熊本市電の熊本商業高校前電停と八丁馬場電停の間には健軍神社の鳥居があります。ここから健軍神社まで、1230mもの長さの参道が伸びています。
参道の両脇は商店や住宅が立ち並んでいますが、杉並木や灯篭が参道であることを物語っています。参道の途中では国道57号線が交差します。その交差点には馬に乗った加藤清正像が飾られています。肥後銀行の看板が写り込んでしまいました。
参道を最後まで歩けば健軍神社の楼門にたどり着きます。歴史の深さを感じさせる大変立派な楼門です。
健軍神社の概要は以下のとおり。
〇熊本市内で最古の神社
〇社伝によれば、558年に阿蘇神社の大宮司が創設。異賊征伐のために「健軍」と称した
〇阿蘇四社のひとつとして阿蘇神社別宮とされた
〇はじめは「たけみや」と読んでいたが、昭和以降「けんぐん」と音読されるようになり、地域名が託麻郡健軍村から熊本市健軍町となった。
〇明治10年2月22日、西南戦争でにおいて薩軍を救援するため結成された熊本隊が挙兵した場所。
西南戦争当時の健軍神社に関する報道もありました。
健軍神社の木に銃弾3発発見 西南戦争で両軍使用か
(2018年9月19日付 熊本日日新聞)
1877年(明治10)年の西南戦争に使われたとみられる銃弾3発が、熊本市東区の健軍神社にあった木の中から見つかった。同戦争を巡っては、一帯で「健軍・保田窪の戦い」が起きており、市文化振興課は「健軍方面で激戦があったことを裏付ける新たな史料としている。
3発のうち1発は今年5月、過去の台風で倒れた境内のヒノキを業者が製材中に発見。残る2発も、同じ業者が落雷や虫食いによって痛んだ参道のスギを伐採し、状態が良かったものを希望者に切り分けようとして見つけた。
見つかった銃弾は同課植木分室に持ち込まれ、同課の美濃口雅朗・文化財保護主幹兼主査(57)と熊本博物館の中原幹彦学芸員(61)が確認。打ち込まれていた位置の外側に刻まれた年輪から、西南戦争当時の銃弾であると推定した。
種類については両面がのこぎりの歯のような形状であることなどから、政府軍と薩摩郡が主力武器として使っていた単発後装式スナイドル銃の弾とみている。
スギの銃弾は根元から約2〜3メートルの高さに東側から1発、西側から1発撃ち込まれており、美濃口主幹兼主査は「両軍が撃ち合った可能性が高い」と指摘。「西南戦争中に起きた大きな市街戦の史料を市として把握できたのは初めて」としている。
同課によると、西南戦争の史料として健軍方面でこれまでに見つかっていたのは、健軍神社周辺の塹壕跡だけだった。(以下略)
七五三のころの健軍神社の様子です。交通安全にもご利益があると言われているので、祈願に来たと思われる車も写っています。
年明けに熊本に戻ってから参拝しました。今年一年の平和と、皆の幸せを祈念しました。
今年から朱印帳を新しくしました。3代目となる新しい朱印帳は不二家のペコちゃんをあしらった斬新なもの!これを手に入れたくて、機会があれば銀座の不二家の店舗をのぞいていたのですが、昨秋についに手に入れたのです。
記念すべき1回目の御朱印が健軍神社となりました。「熊本市最古社」と書いていただきました。社務所に朱印帳を出すのが少し恥ずかしかったです。
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