめとする戦跡です。こちらは訪問する時間がなかったので、日を改めてツアーを組みたいところです。


〇正念寺(国史跡)@玉東町
さて、資料館から田原坂を下り、玉東町に至りました。この地点も西南戦争の激戦地であります。
イメージ 22
玉東町役場の近くにある正念寺は、負傷した兵士を治療した政府軍の病院跡があります。寺自体は、地域に密着した普通のお寺のように見えましたが、西南戦争当時においては、日本赤十字社の前身である「博愛社」が活動した地でした。
イメージ 23イメージ 24山門には当時の弾痕が確認できます。穴の周囲が衝撃で削れていますから、撮影した側から弾薬が当たったものと思われます。


〇田原坂グルメ編 〜極上のお蕎麦〜
田原坂と資料館を十二分に見学したので、お昼の時間を大幅に遅延してランチタイムとなりました。JR鹿児島本線木葉駅付近では、2両編成の可愛らしい車両を目撃しました。
イメージ 25イメージ 26駅近くにある蕎麦屋「そば是 上々吉」に入りました。あまり目立たない外観ですが、蕎麦のクオリティは最上級です。


せいろ蕎麦(十割)の並盛(1,000円)です。良質の蕎麦の実を石臼で挽き、手打ちした最高の生粉打ち蕎麦です。辛味大根とともにいただきます。
イメージ 27イメージ 28
蕎麦を食べる指南書が置かれていました。概要は以下のとおり。これに従って食べてみました。蕎麦の味がよく味わえて、良い勉強になりました。最後には、そば湯をいただいて、ツユまで味わい尽くしました。
①何もつけずに蕎麦だけ味わう
②ツユを少しだけ猪口に移し、蕎麦の4分の1程ツユをつけて味わう
③薬味は小分けに入れる
④ツユは半分以上付けない
⑤蕎麦や薬味を猪口の中でこねくり回さない
⑥他店の蕎麦の味と比べない(店によって味か香りか、優先順位が違うため)
なんと、ミシュランにも掲載されているんです!目立たない外観からは想像もつかないモダンな造りの店内でした。熊本地震で被害を受けたお宅から木材を譲り受け、倉庫だった空間を居心地の良い空間に改築したそうです。



【平成31年1月11日追記】
平成30年末の休日、熊本城近傍の「城採苑」バスターミナルにて、田原坂方面の観光に便利なバス「田原坂せごどん号」を目撃しました。あいにくの天気で乗客数は低調だったようですが、このバスに乗って田原坂に観光客が押し掛けることを祈ります。
イメージ 29
車体には、田原坂の美少年イメージキャラクターで、薩軍少年兵の「山口雄吾」が塗装されています。
九州道を使って、熊本から長崎方面に出かける機会がありました。

途中、いくつかのサービスエリアでトイレ休憩を取りました。佐賀県に所在するSAには、このような円形のモニュメントが設けられているようです。(左)は広川SA(下り線)の片隅に設置されているモニュメント。櫓みたいなものは吉野ケ里遺跡をモチーフにしたもので、ハゼみたいな生物はムツゴロウです。
イメージ 1イメージ 2(右)長崎道に入って、金立SA(下り線)のモニュメントは、佐賀県で開催される「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」の光景が表現されています。「金立」と書いて「きんりゅう」と読みます。


イメージ 3さて、金立SA(下り線)にはバンテルンというパン屋さんが入っており、ここのメロンパンが名物とされています。まるで、東名高速道路の海老名SAのメロンパンのごとし。


メロンパンというものは、あまり好きな食べ物ではありません。メロンパンの良し悪しを区別するものは何なのか、まったく見当もつきませんし、どれも表面にしか味のない、パサパサした食べ物という認識です。しかし、名物だと言って皆が買い求めていたので、アシモモ〜もつられて買ってみました。

どこのメロンパンも一緒ではないかという疑惑を抱きつつ、それなりに美味しくいただきました。表面の味の付いているカリカリしたところだけ売ってくれたら、それで十分だと思うのですが。

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