|
1月27日の天草マラソンに出場した後、美しい海辺の風景を眺めながら帰路につきました。夕暮れ時の有明海と、ノリ養殖のいかだ、遠くにかすむ雲仙の山並み。嗚呼、こんなに美しい風景はないでしょう。
〇三角西港の石積埠頭【参考】
三角線に乗った https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/16022520.html 三角駅周辺を散策 https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/16022545.html 三角西港は、明治20年(1887年)に開港されました。明治以降の近代港湾の歴史上、重要な位置を占める港湾です。国費を投じて築港された港としては、宮城県の野蒜港、福井県の三国港と並び、当時の国家的事業として建設されました。ここ、三角西港は当時の施設が現在も残っている唯一の港です。 簡単に三角西港の歴史を振り返ると…
三角駅近くの物産館で買った「ムルドル通り」という銘菓は、オランダ人のムルドルさんから取った名前なのですね!
ムルドルは、延長756mの石積埠頭の建設だけではなく、港全体を一つの町と見立てて、港湾都市づくりを行いました。石積みの水路はその名残です。
ハーフマラソンを走った後でしたので、階段を下りる際には足の踏ん張りが効かず、あわや水中に落下するところでした。 〇西洋風の建築物港の傍らには、西洋風のモダンで美しい建築物が建っています。
(左)は龍驤館(りゅうじょうかん)です。大正7年(1918年)、明治天皇即位50周年記念事業として、当時の宇土郡教育会が頌徳記念館として建てたものです。 【参考】頌徳(しょうとく):偉人や先覚者などの徳をほめたたえること ここで休憩を取った小泉八雲は、美しい女将に心を奪われます。女将は山下芳といい、当時は30歳前後だったといいます。旅館が「浦島屋」ということを知り、八雲自身を浦島太郎、女将を乙姫になぞらえて、短編小説「夏の日の夢」の着想を得ました。
浦島屋は、貴賓客をもてなすための洋風建築となっています。明治38年(1905年)には解体されて中国の大連に運ばれてしまいましたが、平成5年(1995年)に復元されました。現在は、資料館として公開されています。2階からは、美しい入り江の風景を眺めることができます。 〇旧高田回漕店旧高田回漕店は、4隻の汽船を保有し、荷物や乗客を扱っていた回船問屋です。本店は熊本でしたが、三角西港の開港と同時にこちらに進出しました。
|
過去の投稿日別表示
-
詳細
2019年02月14日
全1ページ
[1]
コメント(2)
全1ページ
[1]




