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南の島に行ってきました。日本の最西端の島、与那国島です! 今回のゲストはシロクマちゃん。ハイビスカスのお花とともに記念撮影。お察しのとおり、頭の中もお花が咲いています。 〇最西端の地へ与那国島は沖縄本島から南西へ509㎞、周囲約28㎞、面積約29平方㎞の、日本最西端の島です。その島の西端は西崎(いりざき)といい、まさに日本の最西端ということになります。こちらが「日本国最西端之地」碑です。北緯24度27分00秒、東経122度56分04秒です。離島等を含めた場合に、自由に訪問できる日本の端は最西端のこちらだけですから、ありがたさが一層際立つものです。ちなみに、最北端は択捉島、最東端は南鳥島、最南端は沖ノ鳥島にそれぞれ存在しています。いずれも簡単には訪問することができない場所にあります。
与那国島と台湾とはわずか111㎞の距離にあります。(左)この方角に台湾が大きく見えると言います。晴れていてもなかなか見えず、見えたときには大嵐となることが多いらしいです。 〇久部良バリ久部良集落の北方の海岸にある、全長約20m、幅3〜5m、深さ7〜8mの割れ目です。バリとは割れ目のことを言います。かつて、人頭税に苦しんだ島では、人口を制限するために村の妊婦を集めて、このバリを跳ばせたという伝説が残っています。〇比川地区のDr.コトー診療所島の南側の比川地区には、与那国島で撮影されたテレビドラマ「Dr.コトー診療所」のセットが残されています。モデルになった本当の医師は鹿児島県の下甑島にいらっしゃいましたが、ドラマの撮影は与那国島で行われたのでした。
〇泡盛工場の見学(国泉泡盛)島の中央部に位置する国泉泡盛合名会社の工場見学をさせていただきました。「どなん」で有名な泡盛の会社です。泡盛はタイ米で作られます。(左)蒸しあがったタイ米が上部から投下され、麹と混合するための装置です。
(左)アルコール発酵が進んだならば、こちらの装置を使って蒸留を進めていきます。蒸留の初期段階はアルコール度数の高いものが抽出されるので、花酒用として右手のタンクに蓄えられます。その後、アルコール度数が落ちてくると、通常の泡盛用として左手のタンクに蓄えられます。
工場見学の後には、泡盛の試飲もさせていただきました。60℃の花酒もいただきました。花酒は泡盛とまったく同じ原料を用いて同じ製法で作られますが、アルコール度数が45度を超えと税法上は泡盛の名乗れないのだそうです。
〇アヤミハビル館羽を広げると20㎝前後もある大型の蛾です。最近は生息数が減ってきており、絶滅危惧に至る一歩手前のようです。館内にはサナギが飼育されていて、羽化する日を待っていました。サナギ状態でもピクピク動くので生きていることが確認できました。
また、アヤミハビル館ではアヤミハビルの生態などを詳しく知ることができるだけでなく、与那国島の独特な生物について、総合的に展示や説明が行われています。その生物の一つがヨナグニシュウダという蛇です。シュウダとは「臭蛇」と書き、危険を感じると噴気音や体を膨らませて威嚇するほか、総排泄孔から悪臭のする分泌物を出すことが由来です。アヤミハビル館ではヨナグニシュウダが飼育されており、観察してみたところ、大変サービス旺盛な蛇
→ https://www.youtube.com/watch?v=tv6kptENVlY
※ハ虫類が苦手な方はお止めになった方がいいと思います
〇奇岩を愛でる島の南東部には2つの奇岩を見ることができます。(左)立神岩(たちがみいわ)は層状の模様が美しい岩です。海鳥の卵を取るために岩に登って下りられなくなった若者が、神に祈りを捧げて眠りについたところ、眼が覚めると無事に戻れていたという伝説があると言います。
〇島の東端の東崎(あがりざき)与那国島の東端は東崎(あがりざき)です。こちらにも青い空、青い海、緑の大地との対比が眩しい白亜の灯台が設置されていました。ここからは西表島が見えるといいますが、この日は見えませんでした。
〇島の各所で馬と戯れる東崎の周辺は東牧場として馬が放牧されています。岬付近の断崖にも、草原地帯にも、馬が草を食んでいる様子が見られました。
島内をドライブしていると路上で馬と出くわすことがありますから、スピードの出し過ぎは禁物です。こちらは南牧場付近で、南牧場の馬は在来種との混血だそうです。のんびりな馬なので、クラクションを鳴らしてもどいてくれません。 〇ダティクチディで過去に思いを馳せる正保元年(1644年)尚賢王は琉球の島々に対して海上監視や出入りする船の通報を行うために遠見番所の設置を命じました。番所であるダティクチディに3人の番人を置き、船が現れると1人が早馬で村に駆け「ンネーンネー」と連呼して船の出現を知らせたそうです。番小屋造り作業をグティククイと呼び、毎年旧暦8月に作り替えていました。現在は、小屋造りは行いませんが、この時期に祭事が行われているということです。
〇ティンダバナ麓から見上げると、むき出しの岩が大迫力で迫っています。その高さは打ち捨てられた軽トラと対比させるとよく分かると思います。 祖納地区は、町役場が置かれている島で一番の集落です。飲食店なども点在していますので、アシモモ〜も祖納地区の飲食店にお世話になりました。与那国島で出会った珍味は後日ご報告したいと存じます。
ティンダバナは高台ゆえに、眼下には祖納港や祖納地区の家並みが一望にできる、天然の展望台と言えます。アタシらも、遊歩道の柵につかまって、時を忘れて国境の島の集落を眺めました。
遊歩道沿いの壁面には、八重山出身の詩人・伊波南哲の「讃・與那國島」と題する詩が刻まれています。
紀元2603年というのは1943年のことですから、太平洋戦争の最中に作られたことになります。碑の一番末尾に注目していただきたいのですが、何やら削り取られている様子が確認できます。ここには当時の町長のお名前が記されていたと言います。「沈まざる25万トンの航空母艦」という表現に象徴されるように、戦意高揚の詩でありますので、終戦直後の時期に、自身に害が及ぶのではないかと考えた当時の町長が削り取ったということです。
イヌガンと呼ばれる岩屋がありました。こちらには以下のような伝説があります。温暖な気候なので、こんな岩陰でも暮らしていけるかもしれないと思いました。
以上、駆け足で与那国島を1周しました。数回に分割しても良い分量ですが、分断すると与那国島の雰囲気が伝わらないので、一気に書き上げることにしました。 次回は、空の旅の様子と沖縄グルメを特集します。
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