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平成31年(2019年)3月24日(日)、芦北うたせマラソンに出場しました。大会の前後においては、当ブログ常連の「じーおっぺ様」のご厚意に甘えて、芦北地方の風物を堪能する機会を得ました。
〇肥薩おれんじ鉄道に表敬肥薩おれんじ鉄道は、平成16年(2004年)3月の九州新幹線の新八代〜鹿児島中央間の開業に伴いJR九州から経営が移管された、鹿児島本線の八代〜川内間を走る第三セクター方式の鉄道です。
経営はなかなか苦しいようですが、「おれんじ食堂」という食堂車を走らせたり、ドラマの撮影を呼び込んだり、こつこつと努力を重ねているようです。今回は乗車しませんでしたが、近日中に乗車する機会を設定しなければならないと感じました。
〇万葉集に載る歌枕奈良時代の皇族である長田王が筑紫に遣わされて水島に渡る際、
芦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かむ波立つなゆめ と詠みました。この歌は万葉集に載っており、平安時代の歌人たちが歌枕として「野坂の浦」を歌の題にしたといいます。 アシモモ〜の本拠地である東京の臨海部は埋立地であるために土地自体に歴史がなく、あってもせいぜい江戸時代以降の歴史を刻むだけです。それと比較すると、万葉集の奈良時代に遡ることができる歴史を重ねた土地というのは、やはりそれだけの風情と重量感があるというものです。
〇佐敷の街道をゆく佐敷では、城下町や宿場町の風情を残すために景観形成住民協定を結んで保存活動、まちづくり活動を行っているということです。かつての風情を色濃く残す、過度に観光地化されていない素朴な街並み。「じーおっぺ様」イチオシの場所であるのもよく分かります。 捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ
石碑には「地位からも名誉からも遠ざかり社会の底辺まで下りて放浪した山頭火にして初めて作り得た名句である」と刻まれています。放浪の俳人と言えば聞こえは良いですが、定職にも就かず一般的な社会生活を送れない破滅型の生き方を送る人が身内にいたら堪らないとも思います。この生き様の良さが分かるには、もう少し歳を重ねないとダメなのでしょうか。
〇国史跡の佐敷城跡から街や海を一望する佐敷城は、16世紀後半の天正17年(1588年)頃に築城された城で、加藤清正の重臣・加藤与左衛門重次が城代を務めました。肥後と薩摩の国境を守る目的の城であり、島津軍とは2回戦火を交えています。文禄元年(1592年)には豊臣秀吉の命により朝鮮出兵をしている隙を突かれて薩摩の梅北国兼に乗っ取られ、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には島津軍に包囲されています。〇最南端の亀萬酒造で上等な日本酒に触れる葦北郡津奈木町にある亀萬酒造に連れていっていただきました。日本最南端の酒蔵として名が通っていたそうですが、現在は鹿児島県いちき串木野市にある会社にその座を譲っているようです。
最南端の座を譲ったとしても、日本酒を作る環境としてはギリギリのところであることには変わりなく、もろみ段階で氷を使って温度調整をする「南端仕込み」という独自の製法を使って酒を造っています。
こちらは、若干酸味のある、甘酒と間違えるような感触を得られるお酒です。口当たりは甘酒ですが、麹の香り、ほのかな苦み、日本酒の粗削りな重厚感が次々と感じられます。
「じーおっぺ様」は一番左の新酒をご購入。そして、じーお様のお宅でいただいてしまいました。じーお様、ごちそうさまでした。次は、珍しい外国産ワインを振る舞いますので、一緒に飲みましょう。
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