〇4460面まで進んだ〇順位争いの行方 |
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猫ズは元気に過ごしています。モモヅマ〜が送ってきた写真を中心に、猫ズの様子を掲載します。
〇表情豊かな猫?離れて暮らしているのでモモヅマ〜が撮影した画像が猫の様子を知る手掛かりとなります。送られてくる画像は超アップのものもあり、猫ズの表情を知ることができます。この画像は興味津々なときの顔のようです。
ゴマちゃんは相変わらず目つきが悪いですが、元々そのような顔なので、何らかの不満があるというわけではないと思われます。ゴマちゃんのような白黒柄の顔の猫をよく見かけます。たいていの場合は鼻がピンク色なのに対し、ゴマちゃんは鼻まで黒いのが特徴だと思われます。
リンゴちゃんも目つきが悪く写っていますが、布団の中で眠いところだったものと思われます。
〇箱入り息子?〇春眠暁を覚えず?うちの猫ズはちょっと寝ている時間が長すぎるのでしょうか。夜は人間と一緒に寝るし、日中もよく寝ています。春がやってきて、人間はいくら寝ても寝足りないところですが、猫ズにとっては四季は関係なく、一年中、常に眠いようです。
〇猫ズの体重測定さて、気になる体重測定の結果は以下のとおりです。 リンゴ 4.7㎏(前月比±0㎏) 最近なかなか減りません。運動不足か。 ゴマ 5.8㎏(前月比±0㎏) 5㎏台を維持。増えてないから良しとしましょう。 |
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平成31年(2019年)3月3日(日)、鹿児島マラソン2019に出場しました。もちろん、フルマラソンです。
〇多くの仲間と参戦職場の有志3人とともに鹿児島に向かいました。受付を行う必要があったので、前日の3月2日(土)に鹿児島入りし、鹿児島の有名観光地や美味しいものを堪能して過ごしました。その様子については、後日ブログに掲載したいと思います。
夜になったら、当ブログ常連様の「じーおっぺ」様も合流し、皆で居酒屋にて前夜祭を挙行しました。お正月に負傷された「じーおっぺ」様にとって、今回の大会が本格的な復帰戦でしたので(熊本城マラソンでも完走なさっていますが)控えめに、アシモモ〜職場軍団は刹那主義的行動に出て、芋焼酎のボトル1本を空けてしまうという愚行に出ました。
3月2日(土)は午後からあいにくの雨模様となってしまったので、翌日の天気を憂いながら受付を済ませ、大会のゲストによるトークショーを観覧しました。ゲストは、女子バレーの迫田さおり氏(右)、1988年ソウル五輪の日本代表・荒木久美氏(中央)でした。
〇スタート前のウキウキ感スタート地点では、数々のゆるキャラが出迎えてくださいました。熊本みたいに「くまモン」の独り勝ちではなく、群雄割拠といったところでしょうか。
寒い中を延々と待たされるのかと危惧しましたが、冷え込みはひどくなく、開会式も割と簡素に行われたので、身体が冷え切ってしまうということはありませんでした。
被り物効果はてきめんで、道中では
・かわいい!
・あ、リラックマだ!
・クマさん!
・くまモン! (←ちがう)
等々、キャーキャー言われて走りました。富士山の被り物を被ったKG氏は「いよっ!日本一!」、スティッチを被ったOTN氏は「かわいい!」等、上々の反応だったようです。
〇鉄分の多い道中スタート後は南の方へ向かい、だんだんと方角を北向きに変えて鹿児島の中心街を駆け抜けます。途中からは鹿児島市電と並走して走りますので、行き来する市電を間近に見ることができました。
熊本の「鶴屋デパート」のような位置づけと理解すればよろしいでしょうか、鹿児島の山形屋の前には鹿児島マラソンを祝う装飾車両が出ていました。もうこれだけで涙が出そうになりました。
10㎞ポイントを通過すると、日豊本線の線路を越える陸橋となります。陸橋の頂に到達したとき、ちょうど貨物列車が通りかかり、先頭の機関車は「ポ、ポ、ポ、ポ」と短く汽笛を鳴らして通過していきました。おそらく、「が・ん・ば・れ」という趣旨ではないだろうかと思います。「ア・イ・シ・テ・ル」のサイン式応援であります。
運転手の粋な計らいでしょうか、ローカル線ゆえのおおらかさなのでしょうか、駅でもないところに電車を停車させ、応援してくださいました。こんなばっちりのタイミングで臨時列車の応援を受け、絶妙な位置で撮影ができるなんて、もう興奮度はマックス状態であり、この写真が撮れただけで参加した甲斐があったと思いました。
「鹿児島マラソン2019 日帰り応援列車」の概要 〇苦しく辛い道中熊本城マラソンから2週間しか経ってない中での再度のフルマラソンということで、十全な準備をして臨んだつもりではありますが、やはり隠れた疲労というものがあったのでしょうか、25㎞を過ぎたあたりから足の疲労感が著しくなってきました。30㎞を過ぎてからは、1㎞毎に立ち止まって屈伸をして態勢を立て直し、次の1㎞を走るという綱渡り状態でした。制限時間内には収まりそうでしたので、何度も「もう歩いてしまおう」と思いましたが、そこは根性で最後まで走り通しました。
〇結果や感想今回のフルマラソンはあまりにも辛かったですし、やはりフルマラソンは身体に悪いと思うので、もうフルマラソンは引退かなあと思いました。ハーフマラソン程度が一番身体には良いのだと思います。
「じーおっぺ」様は史上最悪の展開だとブログに綴っておられましたが、途中で休憩を入れるという勇気を発揮し、最終的には5時間を切るという結果に収めている点が、やはり数多くのフルマラソンを走られてきた経験と鍛錬の賜物であると思われました。
また、職場の同僚らは、それぞれ底力を発揮し、皆が完走することができました。これで今シーズンのフルマラソン大会は終わったことになり、アシモモ〜の手元には貴重な2個のメダルが残りました。世の中の標準からすればどうということのない記録ではありますが、頑張って走り切った証として、飾りたいと思います。こういった気分を高揚させるものは「断捨離」の対象から除外し、末永く大切にしたいと思います。
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【参考】与那国島をじっくりと一周した
https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/16140980.html 〇空の旅熊本から沖縄に行こうとしたら、全日空が一日1往復だけ運行している便を使うのが便利です。今回の旅はこの便を利用しました。搭乗口にくると、なぜだか飛行機の写真を撮ってしまうアシモモ〜のようです。
機内でうつらうつらしていると、もう沖縄に到着です。窓から眺める那覇の街並みです。
https://www.youtube.com/watch?v=XAXTZU3sYIs
竹富島の一部を見ながら石垣島にアプローチするところです。 https://www.youtube.com/watch?v=fggV0WXAXe8
着陸する際の風景を撮影。流れゆく石垣島の田園風景と、着陸するまでの様子が見られます。 〇与那国島グルメ沖縄の名物と言ったらソーキそばも挙がるでしょう。那覇空港での乗り継ぎ町の時間を利用して、ソーキそばをいただきました。豚の角煮が乗っていてボリュームもあって美味しいのですが、アシモモ〜が嫌いな軟骨が入っていたために、アシモモ〜としては減点要素となってしまったようです。
さて、与那国島では、ヤシガニをいただきました。大きさが分かるようにフリスクを置きました。ヤシガニさんは「かに」という言葉を冠していますが、ヤドカリの仲間です。丸ごと茹でてありまして、カニと比べると若干生臭い香りがします。
そして、やはり与那国島に来たならば、与那国島の泡盛を飲まなければ、何のために与那国島まで行ったのかという責任問題にもなります。工場を見学したところで作っていた泡盛「どなん」を空にしました。「どなん」とは「与那国」という意味だそうです。 |
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南の島に行ってきました。日本の最西端の島、与那国島です! 今回のゲストはシロクマちゃん。ハイビスカスのお花とともに記念撮影。お察しのとおり、頭の中もお花が咲いています。 〇最西端の地へ与那国島は沖縄本島から南西へ509㎞、周囲約28㎞、面積約29平方㎞の、日本最西端の島です。その島の西端は西崎(いりざき)といい、まさに日本の最西端ということになります。こちらが「日本国最西端之地」碑です。北緯24度27分00秒、東経122度56分04秒です。離島等を含めた場合に、自由に訪問できる日本の端は最西端のこちらだけですから、ありがたさが一層際立つものです。ちなみに、最北端は択捉島、最東端は南鳥島、最南端は沖ノ鳥島にそれぞれ存在しています。いずれも簡単には訪問することができない場所にあります。
与那国島と台湾とはわずか111㎞の距離にあります。(左)この方角に台湾が大きく見えると言います。晴れていてもなかなか見えず、見えたときには大嵐となることが多いらしいです。 〇久部良バリ久部良集落の北方の海岸にある、全長約20m、幅3〜5m、深さ7〜8mの割れ目です。バリとは割れ目のことを言います。かつて、人頭税に苦しんだ島では、人口を制限するために村の妊婦を集めて、このバリを跳ばせたという伝説が残っています。〇比川地区のDr.コトー診療所島の南側の比川地区には、与那国島で撮影されたテレビドラマ「Dr.コトー診療所」のセットが残されています。モデルになった本当の医師は鹿児島県の下甑島にいらっしゃいましたが、ドラマの撮影は与那国島で行われたのでした。
〇泡盛工場の見学(国泉泡盛)島の中央部に位置する国泉泡盛合名会社の工場見学をさせていただきました。「どなん」で有名な泡盛の会社です。泡盛はタイ米で作られます。(左)蒸しあがったタイ米が上部から投下され、麹と混合するための装置です。
(左)アルコール発酵が進んだならば、こちらの装置を使って蒸留を進めていきます。蒸留の初期段階はアルコール度数の高いものが抽出されるので、花酒用として右手のタンクに蓄えられます。その後、アルコール度数が落ちてくると、通常の泡盛用として左手のタンクに蓄えられます。
工場見学の後には、泡盛の試飲もさせていただきました。60℃の花酒もいただきました。花酒は泡盛とまったく同じ原料を用いて同じ製法で作られますが、アルコール度数が45度を超えと税法上は泡盛の名乗れないのだそうです。
〇アヤミハビル館羽を広げると20㎝前後もある大型の蛾です。最近は生息数が減ってきており、絶滅危惧に至る一歩手前のようです。館内にはサナギが飼育されていて、羽化する日を待っていました。サナギ状態でもピクピク動くので生きていることが確認できました。
また、アヤミハビル館ではアヤミハビルの生態などを詳しく知ることができるだけでなく、与那国島の独特な生物について、総合的に展示や説明が行われています。その生物の一つがヨナグニシュウダという蛇です。シュウダとは「臭蛇」と書き、危険を感じると噴気音や体を膨らませて威嚇するほか、総排泄孔から悪臭のする分泌物を出すことが由来です。アヤミハビル館ではヨナグニシュウダが飼育されており、観察してみたところ、大変サービス旺盛な蛇
→ https://www.youtube.com/watch?v=tv6kptENVlY
※ハ虫類が苦手な方はお止めになった方がいいと思います
〇奇岩を愛でる島の南東部には2つの奇岩を見ることができます。(左)立神岩(たちがみいわ)は層状の模様が美しい岩です。海鳥の卵を取るために岩に登って下りられなくなった若者が、神に祈りを捧げて眠りについたところ、眼が覚めると無事に戻れていたという伝説があると言います。
〇島の東端の東崎(あがりざき)与那国島の東端は東崎(あがりざき)です。こちらにも青い空、青い海、緑の大地との対比が眩しい白亜の灯台が設置されていました。ここからは西表島が見えるといいますが、この日は見えませんでした。
〇島の各所で馬と戯れる東崎の周辺は東牧場として馬が放牧されています。岬付近の断崖にも、草原地帯にも、馬が草を食んでいる様子が見られました。
島内をドライブしていると路上で馬と出くわすことがありますから、スピードの出し過ぎは禁物です。こちらは南牧場付近で、南牧場の馬は在来種との混血だそうです。のんびりな馬なので、クラクションを鳴らしてもどいてくれません。 〇ダティクチディで過去に思いを馳せる正保元年(1644年)尚賢王は琉球の島々に対して海上監視や出入りする船の通報を行うために遠見番所の設置を命じました。番所であるダティクチディに3人の番人を置き、船が現れると1人が早馬で村に駆け「ンネーンネー」と連呼して船の出現を知らせたそうです。番小屋造り作業をグティククイと呼び、毎年旧暦8月に作り替えていました。現在は、小屋造りは行いませんが、この時期に祭事が行われているということです。
〇ティンダバナ麓から見上げると、むき出しの岩が大迫力で迫っています。その高さは打ち捨てられた軽トラと対比させるとよく分かると思います。 祖納地区は、町役場が置かれている島で一番の集落です。飲食店なども点在していますので、アシモモ〜も祖納地区の飲食店にお世話になりました。与那国島で出会った珍味は後日ご報告したいと存じます。
ティンダバナは高台ゆえに、眼下には祖納港や祖納地区の家並みが一望にできる、天然の展望台と言えます。アタシらも、遊歩道の柵につかまって、時を忘れて国境の島の集落を眺めました。
遊歩道沿いの壁面には、八重山出身の詩人・伊波南哲の「讃・與那國島」と題する詩が刻まれています。
紀元2603年というのは1943年のことですから、太平洋戦争の最中に作られたことになります。碑の一番末尾に注目していただきたいのですが、何やら削り取られている様子が確認できます。ここには当時の町長のお名前が記されていたと言います。「沈まざる25万トンの航空母艦」という表現に象徴されるように、戦意高揚の詩でありますので、終戦直後の時期に、自身に害が及ぶのではないかと考えた当時の町長が削り取ったということです。
イヌガンと呼ばれる岩屋がありました。こちらには以下のような伝説があります。温暖な気候なので、こんな岩陰でも暮らしていけるかもしれないと思いました。
以上、駆け足で与那国島を1周しました。数回に分割しても良い分量ですが、分断すると与那国島の雰囲気が伝わらないので、一気に書き上げることにしました。 次回は、空の旅の様子と沖縄グルメを特集します。
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