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豊洲付近に引き続いて、お台場を散策しました。豊洲から「のぞみ橋」を経由してアプローチすると、最初のスポットはお台場海浜公園です。こちらの公園は、2013年の「大使館フレンドリーラン」という運営が最悪だった大会に出場した際に走った公園です。http://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/10427038.html
お台場海浜公園の先端は、都立台場公園があります。こちらは、江戸幕府が黒船来襲に備えて品川沖に築いた砲台跡が公園として整備されています。台場は、ペリーが浦賀に来航した翌月に着工し、1年3か月で完成しました。現在は、第三と第六台場だけが残っており、そのうち、第三台場が昭和3年に東京市によって整備され、台場公園として開放されています。レインボーブリッジのたもとに位置しますので、橋を眺めるにも絶好のロケーションです。
台場の内側のくぼ地には、弾薬庫の跡などもあり、当時がしのばれます。
公演の外側に目を向けると、お台場の高級マンションや、ランドマークであるフジテレビの社屋も眺められます。最近は視聴率が低迷して困っているようですね。
かつての砲台跡も残っています。東京湾の外側に向かって据えられていたのがよく分かります。
台場公園の北側からは、レインボーブリッジの橋の下から晴海埠頭の旅客船ターミナルがよく見えます。ターミナルの表示信号「F」もくっきり見えました。「F」は出入り自由との意味なのだそうです。なお、「I」は入航のみ許可、「O」は出航のみ許可、「×」はいずれも禁止という意味だそうです。
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お散歩
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勝どきから晴海通りを有明方面に向かって進むと、晴海三丁目交差点で晴海通りは左折して豊洲方面に向かいます。左折せずに直進すると有明通りを名を変えて晴海大橋に差し掛かります。
晴海大橋の最高地点。下を船がくぐりぬけていくので、この程度の高さを確保しないと困るのでしょう。普段は、昼間は曳舟が行き交い、夜になると色とりどりのちょうちんで飾り付けた屋形船が往来します。
橋を渡って晴海大橋南詰を右折する都道484号線です。ゆりかもめの高架下を進むことになります。しばらく進むと、豊洲市場の工事が真っ盛りの市場前駅付近に至ります。
(左)「11月7日 豊洲市場 開場!」と書かれているのが確認できます。巨大な市場ができます。
(右)建物の上部に「豊洲市場 TOYOSU MARKET」と書かれているのを布をかぶせて隠してあるのも確認できます。
環状2号線が開通すれば、虎ノ門〜汐留〜築地〜勝どき〜晴海〜豊洲が結ばれて非常に便利になります。
都道484号線を有明方面に進むと、レインボーブリッジが見えてきます。埠頭の先端まで豊洲市場の工事が行われています。砂が盛ってあったり、遊歩道の整備が行われていたりで、今後どのように整備されるのは非常に興味深いです。
のぞみ橋を渡るとお台場です。次回ブログではお台場のスポットを特集しようと思います。 |
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十返舎一九(1765〜1832)は駿府出身で、弥次さん喜多さんが東海道下り伊勢参りをして京都まで至るという「東海道中膝栗毛」の作者として有名です。売れっ子作家として、作家業で食べていった初めての作家という面もあるそうです。
受験勉強の日本史の記述対策としては、その背景として、識字率が向上し、庶民が出版物を読んで楽しむようになったという時代背景があるという点は抑えておくべきでしょう。 お墓は当初は浅草の東陽院にありましたが、関東大震災で被災し、昭和になってから勝どきに移転したのだそうです。
石碑の脇に中央区教育委員会が立てた看板があり、十返舎一九の辞世の句が紹介されています。
此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら
「この世を、それっお暇しましょうか、線香の煙とともにはいサヨナラ」といった意味でしょうけれど、線香の灰と、火葬になった時の灰、間投詞としての「はい」の3つが掛詞になっている、ユーモアにあふれる辞世の句です。
また、「十返舎」は、十度焚いても香を失わないことから「十返しの香」といわれる黄熱香にちなんでいるということですから、辞世の句で線香を持ちだした背景にはそのようなモチーフがあると考えられるのではないでしょうか。
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今年は厄年(前厄)なので、厄除け祈願に行かなければならないとずっと思っていながら、6月に至りました。思い返すと、今年になってから、特に仕事面でロクでもないことばかりが起きているような気がします。それは厄除けに行っていないからではないかと思い至り、6月の日柄の良い日に川崎大師に厄除け祈願に参りました。
川崎大師に行くには京浜急行が便利です。京急川崎までは三崎口行き特急電車で行きました。このまま三崎口まで行って、マグロでも食べに行こうかと思うくらいの晴天の休日でした。京急川崎で下車して大師線に乗り換えます。
川崎大師に来るのは2回目なので、駅からの道のりは知っています。
川崎大師①
川崎大師②
何となく厄除け祈願は午前中に行くのが良いと考え、早起きして向かいました。川崎大師では「御護摩修行」と称しているようで、午前中は、06:00、09:00、10:30、11:30の4回行われます。さすがに6時に着くように川崎に行くのは難しいので、9時の回を目指して向かいました。
早朝ゆえ、まだ境内にはひとはまばらで、参道脇のくず餅(久寿餅と書く)や咳止め飴の店は準備中でした。梅雨の晴れ間に恵まれた一日でしたが、紫陽花が咲き誇っていました。
大山門も立派です。歴史と川崎大師の繁栄ぶりがうかがえます。境内には、五重塔もあります。
大本堂にて、御護摩修行が行われます。ご本尊はこの奥に鎮座なさっています。祈祷が終わった後、ご本尊の近くまで進み出ることができます。よく観察してみたら、布団を重ねたような形をしたものが見えました。弘法大師像は10年に一度しか開帳されないといいますので、この奥に弘法大師様が隠れておられるものと思われます。
祈祷の前にお坊さんのありがたいお話がありました。川崎大師は、「金剛山 金乗院 平間寺」というのが正式名称で、弘法大師が祀られています。川崎にある弘法大師様ということで、「川崎大師」という名称が定着したのだそうです。
さて、御護摩修行の後、お札をいただきました。今回は前厄なので、お値段はあまり張らないコースにしました。気持ちの問題でもありますので。でも、お祓いをしたら、すっきりとした気分になりました。
厄年を転じて大変な慶事が起きるとも言われますので、きっとそうなるように、特に健康管理には気合を入れて取り組みたいと思いました。
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散歩するときにはボディバッグがあると両手が使えて便利です。
これまで使ってきたボディバッグは長期間の使用のために擦り切れてきましたので、換装することにしました。散歩で豊洲に赴いた際に「ららぽーと」に立ち寄り、新しいボディバッグを物色しました。
複数のお店を回ってみて、森野帆布製のボディバッグを購入しました。汚れが目立つから・・・といつもは敬遠する白色にトライしました。白色とネイビーのコントラストが鮮やかで気に入っています。
このボディバッグには森野艦船帆布4号という布が使われています。海上自衛隊でも使用されている丈夫な帆布です。海上自衛隊の過酷な使用環境に耐えるように特殊な加工を施してあるということで、普通の帆布とも異なる触感です。非常に頑丈な素材であるため、通常の方法では縫製することができず、職人の手作業で仕上げているとのことです。
収納はシンプルで使いやすい1室タイプ。大きく開くので出し入れが楽です。 ポリエスタも押し込めば入るかもしれません。内ポケットが2つあり、携帯電話や小物の収納に便利です。 背面は通気性の良さそうなメッシュになっており、左右両方からアプローチできるポケットになっています。ストラップは左右に付け替えが可能となっているので、右肩でも左肩でも掛けることができます。 |



